「キンメル」
低い声で名前を呼ばれて、オレはビクリと背筋を伸ばした。
「は、はい!!」
「このユーリってのは、あのユーリじゃあるまいな?」
「いや、あの……」
「あいつはあの墓場で死んだんだろう?」
疑わしい目を向けてくる団長に、背中からじわりと冷や汗がにじむ。
『麻痺毒を打たれた冒険者が墓場に放置されたら、果たしてどれだけ生き残れるか』
冒険者の長なのに刺激が足りない生活を送っていると嘆く団長に、そんな賭けを持ちかけたまではよかった。団長に他の幹部を加えたメンバーがひっそりと賭けに参加し、オレの年収みたいな金が飛び交った時は成功を確信した。
ユーリがどこまで出口に近づけたかで競ってもらうと決まり、準備のために聖水まで買った。未来の出世のための先行投資と思えば安い買い物だった。
あとは、団長が賭けた地点に一番近く、それでいて他のメンバーの中でも偉い人にほどよく配当が回るような、そんな場所でユーリを始末。それだけでよかったのに。
「……あいつどこ行った!?」
目当ての場所で待てど暮らせどユーリが来ない。どうやら思ったより早くくたばったらしいと見て、聖水の効き目が切れてはたまらんとユーリを捨てた地点に戻ってみて愕然とした。
死体が無い。
悪霊に取り憑かれた死体はゾンビとして動くこともあるらしいが、それだって硬直が解けてからだから数日はかかると聞いている。昨夜放置されたユーリの死体が自分で歩いていったとは思えない。
つまり。奴は生きている。そしてオレを避けてどこかに逃げたんだ。
「さすがオレ、この名推理よ……。しっかし使えねえなユーリの奴! こういうとこで空気読めねえと一生出世できねえぞ! いや、待てよ?」
そこでふと気づいた。
賭けが不成立になるのも大いに困るが、成立してしまったらもっと困るのではないか。
『俺の生還に、全財産だ!』
死にかけのユーリにそう言われて、その通りの証文を書いてやった気がする。それさえあれば死んだあとでユーリの持ち物を好きに処分できるからだ。
「あの板切れ、なんて書いたっけ?」
証文の書き方くらい知っているが、あれはなかなかにめんどくさいのだ。誰と誰が賭けるだとか、日付がいつだとか、どうやって支払うだとか、書かないといけないことが山のようにある。
いくら聖水があるといっても場所は墓場。取り憑くだけで死ぬ悪霊たちがわんさかいる場所だ。死体になるやつにそこまで手間をかけていたら、オレのほうが死体になってしまう。
「だから、あれは省いて、これも省いて……」
つまり、あれがこうなって。それがああなって。
「……もしかして、マズイのでは? いや、いやいやいや。そんなわけない。あいつだって常識で考えれば返しに来るっしょ!」
そうは思うものの、相手は田舎者で常識知らずのユーリだ。いつも仕事をしていても、休憩時間は三時間に一〇分だって言えば一〇分きっちり休もうとするし、給料日にもオレが言ってやらないと指導料も渡しに来ない。挙げ句、先輩が食べ始めるのを待たずに自分のパンを食べ始めたような社会不適合者だ。
今回も先輩の一大事だと理解できずにボケッとしてるかもしれない。そう思って、わざわざ同期も連れて殺しに行ってやったのに。
あいつはといえば、
「聖女様をだまくらかして雇ってもらうことにしました! なんで、お前みたいな無能にはもう用はありません! 義理? 恩義? なにそれおいしいの?」
なんて言いやがった。いや、ちょっと違った気もするが、だいたいそんなようなことを言ったはずだ。しかも姑息な手でオレの剣まで持って行きやがって。絶対に返してもらうからな。
でもどんな汚い手を使ったにせよ、聖女様の関係者になってしまったらおいそれとは手が出せない。賭けの結果発表はどうにか引き延ばして、なんとか団長にバレる前に処分しなくてはと、そんなことを考えていたのに。
まさか『獅子の鬣』に届いた闘技大会の組み合わせ表でバレるとは。
「キンメル、お前言ったよな? あいつは墓場で死んで、賭けは俺の勝ちだったって。だから後始末のために支払いを引き延ばすのにも手を貸してやったんだが?」
「いや、あのー、それはですね、きっと同姓同名の……」
「ユーリ・カタギリ。そんな珍しい名前が何人もいるのか? あ?」
「それはほら、えー……」
カタギリなんて姓、たしかにあいつ以外で聞いたこともない。田舎者特有のちょっと変わった名前をしやがって。
「いいかキンメル。俺は細かいことは気にしないし、理性的で結果主義の男だ」
「そうだっけ……? いえ、はい! おっしゃるとおりです!」
「お前は、ユーリは死んで俺の勝ちだと言った。それは嘘か?」
「い、いや、そんな。きっとアレです! 死んだあとで息を吹き返したんですよ! 聖女に発見されて捨て犬みたいに拾われて!」
「それが嘘じゃないなら本当にしろ」
団長の機嫌を損ねれば、もう冒険者の世界に居場所はない。俺の先輩も、その先輩もそう言っていたからきっと間違いない。
だがこれは千載一遇のチャンスでもある。闘技大会に出てユーリを叩き殺せば団長からも、もしかしたら聖女フィーネ様からも評価が改まるかもしれない。
『ユーリなどではなく、あなた様に護っていただきたいですわ!』
なんて。なんて!
「このキンメル、ギルドのため、必ずや裏切り者のユーリ・カタギリを討ち取ってみせます!」
「あ? 裏切り? まあいいや、やっとけよ」
「はい!」
見てろユーリ。このキンメルの頭脳と人脈がなせる技を見せてやる。
前回は卑怯にも不意をつかれて不覚をとったが、今度はそうはいかんぞ!
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