西暦202X+2年、3月下旬。
日本の大半の小学校・中学校・高等学校では3学期が終わり、4月に翌年度の1学期が始業するまでの春休みに突入している。一方、社会人は年度末の忙しさに追われている。
そんな日本の首都、東京では寒い冬と入れかわりに訪れた春の陽気が、あちこちにある桜を花開かせていた。
その東京の中心にある鉄道駅、東京駅のすぐ北側に高さ390mという日本一 高いビルがそびえている。その名は──
【Torch Tower】
日本にある全ての構造物の中では2位の高さ。1位は634mの電波塔、東京スカイツリー。だが東京スカイツリーができる前に使われていた電波塔、東京タワーの333mよりは高い。
それほどの高さがあり、しかも大部分が剥きだしの鉄骨構造の尖塔である電波塔と違って、壁に囲まれた各階層が地下4階から地上63階まで連なる。
その存在感たるや。
それだけの大きさ、建設工事の期間も長くなるのが道理だが、トーチタワーはそれまでの常識よりも遥かに早く完成して世間を驚かせた。
その要因は、日本が誇る世界屈指の企業群【常陸グループ】に所属する建設機械メーカー【常陸 建 機】が生んだ──
双腕重機【ボガバンテ】
アームが通常のショベルカーでは1本のところを左右2本ある〔双腕重機〕で、さらに旧型ではアームの各関節をレバー操作で屈伸させていたのを、アームに運転手の両腕と同じ動きをさせる〔マスタースレーブ方式〕を採用した最新型。
旧型の双腕重機も通常式より精密な作業が可能と一定の評価を得ていたが、通常式と操作方法が違うため通常式に慣れた運転手には不評であり、通常式を駆逐することはなかったが。
ボガバンテは駆逐した。
通常式はもちろん旧型双腕重機でもアームをレバーで操作するにはコツが要り、その運転資格を得るのはそれなりに大変だが、マスタースレーブでは簡単。
誰もがすぐに動かせるようになり、しかも人間の腕そのままの器用さを発揮するアームによる作業効率は従来の比ではなく……これがあればもう通常式は要らないほどだったから。
しかもその活躍する範囲は。
ショベルカーの域を超えた。
建設作業で重い建材を運んで組みたてる工程を、ボガバンテは積み木のような素早さと容易さで可能とした。これまでの工法が鈍重に思えるほどに。
建設業界に革命が起こった。
このボガバンテが計画立案当時にはまだなかったため、トーチタワーの工期は従来の工法で何年かかるかを元に見積もられたのだが、実際の工事ではボガバンテが使われたため、工期は大幅に短縮されたのだった。
そしてこの390mのトーチタワーの隣には【常盤橋タワー】という212mのビルが建っている。トーチタワーほどではないが、これも相当な高さ。
これら2棟のビルはどちらも都市再開発計画【東京駅前 常盤橋プロジェクト】によって建てられた兄弟で、常盤橋タワーが先に建てられた兄にあたる。
そして兄弟の足下の中間。
そこは広場になっていた。
整然と舗装され、まばらに芝生や街路樹が植えられた、美しい広場。青空の下にいくつも屋台が置かれ、さっきまで大勢の人で賑わっていたそこで……今、1台のボガバンテが暴れていた。
『おらぁ‼』
外部に設置されたスピーカーから運転手の男のダミ声を響かせながら、ボガバンテが右腕を振るう度、屋台がガッシャーン‼ と騒音を鳴らして倒されていく。
軽いテントのみならず。
重い移動販売車さえも。
近くにある建設現場からこのボガバンテが、その車輪が覆板で囲まれたキャタピラが舗装を痛めるため走ってはいけない車道を通って現れて暴れだした時、ここにいた人々はもう避難した。
ただ1人の子供を除いて。
その子は逃げようとしたところ運悪くボガバンテに捕まった。ボガバンテの左腕の先にある、人間の手と同形でより大きな手に胴体を掴まれて、高々と掲げられた。
落ちたら死ぬ高さ。
ボガバンテは左手に子供を掴んだまま右手で屋台を、街路樹を薙ぎたおしている。その運転手の目的は、ボガバンテの危険性を世間にアピールすることだった。
『ボガバンテならこんな作業も楽々だ!』
『このデケェ腕を動かすのに高度な技術は要らねぇ、なんたって自分の腕とおんなじように動くんだからな! 免許だって従来の重機より簡単に、すぐに取れる!』
『こんなデケェ力を、こんなに器用に扱える。そんな双腕重機に乗るためのハードルが現在は低すぎる! だから俺みたいな奴が暴走すれば、こんなヤベェ事件も簡単に起こるって寸法だ‼』
『こいつは規制しないとなぁ⁉』
その声はスピーカーで近辺にいる人々に聞かせるだけでなく、インターネットを通じて全世界に無料動画として配信していた。運転室から携帯電話で撮っている映像ともども。
そこに寄せられる視聴者のコメント。
[許せねぇ!]
[人質の女の子かわいい!]
[間違えた、かわいそう!]
[かわいいのも事実だけど‼]
[またボガバンテ?]
[あーあ]
[こりゃコイツの言うとおり規制か]
視聴者に限らず、現在この状況を多くの人々が見守っている。その中の良識ある人々は当然この行いを非難しているが、それはそれとして男の主張自体には賛同する声も多かった。
ボガバンテが普及して以来、日本全国でそれを悪用した事件が続出しているから。重機を用いた犯罪はこれまでにもあったが、ボガバンテによる犯罪件数の多さはとても同列には語れない。
ある評論家は言った。
《これほど大きな力を、かくも簡単に、自分の腕も同然に操れるという状況は、使用者の判断を狂わせます》
《従来の重機なら、それを動かすには細心の注意が要り……言うなれば〔面倒〕です。その面倒さが、重機をちょっとしたことに使うのを思いとどまらせるものですが》
《ボガバンテはあまりに気安く使われています。その犯罪で最も多いのが〔酔った運転手同士のボガバンテを用いた喧嘩〕であることからも、その事実がうかがえます》
──と。
ボガバンテによってあらゆる構造物がスピーディーに造られるようになった変化を歓迎する一方で、人々はボガバンテが大した規制もされずに出回っている状況に危機感を覚えてもいた。
それでも今日までは大した犯罪は起こらずにいたが、今この男によって『ここまで危険なことが起こりうる』と示された。今後ボガバンテへの風当たりは強くなると予想される。
男の目論見どおりに。
そうなれば旧来の重機が復権することもありえるだろう。そうなった社会で自分が働くことができなくても男は構わなかった。どうせ今のままでは自分に居場所はないのだから。
長年その旧来の重機を運転してきて、老年に差しかかった男はすでにベテランと言っていい。職人技である重機の運転を、そのキャリアに恥じない巧みさでこなせる。
彼の1つ上の世代まで、熟練の重機運転手はその技量によって下の世代から敬われて……誰もがデカい顔をしていた。男もそうなるはずだったが、ボガバンテの出現でなれなくなった。
今や旧来の重機は、お払い箱。
その運転技術などもう現場ではなんの役にも立たず、自慢にもならない。男もまたボガバンテの免許を取ってそれで働くようになったが、彼の技術はボガバンテには活かせなかった。
ボガバンテのアームを動かすこと自体に技術は要らなくとも、アームで建材を積み木のように組むことには、それ特有のコツが要る。
男はその技術を0から身につけて、全ての世代と同じスタート地点からの再出発を余儀なくされた。もう〔敏腕の重機運転手〕という肩書は名乗れなくなっていた。
そして落ちぶれた。
レバーで慎重にアームを操作する旧来の重機と違い、マスタースレーブ式では運転手の動きの機敏さが作業の早さに直結する。
老いた男が、若者に敵うはずなかった。
職場において男は〔大した仕事もできないのにプライドだけは高い老害〕という評判が定着した。それを理解していても謙虚に振るまうことなどできなかった。
先輩たちには許されたことが、なぜ自分には許されない。ただ態度がデカいだけの老人になるつもりはなかった。態度がデカいだけある技を若者に示して尊敬されもするはずだったのに。
己の技はもう求められない。
こんなはずではなかった。
ボガバンテさえ現れなければ。
職場で嫌われ冷遇されて人生に絶望した男は、晩年を刑務所の中で過ごすことを受けいれて〔無敵の人〕となり、ボガバンテの危険性を喧伝して規制を招こうという、このテロに走った。
自分1人が犠牲となることで自分と同様の時代遅れな者たちを救おう、などと考えてはいない。狙いどおりに、自分から人生を奪ったこの世界が変化すれば多少は溜飲が下がるというだけ。
バラバラバラバラバラ……
上空からヘリコプターのローター音。報道機関が飛ばしている報道ヘリがここを空撮している。そのヘリに乗ったカメラマンの実況が流れるニュース番組を、男もラジオで視聴していた。
ローター音にかき消されぬよう大声で──
『こちら犯行現場上空です‼ 犯人は依然として人質の女の子を重機の手に掴んだまま破壊活動を続けています‼ 警察はなにをしているのでしょう‼』
「いい質問だ、俺が答えてやる‼」
ラジオの音声も拾っている動画用のマイクに、男は叫んだ。
「こういった人質事件が起こった場合、警察はまず現場に警官隊による二重の包囲網を敷くんだ。内側は犯人の逃亡を防ぐため、外側は人質救出の邪魔になる民間人を近づけないためにな‼」
「今回もそれはもうされている、両側のビルからも大量の人間が避難させられて、エラい騒ぎだったぜ。そして警察は犯人である俺に電話で投降を呼びかけてきたが──俺は突っぱねた!」
「『お前らと話すことはない、邪魔するなら人質を放り投げる、引っこんでろ』つってなぁ! まぁ本当に引っこむワケはねぇ、人員を配置して突入の機会をうかがってるだろうぜ』
そこで男は一拍 置いた。
「さて、こーゆー事件で活躍するのが警察所属のスナイパーだ。狙撃手。射程の長い銃で、遠くの目標を撃つ人な。それで犯人が持つ拳銃だけを撃ち落とせるってぇ話だ。スゲェよな!」
「だが俺はまだ狙撃されていない。普通ならとっくに撃たれてるだけの時間が経ってるのに、なんでだろうなぁ?」
「思うに普通の狙撃銃の弾じゃあ、工事現場での事故に備えた、このボガバンテの運転室を覆う頑丈なガラスを貫いて、なおかつ中にいる俺にまで傷を負わせる威力がないからかな?」
「いや。そんなモン、もっと強力な弾薬を使えば済む話だ。俺を殺さずに逮捕するのは難しくなるが、凶悪犯罪を阻止するため、それもやむなしってコトに……なんでなってないのかな?」
なお、男はまだ誰も殺していない。
1人でも殺したら死刑が確定する、それは嫌だからだ。なのでボガバンテの左手から人質の美少女をうっかり放して、死なせてしまわぬよう注意している。
それにしてもこの小娘。
恐怖に泣きわめくなりしてくれれば、ボガバンテの負の印象をより強く人々にすりこめるのに、泣かず悲鳴も上げないどころか生意気にも自分をキッとにらんできた。
ムカついたので左手をブンブン振りまわしてやった。どんなに表面上は気丈に振るまっていても、シートベルトが信用できない絶叫マシーンは生きた心地がしなかったろう。
自分を馬鹿にした報いだ。
「まぁ撃てないよな! 俺が死んだら、死ななくても左手の力が緩んだら、このボガバンテの左手も緩んで人質は墜落死するからなぁ⁉ 全くボガバンテはタチが悪い! 規制だ規制‼」
『そこまでだ‼』
「なにっ⁉」
突如、男の頭上から聞こえてきた音声は、報道ヘリからのものではなく、警官のものでもなかった。声はトーチタワーの屋上の縁に立った、全高4mほどの巨人から発せられていた。
地上からはよく見えないが、それは人より鳥人という印象の、胴体と両腕は人の、頭と両脚そして背中に生やした一対の翼は鳥のそれというロボット。
それは【アーク】に分類される。
ボガバンテより少し遅れて販売が開始された全高3.8m以内の搭乗式人型ロボット。だがアークによる模擬戦競技【機甲道】のルールでは使用できない飛行可能な機体。
警察の用いる【パトアーク】にもないはずの。
それはボガバンテのみならずアークも生みだした常陸が自衛隊での運用を想定して(自衛隊はアークを導入していないが)開発中だったのを盗まれた試作機だった。その犯人こそ今この機体に乗っている──
『怪盗忍者1号、只今参上‼』
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