完結済 短編 現代世界 / 日常

七つ森の魔女

公開日時:2022年8月12日(金) 00:25更新日時:2022年8月12日(金) 00:25
話数:1文字数:10,347
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「次のニュースです」

 

「昨夜未明、女性が奇声を上げている。と警察に通報があり、警察官が駆けつけたところ、手首から大量に出血している女性を発見しました。女性はすぐに病院に搬送されましたが間もなく死亡が確認されました。警察は事故と事件の両面から捜査を——」

 

 

「はう」


 パンを焼こうと、生地を釜に入れる直前に落としまった。

「まぁ、焼けば大丈夫ですね〜。今朝は床も掃除しましたし、何の問題も無いのです〜」

 そう自分に言い聞かせて、拾い上げた生地に軽くフッ、と息をかけて今度はちゃんと釜に入った。そうして少し時間が経つと、良い香りが少しずつ、キッチンに満ちてきた。

「はぁ〜、良い匂いなのです〜。あ、コーヒーも作らないとですねぇ。朝はこれに尽きますね〜」

 今朝は良く晴れている。それだけで気分は高揚し、思わず楽しげに口も回る。間も無く朝食が出来上がる頃合い。食卓の席には一人、キッチンにも他の部屋にも誰も居ない。

 深い深い森を抜けた更に奥、彼女、魔女ハンテラはただ一人で平凡で慎ましく日々を過ごしている。

「コーヒーは焦らずゆっくりと〜。はぁあ、ここからも至福の香りが〜」

 恍惚の表情でカップに注がれるコーヒーを眺めていると、絶頂から奈落へ、それは突然やってくる。

「! 焦げ臭いのですー! 火事? どこから、ど、はああああ!」

 それは釜からの報せ。急ぎ救出に向かうも現実はいつだって突き付ける。現実を。

 憐れ、そこには見事、炭状態へと変貌したパン生地が確認された。

「う、く、私の、パンが、一体どうして……」

 愛する者を失ったかの如く、絶望が彼女を一瞬にして支配した。変わり果てた姿の、パンになるはずだったモノを小さな手で包み込み、涙と共に抱きしめた。

 そこへ訪れる。箒に跨り、どこか心地よい爽やかな風を纏いながら。


 魔女、メターリナだ。 

「やぁハンテラ、おはよう。また失敗したんだね。何故毎日のように失敗するんだい?」

 大きな三角帽子から少し見える、美しい銀色の髪、何事も見透かししまうような切れ長の目、自由奔放な出で立ちながら、見惚れてしまう程な容姿端麗な魔女からは歯に衣着せぬ物言いが放たれる。

「うぅ〜メターリナ。おはようなのです。この前は成功したのですよぉ……」

「あはは。この前っていつの事だよ。まぁ、今日も持ってきてあげたから一緒に食べようか」

 そう言うと、手に持っていた紙袋からパンを出した。

「やった! 今コーヒーを持ってきますですー! さぁ、座ってて下さい!」

 魔女仲間のメターリナはいつも淡々としながら、薄ら笑いつつハンテラの元を訪れる。ハンテラにとっては救いの女神でもある。

「うん、あぁそれと、りんごのジャムも美味しそうだったから一緒に買ってきたんだ、とても出来のいいりんごが手に入ったみたいでね、店の手作りなんだって」

「それは素敵ですね〜。はい、コーヒーはいりましたよ。さ、頂きましょう」

 美味しい、とパンを頬張りながら笑顔になるハンテラ。二人の朝食の時間は他愛ないもない会話と共に過ぎていった。

「うん、美味しかったね。またあの店に行くのが楽しみになったよ」

「メターリナはよく街に行くし、街の人達とも仲良しなんですね〜」

 食後のコーヒーをゆったりと一口、二人の会話は続いていく。

「そうだねぇ、ボクは動き回ってる方が好きだしね。ハンテラは、街には行かないのかい?」

「うん、私は……おウチが好きだから」

 少し声のトーンが下がる。切れ長の目が彼女を見据え、口角が上がる。

「はは。引きこもりだね。もういいんじゃないかな、許してあげても。というか、とっくに意味はないだろう? そんなに自分を、さ。あー、四〇〇年くらいだっけ? 魔女になって」

「はう、四二八年です」

「そうか。ボクはー、七百年くらいだったかな、もうあまり数えられなくなってきたよ。あ、コーヒーおかわり貰っていい?」

「はいです。私もなくなったのでおかわりです〜」

 席を立ち、キッチンへ向かう。再びゆっくりと、丁寧に一杯、コーヒーを淹れてゆく。

 空けていた窓から聴こえてくるのは、風で木々の葉が触れ合う音。時折その風が小気味よく頬を伝う。青と白のコントラストがちょうどいい空に、鳥達が自由に飛び回り、緑溢れる地では様々な種の生き物が今日も一日の命を始める。

「まぁ、おウチも悪くないけどね」

 呆けた様に外を眺めてポツリと呟く。

「そうですよー〜。メターリナもたまにはおウチで静かに過ごしてみるのです。きっとこの時間の良さがわかりますよー。はい、おかわりお待たせしました〜」

「あは、ボクがウチから出なかったらこの朝食は無かっただろうね。そしてこれからも。まぁ、でもそれもいいのかな」

「それは! むぅ、た、たまに外に出た方がいいかもしれませんね〜」

「どんな都合なんだい、それは」

 二人の笑い声が部屋に溢れる。この良い天気に、これから洗濯物を終えたら散歩にでも行こうかと思っていたハンテラ。折角と思い、メターリナも誘ってみる事にした。


「今日は、お仕事はないのですか?」

 魔女の仕事——今も昔も根本的に変わらない。人々の「お願い」を聞き、解決していくものだ。が、そのお願いの質はいつ頃からか、次第に変わっていった。人は自ら人の力を超えていく。より速く、より強く、より便利に。

より醜く、より脆く、より歪に。

「ん、仕事はないけれど少し野暮用があってね。まぁしかし、相変わらず定期的にくるものだよ、困った人達がさ。ハンテラの所はどうだい? 調子は」

「私の方は閑古鳥の囀りが小気味よいですよ〜」

「あはは、そうかい。でもいい事なのかもしれないね。君の所は、ボクよりある意味残酷なのかもしれないからね」

 ケタケタと笑いながら非道い事を言われ、少し顔を赤らめて怒る。

「じゃあボクはそろそろ行くよ」

 大きな帽子と乗ってきた箒に手を伸ばし、帰り支度。コーヒーごちそうさま、と、玄関の扉を開けると、陽も大分上っていて、溢れんばかりの光が入り込んだ。

 メターリナを見送り、青空を見つめる彼女から聴こえる。一つの歌が。

 深い深い森の奥、魔女達は静かに暮らしている。誰も知らない、辿り着けない。それでも誰かは願い願う。叶えたくて。最後の祈りを、届かせたくて。



 パシ、バシ! 古いアパート、薄暗い部屋に平手打ちの音が鳴る。間も無く携帯電話で話をしながら、一人の女が玄関から出てきた。若干、派手な格好の女はそのままどこかへと出掛けて行った。部屋の中には子供、女の子が突っ伏しいた。

「うぅ、お水、飲みたい」

 おぼつかない足取りで水道の蛇口をひねる。が、水は出てこなかった。どうやら止められているようだ。またか、と思い、女の子は空のペットボトルを一つ手に取り、部屋を出た。

 辺りは夕暮れに染まりつつあった。近くの公園に近づいてくると、まだ遊んでいるのであろう、子供達の楽しげな声が聞こえてくる。公園に着くと脇目も振らず、すぐさま水飲み場に向かい、勢いよくゴクゴクと音を立てて、息をするのも忘れて水を飲み続けた。一息つくと持っていたペットボトルに補給。これでとりあえずは凌げる。

 渇きも癒え、崩れ落ちるように側にあるベンチに腰が落ちる。ふと顔を上げると、遊んでいた子供達が一人、また一人と「じゃあね」と言い合い、帰っていく。母親が迎えに来て、共に帰っていく子もいた。

 ただその光景を、特に何も思う訳でもなく、ただ単に見つめていた。小さな手に持っていたペットボトルに少し力が入る。


「やぁ、こんにちは」

 どこからともなく、見知らぬ女性が突然声を掛けてきた。

 反射的にビクッと小さな体が少し飛び上がり、思考が止まる。

「ああ、ごめんよ。驚くよね、そりゃあ。いやー、君は——一人で座っててどうしたのかなー、って思ってね」

 見知らぬ女性は割と馴れ馴れしくも話を勝手に続けていく。

「さっきいた子達みたいに友達と遊んだりしないのかい?」

「……私は、学校でも一人だし、なんか臭い、とか言われて、だから、迷惑かけるし」

「そうなのかい? どれどれ」

 スンスン、と身を寄せて体の匂いを確かめられる。あからさまに体の匂いを嗅がれる事など、そうそう無いであろう。女の子はこの状況に理解が出来ず、恐怖が走った。

「あはは、確かに、少し臭うね。ところで君、名前は? あぁ失礼、ボクはメターリナ。仕事で海外から来ていてね、まぁ怪しい者じゃあないよー」

 十二分に怪しい、と思われる言動を既にこなしているが、白に近い金色のショートヘア。身長はそれほど高くはないが、スラッとしたモデル体型に、スーツ姿が見た目以上に感じる、そんなメターリナに、女の子は警戒しつつも見惚れてしまっていた。

 ハッと気がつくとメターリナがニコニコと女の子をの顔を眺めていた。

「あ、ごめんなさ、い。外国の人、なんですか、すごく、キレイだなぁって」

「え? あ、そうかい? あはは、嬉しいね。ありがとう。えーと」

「あ、カナ、泉カナっていい、ます」

 おどおどしながらも自己紹介をすると同時に盛大にぐうぅ、とお腹がなった。咄嗟に体を丸め、恥ずかしそうに「ごめんなさい」と謝る。

「あははは! カナちゃん、よかったらボクんち、あぁ、泊まっているホテルなんだけど、一緒にご飯でもどうだい?」

「え、い、いや、そんな」

「あはは、まぁ知らない人に急にそんな事言われてもねぇ。でもボクは知っているよ」

 何を——何もかにも突発的で頭も体も固まっているカナの手を取り、お構い無しに歩き出すメターリナ。その手はとても温かく感じた。


「……カナ、カナちゃーん。カーナ!」

ハッと驚き我に返る。道中の事もよく覚えてない。そしてこのどこからどう見ても高級なホテル。現実感が飛んでしまい、またもや固まっていた。

「あ、ごめんなさい。なんか、すごい所だなって思って」

「あはは、そうかい。さ、部屋に行こう。ご飯の前にお風呂に入ろうか。広いくて気持ちいいんだ。あ、一緒に入ろうか? あは」

 攻め続けるメターリナ。汚い自分なんか、と思ったのが最初だが、嬉しかった。やっぱり恥ずかしいから、という事で一人で入る事にしたが、当たり前のように途中からメターリナが入ってきて、結局二人で一緒に入る事になってしまった。

「じゃ、これに着替えようか」

 部屋にはちょっとしたドレスが用意されていた。

 数時間前、公園に一人で佇んでいたはずなのに。どちらかがきっと、夢なのだろうと思ってしまう。

 食事の時間は楽しく、あっという間に流れていく。一口頬張る事に美味しい。と喜ぶカナ。二人から自然と笑顔が溢れた。

 食事を終えて、部屋でくつろいでいると、ウトウトとカナの頭が揺れ始める。

「急に連れ回してしまってごめんよ。疲れただろう。今日は付き合ってくれてありがとう。カナ」

「うう、ん。私もすごく、ビックリしたけど、楽し、か……」

「ふふ、おやすみ」

 突然の夜が終わってゆく。いつもの朝は一方的にやってくるのに。

 明けない夜はない、だから。

 止まない雨はない、だから。

 だから少し、ほんの少しだけ、今を想う時を重ねる。

 


「やぁハンテラ。すごい事になってるようだけれども、どうしたんだい?」

 頭から足先まで黒ずみ、半泣きで座り込んでいる魔女がそこには居た。

「あぁ〜メターリナですか、おはようございます。釜の調子が悪いようだったので、少しお掃除を、う、ゲホ」

「あはは、その失敗作の黒い塊はボクが片付けておこうか?」

「はう。だ、大丈夫です。メターリナは座って少し待ってて下さい〜」

はいはい、といつもの椅子に腰を掛ける。小雨の降る朝は辺りを薄曇らせ、森は開店休業日を余儀無くされていた。

 片付けを済ませ、コーヒーを持ってきたハンテラは椅子に座るなり、疲れたように片手を頬につきながら溜息を一つ吐く。天気のせいもあってか、その姿は非常に鬱陶しいものである。対象的にずっとニタニタと緩み顔のメターリナ。ごそごそと荷物を漁り、可愛い小袋に包まれた菓子を取り出した。

「はい、これは一体なんでしょう。そうです。カナの手作りクッキーです!」

 若干可愛い声色になり、乙女感が漂う。キャラ崩壊の兆しが見えた。

「あぁ、カナってちょっと前に知り合ってさ! 最近はちょくちょく遊んだりしてて、君の事を話したら一緒に食べてって作ってくれたんだよ。もうかわいいが過ぎるだろぉ!」

 ダムが決壊したかのように崩壊した。

外の雨は少し強くなってきたが、それはまた違った音色を聴かせてくれる。二人は楽しくクッキーを頬張り、あっという間に食べ終え、一息をつく。

「ふう、これは美味しかったね。ハンテラさんも是非見習って、精進してくれたまえよ」

 要らぬ一言にプルプルと顔を赤らめ、小刻みに震え出す体。

「まだ……本気出してない、もん」

 目には涙が薄らぐ。こちらは心が崩壊しそうだ。

「あはは! ごめんごめん。君も喜んでくれた事はちゃんとカナに伝えておくよ。じゃあボクはそろそろ行くよ」

そう言い、玄関を開けようと、その瞬間、背後から虚な声が這い寄る。

「人間と、人と仲良くするのは悪い事ではありませんが、あまり……私達が深く関わるのは……」

 ドアノブに伸ばした手がピタリと止まり、ゆっくりと、渦を巻きながら部屋の空気が動き出す。

「あは。たまたま——気まぐれだよ。ボク達の時間は長いからね。そんな時もあるものだろう? それだけさ」

「でも! きっとメターリナも、また……」

一瞬、怒りの形相が見えたが、ドアを開け、そのまま無言で飛び去っていった。

 雨は一層強くなりだした。激しく音を立てて。誰かの声は、誰にも届かない。暗くて深い、檻の中に閉じ込められたように。

 


「やぁカナ。今日も一人だね」

「あ! リナ姉! 一人じゃないよ、リナ姉がいるもん!」

「あはは、そうだね。クッキー美味しかったよ。後輩も喜んでいたよ。ありがとう」

 よかったぁ、と少し照れた表情で喜ぶカナ。初めて会った公園が二人の待ち合わせ場所になっていた。二人は度々遊ぶようになり、カナもすっかり打ち解けていた。

「そうだ。これはそのお礼なんだけど、付けてみてほしいな」

 メターリナはペンダントを取り出し、カナに差し出した。

「わぁ、キレイ……でもそんな高そうな物、悪いよ。それに私には似合わないし……」

「あは。きっと似合うよ。付けてあげよう」

 首筋に触れる手と初めて身に付けるアクセサリーに緊張が走る。

「いいね。似合うじゃないか」

「そ、そうかな。でも本当に、こんな高そうなもの」

「嫌かい?」

「ううん! すごく、嬉しい!」

 優しく微笑み、そっと頭を撫でる。首に手を回した時に火傷の痕が見えた。タバコを押し付けられたものだろう。他にも、アザ等が体中にあるという事は容易に想像できる。

「今言うのは、そうだね、少しズルい気がするけど、ボクとカナで一緒に暮らさないか? そうしたらきっと……」

 僅かな沈黙、次にカナの膝が小さく震え出す。

「う、ダメ、ダメだよぉ、お母さん、一人に、なっ」

 ポロポロと涙を流し、精一杯の言葉が捻り出された。

 撫でていた手は肩へと回り、身を引き寄せた。

「ごめんよカナ。君はとても優しい子だ。本当に、とても。ごめんよ」

 何度も謝りながら、強く、何事からも守るように強く抱きしめた。

 


「ハンテラ様。ご無沙汰しております」

「はう。アルモラではありませんか。お久しぶりですねぇ。なにか用事ですか?」

 メイド服に身に包んだ美しい女性。メターリナに造られた使用人だ。

「はい。主様からハンテラ様へ言伝がございまして」

「そうですか……それでは中へどうぞ。飲み物でも持ってきますねぇ」

「いえ、自分はお伝えしたら速やかに」

「いいじゃないですかぁ。折角来てくれたんですから。さ、座ってて下さい」

「それではお言葉に甘えまして、失礼致します」

 とても長い時間の中、そのほとんどを一人で過ごしている魔女だから、誰かと話すという他愛もない事でも、そういう時間を心からとても楽しみにしている。

「どうぞ。アルモラはブラックが好みでしたね」

「はい。覚えていてくださり光栄です。頂きます」

「そうそう、先日メターリナったら嫌味な事いうんですよぉ」

 つらつらと喋りながら、ハンテラはアルモラに見惚れていた。背筋をピシリと、カップを口に運ぶ様が実に絵になる。

「あの、ハンテラ様、言伝の件ですが」

 そんな事はすっかり忘れていたようで、ハッといそいそと姿勢を正し、格好良く見せようとするが、痛々しい他ならない。

「そ、そうでしたね。ではお聞きしましょう」

「はい、それでは。近い内、カナが君の元を訪れると思うけど、その時はよろしく頼む。お願いだ。以上です」

 ハンテラは何も言わず、軽く頷いた

「主に代わり、お礼申し上げます。ハンテラ様」

(メターリナ、あなたもまだ、自分を許せてないではないですか)


 数日後、カナは病院で死亡が確認された。

 酒に酔っては度々訪れる元夫の男。その日も酒にまみれてやってきて、お土産だ、とコンビニのカップケーキをカナに渡した。もう寝る時間だったので、明日食べる、と言った瞬間、男は激昂し、カナの頭を床に叩き付けた。

 何度も。何度も。

 母親も居たが、めんどくさそうにその場をやり過ごす。近所からの通報で警察が駆けつけ、事態は収集した。

 なんの意味も理由も無く、あまりにの理不尽が小さな命を、あっけなくもぎ取っていった。

 


 魔女は魔女となる。

 深く暗い夜の森に、風が騒ぎ立てる。呼応するように木々の葉も激しく揺れ森中に音を掻き立てた。それでいて虫や動物の気配がまるで無い。その空間だけが切り取られ、別の世界のよう。

 人影が、何処からともなく見えた。

 急に辺りはピタリと時間が止まったかのように静寂を迎え入れる。

「カナちゃん、ですね」

 少し呆けた顔で、虚な動きをしながら現れたカナにハンテラは自己紹介を始める。

「こんばんわ。初めまして、私はハンテラ。メターリナ、リナ姉の後輩ですよ」

「ハンテラ、さん……あ、そか。リナ姉、今度、遊び行こって、一緒にお菓子作ろう、て」

「そうでしたか。それは嬉しいですね」

鈍く、舌足らずだが言葉が出てきた。

「リナ、姉、連れてきて、え、と、リナ姉、どこ?」

「メターリナは今ここには居ません。なのでまずは私とカナちゃんでお話しましょう」

「そう、なだ。あ、ね、見て! リナ姉、くれたの! とてもキレなペンダと——あえ? ない。なんで、とても大事、ものなのに!」

「それは今メターリナが持っています。大丈夫、無くなった訳ではありませんからね」

「そうな、の? なんで? なん。え、私、な、ここ、どこなの?」

 徐々に険しくなる表情。混乱が確実に支配してくる。分かるはずも無い、自分が死んでしまっている、という事。

 シャシャン。杖に幾つも付いている鈴の音が響く。円を描くように設置されていたキャンドルに火が灯り、辺りが薄く明るむ。


「泉カナ。この世界で、あなたの命は終わりました。しかしその優しい心は、何処へ行こうとも決して失う事はないでしょう。魔女ハンテラが導きを、祈りと願いを、その魂に謳いましょう」

 低い唸り声を発しながら、頭を抱えて体を丸め込んでうずくまってるカナに杖を振りかざす。一つ、鈴の音が鳴ると一つ、キャンドルに火が消えた。一つ、一つ、消えては空の月明かりが見え始め、また一つ消えれば、星々が照らし出された。

 悲しく、儚く、寂しい、一つのお話。

 それでもとても、とても愛おしい、終わりのお話。

「カナちゃん、リナ姉は好きでしたか?」

「うん」

「お母さんは、好きでしたか?」

「……うん」

「カナちゃんは幸せを望みましたか?」

「わからない、わからないけど、普通に、みんなと、同じようにしたかった。友達と遊んだり、お母さんとご飯食べたり……したかった!」

 涙を流し、感情露わに強く叫んだ。

 そこにはあった。確かな、他に何も無い、どこまでいってもただただそれだけの、純粋な本当の想いが。

「ありがとう。さぁ、そろそろいきましょう。次はきっと、皆があなたを愛してくれるでしょう」

 白い光がカナを包み込む。そっと頬を撫で、微笑みかけたハンテラは一歩下がり、杖を一振りした。キャンドルの火が再び全て一斉に灯る。暖かく、柔らかい風がカナと共に、藍色の空に舞い上がっていった。

 生まれた意味、死にゆく意味、まだきっと、やりたい事もできる事も。無慈悲な現実が無念を誘えど、鼓動の軌跡は、間違い無く息吹いていた。

 愛も憎しみもどこかに忘れる。また一つずつ感じ為に。

 最後にカナは何かを言った。その言葉はわからなかったが、とても穏やかに、笑っていた。

 魔女は歌う。深い深い森の中で、ただ一人、願いを届けんが為。


「よかったんですか?お話しなくて」

「また会えるだろ。いつか、どこかで」

 少し離れた木々の間に、ひっそりとメターリナが立っていた。

「ありがとう、ハンテラ」

「どういたしまして。バカな先輩」

「あは、言われてしまったね。それじゃあボクはボクの仕事をしにいくよ」

「私事、でしょう? 怒られまよぉ、大ババに」

「魔女なんて好き勝手なもんさ。お土産も持ってくるから、少ししたらウチに来なよ。今夜は晩餐会だ。あは」

「仕方ありませんねぇ。では着替えたら向かいますよ」

「アルモラに準備させておくから。じゃ、また後で」

 いつもの掴みどころのない、ひょうひょうと様子で飛び去る。首にかかっているペンダントを少し、強く握りながら。ハンテラはおもむろに空を見上げる。

 翌日の朝、世間では男女の変死体が見つかった。というニュースが続々と流れた。子供虐待の容疑で身柄を拘束されていた留置所内で。更には体の一部が見当たらない。このあり得ない状況に、警察も慌てる様を晒すが、きっと解決はしないであろう。

 


「ふう、とても良い朝です」

 椅子に深く腰を下ろし、どこか遠い目で、哀愁漂わせていつもの朝のコーヒーを一口含む。そしてゆっくりと出掛ける準備を始める。ハンテラは今日、メターリナの所へ行く用事がある。なにやら大きな荷物を抱え、家を出た。

 道中もおかしな様子で、時折、フっと鼻で笑うような、薄ら笑みを浮かべたり、景色を眺めては、溜め息混じりで肩を下げる。それでいて足取りは軽く、この移動時間を楽しんでいる。ハンテラも箒に乗れるが、歩く事が好きなので余程の長距離移動でなければ、ほぼ徒歩移動をする。魔女は時間の概念も薄い為、その辺りは気にする必要もない。

「おはようございます、アルモラ。昨晩はご馳走様でした」

 徒歩では少々遠い道のりではあるが、難なくメターリナの屋敷にたどり着いた。

「これはハンテラ様。おはようございます。ご連絡頂ければお迎えにあがりましたのに」

 屋敷周りの手入れをしていたアルモラが申し訳無さそうに出迎える。

「いえいえ。よい散歩になりますし。あ、メターリナは居ますか?」

「はい。まだ就寝中でありますが。お急ぎならばすぐにでも」

「あ、大丈夫ですよ。今日は昨日のお礼にちょっとお茶でも、と思って来ただけなので」

「そうでしたか。では中でおくつろぎを。そろそろお目覚めになるかと思いますので」

「はい。ありがとうございます。と、お仕事はまだ時間かかりそうですか?アルモラも一緒に、と思っているのですが」

「お気遣い感謝致します。今少しでひと段落つきますので、是非ご一緒させて頂きます」

「ふふ。楽しみにしていて下さいね」

 抱えている荷物を少しばかりアピールして、屋敷の中へと入る。

 掃除も行き届き、綺麗に整えられている広いリビングの大きなソファに座ると間も無く、大きなあくびと雑な足音が聞こえてきた。


「アルモラ〜。なんか飲み物ー」

「おはようございます。メターリナ」

「っお! ハンテラ? どうしたんだい、こんな朝早く。て、来るなら連絡しといてくれよぉ」

「もうすぐお昼になりますよ。それにメターリナだっていつも私の所に急に来るじゃないですか」

「そりゃ君はいつも家に居るからね。連絡する必要ないだろ?」

 むう、と悔しそうにふくれ顔になる。

「あはは。で、どうしたんだい? 今日は」

「ええ、昨日はごちそうになったので、お返しにこれを」

 するりっと包んでいた布を解き、箱を開けて見せる。そこには生クリームたっぷり、且つ色とりどりの様々な果実をふんだんに使った見事なケーキが現れた。

「作りました。私が。このハンテラが」

「へぇ。んー、起きたと思ったんだけど、まだ夢か」

「違いますぅ。現実ですぅ。目を背けないで下さい」

「あっはは。しかしまた上手く出来たものだね。とても美味しそうだよ」

「私とて、いつもやられっぱなしではありません。これはカナちゃんにも負けてませんよ!」

「(根に持ってるんだなぁ)まぁ、カナが作った方が美味しいと思うけど」

「なんでですか! まだ食べてないじゃないですか!」

「わかったわかった。ごめん、寝起きなんだ、勘弁してくれ。はぁ、着替えてくるよ」

「あ、アルモラもお誘いしたので、みんなで食べましょうね」

「そうかい。じゃあ後でお茶の準備をさせるよ。少し待っててくれ」

「はーい!」

 歳月を経て、それはまるで夢だったかのように、朧げに。共に紡ぐ時間は無くなってしまったけれども、確かにあった。過ごした日々。たった一つの、確かな命が。

 魔女は知っている。魔女だけが、ずっと。

 寂しさは、ただただこちらをずっと見ているだけ。だから、間違いも正しさも踏み躙りながら、きっとまた、誰かと繋がりたくなる。

 



「嬉しい……私、やっと夢が叶ったんだ。嬉しい」

 祝福の歓迎。その幸せは、きっと誰もが喜び分かち合い、祝いの言葉を溢れさせる。

 花嫁衣装に身を包んだ一人の女性が、膝から泣き崩れた。手を差し伸べたのは夫となる者ではなく、魔女であった。

「おめでとうございます。さぁ、あなたの願いを、本当に叶えに行きましょう」

「うん。ありがとう。ありが、と……」

 魔女は歌う。深い深い森の中でただ一人。たった一つの、己が祈りの為に。

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