ある日の放課後、俺は同じクラスの女子、楓と帰路を歩く。
その途中。
「双葉君、せっかくなので少し寄り道をしませんか?」
そう提案してくる本日の楓は妙に明るかった。
「いいけど、どこに?」
「いつもの本屋さんです。推しのBL本が今日発売日なので」
と、楓が推薦する店は、ゲームやアニメを題材とした本やCD、キャラクターグッズなどを数多く揃えている本屋兼同人ショップである。
「ああ……あそこね」
そこら辺の知識に疎い俺はあまり気が乗らず、俺が答えを保留にしていると。
「うわっ、あからさまに嫌そうな表情しますね」
顔を近づけそんな事を言うのだ。
俺そんな表情してただろうか?
「その顔、歪ませたい」
「唐突に何言ってんの?」
「屈強な男子に組みしだかれて、必死にもがく双葉君ですがその抵抗もむなしく、ついには男に身体を委ねてしまい……」
「おい、脳内で勝手に俺を辱めるなよ」
という具合に、楓は一風変わった趣向を携えている女の子だ。
おかげで俺は全身の鳥肌がバリ3に直立する。
「別に本屋に付き添うのはやぶさかではないんだけど、お前店入ると軽く一時間は入り浸るだろ? しかもBLコーナーにいるから声かけ辛いし」
俺は楓に不満を漏らすと、彼女はふと考える素振りを見せ、そして俺に言った。
「たしかに、あたしだけ趣味に興じるというのもフェアではありませんね。ならば双葉君、あなたの意見を聞きましょう。今日は双葉君の気の向くままにあたしを連れ回して下さい」
別に連れ回さなくてもいいんだけど。誘ったのそっちだし。
などと思いながら、俺は即興で思いつく道草スポットを考案してみる。
「カフェとか……カラオケとか?」
「なるほど、メイド喫茶にコスプレカラオケですか」
「余計な副産物を付け加えるんじゃないよ! 普通に飲んで歌うんだよ」
楓の勝手な脳内変換に異を唱えるが、今度は楓が気乗りしない反応を見せるのだ。
「げぇ~っ! このあたしに巷で人気のキャワなパフェ頼んで『映える映える』とか言いながら撮影した写真をSNSにアップさせようって言うんですかあなたは! 鬼か!」
「別にそこまでしろとは言ってないし、鬼呼ばわりされる程過酷でもないだろ」
「甚だ苦行ですよ、そりゃあもう。双葉君に状況を置き換えると、あたしの好きなBL本を双葉君が代わりにレジで購入するようなものです。耐えられますか? 周囲の視線」
「いや、それは無理だけど……」
それが状況を置き換えられる程釣り合いの取れた話なのかいささか疑問だが、少なくとも楓が流行りの店に行きたくないというのは分かった。
「まあ、でも……」
だが、そんな全力否定的な楓だったが。
「今日だけは、双葉君に合わせます。断腸の思いでつき合いますよ」
……そこまで言われると逆に行くのを躊躇うけども。
この日ばかりは、俺の主張に素直に従う楓だった。
その後、若者集う喫茶店にて、さんざめく陽キャのオーラに当てられた楓が吐きそうになった為ドリンクはテイクアウトで購入し、気分の優れない楓を介抱しつつ人気のない河川敷にあるベンチまで移動し、夕日を眺めながらフロートをご賞味していた。
「楓、なんかごめん。本当に人混みダメなんだな……」
「あたしが躊躇した理由が分かったでしょう? 漫画研究部で忍耐力を鍛えてなかったら今頃、店内に入った瞬間泡吹いて倒れていましたよ……」
青ざめながら微笑を浮かべ、己の成長を誇らしげに語る。
漫研でそういう対人的な耐性が養われるのか謎だが、身の危険を冒してでも俺につき合ってくれた楓に申し訳なく思うと共に、深く感謝をした。
もうすぐ、こんな日々が終わりを迎えるから。
大した寄り道じゃなかったけど、最後に楓と過ごせて良かった。
そう思いながら。
しばらく沈黙が続いた後、お互いドリンクのスパートをかけ、ストローに空気が含まれる吸引音が最後の時間を物語る。
同時に飲み切った頃合いで、俺はベンチから腰を上げた。
と、そんな時。
楓はそっと、立ち上がる俺の袖を掴んだ。
「楓?」
目は合わせてくれず、俯きながら俺に言う。
「また、帰ってきますか?」
それは先程までの明るい様子ではなく、とても寂しそうな表情で。
「連休になったら、会えますか?」
フルフルと体を震わせて。
「あたしはまた、双葉君に会いたいです……」
掴んだ袖を一旦離し、今度は腕にしがみつきながら。
とうとう楓は泣き出してしまった。
出来るだけ音を立てまいとしているのか、静々と涙腺から溢れ出る涙をそのままに。
大洪水の瞳で俺を見つめ、楓は俺に言った。
「最後だから、こんな顔……見せたくなかったのに……ずっと、笑っていようと思ったのに、やっぱりダメでした。もう一緒に帰れないって思ったら、どうしても我慢できなくて……ごめんなさい」
涙と鼻水で俺の片腕が大変な事になりながら、それでも止めどなく溢れる液体を染み込ませ、彼女は謝った。
お前が謝る事なんかないのに。
今まで気丈に振る舞っていたのは……この姿を見せたくなかったから?
そう思いながら、しがみつく彼女の頭をそっと撫でた。
一か月前、親の転勤が決まり、家族で都内に引っ越す事となった。
せっかく築いた交友関係がリセットされるのは面倒だったが、都内に引っ越せば色々目移りする娯楽は幾らでもある。
退屈はしない。大丈夫。
子供みたいに駄々をこねたりしない。
引っ越しの期日まで、俺は地元の知人友人に挨拶を済ませ、思い残す事のないように準備をした。
そして今日、最後に楓と過ごせたから、もう心残りはない。
はずなのに、どうして今になって気持ちが揺らぐのだろう。
最初はただのクラスメイトで、おそらくそれ以上の関係はないと思っていた。
だけどある日、興味本位で彼女に話しかけ、その時描いていた二次創作の漫画を読ませてもらって、それで気を許した楓は、聞いてもないのに延々と原作の話を語っていたのを今でも思い出す。
その日を境に彼女とよく話すようになって、日本中に溢れるエンターテインメントの数々を教えてもらって。
そっち方面の知識は相変わらずにわかだけれど、彼女と一緒にいるのは楽しかった。
学校を卒業しても、ずっと一緒だと思っていた。
だからだろう。時間が迫ると急に名残惜しい気持ちが湧き上がる。
けれど、ここで立ち止まる程わがままに生きようとは思わない。
別に、二度と会えなくなるわけじゃないのだから。
自分を必死に抑えて、もらい泣きしそうな涙腺に喝を入れた。
しばらくして楓の涙腺が落ち着いた頃、俺は彼女の背中を二度叩く。
「楓、そろそろ」
俺の言葉にゆっくり頷いた楓は、そっと、俺の腕から離れた。
「いや~お恥ずかしい~ホント、さっき飲んだドリンク分全部放出する勢いでしたねもうホント、さーせんした」
「出した分は全部俺の腕が吸収したけどね」
「さーせん……」
今頃気づいたのか、楓は申し訳程度にハンカチを差し出した。
渡されたハンカチで手遅れな腕を拭きながら、ふと。
「楓、夏休みに入ったら、遊びに来いよ。お前の好きな、大々的な同人イベントもあるんだろ? 一緒に行こうぜ」
俺は楓との再開を願った。
かけがえのない友人に向けて。
俺がそう言うと、元気を取り戻した楓はニコリと笑いながら。
「なら、来るべき時に備えて、人混みでも卒倒しないようにさらなるメンタル強化をしないといけませんね。これからしばらく部活動に勤しみます」
「だからさ、そういうのって漫研で鍛えられるもんなの?」
そんな他愛のない話をして、俺達は約束を交わした。
そしてゆっくりと歩き出す。
彼女と過ごす、最後の放課後を噛みしめながら。
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