「東ぃ──、その脚は黄金の斧、絶対王者!志布志の───サコ~~ウ───!!!」
リュウは決勝の対戦相手であり、二連覇王者のサコウの姿を初めて見た。
身長は約6尺9寸、手足が長く、特に股下の長さはリュウが心の拠り所とする「胴よりは長い脚」どころか、サコウの胴と頭を足した長さを超すほどにある。
試合着はリュウと同じく道着の下衣を穿いていたが、太ももの真ん中あたりで裾を切ってトランクスのようにしていた。
(その手があったか)
少しでも脚を長く見せたいリュウは感心し、真似をすれば良かったと思った。
しかしトランクスの場合、着る人間にひざから下の足の長さがないと見栄えが期待できないことには思い至らなかった。
スタイルのいいサコウにリュウが張り合っても仕方がないのである。
中央で向かい合うと、リュウの頭はサコウの鎖骨あたりまでしかなかった。今度もお構いなく主審は「はじめ!」と声をあげた。
サコウは軽快なステップから左のジャブを出し、対するリュウは左からのローキックを狙う。
即サコウもリュウの左足にローキックを放ってきた。リュウが左ひざを上げてガードしたが、蹴りの威力が強いので少しグラついた。
対するサコウも、小柄ながら意外に強固なリュウのガードにはね返され体勢を崩したので、お互いにそれ以上の攻撃はできなかった。
再び向かい合うと、サコウは右パンチをリュウのボディに打ち、素早く首相撲から左のひざを繰り出すが、リュウが両腕で押し返し間合いを取ってのローキックを連打した。
すねを下方へひねって、鋭角に落とし込んでゆくリュウの強烈な蹴りだ。これにはサコウも唸って退き、大きく間合いを取る。
次にサコウが詰めてワンツーからの左アッパーを打ってきた際、リュウは跳び上がって右外廻しからのかかと落としを仕掛けた。身長差があるので狙うのは脳天ではなく肩または鎖骨である。
サコウは素早く両手を上げてリュウの足をブロックしたが、リュウは片足を垂直に上げた姿勢のまま着地し、即ジャンプしながら右回りに高速回転して、サコウのみぞおちに後ろ廻し蹴りを深く喰い込ませた!
「おおっ!!」
本部席をはじめ場内が沸いたが、サコウは倒れはせず1歩下がっただけで即、左のハイキックを出してきた。それをリュウが瞬時に頭を下げてやり過ごし、ローキックでサコウの軸足を蹴りはらい、今度こそダウンを奪った!
「やった──!!」
「ダウン取ったぞ!」
「いけ!兄ちゃん!」
リュウは仰向けに倒れ込んだサコウの左腕を両手で取り、関節技腕ひしぎ十字固めを狙うが、サコウはその倒れた状態のままで左足を素早く振り上げて、リュウの頭部を吹っ飛ばした!
「わあっ?!」
「あの体勢から蹴りかよ?」
「なんて体が柔らかいんだ!」
意表を突かれてさすがにリュウもダウンした。すぐに立ち上がろうとするが、先に立ち上がったサコウが背中へひじ打ちを落としてきた。
ガクンと崩れるリュウだったが、足を踏ん張りこらえた。しかしサコウが首相撲というよりも上から両腕でリュウを押さえつけるようにして、すごい勢いで左右のひざ蹴りを連打してきた。
リュウは腕のガードで防ごうとするが、押さえつけられて左右へ振られるので数発ボディに入った。
さらにサコウの左ひざが顔に入る、というその寸前に、リュウは左のフックをサコウのレバーに叩き込み、苦悶するサコウからやっと逃れることができた。
「兄ちゃん、大丈夫か?!」
常連たちは前の試合と違ってリュウが劣勢なのを心配した。一回戦は先制攻撃一発で終わり、二回戦はもらったパンチは一発のみ(それも実際にはかすっただけ)だったので、どちらの試合もリュウのスピードがまさっての一方的試合展開と言えた。
しかし決勝戦はプロのキックボクサーであり、過去二連覇を成し遂げているサコウが相手とあって、スピードも蹴りの強さ、鋭さもいい勝負である。脚の長さは仕方がないとしても、サコウはリーチも長いので間合いが難しい。
リュウもなかなか自分のペースに引き込むことができないでいる。
ステップを使いながらサコウがワンツー、さらにミドルキックを出してきたので、リュウは押し切って前に出て、内側に入った。
うまく右腕でサコウの左足を捉えて抱えこみ、倒れ込みながらレッグロックを狙った。
「おお!」
場内が沸いたが、サコウはまたもその体勢から右足でリュウの側頭部を蹴り飛ばし、倒れたリュウに馬乗りになってパンチを喰らわせた。
「兄ちゃんあぶない!」
「リュウさん──!」
歓声は一瞬にして悲鳴に変わった。ますます前のめりになってリュウの顔面に左右からパンチを連打するサコウ。
このままリュウは殴り殺されてしまうのではと常連たちは恐怖した、その時。
リュウは驚異の腹筋力でいきなり上体を起こすとともに、ガードをしていたはずの右手をまるで鞭のようにしならせ、サコウの鼻に裏拳を叩き込んだ!
「グブッ!」
たまらずひるんだサコウのあごめがけて、リュウは左手で掌底も打ち込んだ!
頭部をガクンと揺らし横倒しになったサコウを押しのけて立ち上がったリュウの顔は、さすがに両の頬が赤く腫れていた。
常連のひとりが思わず言った。
「兄ちゃん、男前が『おてもやん』になってる…」
「ばか!こんな時に何言ってるんだ!」
ヤッさんが叱るが、その手はタオルをつかんだまま震えていた。
サコウは鼻とあごを腫らし、ボタボタと血も流していたので主審が駆け寄るが、それを止めて立ち上がり戦闘続行意志を示した。
闘技戦のルールは顔面攻撃OKだが、まさに“鼻っ柱を折られた“サコウの眼は異様な輝きを放っていた。
(こんな、身代わりでいきなり試合に出て来たような…こんな小さいヤツに負けてたまるか!)
子どもの頃から背は高かったサコウだが、とても細身だったのでひ弱な印象だった。
サツマでは昔から相撲が好まれ、子ども同士でも遊びの一環で何かと言えば相撲を取りあったが、背が高い分だけ安定が悪く力も弱かったサコウは負け続けた。嫌だと言っても相手をさせられ、負けては笑いものにされた。
はっきり言って「いじめ」であった。
相撲だけでなく柔道などの武道も苦手だったし、小学校で行われるヤゴロウどん祭りの武道大会は出場すらできなかった。
中学生になった頃、サコウの家の近所にキックボクシングジムができた。
通学のたびに、大きなガラス窓越しに背が高くすらりとした選手が練習しているのが目に入った。
そこでは素早い動きとしなやかな体で相手を倒す、強い男たちが輝いていた。特に風を切って相手を切り倒す刀のようなハイキックに魅せられた。
(自分もこんなキックをやってみたい!)
気が付けばガラス窓にべったりとはり付いて、夢中になって練習を見るようになった。そんなサコウに声をかけてくれたのがジムの会長だった。
ジムに入門してからのサコウは、成功体験を重視した会長の指導のもと、まるで水を得た魚のように生き生きとキックにのめり込んでいった。
体力もついた中学3年になるとアマチュア大会では何度も優勝した。高校に入学するとプロとして試合にも出るようになった。
細かった体にはしなやかな筋肉が付き、長い足が風を切るハイキックはいつしか「黄金の斧」と呼ばれるほどの破壊力を持つようになった。
そしてキックボクシングを初めて5年目の秋、ヤゴロウどん祭りの闘技戦に初出場したのだ。
プロとして活躍しているのに、なぜ祭りの奉納試合にわざわざ出場するのかと周囲からは反対されたが、サコウは頑として聞きいれなかった。
誰にも言わなかったが、子どもの頃に相撲で負け続けていた、弱い自分をあざ笑ったやつらを見返したかったからだ。
キックボクシングの世界で認められた今でも、地元の人間たちからは「あの弱かったサコウが?」「相撲じゃ負けっぱなしだったくせに」と言われたり「キックボクシングってサコウでもできるくらい簡単なのか」と、自分だけでなくキックボクシングそのものを侮辱されたりもした。
(ヤゴロウどん闘技戦で優勝すれば、相撲や柔道の名を背負って出場する奴らよりも俺が、キックボクシングが凄いんだってことを思い知らせてやれる!)
そんな思いを胸に秘め、初出場した二年前の闘技戦は見事に優勝した。これでもう過去の自分を馬鹿にされることも、キックボクシングを否定されることもない。嬉し涙が止まらなかった。
その時、突然巨人が現れた。「生きてるヤゴロウどん」がサコウに闘いを挑んで来たのだ!
巨神の降臨に観衆は大興奮し、闘え!闘え!と大合唱が起こった。断ることなど出来るはずがない。決勝戦まで死力を尽くして闘ってきた疲労困憊のサコウは、あっけなく「生きてるヤゴロウどん」の前に散った。
闘技戦の優勝もキックボクシングの凄さもサコウ自身の強さも、すべてが「生きてるヤゴロウどん」の出現によって観衆の心から消し去られてしまった。
雪辱を晴らすために一年後、再び闘技戦に出場したサコウはスタミナを温存するため、まるでリュウのかかと落としのごとく「黄金の斧」を試合開始直後から振るい続け、あっという間に優勝まで駆け上がって来た。
しかし、やはり「生きてるヤゴロウどん」には歯が立たなかった。
そして今回、ジム関係者の制止を振り切って体重を増やし、スピードは落ちようともパワーを重視して対ヤゴロウどんに備えてきたサコウであったが、決勝の今この時、思いもよらず無名で小柄な男にさんざん手こずらされている。
空手を使うとは聞いていたが関節技も使うし、まるで喧嘩師のように何をやってくるかわからない怖さがあった。
背の低いリュウから攻撃を受けるたびに、自分よりも小さい奴らに投げられ転がされ続け、土に顔を埋めた幼い日々がサコウのなかによみがえってきた。
さらに裏拳と掌底を顔に叩き込まれ、悔しさと怒りで体が震えた。この激情はリュウを叩き潰さないと到底収まらないであろう。
(小さいお前なんかより、俺の方が強いんだ!生きてるヤゴロウどんを倒すのはこの俺なんだ!!)
怒りに燃えて猛然とラッシュをかけてきたサコウに対し、リュウは捌きで直撃を反らし、攻撃の機会をうかがう。
ローキックのダメージが蓄積されているせいで、サコウの軽やかなステップはもう見られなくなっていた。
そのサコウが右足を浮かしたので、リュウはハイキックと見た。
やり過ごすために上体をかがめたが、サコウのその足は咄嗟に前へのステップに変わった。
次の瞬間、サコウの左ひざがリュウのこめかみに突き刺さった!
「リュウさんっ?」
「兄…ちゃん?!」
ヤッさんと常連たちは信じられないという顔で、床に沈んでゆくリュウを見た。
対ウエンビュウの時とは明らかに違う力のない崩れ方で、唇は半開き、その眼はほぼ閉じられていた。
「ええ────っつ!?」
という無数の叫びが場内に響く中、主審のカウントが無情に進んでいった。
(第十二話へ続く)
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