「ただプロレスが好きで好きで、仕方がなかった僕たち託麻大学のプロレス研究会一同は、ジンマのおかげで本当のプロフェッショナルレスリング団体、虎拳プロレスのリングで闘えるようになりました。そして今日この虎拳アリーナで皆様を、立ち見まで完売の満席でお迎えすることができました。今この場に立っていてもまるで夢を見ているようです」
虎之助が束の間、瞳を閉じてから言葉を継いだ。
「僕は残念ながらまだ闘うことができませんが、僕の素晴らしい仲間たちがこの場にふさわしい闘いを必ず見せてくれます。特にリュウ!」
突然名前を呼ばれ、リュウは驚いた。
(なんだ?いきなり団子買いに行ってたから怒られるのか?)
あせるリュウだったが、虎之助は続けた。
「彼はプロレスの試合に出るのが今日で二戦目なんですが、先日のデビュー戦からすごい勢いで成長しています。トウドウもリヴェンジに燃えていることでしょうが、前回とはまた違った凄い闘いになると僕は思っています。そして…」
虎之助はリュウの方を向いて言った。
「正直に言います。僕は、リュウに嫉妬しています」
(えっ?)
リュウだけでなく、観客の間にもざわめきが広がった。
「その身体能力、そのスピード、その技の威力…今の僕ではリュウの強さには敵いません。でも復帰戦までの期間で、僕は必ずリュウよりも強くなってみせます。絶対にリュウに勝ちます!」
虎之助の宣言に大きな拍手と声援が沸き起こった。
「こう思っているのは僕だけではありません。ケイイチもユージも、シンヤもリュウに触発され教えを請い、自分を変えようとしています。大先輩であるサナダ選手でさえ、デビュー戦後真っ先にリュウと対戦したいとジンマに訴えたくらいです!」
(えぇっ!師範が?!)
リュウは思わず声に出しそうになったほど驚いた。場内もざわついている。しかし当のサナダは素知らぬ顔をしていた。
「虎拳プロレスの危機を救い、皆にもっと強くなりたいという気持ちを抱かせてくれたリュウへの一番のお礼は、僕がリュウを倒すことです。だからリュウ、僕がリング上の闘いに戻ってくるまで、誰にも負けないでくれ。絶対に!」
真剣なまなざしでリュウを見つめる虎之助に、何と答えていいのか迷ったリュウであったが、
(問答無用でいこう)
黙ってうなずいて虎之助の目を見つめ返した。
「わあああ───!!!」
場内は大きなどよめきが満ちて、さらに大きな拍手が沸き起こった。
「では皆さん、この後の試合をどうぞお楽しみ下さい!」
虎之助の言葉に、選手とスタッフは全員頭を下げた。ジンマが「一同、退場!」と叫ぶと再び音楽が鳴り響き、ユキナガとシュウから順にリングを降りて行った。
虎之助はリュウに近寄って言った。
「さっき言ったことは僕の本心だ。リュウ、必ず君を倒す!」
「おう!俺も虎之助と闘うのを楽しみにしてる。だが、それまで誰にも負けないでくれって言われても、約束はできねえ」
「?!…リュウ、プロレスなんだぞ?!」
「たとえ筋書きが決まってても闘いの中では何が起こるかわからねえし、死ぬことだってある。今日のトウドウとの試合だってどうなるかやってみなきゃわからねえ」
不穏な言葉を使いながらもリュウの瞳は澄んで、深い落ち着きをたたえている。
「ただ、どの試合も全力で闘うことだけは約束する。そう思ってうなずいた。悪いがそれでこらえてもらえねえか」
虎之助はもの言いたげに黙り込んだが、リュウの手を取りぎゅっと握手をしてから手を放した。
ジンマが二人の背中を押して退場を促した。
(音楽を大きめの音で流しておいて良かった…。筋書きとか、さすがにお客さんには聞かせられない話だよ)
虎之助は控室には戻らず、最前列の本部席に座った。ジンマもその隣に座って、サブレフェリーのユキナガがリングに上がっている間は場内アナウンスも担当する。
一方、リュウが控室に戻ると驚いたことに誰も居なかった。
間仕切り壁の向こうは青コーナー側の控室だったが、間仕切り壁を少し動かして覗いてみるとやはり無人だった。
(みんなどこに消えたんだ?…もしかしていきなり団子買いに行ったのか?)
困惑していると、チビヤゴくんの心話機能でシュウが話しかけて来た。
(リュウ!皆二階におるで。奥のドア開けたら階段室やから昇っといで)
(え?なんで二階に?)
(今日の第一試合な、女子レスラー同士でやるねんて。アイドルみたいに可愛い子が出るから皆で観よて言われて、上に集まってる)
(あいどる…?ふーん。んじゃ、いきなり団子持って二階に上がるぜ)
リュウは買っておいたいきなり団子の袋を持つと(まだ温かいな)と安心し、早速一個を口の中に入れて(うめえ!)と喜びながら二階への階段を昇って行った。
二階は壁に沿ってぐるりと通路があってリングを見下ろせるバルコニーのような造りになっていて、立見席としても使われている。北側だけ通路はなく小さなホールになっており、壁にある窓から会場内、リングが見下ろせる。その窓にシンヤたちレスラーが鈴なりに並んでいた。
(あの見慣れない奴らは…肥後もっこす、ってとこの選手かな。トウドウはいないが息子さんと一緒にいるのかもな)
リュウはシュウの傍に行くといきなり団子を渡しながら聞いた。
「虎拳じゃない団体の女子選手か?」
「せや。エンジェルプロレスいうカンサイの団体の子で、名前はあんりちゃんて言うらしい。あ、今から入ってくるで」
「只今より、第一試合を行います!青コーナー!」
ジンマがマイクを持って呼び上げを始めた。
「非実力派だと言いたきゃ言え!踏まれても蹴られても私は決してあきらめない!這い上がる姿を観なきゃ一生後悔するよ!エンジェルプロレス、甲野あんり選手の入場です!」
アニメソングがかかり、小柄でロングヘアー、フリルの付いたコスチュームの女の子が隣接する校舎の方からスタッフに先導されて入場してきた。
場内の男性ファンたちから「あんりぃー!!」と歓声が挙がった。
「150㎝、48kg、コウノー・アンリィー!!」
リングに上がって来たのはまさにアイドルと呼ぶにふさわしい、ぱっちりした目の可愛い顔をした少女だった。
「え!あの子が試合に出るのか?まるで子供じゃねえか…大丈夫なのか?」
心配するリュウの言葉にシュウではなくシンヤが答えた。
「あんりちゃんはな、負けっぷりというか、やられっぷりが凄いんだ!」
(やられっぷり?)
「あんなにちっこい細い身体で、ゴツい相手レスラーの技を全身で受ける!」
「ふらふらのボロボロになっても何度も立ち上がって、またやられる。そこがいいんだよなー」
ケイイチとユージもわくわくした顔で答えた。
「今日の相手はマジで強えぞ。忖度なしでガンガン来るだろう。さらにあんりちゃん贔屓が増えるだろうな」
サナダもニヤニヤしながら窓の下を見下ろしている。ちょうどそこへ相手レスラーの呼び上げが始まった。
「赤コーナー!白い翼を広げ、朱い闘志が燃え上がる!余計な飾りは一切無用、ただ私の強さを焼きつけろ!越の国から闘う女神が降臨する!朱鷺プロレス、河合夏希選手の入場です!」
入場してきたのは長身でしなやかな筋肉がついた均整の取れた身体、なおかつ豊かな胸を持つ女子レスラーだった。
軸のぶれない歩き方がファッションモデルのようにカッコよく、さらに強い意志を感じさせる眼力も持っていた。
(なるほど。師範の言う通り、強そうな女だな)
余計な飾りのないシンプルなコスチュームは白を基調にしていて、アクセントに朱鷺色といわれる淡橙赤色と黒が入っている。
「174cm、68kg、カワイー・ナツーキー!!」
女性ファンから「ナツキー!!」という声援が多く飛んだ。またナツキの強さを認めるマニアックな男性ファンからも「遠慮なくいけよー!」「ガチで攻めろ!」という声が掛かった。
試合開始直前にナツキのほうからあんりに握手の手を差し出したが、あんりは睨みつけるような顔をして手は出さなかった。ナツキは“しょうがないな”と片頬に笑みを浮かべて手を引っ込め、互いに数歩下がった。
「ファイッ!」
ユキナガの叫びと共にゴングが鳴ると、いきなりあんりがドロップキックを放った。
だが高さは無かったので、ナツキの腹辺りに軽くヒットしただけで倒せない。しかもあんりが立ち上がる前にナツキがその首を捉え、ブレーンバスターでマットに叩きつけた。
「おおっ!」
観客席はどよめいたが、2階ホール内は落ち着いていた。
「ナツキ容赦ないな」
「垂直落下じゃないだけいいだろ」
シンヤたちが言うなか、フォールにはいかずにあんりに「立て」とジェスチャーするナツキ。
あんりは悔しそうにナツキの足にしがみつき、揺さぶって倒そうとするがもちろんナツキはびくともしない。その足を振り上げてあんりを仰向けに倒し、そこへエルボードロップを落として来た。
「ぐぅあっ!」
悲鳴をあげるあんりの上半身を起こして、ナツキは背後から左腕を巻き込み、右側から顔面を締め付けロックするチキンウイングフェイスロックを仕掛けて来た。
「ぎゃぁ──っ!」
苦悶するあんりの叫びと表情に「あんり負けるなー!」「がんばれー!」といった声が多く上がった。
「師範!なんで強い方の選手は手を顔からあごの下の方に移したんだ?あれじゃフェイスロックにならねえじゃないか」
リュウの問いにサナダはニヤリと笑って返した。
「弱いあんりの表情が観客からよく見えるようにだ。その辺はナツキも心得てるのさ」
「あ、そういうことか」
「だがナツキもやるこたぁやってる。手の位置を下にずらす前に、手の骨をゴリっと顔に当ててたぞ」
必死でロープに逃げたあんりをナツキは解放したが、ロープの反動をつけて飛びかかって来たあんりの身体を立ったまま受け止め、逆さにしてパイルドライバーでマットに打ち付けた。フォールに入るがカウント2.5であんりの肩が少し上がり、レフェリーはカウントを止めた。
「ユキナガもあんりちゃん贔屓だな」
笑うサナダだが、シンヤたちや肥後もっこすのレスラーたちも「あんりちゃん行けー!」と窓から声援を送っている。
ナツキはあんりの腕を取ってロープに振り、戻って来たところに顔面へのカウンターキックを当てた。
「わあっ!」
観客席から悲鳴というより非難めいた声が挙がった。あんりは左の頬を両手で押さえて転げまわり痛がっている。
リュウは正直言って観ていられない気分だった。こういう筋書きなのだろうと思いながらも、大人が少女に暴力をふるっているような印象を受けるからだ。
だがあんりは「やったなぁー!」と泣きそうな顔でナツキに向かっていき、ナツキの顔に張り手をくらわした。
2回、3回と張り手をくらわすがナツキは平気な顔で見下ろし、4回目に伸びて来たあんりの腕を捉えて投げを打ち、その身体を両肩に担ぎ上げて首と太ももをつかんだ。さらにあんりの背中を弓なりに反らせるアルゼンチン・バックブリーカーで痛めつける。
「あぁ──っ!」
苦しそうな悲鳴をあげるあんりに「あんり!あんり!」と大声援が飛ぶが、ナツキはあんりを担ぎ上げたまま後方に倒れ込むバックフリップドロップでマットに叩きつけた。フォールに入るがまたもカウント2.5で肩が少し上がる。
(まだやるのか)
リュウは顔をしかめながら少女の姿を観た。身体を震わせながら立ち上がろうとするあんりを、ナツキは無情にパワーボムの体勢で高く持ち上げた。
「やめろー!」
「あんり危ない!」
男性ファンからの悲痛な声が上がるが、ナツキは勢いをつけてあんりをマットに叩きつけ、そのままエビ固めで3カウントを奪った。
「5分27秒!エビ固め!勝者、カワイ・ナツ──キ──!!」
「5分持ったなぁ」
「ドロップキックと張り手は何とか出せたな」
二階ではシンヤたちがあんりなりの努力を認め、感心していた。
ナツキは倒れたまま動けないあんりに手を差し伸べた。しかしあんりは泣きじゃくるだけでその手には応えない。ナツキは試合開始時と同じく“しょうがないな”と片頬に笑みを浮かべ、礼をしてからリングを降りて行った。
「ナツキー!」
「かっこいいー!」
女性ファンからの声援と拍手に包まれて、ナツキは校舎の方へ戻って行った。
その後スタッフたちに支えられ、男性ファンたちの声援と拍手に包まれながらあんりも退場したが、リュウは
(あの子…本当に大丈夫かな)
と気になって仕方がなかった。
(第六十一話へ続く)
読み終わったら、ポイントを付けましょう!