「すまねえ!」
しょぼくれた顔でリュウは頭を下げた。
「あの財布と札は俺のじいちゃんの形見でもあったから、捨てられてついカッとなっちまった…。そもそも落とした俺が悪かったのになぁ」
謝られた相手のヤッさんは、店の小上がりに横になって自分の脚をさすっている。
「うう…4の字固めなんてかけられたのは初めてだよ。大体なんであんな古い技に詳しいんだよ、あんたら」
ヤッさんの脚に湿布を貼ってやりながら店主は笑った。
「わしの爺さんが遺したコレクションで『ですとろいやー』とか『りきどーざん』とかの、ものすごく古い映像集があってな。小さい頃はわしもそれを見て育ったんだ。もう何十年も忘れてたけど、いやぁ思い出せて楽しかった!あ、それでヤッさん。一体何の用だったんだ?」
「あぁ、用はヤゴロウどん祭りの奉納闘技戦のことだよ。シンカイからの申し出でな」
「シンカイって誰だ?」
リュウも自分の脚をさすりながら聞いた。湿布までは貼らないものの、4の字合戦は双方痛み分けに終わったらしい。
「昨日まできばい屋に居た、坊主頭の用心棒だよ。シンカイ・ギョウのことさ」
(シンカイギョ…ウ?あいつ、顔だけじゃなく名前まで深海魚だったのか)
リュウは思わず笑いそうになっていたが、店主は慌ててヤッさんを問い詰めた。
「あの坊主頭が何を言ったんだ?リュウさんが暴力振るったってか?言っとくがな、リュウさんは悪くないぞ!あいつが先に言いがかりをつけて来て、リュウさんをぶん投げようとしたから抵抗しただけだ。正当防衛だよ」
「俺への4の字固めも正当防衛か?」
笑いながらヤッさんは体を起こした。落ちていたゴミ同然のものを拾ってゴミ箱に捨てただけなのに、リュウからひったくりの汚名を着せられた上に脚を痛めつけられるという散々な目にあったはずだが、結構お人好しのようだ。
「シンカイとリュウさんの間の詳しい経緯は知らんが、とにかくシンカイがケガのために闘技戦に出られなくなったんで、代わりにリュウさんを出場させるようシンカイが指名したんだよ」
「なんだって?!」
店主とリュウは思わず声を合わせて叫んでいた。
ヤッさんはその声の大きさにのけぞりながら、うなずいた。
「本当はヤゴロウどんの闘技戦に出るのは背丈が六尺六寸はないと駄目なんだが、今から募集したり探しても間に合わんし、だいたいでかくて腕自慢の奴はすでに出揃ってる。それならシンカイを一発で倒したっていう、リュウさんが出るのが筋だろうと。祭りの委員たちも納得したってわけだ」
「そうか。ヤッさんは今年の闘技戦の当番委員長だったな」
「そうなんだよ。と、いうわけでな。リュウさん、今からすぐにヤゴロウどん神社に行くから一緒に来てくれ。試合までの間は潔斎もあるし、身体検査や参加についての説明もあるから神社にこもることになる。他の闘技参加者はもう昨夜から神社に集まってるんだ」
「え?今からすぐ?」
リュウはあわてた。
「まだ昼飯食ってねえ…いや、その、仕込みも終わってねえし!第一、俺はおやじさんの店を祭りが終わるまで手伝うって約束したんだ。だから闘技戦なんか出られないって」
リュウの腹から“ぐぅぅぅ”と空腹を訴える音が響いた。
店主はまたも笑うのを必死でこらえて言った。
「ヤッさん、あまりにも急な話だし、こっちも困るよ。今夜も予約がたくさん入ってて、リュウさんが居ないと店がまわらないじゃないか」
実際の予約は1件しかなかったが、店主はなんとかリュウを引き留めようとした。
「いや、こっちこそ困ってるんだ。早々に参加者全員揃えないと段取りが狂うし、それで朝から店の前に何度も来て待ってたんだから」
譲らないヤッさんに、リュウはこんなことを聞いてきた。
「ヤゴロウどんに勝った場合は賞金や祝い品がたっぷり出るって聞いたが、ただ出場するだけでもなんかもらえるのか?」
「ああ、1回戦敗退でも藩札で伍萬圓はもらえるよ」
「伍萬!じゃあ、勝ち続けた場合は?」
「えっと、一試合ごとに伍萬で、8人で勝ち抜き戦をやって決勝までは3試合、ヤゴロウどんに負けても拾伍萬圓だな」
「ひと晩で拾伍萬圓!…それなら悪くないな」
そうつぶやくリュウに店主は心配そうにささやいた。
「おいおいリュウさん、たしかにあんたは強いけど、昨日の坊主頭よりずっとでかくて強い奴が揃ってると思うぞ。捕らぬ狸の皮算用はやめといたほうがいいんじゃないか?」
「おやじさん、出る前から負けること考える馬鹿いるかよ!」
リュウは楽しそうに拳骨をもう片方の手のひらにパンパンと打ちつけて言った。
「ヤッさん、わかった!シンカイギョ…ウ、の代わりに俺が出るよ!俺があいつ蹴って出られなくしちまったんだから、そりゃあ筋だよな。それにヤッさんにも痛い目合わせちまったし、お詫びのしるしだ!」
「そうか、出てくれるか!よかった」
「リュ、リュウさん!」
店主はあわてたが、ヤッさんは喜んで脚をさすりながら靴を履き、
「じゃあすぐに神社へ連れて行くぞ!車に乗れ」
と店を出ようとしたが、リュウは
「ちょっと待った!」
と引き留めてこう言った。
「神社に行くのは今日の夜!店の営業が終わって片付けが済んでからだ」
「何だって?それじゃ深夜になるじゃないか」
戸惑うヤッさんにまたも頭を下げて、リュウは言った。
「俺は祭りが終わるまでおやじさんの店を手伝う約束でここに置いてもらったんだ。メシもおかわり自由で食べさせてもらってる。それなのにまる一日も働かないで出ていくなんて、それこそ筋が通らねえ。せめて今日店が終わるまでちゃんと働いて、おやじさんに対する筋を通したいんだ。頼むよ、この通りだ!」
「揃ったかみんな!じゃあ兄ちゃんの健闘を祈って、かんぱーい!!」
夜になり、「きばいやんせ」の店は盛り上がっていた。
焼酎の入った器を掲げて乾杯しあっているのは、昨日リュウを歓迎してくれた常連メンバーだ。
「しっかし、昨日歓迎会やったとこなのに、もう今日は壮行会か?」
「わははは!いいじゃねえか、2日続けて『のんかた』のネタになったんだから」
「兄ちゃん気張れよ!出るからにゃ大暴れしてやれ!みんなで応援に行くからな!」
「ありがとよ!ほい、刺身の盛り合わせ!」
「おお!アカバラに秋太郎か!うまそうだな」
「ほい、こっちはきびなごの酢味噌と同じく天ぷら!」
「兄ちゃん、サツマの食いもんも、だいぶ詳しくなっただろ?」
「おう!うまいもんはすぐに体で覚えたぜ!」
リュウは皆を笑わせながらテキパキと料理や酒を運び、常連と杯を交わしては空いた皿を下げて素早く洗い物をする。他の客にも実に気持ちよく応対していた。
そんな姿は店主の心に沁みた。
祭りが終わるまで手伝うという約束を違えはしたが、リュウは誠意をもって店主にもヤッさんにも精一杯向き合っている。
あの坊主頭に対してさえ、蹴り倒した時に「あ、ごめんな!大丈夫か?」と声をかけたリュウの様子は、本気で心配している顔だった。
(何を言ってもやってもカラリとしているから気持ちがいい。それにこいつを見てるとなんか楽しく、元気になるんだよな)
店主はリュウの顔を見て微笑みながら、揚げ物を盛りつけた。
「リュウさん!これ、あそこに持ってってくれ」
常連客の席を示して皿を差し出す。
「はいよ!おやじさん、このかき揚げは、なんて料理なんだ?」
「これは『がね』って言うんだ。意味はみんなに聞いてみな」
リュウが運ぶよりも先に、常連たちが声を上げた。
「兄ちゃん、がねってのはな、カニだ!」
「はさみチョキチョキのカニ!サツマじゃカニをがねって呼ぶの!」
「この形、カニの胴体の両端から脚が出てるみたいだろ」
リュウはかき揚げをじっと見て(そう言われりゃそうかも?)と思いながら首を傾げた。
「お?この赤っぽいとこは人参だけじゃなくて…サツマイモ、か?」
ところどころ赤紫の皮が付いた、サツマイモの千切りがどうやらメインの具材らしい。
「カライモだ!唐芋!今~じゃこげんしっせ唐芋どん食うちょっが~♪」
いきなりひとりが歌い出すと、他の2人も声を揃えた。
「やが~ちゃ天下のご意見番よ♪」
さらには他の客も加わり、大合唱になった。
「そん時ゃわいどんもおいげ~来んか♪おいげ~来んか♪」
目をぱちぱちさせているリュウに店主が言った。
「この歌はな、薩摩兵児謡って言って、大昔から伝わる民謡だ。サツマの若者たちの心意気を示す歌詞でな」
店主は歌詞をリュウにわかりやすく説明した。
おどま薩州薩摩の不ニ歳
色は黒くて横ばいのこじっくい
今じゃこげんしっせ唐芋どん食うちょっが
やがちゃ天下のご意見番よ
そん時ゃわいどんもおいげ~来んか
おいげ~来んか
見た目にとらわれず、大きな志を持とうという気概を込めた歌詞であった。
二番、三番と大合唱は続き、また一番の歌詞に戻ったので、今度はリュウもうろ覚えながら一緒に歌うことが出来た。
「兄ちゃんもヤゴロウどん倒して天下を取れよ!」
「そん時ゃあ、おい家!ここ、この『きばい家』へ呼んでくれ!」
「兄ちゃんのおごりでな!楽しみにしとるぞ!」
「よっしゃ─!やってやらぁ!」
リュウの威勢のいい声とみんなの笑い声に包まれながら、夜は更けていった。
迎えに来てくれたヤッさんを待たせに待たせて、リュウがきばい屋の仕事を終えたのはもう日付が変わる頃だった。
「おやじさん、祭りの忙しい時に抜けちまって本当にすまねえ。闘技戦が終わったらすぐ戻ってまた働くから、許してくれ」
頭を下げるリュウに店主は笑顔で返した。
「気にするな。そりゃリュウさんに居てほしかったけど、今までも毎年ひとりでやって来たんだ。大丈夫だよ」
「おやじさん、ずっとひとりで店やって来たのか?」
店主はちょっと寂しそうな顔になった。
「嫁さんと子供も居た時があったけどな。わしが店ばかり優先して家族をほったらかしてたから、出て行っちまったんだよ。わしもまだ若かったから『こっちはお前たちを養うために必死になってるんだ』って意地はってな。向こうの実家に迎えにも行かなかった。そうしてるうちにどこか他の藩にみんなで引っ越しちまったらしく、今どこにいるのか、何をしてるのかもまったくわからん」
「そうだったのか…こんなこと聞いちまって悪かったな」
「いや、いいんだ。子供は男の子でな。生まれた時からちいちゃくて、別れた時も同い年の子の中で一番チビだった。今年で23になるはずだから、リュウさんとあまり変わらないな」
店主はリュウの顔をしみじみ眺めて、
「リュウさんが来てくれて、わしがとても楽しかったのはもしかしたら、息子が帰って来てくれたらこんな風に店手伝ってくれたかな、なんて思っていたのかもしれん。ありがとうな、リュウさん」
と、リュウの肩を叩いた。
「おやじさん、俺で良かったらすぐに帰ってくるから。何なら闘技戦も1回戦だけ、すぐに負けて戻って来て店手伝おうか?いや、やっぱり闘技戦出るのやめるか!」
傍らでヤッさんが青ざめるのを見て、店主は噴き出した。そして言った。
「リュウさん!出る前から負けること考える馬鹿いるかよ!」
「あ、こいつはいけねえ!」
二人で笑いあってから、ヒヤヒヤしながら待っていたヤッさんの車に乗って、リュウは神社へ向かった。
店主は車の灯が見えなくなってから、店に戻って扉を閉めた。
そのすぐ後に、店の前に大きな人影が現れた。
そして、いつも通り鍵を掛けていない扉を開けて中へ入っていった。
店主の叫び声が聞こえてからしばらくして、店の灯が消えた。
(第六話へ続く)
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