レンは前を向いて運転しながら、少し唇に笑みを浮かべた。
「その反応によると、やはり間違いないようだね」
リュウは凄味のある声でレンをなお問い詰めた。
「答えろ!なぜその名を知っている」
「質問するのは私の方だったんだが、まあいい」
ちょうど信号待ちになったので、リュウの方を見て答えた。
「君が持っている身分証明はサツマのヤゴロウどん神社が発行した鑑札だけだ。この場合、九州内では有効だが、その他の地域ではさらに公的な身分証明が契約の際に必要となる」
(さらに公的な身分証明だと?)
「もし虎拳プロレスが九州以外の藩で興行を行ったり、または君個人が九州以外のプロレス団体に招聘されて試合に出る場合などは、飛成竜の名前では契約が法的に無効、さらには詐欺行為になる可能性もあるため、君の素性を調べさせてもらった」
リュウの目がいっそう鋭くなった。
「というわけで〇〇〇〇〇〇〇〇君…」
「その名で呼ぶな!!」
リュウはシートベルトを外し、車のドアを開けて降りようとした。しかしロックがかかっていて開けられない。
「落ち着け。もう信号が変わる。シートベルトを着けてくれ、リュウ」
レンを睨みつけながらも、リュウはベルトを着けなおしたのでレンは再び車を発進させた。
「勘違いしないでほしい。私は君と虎拳プロレスの契約を双方が困ることがなく、また双方にとってメリットを感じさせるものとして成立させたい。そのため不安要素を取り除こうと業務上調べただけだ。君を追い詰めるつもりはない」
「弁護士の仕事ってわけか。じゃあその調べたことをジンマに言うのか?」
「その必要はない」
リュウは訝しそうな顔をした。
「なんでだ。飛成竜の名前じゃ契約できないんじゃねえのか。本来の名前…ってやつでないと詐欺になるかもしれねえんだろ」
「結論から言うと、飛成竜はすでに完全なる君の本名となっている。九州以外でもヒノモト全土で公的に認められている」
「えっ…」
「ヤゴロウどん神社の巫女、ネネさんの尽力によってね」
「おネエちゃんの尽力?」
(もしかして、おネエちゃんの不気味…いや、不思議な力のせいなのか?)
「君がサツマを旅立った翌日、ネネさんは君の…いや、君が『兄』と呼んでいる人にわざわざ会いに行き、君が改名して他家の養子になることについて理解と協力を得た」
「なにっ!おネエちゃんが?あの…藩までわざわざ?え、まさか…兄貴だけじゃなく、あいつにも会ったのか?」
レンは「あいつとは、君が藩を出る原因となった人物のことと思っていいのか」と、リュウの顔を見ずに聞いた。
黙っているリュウであったが、その気配で判断したレンは続けた。
「原因となった人物にはネネさんは会っていないし、また君の情報はいっさいその人物には知らされていない。『兄』が全面的に君の保護者として協力し、君を守ってくれた。それゆえにその後の法的手続きも迅速に進み、君は晴れて飛成竜となれた。安心するといい」
「そうだったのか…おネエちゃんと…兄貴が…」
「ネネさんは『兄』に君がサツマからどこへ行ったのかは言わなかったが、『兄』のほうも聞こうとはしなかった」
聞いてしまうと、君に会いに行きたくなるからかもしれないが…とレンは言った。
「ただ、とても君のことを心配し、案じていたそうだ。ネネさんが『リュウには神様ヤゴロウどんのご加護があるから安心しなさい』と『兄』をなだめたそうだよ」
リュウは目を見開き、身体を震わせた。
涙がこぼれそうになったので、あわてて話題を変えた。
「──しっかし、改名とか養子とか、こんな数日で出来るもんなんだな。驚いたぜ」
「昔は手続きも面倒で申請してから時間もかかっていたが、近年は特に『改名や離籍を求める人の生命・精神・身体・財産を保護するため』と言う要素が重要視されている。配偶者から支配的な暴力を受けているとか、老いた身の年金を奪われるなど、家族から逃げたい人は多い」
特に、とレンは一呼吸を置いてから
「親から虐待されたり、搾取されている子どもに対しては、不適格な親から迅速かつ厳重に守ってやらなければいけないから、家庭に介入し救出するとともに、申請を認められるのも非常に早くなっている」
と続けた。
「…そんな決まりがあるのか。それなら、もっとそのことを子どもたちに教えてやれってんだ。何も知らずに諦めてる子どもは多いはずだ」
リュウの声は、今度は怒りに震えているようだった。
レンはリュウの様子を一瞬横目で見たが、それについては何も言わなかった。
「では次の質問だが、君は今後『兄』がいる藩に戻るつもりはあるのか?」
「それはねえ!兄貴にゃ悪いが、絶対に戻ることは無い」
「では、今いるヒゴに永住するつもりはあるのか?」
「…先の事なんかわからねえが、俺が永住するとしたら、サツマだ。サツマしかねえ」
(ここサツマがリュウさんの故郷だと思えばいい。わしの店があんたの家だと思えばいい。だから早く修業を終えて帰って来てくれ)
リュウはきばい屋のおやじさんの言葉を思い出していた。
「わかった。ではそれを前提に契約内容を整えるとしよう」
神社の駐車場に着いてリュウを降ろすと、レンは
「名前の件は君の追認も得たので、以後は飛成竜として契約準備を進めるし、旧氏名及びそれにまつわる事情は一切口外しないので安心するといい」
と言った。
「…俺が完全に飛成竜になれたこと、教えてくれてありがとよ。最初は気が動転して、あんたに失礼な態度を取っちまった。許してくれ」
頭を下げるリュウに、レンは笑って「録音した会話も消しておくから心配するな。では、また」と言い、去って行った。
(頭は切れるが冷たいやつなのかと思ってたが、案外いいやつなんだな)
「お帰り~疲れたやろ。あれ、なんか美味しそうな匂いするなぁ」
「ただいま!ジンマが晩飯を差し入れしてくれた。シュウとカワカミさんの分もあるぜ!えっと、ヒゴのあか牛?だっけ。牛めし弁当って言ってたな。早速食おうぜ」
「それはうれしいなぁ。ジンマさんにお礼言わなあかんね」
「カワカミさんはどうした?居ないのか」
「なんか納戸の整理するとかさっき言うてはったけど…呼びに行こか」
シュウが立ち上がろうとした時、廊下からカワカミがやってくる気配がした。
「あ!リュウさんお帰りなさい!ほらほら、これ見て下さい!」
カワカミが嬉しそうに桐箱を差し出し、ふたを開けるように促した。
「?」
リュウがふたを開けると、なんとそこには日本人形が入っていた。
(!!!!!)
「ね?髪が伸びてるでしょ?しかも左半分だけが長い!これはすごいと…」
「ぎゃああああ───────っ!!!!!」
リュウは絶叫して箱を放り投げ、あまりの恐怖に失神し倒れてしまった。
「あらららら!えらいこっちゃ。畳の上に座ってる時でよかったわぁ」
あわててリュウを介抱するシュウ。
「…こんなに怖がるとは思いませんでした。まずかったですね」
カワカミは申し訳なさそうな顔をしたが、日本人形を箱に戻すと笑顔でシュウに言った。
「でもね、これってちゃんと解明できるんですよ。植毛された髪はただ頭部分を貫いて差し込んであるだけなので、左側の髪を引っ張れば右側が短くなるんです。呪いの人形の一部はこういう構造上の理由かもしれないですね」
人形の髪が伸びる謎が解けて喜ぶカワカミを見ながら、
(また今夜も便所についていかなあかんようになったなぁ)
とシュウは苦笑していた。
はたしてその真夜中。
布団がすこしめくられる気配がし、シュウは眠りから覚めた。
(やっぱりリュウ、起こしに来たな)
そう思ったシュウであったが、何も声を掛けられることはなかった。
ただ、リュウがシュウの布団にもぐりこんで来た。
(怖いからひっつきに来たんか。ほんまに子どもみたいやなぁ)
つい笑いそうになったが、リュウはシュウの腕にしがみつくと、小さな声で言った。
「…兄ぃ、ごめんな。俺だけ逃げてごめんな…俺、遠くにいるけど元気だ…心配ないから…」
(え?)
シュウは驚いてリュウの顔を見た。月明かりが差し込んでいるので様子はわかった。
目は閉じているので、どうやら寝言を言っているらしい。
「…でもな俺、今…うまくプロレスができねえんだ…ケガさせてしまいそうで…あの時と同じ…ケガさせて…また……に怒られちまう」
(なんやて?誰に怒られるんや?)
シュウは気になったが、寝言に問いかけていいのか悩んだ。
「なんで俺…ちゃんとできねえのかな…いつもそうだ……も……だったら…うまくやれたろうになぁ…」
リュウの閉じた瞳から、涙が流れていた。
「俺はダメだ……も…プロレスも…何もできねえ……を…がっかりさせてばかりで……見捨てられても仕方ねえよな…」
「そんなことないで」
シュウはせつなくなって、つい声を掛けていた。
「リュウは凄いやつやで。ものすご強いし、木ぃ切るんも上手やん。めっちゃ高いとこまで登れるし、あんなん誰も真似でけへん。リュウやからできるんや」
シュウはリュウの頭をなでてやった。
「プロレスかてすぐ上手なるて。ちゃんとできるから心配いらへん。大丈夫や。絶対できるって」
「……兄ぃ、なんでカンサイ弁なんだ…まるでシュウみたいだ…」
(あ、しもた)
「シュウってのは…こっちで出来た友達で…すげえ優しくて…すげえいいやつなんだ…」
寝言とはいえ自分のことを褒められて、シュウはどう答えていいか困った。
「…兄ぃ…俺…リュウじゃねえよ…俺の名前は……だろ……」
(え?今、なんて言うた?)
すぅ…と寝息を立ててリュウは深い眠りに落ちた。
シュウは再びリュウの頭をなでながら
「大丈夫。大丈夫。ちゃんとできる。絶対上手にできる。なんだってできる…」
と、カンサイ弁を極力抑えて、リュウの寝顔に声をかけ続けてやった。
「これ穿いて闘うのか!?俺が?闘技戦の時みたいに道着の下衣じゃダメなのか?」
リュウは黒いショートタイツをつかんで戸惑っていた。
今日は練習の前に、プロレスラーとしてのコスチューム決めと、それを着ての写真撮影が予定されていたのだ。
「だってリュウさん、自分で『俺は空手家じゃない』って言ってたじゃないか」
ジンマは笑って言った。
「イノキのストロングスタイルへのオマージュなんだから、やっぱり黒のショートタイツだよ。なんならセクシー路線で競泳ビキニタイプにしようか?女性ファンが喜ぶよ」
「冗談じゃねえ!」
(ケツが見えそうな恰好なんてごめんだ)
「ちゃんと写真データをもとにコラージュして、リュウさんが一番カッコよく見えるスタイルを検討済みなんだから安心して。さ、このタイツにこのシューズをはくんだ。ひざにはサポーター、そしてこの手袋もつけてね」
ジンマに促され、リュウは渋々ロッカールームで言われた通りのスタイルに着替えて来た。
「おおおっ!カッコいい!!さすがリュウさん!やっぱりUスタイルを基本にして正解だ!」
そこにはプロレスラーであり、なおかつ総合格闘家にも見える男・リュウの姿があった。
(第三十九話へ続く)
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