「おネさぁの神通力はほんまにすごいやろ」
額を触った指先を見つめるリュウの湯呑みを取り、シュウは言った。
「ほんでな、また部屋に戻ってからおでことか治してもろて、神様の魂の入った面もはずしてもろた。それから着物も脱いで、着替えてからお茶持って来たんや」
シュウはまたリュウの湯呑にお茶のおかわりを注いでくれた。
(優しいやつだな。俺を踏み殺しかけたり、首絞めてきたとはとても思えない。あ、そうか。操縦者は神様だったな)
うっかり骨にヒビが入っている右手で湯呑みを持ち上げてしまったリュウは「痛っ!」と言いながら
「それでヤゴロウどんが俺のこと、何て言ってたって?」
と、神の批評を求めた。
「神様が僕の身体に居てはる時はな、思てはることが伝わってくるねん。言葉というより気持ち、に近いけどな」
「そうなのか!」
「リュウと闘ってた時な、言葉にするとしたら『踏み潰されながらも足の指を折ってくるとは、大したやつだ』って。ひっくり返された時も『このわしを投げるとは凄い』、それから『足で首投げと来たか!』とかな。やられてんのに神様喜んではるねん。頭突きもむっちゃ効いてたらしいわ。あの時だけは『痛い』って気持ちが僕にも伝わってきたもん」
「へえ──」
(俺も散々な目に合わされたが、相手をそんな風に思う余裕はなかったな。やっぱり神様は違うな)
「そんで最後の蹴りもな、こっちの眼見て即反応したやん。そういう阿吽の呼吸みたいなんが通じる相手やったんが良かったみたいや。『こんな相手と闘えて、楽しくて仕方がなかった。負けても満足だ』って。そこから後は静かになりはった」
「負けても?違うぞ、ヤゴロウどんは負けていない!あの蹴りの後、俺はもう立っていられなくて倒れて、しばらく気を失ってた。オオヒトに聞いたら引き分けだったそうだ」
「でも神様は負けた、て思いはった。ええんちゃう?結果はどうあれ満足しはったんやし。リュウはどうなん?満足してないん?」
「う──ん…満足とか不満とか、そういうのはねえな」
「ほな、どういうのがあるん?」
「ヤゴロウどんがどうこうってんじゃねえんだが…首絞められて『どうやら負けのようだ』と思った時に、サコウたちが励ましてくれたのは、なんとも言えない気持ちになったな」
(誰よりも強いくせに!俺よりも、ずっとずっと強かったくせに!首絞められたぐらいで負けるんじゃねえ!)
泣き叫ぶようなサコウの声がリュウの耳に蘇った。
「叩きのめした相手からあんな風に言われるなんて、初めてだったから驚いた」
「今までに出た試合で、そういうことはなかったん?」
「なかったも何も、試合に出ること自体が初めてだった」
「え?なんて?試合出たことなかったん?初試合で勝ち抜いて優勝したんかいな!凄いやん!…ほな、今までは何してたん?誰かと闘うことはあったんやろ?」
「うん、まぁ…言うなれば用心棒かな?いや、番人か。泥棒が来たら、もう二度と来たくなくなるくらい徹底的に叩きのめしてた」
「あ〜なるほど!せやから強いんやな!喧嘩の達人いうわけか。あ、ごめん。話途中やったな、サコウさんに励まされて、どない思たん?」
「ああ。…嬉しいっていうか、負けるわけにゃいかねえって思った。その声のおかげでまた意識がはっきりして、すげえ力が湧いて来たんだ。満足とかよりも、ありがてえ!って感じかな」
「人の赤心なる思いや願いは、時に凄まじき力となる」
強い光を放つ眼で、シュウは言った。
「人が丹款をもって祈る力、願う力がまず神に力を与え、それを神がまた人へ与えることで、己を超える力と成り得る」
「え?たんかん?…人の祈りが神様の力のもと?そうなのか?」
リュウは戸惑いながら答えた。しかし、シュウは
「あ、神様まだちょっと居てはるみたいや」
と言い、また草食動物の眼に戻っていた。
どうやら、神様ヤゴロウどんの魂はこの若者から完全に抜け切っているわけではないらしい。
(今のは神様ヤゴロウどんが言った言葉なのか?でも神様の言葉を聞けるのはおネエばあちゃんだけだとオオヒトが言ってたはずだが…)
リュウが首をかしげていると、奥の部屋から声が聞こえてきた。
「リュウさん!リュウさん、どこにいるんだ?」
(あの声は!)
「おやじさん!きばい屋のおやじさんか!?俺ならここだ!」
「おお!リュウさん、そこにいたのか」
きばいやんせの店主は奥の部屋から小走りでやってきた。
「おやじさん!弁当むちゃくちゃ美味かった!!調理法、少し変えたのか?なぁ、試合中はどこにいたんだよ?常連さんたちは二回戦からヤッさんと本部席にいたけど、おやじさんだけいなかったからどうしたのかと思ってたんだ。俺、闘技戦優勝したんだぜ!!優勝杯の丼もらったから、それでおやじさんの特製丼を大盛りで食わせてくれよ!あと鰹のなま節も一年分もらった。それ全部おやじさんにやるからさ、何か料理を…」
「おいおい、リュウさん」
店主は笑いながらリュウを制した。
「いっぺんに言われても何から答えていいのやら…いや、それよりも、おネエちゃんからリュウさんとヤゴロウどんだった人を仮社から本神社に連れて行ってくれって頼まれたんだ。…っと、あんたが、ヤゴロウどんだった人なのか?」
「はい。僕がヤゴロウどんの中のひとです。シュウ、て言います」
シュウはぺこりと頭を下げた。
「おお、さすがにでかいな!…こりゃうちの車じゃ難しいな。それに目立たないようにしてくれって言われてるし…よし、弁当を運び込んだ時の貸しトラックがあるから、悪いが二人とも荷台に乗ってくれるか?」
「ええですよ」
シュウは即答したが、リュウの答えは違った。
「おやじさん、神社に行く前にメシ食わせてくんねえか?」
「え?メシかい?」
「腹減ってふらふらなんだよ。こいつとの試合の最後、蹴ってから倒れちまったのも腹が減ってたからだと思う。試合前にオオヒトの按摩だけじゃなく、メシも食っておけば勝てたかもだ」
店主は呆れたが、リュウの生気の源は何よりも「食べること」なのだということはよくわかっていた。
「あ痛っ!!この背骨が痛いのも、右手が痛いのもメシ食えばきっと治るはずだ。なぁ、試合場の外の屋台はもう店じまいしちまったのか?」
「屋台は闘技戦の優勝の時までだから、もう全部片づけ終わってるはずだ。ここから本神社への道の途中でどこかメシ食えるところか…人目に付くのはまずいしな…うーん」
「おやじさんの特製丼は無理か?」
リュウは眼をきらきら輝かせて尋ねた。
「今夜は遅くにこの祭りの打ち上げ宴会が入ってるから、悪いがうちの店は無理だな。ま、とにかく裏口からこっそり車に向かおう。いくぞ」
「…ちぇ。丼はお預けかぁ──」
眼の輝きは消え、リュウは萎れるように肩を落とした。
「あ、ちょっと待っててな。このちゃぶ台片しますんで。リュウ、茶碗とかそっちに頼むわ」
「おう」
シュウがちゃぶ台を、リュウも茶器を片付けだした。
さっきまで死闘を繰り広げた間柄とは思えないコンビネーションの良さである。
「特製丼食えねえのか…あ~背中の痛みが激しくなってきやがった…痛えなぁ…丼食いてえなぁ…痛えなぁ…大盛りの特製丼…食いてえ…」
小さな体で大きな茶器をぶつくさ言いながら盆に載せる男と、大きすぎる体で小さなちゃぶ台をたたむ男。
(大きさは対象的だが、どっちも変ったやつ同士で面白いコンビだな)
店主は急ぐのも忘れて、つい笑ってしまった。
本殿の裏口から関係者用の駐車場へ向かった三人は、停電の暗がりの中なんとか配達用の小型1トントラックにたどり着いた。
荷台に寝そべるシュウの横にリュウも寝て、その上にビニールシートがかけられた。
「乗り心地は良くないだろうが、がまんしてくれ。じゃあなるべく動かないようにな」
二人に声をかけてから、店主は運転席に乗り込み、ある店に向かって車を発進させた。
祭りの会場がある海に突き出た人工島は停電していたが、橋を越えた陸地の方は影響はなく、街灯も店舗の照明も明るかった。
(まだ開いてるといいんだが)
店主が車を停めたのは、谷山街道沿いの角地にある店で、表通り側ではなく裏側にある方の出入口の前だった。
「ちょっと先に話をつけて来るから、しばらくそのままでいてくれ」
二人が隠れている荷台に声を掛けてから、店主は店に入って行った。
リュウはビニールシートの隙間から、店の看板を見て「?」と首をかしげた。
「ら〜めん行進曲…その後は…まるまる?それともゼロゼロ?いや、もしかして謎かけの伏せ字なのか?」
(第二十一話へ続く)
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