「静まられよ!」
オオヒトは、見かけによらない大きなよく通る声で、押し寄せた観衆に呼びかけた。
「生きているヤゴロウどんがどうなったのか、本殿からの知らせはまだ何もありません。リュウ殿が神様を殺したなどと、何を根拠におっしゃるのですか!」
(こんな声が出せるやつだったのか)
少女と見紛うような少年オオヒトの意外な一面を見て、リュウは驚いていた。
「神様のお声を聴けるのは神職の中でもただ一人、正式な巫女であられるネネ様だけです!」
さらにシンカイの方をにらみつけ、怒気を含んだ声で言った。
「リュウ殿の命を奪えだの、ましてやこの場にいる皆に神罰が下るなどと、勝手な事を決めつけて言う人間の言葉に耳を傾ける道理はありません!」
オオヒトの言葉にシンカイたちは(余計なことを…!)と舌打ちをした。
「それから、リュウ殿が頭を下げて詫びているヤゴロウどんを蹴った、卑怯だ、とおっしゃる方に申し上げます」
リュウのほうを振り返ってから、オオヒトは続けた。
「もし本当にそうであるなら、一番間近で見ておられた主審の方が即リュウ殿を反則負けにしていたでしょう。また、神罰が下るというなら、試合の掟を守らず卑怯な振る舞いをしたリュウ殿にその場で神罰が下っているはず。そうではありませんか?!」
「その通りだ!」
「リュウは卑怯な事なんかしていない!」
「そうだ!そうだ!」
サコウを始めリュウに負けた選手たちは、真っ先にオオヒトに同調して声を上げた。
彼らは興奮する観衆を抑えようとしたが、皆試合で負傷しているので満足に動けなかった。
リュウとオオヒトを守るために試合場に上がることも出来なかったので、もどかしく思っていたのだ。
オオヒトの言葉に(よくぞ言ってくれた)と喜んでいた。
動揺していた観衆、特に年寄りの氏子たちも
「…じゃっど。そうかも知れん」
「オオヒトさぁの言っ通いじゃ」
「おネさぁのお言葉を待ちもんそ」
と、落ち着きを取り戻しつつあった。
リュウは理路整然としたオオヒトの堂々たる対応に(やるじゃねえか)と感心していた。
まだ十代半ばの少年だが、侵しがたい気品と怜悧さが自然と人を従わせる。成人すれば一層のカリスマ性を発揮することだろう。
この場の空気が変わったことにあせったシンカイは「騙されんぞ!主審がリュウの肩を持ったに決まってる!」と大声をあげた。
「そもそも闘技戦に出られるのは身の丈六尺六寸以上なのに、こんなチビが出してもらえたのもおかしいじゃないか!しかも優勝するなんて、裏で絶対つるんでるに決まってるぞ!」
「何を言いやがる!」
さすがにリュウが反論した。
「お前が自分の代わりに俺を出せって言ったんだろうが!」
「そうだ!何も悪い事してない俺に、こいつが突然ひざ蹴りをかまして来たから、俺はケガをして闘技戦に出られなくなったんだ!その上、自分を代理で出せって俺を脅してきた!だから俺はやむなくこいつを推薦したんだ!」
「───はぁ?」
リュウは開いた口が塞がらなくなった。
「みんな聞け!こいつはいきなり人を蹴るのが好きな、とんでもなく卑怯なヤツなんだ!だからヤゴロウどんもいきなり蹴られて殺されちまったんだ!」
事実を捻じ曲げてまで自分を正当化するシンカイの言いぐさに、リュウは頭が痛くなってきた。
(言ってることメチャクチャじゃねえか。こいつ、相当なアホだ)
仲間たちもシンカイの破綻した理論を持て余したらしく、シンカイの言葉を遮るように仲間のひとりが結界の綱をくぐって試合場に入って来た。
一回戦の試合前に「子供の出る幕じゃねえ!早く家帰って寝ろ!」とリュウに罵声を浴びせてきたヒラメ顔の男である。
背はシンカイよりも少し低いが、かなりごつい身体つきをしていた。
「おいオオヒト!宮司の息子で神社の跡取りだからって、ガキが偉そうなこと言うんじゃねえ!」
(オオヒトは神社の跡取りだったのか)
ヒラメ男の言葉でリュウはそのことを初めて知った。氏子たちがオオヒトの言葉を素直に聞いたのも納得である。
「さっさとそいつを引き渡せ!卑怯な真似をしてねえって言うんなら、どこへ引っ立てられようと平気のはずだろう!」
オオヒトは両手を広げたままヒラメ男をにらみつけ、リュウの前から頑として動こうとはしなかった。
「オオヒト、危ないから下がれ!」
リュウが叫んで立ち上がろうとするが、背中に激痛が走り、ひざ立ちの姿勢から動けない。
オオヒトはヒラメ男をリュウに近づけまいと、さらに前に出た。
「邪魔だ!」
ヒラメ男はオオヒトを容赦ない力で突き飛ばし、華奢な少年の身体は吹っ飛ばされた。
しかしその身体は柱や床に打ち付けられることはなく、たくましい腕と胸に抱きとめられていた。
リュウが激痛に顔をゆがめながらも瞬時に動き、オオヒトを守ったのだ。
(やりやがったな!)
少年の身体を即自分の肩に担ぎ上げるや、リュウはそのままヒラメ男に向かって突進し、下半身の急所に強烈な蹴りを食らわした!
「!?…ぐ、ぐぅぉぅう…っ!!!」
下腹部を押さえて身体をくの字に折り曲げ、前のめりに倒れ込み悶絶するヒラメ男を、怒りに満ちた目で見下ろしながらリュウは言った。
「さっきから俺のことを卑怯だ卑怯だとさんざんぬかしやがったが、少年に暴力振るうような男の屑のことは、サツマじゃ卑怯と言わねえのか?」
ギロリとシンカイたちの方をにらみ、リュウは続けた。
「闘技戦はもう終わってんだ。掟に縛られることはねえ。男の屑には金的蹴りが妥当だろう」
リュウはシンカイ、そしてその仲間たちの目の位置に向けて順に指を差しながら言った。
「次は誰だ?金玉が嫌なら代わりにその目ん玉潰してやるぜ。
───来るなら来い!!」
リュウの凄まじい表情と大喝に気圧され、シンカイたちは怯んで何も言えなくなった。観衆もさっきまでの勢いは完全に消えている。
(オオヒト、しっかりつかまってろよ)
(え?)
(行くぜ!)
囁くやいなや、肩に担がれているオオヒトの答えを待たずリュウは走り出した。さらには突っ伏し苦悶しているヒラメ男の背中、というより尻を踏み台にして前方へ高く跳んだ!
「グワッ!」
尻を踏まれたヒラメ男の悲鳴と共に、オオヒトを担いだリュウは結界の綱を飛び越えた。
かなり弱っていたので長距離は跳べず、花道の手前で観衆が群がっているところに落下しかけた。
だが、ちょうどそこに居たのがシンカイだった。
「ギャッ!!」
リュウに頭を思い切り踏まれてシンカイも悲鳴をあげ、はずみでぶっ倒れた。
シンカイが踏み台になってくれたおかげで観衆を踏むことなく、花道に着地できた。
(ありがとよ深海魚!アホの頭も役に立つじゃねえか)
オオヒトを担いだまま、花道を本殿に向かってリュウは走った。
「リュウ殿!私を降ろして下さい!背中の痛みがひどいのでは?」
「わはははっ!」
いきなりリュウが笑い出した。
「ああ、痛えよ!笑っちまうくらいすげえ痛い!だから途中で止まらず本殿まで行くぜ!」
リュウの本音は泣きたくなるくらいの激痛であったが、
(とにかくこいつさえ本殿に放り込んどきゃ、あとは俺ひとりだ。何とかなる!)
と、オオヒトの安全をはかることしか考えていなかった。
ようやく本殿にたどり着いたが、扉は鍵がかかっているのか開かない。
「本殿の扉は神職しか開閉できません。私を降ろして下さい!」
そう言われてリュウはオオヒトを降ろし、扉の前を譲った。
するとオオヒトが手をふれただけで、ギギギィーと音を立てながら扉は開いた。
停電のため照明器具の光はなく暗かったが、所々に行灯は燈されていた。
「よし!早く入れ!」
リュウはそう言ってオオヒトの背中を押すと、自分は試合場の方を向き直して戻ろうとした。
すると、いきなりオオヒトが後ろからリュウの腰に抱きついてきた。リュウの背骨から全身に激震が起きた。
「痛ってえ!!何をしやがる!?」
少年がはり付いた身体ごと後ろを振り返ったリュウは、オオヒトによって本殿の中に押し込まれた。
「うわっ!」
思いがけないオオヒトの攻撃に、リュウは本殿の一番手前の部分、立礼式拝殿室の床に顔から突っ込み倒れ込んだ。
オオヒトは自分自身を本殿の外に、リュウだけを本殿の中に残して扉を閉めた。
リュウがオオヒトだけを守ろうとしたように、オオヒトはリュウを守ることしか考えていなかったのだ。
「おい!オオヒト!本殿に残るのはお前だ!俺じゃねえ!」
起き上がったリュウはドンドンと扉を叩くが、開く気配はない。
「こら──!開けろ!オオヒト!なんでお前はいつも俺を閉じ込めるんだよ!開けろ──っ!」
リュウは無法にも扉に蹴りを入れまくり、壊してでも扉を開けようとした。しかし仮といえども闘神の社はさすがに強靭であった。
むしろ蹴りによってリュウの背骨は一層激痛を起こしていた。
「痛ってぇ…くそっ!開けろったら開けねえか!」
リュウはやけくそになって叫んだ。
「おい!ヤゴロウどん!お前の神社の大事な跡取りが危ねえんだぞ!この扉を開けやがれ───!!!」
ギギギィィイ────!!!
扉が開いた。
だがそれは、リュウの前にある外への扉ではなく、本殿の奥にあるほうの扉であった。
奥からろうそくの光が漏れてきて、ほのかに明るくなった。
「…え?」
振り返ったリュウはぎょっとした。
開いた扉の向こうには、さっきまで闘っていた巨人がいたのだ。
(ヤ、ヤゴロウどん?!───そっちの扉は、開けなくていいって…)
巨人はリュウが頭突きでヒビを入れた面を付けたまま、首筋には血をしたたらせながら歩きだした。
もろ肌脱ぎの上半身の見事な筋肉が迫ってくる。
驚いたことに、リュウがへし折ったはずの左手の指や右足の親指はまっすぐに戻っており、蹴りで破壊した左足のひざも、腫れがすっかり引いていた。
(…いくら神様だからって、それは不公平すぎるだろ!?俺は全身ボロボロのままなんだぞ!)
まったく不自由を感じさせない歩き方で、巨人はリュウのすぐ傍までやって来た。
そして、青ざめるリュウに向かって、その手を伸ばしてきた!
(第十九話へ続く)
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