「このシューズ、なんで脛のとこにクッションみたいなのがついてんだ?これじゃローキック打っても効かねえだろ!」
ジンマに褒め称えられたリュウだったが、やはり“物言い”を付けて来た。
「もちろん!この“レガース”が対戦相手を守ってくれるんだ。リュウさんの蹴りは手加減してもかなりのダメージを与えちゃうからね。同様にひざ蹴りもサポーターで緩和してるし、手袋も掌底の部分までクッションが入ってる特注品にしたよ」
(うっとぅしいなぁ)
まるで手枷足枷を付けられたようでリュウは不快だったが(これも修業、ってことなんだろな)と我慢した。
続いてポスターや販売グッズのための写真撮影が始まったが、プロのカメラマンを連れて来ての撮影はかなり難航した。
なぜなら、リュウは写真写りがとんでもなく悪かったのである。
「あ、また目をつむってる!」
「白眼むいちゃダメだって」
「右目と左目の開き加減が全然違う!」
「そんなに歯茎出さないで」
「あご引きすぎ!上目遣いにもほどがある。それじゃまるで恨みを呑んで死んだ人の表情だよ」
「今度はあご上げすぎ!鼻の穴が丸見えだって」
「あ───っ!!もう!どんな顔していいのか全然分からねえ!」
ついにリュウが音を上げてしまった。
モデルの扱いづらさにカメラマンも疲れていたので、ジンマはとりあえず休憩を取ることにした。
「リュウは男前なんだから、普通にしてるだけでいいはずなのになあ」
練習しながら撮影状況を眺めていたケイイチが笑っていた。
「カメラ向けられると異常に緊張するみたいだな。ってか、すごく嫌そうだ。ナルシストじゃないんだな」
と、ユージもリュウの様子を面白がっていた。
「あんなに強くて男前で、その上ナルシストだったらムカついて許せねえよ」
シンヤも笑いながら言った。
「自分の面の良さや強さに無頓着なとこがまた、リュウの良さだな」
「無頓着というか、むしろ自信無さそうにも見えるよな」
「まったくだ。おかしなヤツだよ」
笑ってうなずき合う三人に、リュウはすでに仲間としてしっかりと受け入れられていた。
休憩の間にジンマがロッカールームから姿見の鏡を運んできた。
「リュウさん!鏡見ながら自分の顔や姿を確認してごらん。これならわかりやすいだろ」
ジンマは気を利かせたつもりだったが、リュウは鏡を見るなり、そこに映った自分の顔を激しく睨み返した。
(えっ…)
底知れぬ憎悪さえ感じさせるその表情に、ジンマは思わずゾッとした。しかし次の瞬間、カメラマンに鋭く言った。
「今!今だよ!あの表情を撮って!」
カメラマンもあわててファインダーを覗きこんだが(これは…!)と、ゴクッと喉を鳴らして夢中でシャッターを切り出した。
見る者をゾクリとさせる、凄味に満ちた表情のリュウがそこには居た。
「お?!おい!…あれ、見ろよ」
「…え?!リュウ…だよな?」
「あいつ、あんな顔するんだ…」
シンヤたちも驚くほど、リュウは異様なオーラを発していた。
ジンマはリュウにポーズを付けさせるのはあきらめ、その代わりカメラマンにリュウの周りを素早く移動させ、床から撮ったりリングのエプロンサイドから見下ろして撮ったりと、様々な変化をつけて撮影を行った。
その間、リュウは鏡に映る自分…というより、その向こうに見える「誰か」に向けて、何かを呟くように唇を動かしていた。
さらにはだんだん呼吸が荒くなり、肩で息をするようになっていた。
「いやぁリュウさん!凄くいい写真が撮れたよ!相手を殺しそうな迫力があった!まさに命がけの試合に臨む男の顔に見えた!」
「──だったらもう鏡をどけろ。こんなもん、二度と俺の前に持ってくるんじゃねえ」
吐き捨てるようにジンマにそう言うと、リュウは外へ出て行ってしまった。
ジンマは慌てて追いかけたが、リュウはシャッターをくぐって外に出ると、そのすぐ横の壁の前で深呼吸を繰り返してからしゃがみ込んでいた。
(リュウさん…?)
その表情は険しく、とても声を掛けられそうになかったので、ジンマはリュウから見えないようにシャッターの内側に隠れた。
するとそこへ、見覚えのあるキャンピングカーがやってきた。
(シュウさんだ!)
リュウも気づいて、打って変わって笑顔で立ち上がり、シュウを迎えた。
「おう、シュウ!どうした?」
「リュウ、カッコええやん!むっちゃ強いプロレスラーの出来上がりやな」
車を降りたシュウはリュウに近寄って笑顔で声を掛けると、シャッターの隙間から覗いているジンマにも、
「ジンマさん、昨日はカワカミさんと僕の分まで牛めし弁当ご馳走様でした~むっちゃ美味しかったわぁ」
と礼を言った。
「お返しと言ってはなんやけど、カワカミさんと僕でお弁当作ってきました。お昼ご飯に皆さんでどうぞ」
シュウは車から大きな重箱2セットに詰められた弁当を降ろした。大喰らいのレスラーたちとカメラマンやジンマもたっぷり食べられそうな量だった。
「あ、ありがとう!いやぁかえって気を遣わせて悪かったね!さぁさぁ、中へどうぞ」
シュウを誘ってからジンマはカメラマンのところに行き、小声で(あの大きな人とリュウさんが話してるところをさりげなく撮って!)と言った。
(え?隠し撮りですか?)
(あの人としゃべってる時は、リュウさんすっごくいい顔するんだよ。あの無邪気な笑顔はポーズ付けた撮影じゃ絶対無理だから。頼む!)
そう言ってジンマは「シュウさん!悪いけどこっちにお弁当置いてくれる?」と、撮影の照明がうまく当たる場所へ誘導した。
シュウと共にリュウもそこにやってきて「なあなあ、弁当のおかずは何が入ってんだ?」とわくわくした顔でシュウに聞き、さらには「ちょっと覗いて見てもいいか?」と重箱のふたも開けようとしていた。
(なるほど。さっきとは別人のような朗らかな顔だな。あの大きな人には心を許してるから?…いや、単に食い意地がはってるんじゃないか?あの男は)
「“おやつで子どもを釣る撮影テクニック”だな」
と、こっそりつぶやきながらカメラマンはシャッター音を消し、シュウと弁当について話す楽しそうなリュウの顔をさりげなく撮り続けていた。
シュウとカワカミが作った弁当は野菜中心にもかかわらず、レスラーたちの胃袋も十分満足させた。
サツマのヤゴロウどん神社と同じように、神社の敷地内の畑で神職であるカワカミが野菜を育てており、収穫してから神様にお供えしてさらに作物に力をもらっている。また調理法や味付けの工夫で肉を使っているかのようなおかずを作れるので、シンヤたちからも「ウマイ!毎日作って来てほしいくらいだ!」と言われるほど大いに喜ばれた。
また、シュウはその温和で優しい性格ですぐにレスラーたちにも受け入れられ、
「あんたの体格ならすぐスター選手になれるのに、マスコットとはもったいないなあ」
と惜しまれた。
「僕、身体弱いねん」
と、カンサイ風の冗談で皆を笑わせたシュウは、リュウが虎拳プロレスに馴染んでいる様子を見て内心ホッとしていた。
実は昨夜のリュウの寝言と涙を流していたことが気になって、弁当のお礼を口実に様子を見に来たのである。
(みんなとは上手くやってるみたいやな。よかった)
その後シュウは練習が終わるまでリュウを見守り、プロレスの動きもだいぶ身につけていることを確認した。
リュウがシャワーを浴び終わるのを待っていると、ジンマがやって来た。
「シュウさん今日はありがとうね!実はリュウさんが撮影の時にすごく不機嫌になってたので、どうしていいかわかんなくて困ってたんだよ」
(え?なんかあったんかいな)
「撮影慣れしてなかったのもあると思うんだけど…特に鏡を見た途端にもの凄い形相になって、怖いくらいだった。そのうちだんだん過呼吸になって出て行っちゃったんだ。そこにシュウさんが来てくれたんで、リュウさんの機嫌が直ったから本当に助かったよ。もしかしてリュウさんて、自分の顔嫌いなのかなあ?あんなに男前なのに」
「それは僕もわからへんけど…本人がそこまで嫌なんやったら撮影はせんほうがええかもしれへんね。あ、でもグッズ販売のために写真はいるんやなぁ」
「とりあえず今回はなんとかなったし、今後もスナップ写真とか試合中に撮るとか、リュウさんの気持ちに負担がかからないように工夫してみるよ。今日は無理させてごめんねって、悪いけどシュウさんから言っておいてもらえるかな」
「ええですよ。ジンマさんも気遣ぅてもろてすんません。ありがとうございます」
そこにリュウがやって来た。
「待たせたなシュウ!じゃ帰ろうぜ。ジンマ、お疲れさん!また明日な」
リュウの機嫌がいいのを見てホッとしたジンマが「お疲れ様!気を付けてね」と見送った。
神社に帰る途中で、運転しながらシュウがさりげなく言った。
「今日は慣れへん撮影でしんどかったやろ。大丈夫か?ジンマさんが無理させてごめん、って伝えてほしいて言うてはったで」
「…ああ」
リュウがしょげた顔になった。
「あん時ゃジンマに八つ当たりしちまった。悪いことしたな…明日ちゃんとジンマに謝らなきゃな」
シュウは思い切って聞いてみた。
「リュウは自分の顔、好きやないの?鏡見たり、写真撮られんの嫌なん?」
少し黙ってから、リュウはぼそっと言った。
「…俺の大嫌いなヤツにそっくりだから、見たくもねえんだ」
「え、その嫌いな人て…」
「──父親だ。俺の」
(ああ…そうやったんか)
「…そうなんか。リュウは、お父さんの顔見てるような気ぃするから、自分の顔が嫌なんやな」
「…気にしたってどうしようもねえのはわかってるけど、嫌なもんは嫌なんだ。吐き気がするくらいだ…」
「それはつらいわなぁ…」
「えっ」
「知り合いとかや無ぅて、血のつながった家族いうんは…嫌やて思う自分の方が悪い人間みたいに思えてきたりするからなあ。よけ苦しぃわな」
“親のことをそんな風に思ってはいけない”と言われるかと思ったのに、シュウからの共感の言葉にリュウは驚いた。
「リュウはしんどいやろけど、僕はリュウのお父さんのこと知らんから…」
こんなん言うて嫌やったらごめん、とシュウは言ってから続けた。
「その顔は、リュウの顔や」
(俺の…顔)
「僕はリュウのその顔、ごっつ“ええ顔”やなぁ、て思うで」
リュウはシュウの横顔を見つめたまま、息を呑んでいた。
(サツマの昔の言葉でいうと『よかにせ』だな!あんたは『よかにせ』だよ)
きばい屋のおやじさんが言ってくれた言葉も、ふたたび頭の中に響いていた。
「その茶色っぽい瞳ぇも、凛々しい眉も、通った鼻筋も、そんで」
リュウは(そんで?)と、つい次の言葉を待った。
「いつもよだれ垂らしてる口も」
「───!?…おい!こら!シュウ──!!」
「ごめんて先にちゃんと言うたやん」
笑いながらシュウは言った。
「せやけど、いっつも美味しい食べ物のこと考えてよだれ出てるやろ?」
「犬みたいで悪かったな!」
と言い返しながら、リュウも笑っていた。
「せやな。“食いしん坊なわんこ”みたいな男前の顔や」
「まだ言うか──!」
げらげら笑い合う二人を乗せて、車は神社へと帰って行った。
神社の駐車場に入ると、シュウが「うん?」と驚いた様子を見せた。
「どうかしたか?」
リュウも前方を見ると、車のライトに照らし出された男の姿があった。
「あれ、トウドウさんやない?」
それは確かに虎之助にケガを負わせ、馬刺しをひっくり返してリュウに怒鳴りつけられた男だった。
車から降りたリュウは「何か用か?」とトウドウに声を掛けたが、返事はなかった。
「もうジンマから聞いたか?馬刺しがはり付いた掛け軸の弁償はしなくて良くなったぞ。心配すんな」
なおも声を掛けたリュウだったが、トウドウは全然違うことを言ってきた。
「リュウと言ったな。お前、俺と闘え!」
「はあ?」
「今、ここで闘え!もちろんプロレスじゃねえ。ガチの勝負でだ!」
(第四十話へ続く)
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