巨人はリュウに向かって、右手を差し出してきた。
(?!)
てっきり首を絞めに来たのかと身構えたリュウだったが、その高さは胸の位置で距離も空けてあった。
(…まさか、握手ってことなのか?)
リュウもおそるおそる右手を出してみた。
すると巨人はしっかりとリュウの手を握り、上下に揺さぶった。
「痛ってえ!!」
思わずリュウは叫び声をあげた。
さっきの闘いで巨人に右手を挟まれた際、骨にヒビが入っていたのである。
リュウの反応に巨人はあわてて右手を離し、なんと頭を下げて謝って来た。
さらにリュウの背中に手を当て、奥の方へと誘った。
( ? ? ? )
戸惑いながらも従うと、階段を上がった畳敷きの座礼拝殿のところで座るように促され、巨人は
(ちょっとここで座って待ってて)
と身振りで示し、奥の出てきた部屋に戻って行った。
(…今のやつは、ほんとうにさっきまで闘ってたヤゴロウどんなのか?)
背の高さや体つきも同じではあるが、まったく殺気もないし、腰が低い上にやけに気さくであった。
(中身、誰かと入れ替わってんじゃねえか)
首をかしげるばかりだったがリュウはとりあえず、傷つき疲弊しきった身体を休ませようと横になった。
しかし次の瞬間、
「あっ!いけねえ!オオヒト!」
本殿の外に居残った少年のことを思い出し、飛び起きた。
ぶり返した背中の激痛に「痛ってえ!」とまたも叫びながら、外に戻ろうとした。
すると「オオヒトんこっならせわいらん」と声がした。
振り返ると、奥の部屋から出てくる老婆巫女の姿があった。
「おネエばあちゃん!」
「おネエちゃんち言っ!」
また叱られたが、それには構わずリュウは言った。
「せわいらん?なんだそりゃ?いや、オオヒトが危ねえんだよ!シンカイたちが逆恨みをしていやがって」
「あいらいっばかもんめ。オオヒトに無礼をしたとじゃ、わがでわがの首絞めた。いまどっは氏子どんらに袋叩っあっとじゃろ」
「ああもう!サツマの方言で言われてもわからねえ!オオヒトを助けに行くから、あの扉を開けてくれ、頼む!」
「まっこてめんどかわろじゃ」
老婆巫女はそう言うなり、人差し指をリュウの眉間に押し付けた。
爪先が額の傷に喰いこむ。
「痛え!」
「今から私が行くからオオヒトの事は心配しなくてよい。そこでヤゴロウどんだった人と茶でも飲んでいなさい」
いきなり老婆の言葉が変わった。
驚くリュウに構うことなく、老婆は外へと向かった。
「なんだ?おネエばあちゃん、共通語もしゃべれるのか?」
「おネエちゃんと言いなさいと何度言ったらわかるのですか!」
さらに𠮟りつけられた。
その時、背後から笑い声がした。
「おネさぁの神通力や。聞く人の心の中でサツマの方言が勝手に変換されて、わかりやすい言葉になるねん。同時通訳とか吹き替え映画みたいなやつやね」
(なるねん?また変な方言が聞こえてきたぞ)
後ろを振り返ると、浴衣に着替えた巨体の「ヤゴロウどんだった人」が片手に茶器を乗せた盆を、もう一方の手には足を折り畳んだ小さなちゃぶ台を下げ持って立っていた。
その顔に面はもうない。
「…え?あんたが、ヤゴロウどん…なのか?」
そこにいたのは草食動物のような穏やかな顔をした若者だった。
「せや。僕がヤゴロウどんの中のひとやねん」
(嘘だろ?あの鬼みたいな巨神の中身がこいつか?)
巨体に似合わぬ小顔のなかにある、大きな鷲鼻とつぶらな瞳が可愛らしさをも感じさせた。
(…この顔はキリン?いや、ラクダ…?ちょっと違うな…アルパカか?)
「名前はシュウヘイ言うねんけど、シュウでええで。さっきは試合でお世話になりました」
そう言ってぺこり、と頭を下げた。
「たしか、名前はリュウさんやったね。いやぁ、自分強いなあ。神様のヤゴロウどんもむっちゃ喜んどったで。凄い奴と闘えて楽しかったぁ~って言うてたわ」
「言うてた?じゃあ神様のヤゴロウどんと、生きてるヤゴロウどんとは別々なのか?」
「あ、わかりづらいわな。ごめんごめん。まぁお座り。お茶淹れたるわ」
シュウヘイ=シュウと名乗った若者は、リュウに座るように促してから畳の上に盆を置いた。
ちゃぶ台の足を伸ばして組み立てると、大きな急須から茶をこれまた大きな湯呑に注いでリュウの前に出してくれた。
その茶を口に含むと、その時はじめてリュウは体内の水分がカラカラに乾いていたことに気づいた。
湯呑の茶を一気に飲み干すと、若者はすぐにおかわりを注いでくれた。
その間に老婆巫女は神職たちと共に、手前の立礼式拝殿の方に移って行った。
若者が身に着けていたヤゴロウどんの着物と、黒い髪が生えたヒビの入った面も運ばれて行った。
(観衆にどう説明するんだ?)
とリュウは気になったが、
「神様ヤゴロウどんの魂はな、僕が付けてたあのお面にいつもは宿ってんねん」
と、話し出した目の前のシュウという若者に聞きたいことが山のようにあったので、まずそれを優先することにした。
「そのお面はご神体として、ヤゴロウどん神社の本殿の内陣ていう、一番奥まったとこに置かれて祀られてる。まぁ静かに寝てはるような感じやな」
「氏子のじいさんが言ってた『面はご神体』ってのはそういうことか」
「そやね。年に一度の祭りの時には、おネさぁが『御霊移し』いう儀式をして、でっかい人形のほうにその魂をまず移すねん」
リュウは夜明け前の「ヤゴロウどん起こしの儀」でオオヒトが言った言葉を思い出していた。
(もちろん魂が宿っていますよ)
(『御霊移しの儀』をされましたから)
「ほんで人形を起こして神様も眠りから起きはる。日中はお神楽やら奉納太鼓やら見聞きしたり、小学校で開かれる武道大会も見に行きはる」
「それが『浜下り』ってやつなんだな」
「せや。ヤゴロウどんは闘いの神様やから、子どもらが武道大会で頑張ってる姿見るのが、むっちゃ好きやし嬉しいねん。そんで夜になったらここに来て、大人の闘技戦も見て楽しむ、いうわけや」
「で、なんで人形だけじゃなく、生きてるヤゴロウどんが現れることになったんだ?あんた、シュウ…だっけ?も、どうしてヤゴロウどんになったんだ?」
「そのへんは僕も、ようわからんとこあんねんけど」
シュウも茶をごくんと飲みながら続けた。
若者の話す言葉は語尾の方言色が濃かったが、柔らかな口調のせいか何となく意味は伝わって来た。
「とにかく僕は2年前の春にこのサツマに来た。こっちに住んでた母方のおばあちゃんが亡くなったから、僕が喪主になってお葬式やらするために、西のミヤコからこっちに来ててん」
「西のミヤコ…あぁ、京の都のことか」
藩の名称が復活したが、過去千年の皇城の地であった京都は藩とは呼ばれず西のミヤコと称され、その後首都となった東京、すなわちエドも藩ではなく東のミヤコと呼ばれている。
「そやねん。僕生まれたんはここサツマやったけど、中学・高校はナニワで大学は西のミヤコや。せやからすっかりカンサイ弁やねん。よう『漫才師みたい』て言われるわ」
「こんなでっかい漫才師、居るのかよ」
「居るんちゃう?知らんけど」
シュウは「あははっ」と笑った。
「ほんでお葬式終わってお墓に納骨もして、ほなミヤコに帰ろか、て思たらな、なんでか知らんけどヤゴロウどん神社の森の中に入ってしもててん。そこでおネさぁに会ったんや」
一息ついてから、老婆巫女の声色を真似てシュウは言った。
「『神様ヤゴロウどんがしばしそなたの身体を借りて闘いに出たいと告げられた。頼みを聞いてはもらえまいか』って言われたんや。ほんで『ええですよ』って僕は言うた」
「しばし借りたい、って…結局は足掛け3年だろ?!とんだ長期借用契約じゃねえか」
「まあ別にミヤコに急いで帰る必要もなかったし。ええねん」
(さすがサツマ人だ。大らかさがたっぷりだな)
「ほんでそれからは、神社のでっかい森の一番奥にあるお堂で暮らすことになった。神職以外の一般の人は入って来れんように、僕が居るお堂の周りには結界が張られてたみたいやな」
「毎日何してたんだ?暇だろ」
「神社の森の中でキコリやってた」
「キコリ?樵か?お前、樵やってたのか?」
リュウは茶の入った湯呑を落としそうになった。
「そのでかい身体で、木に登って枝打ちができるのか?伐採も周りに被害が及ばないように、ちゃんと計算して倒したりできるのか?!何年前、いや、何歳の時から木の仕事してたんだ?」
リュウが前のめりになって問い詰めたが、シュウはやはりのどかに笑って答えた。
「そんな経験なんかあるわけないやん」
(経験なしでいきなりやらされたのか?!)
「なんかようわからへんけど神社の人がな、『大巨人は樵をするものだ』って言わはって。なんでも昔、外国に『あんどれ』いう、僕と同じくらい大きい人が居てはって、その人は樵からプロレスラーになったって言うてはった。せやから僕も樵やってから闘技戦に出るべきや、て」
「いや、それ理屈おかしいだろ!」
リュウは思わず叫んだ。
「いきなり樵やれって、なんでその『あんどれ』っていうデカい奴と同じことしなきゃいけねえんだよ。『あんどれ』とシュウには背が高くてガタイがでかいってこと以外、何の関係もないじゃねえか」
「ははは。そやなあ。関係あらへんな」
(笑ってる場合じゃねえだろ)
「でも樵したおかげで、身体に筋肉むっちゃ付いたで。春からはじめて秋の闘技戦の時にはむちゃごつぅなって、見栄え良うなったさかいよかったわ。実際に斧振り回すんは神様やから僕は楽やったし。キコリで勝手に筋トレや」
「…お前、すべてを受け入れる度量の大きい奴だな。俺なら即逃げだしてるぞ」
はははっ、とまたシュウは笑った。
「あ、話戻そか。ほんで闘技戦の時に自分も見たやろけど」
「カンサイじゃ相手のことを自分、て言うのか?俺のこともリュウでいいぞ」
「ほな、リュウも見たやろけど、おネさぁが人形からお面に神様の魂を戻す儀式をする」
老婆巫女が正装を着て花道を歩き、巨大な人形の前で祈っていた姿をリュウは思い出していた。
「僕はその日は人に見られんようにここ、仮社の本殿に入って、ご神体のお面付けて着物と高下駄も身に着けて待っとるわけや。魂が飛んで来てお面に入ったら、あとはヤゴロウどんが好きなように闘うから、僕は何もせえへん」
「え?じゃあ、闘ってる時はシュウは眠ってるってことか?」
「いや、寝てへんよ。なんて言うたらええかな…うーん、戦闘用の大きいロボットの操縦席に居てる、みたいな感じかな」
(また変わった例えをするなあ)
リュウは感心に近い気持ちで聞いていた。
「操縦席言うても神様の自動操縦で勝手に動くし。今身体が何をしてるかとか、どこが壊れたかとかはわかるけど、対応するんはあくまでも神様やから、僕はただ操縦席の窓から見てるだけ、みたいな」
「じゃあ俺が手足の骨折ったり、頭突きしたりしても痛くはなかったのか?」
「うん、全然痛ない。故障してるな~とは思たけどな。もしかしたらその時は、神様自身が痛みも含めて受けてくれてたんちゃうかな」
「あ!そういえば、手足!」
リュウは身を乗り出して、シュウの手足や顔を見つめた。
「きれいに治ってるじゃないか!俺の頭突きで首まで血だらけになってたのに、額に傷もない!これはどういうことなんだ?」
「ああ、みーんなおネさぁが手当てして、治してくれてん」
「おネエばあちゃんが!?」
「うん。試合終わってここに戻って来てから、一番ひどかった左ひざから順に治してもろた。次に右足の親指、左手の指4本、そんで最後に首から上治そうとしてくれた時に自分、いや、リュウが
『おい!ヤゴロウどん!』
て呼んだやん。せやからおネさぁにちょっと待ってもろて『何や?』ってそっちに行ったんや」
オオヒトの「手当て」が心身を癒すのは身をもって知ったが、老婆巫女の力はなんとも桁外れであった。
(あっという間に、跡形もなく治せるのかよ。やっぱりおネエばあちゃんの不気味な力はすげえな…)
ふと、リュウは自分の額を触ってみた。
「あっ!」
血が流れた跡は残っているものの、パックリ割れていたはずの傷の感触は消えていた。
オオヒトの手当てで止血はされていたが、傷口はそのままだったはずなのに。
(さっき、サツマの言葉が変換出来るようにするため眉間に触れた時に、傷まで一瞬で治しちまったってことか)
生きているヤゴロウどんより何より、
───老婆巫女こそが現人神なのではないか──
そうリュウは思った。
(第二十話へ続く)
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