新道場兼常設会場での初大会が迫って来た。
今日はメインの対戦カードであるリュウとトウドウのブックについての打ち合わせが、道場の奥にある控室兼会議室で行われていた。
とは言っても、闘う当事者であるリュウとトウドウが「俺たちの好きなようにやらせてくれ」と言いはるのでジンマは頭を抱えている。
「ジンマ、そう心配すんなって。この間も半分以上俺たちで勝手にやっちまったけどお客さん喜んでたし。大したケガもしなかったから大丈夫だって」
「それは結果的にはそうだったけど…でもトウドウは顔面パンチも出したし、チョークだってやってたじゃないか」
「あらかじめ試合の進行上約束された行為以上の傷害行為に及ばぬこと、という契約に違反するな」
顧問弁護士のレンがこう言ったが、トウドウは動じずに言い返した。
「あれぐらい、リュウにはどうってことないさ」
「そうそう!俺だってやり返してるからおあいこだ。なあ頼むよ。俺もプロレス技を結構覚えたし、サナダ師範に関節技も教えてもらった。前の試合よりプロレスっぽい雰囲気出せるよう頑張るからトウドウと俺に任せてくれないか」
「なに?サナダがリュウに関節技を教えたのか」
リュウの言葉にジンマよりも先に、トウドウが驚きながら反応した。
「ああ。師範がトウドウのことを『もともとグラウンドレスリングがうまいから、次の試合ではそっちでお前を攻めて来るつもりじゃねえか』って言ってたから、俺も勉強させてもらった」
「勉強だと?」
目を見張るトウドウにリュウはうなずいて言った。
「そうだ。師範から相手の得意技を踏まえて相手を立てる流れをちゃんと考えろ、って言われたんでトウドウの攻めにちゃんと対応できるようにしようと思ったんだ」
「……」
黙り込んだトウドウに、リュウはちょっと心配そうな顔になって言った。
「俺はまだまだへたくそだから、上手くお前を光らせられるか自信ねえけど、できるだけやってみるからそこは我慢してくれねえか」
リュウの顔をまじまじと見、ため息をついてからトウドウはこう言った。
「…お前は得な人間だな」
「へ?」
「何でもない。じゃあ遠慮なくやらせてもらう。手足の1~2本壊すかもしれんから覚悟しとけ」
「おう!俺も負けずにやり返すからよろしくな!」
「二人とも何言ってんの!!ケガはダメ!絶対!!」
ジンマの絶叫が響いたが、リュウはぺろっと舌を出し、トウドウも苦笑いをした。レンもクククッと噴き出し笑いをし、シュウもにこにこしていた。
「トウドウ、せっかくここに来たんだからリングで実際に手合わせしてみないか」
リュウがわくわくした顔で立ち上がりトウドウを誘った時、「リュウさん!」と女の声がかかった。
声がした入口を見ると、開いたドアのところに上質なスーツを着たロングヘアーの美女が立っていた。
(誰だ?)
きょとんとするリュウに美女は近づいて来て、
「どうして昨夜は来て下さらなかったの?黒毛和牛のお料理も準備してお待ちしてたのに」
と、軽く唇を噛んで上目遣いのまなざしでリュウをちょっと睨んだ。
「…え?料理?何のことだ?ってか、あんた誰だ?」
「まぁ?!私のこと覚えていないの?コトカです」
「コトカ…?」
「もう!『オーナーさん』よ」
「え?オーナーさん?!す、すまねえ!着物じゃねえし髪型も違うからわからなかった!」
「失礼ね。顔は同じでしょ」
「え?だって顔も違うじゃねえか。この間はもっと目のあたりが濃かったし、口も真っ赤で…」
(リュウ!ストップ!女性に化粧濃いとか顔が違うとか言うたらあかんて!)
シュウがチビヤゴくんの心話機能でリュウの暴走を止めた。
(あ?俺また、まずいこと言っちまった?)
「シスイオーナー!これは失礼しました!わざわざのお越しとは、スポンサー契約内容に何か問題がありましたか?」
ジンマがあわてて二人の間に割って入った。実はジンマも洋風スタイルのコトカに気づかず、反応が遅れてしまったのだ。
「ジンマ代表、昨夜の契約締結についてのクレームで参ったわけではございませんから安心なさって下さい。リュウさんがお見えにならなかったのでお出しする予定だった分のお肉を使ってお弁当を作り、差し入れに持って参りました。たくさんありますから皆様で召し上がって下さいな」
「こ、これは申し訳ありません!昨夜もお話ししましたように、リュウ選手はメディアの取材が押しておりましたので…」
「ええ。そのWEBマガジンの記事も早速拝見いたしました」
リュウに向き直ってコトカは言った。
「その記事によりますと『結婚は早くしたい。好みのタイプは年上でしっかりしていて、美味しいものを食べさせてくれる女性』なんですってね。リュウさん」
(昨日受けたインタビューって、もう内容知れ渡ってんのか?いや、それより俺そんなこと言ったっけ???)
「レンさんのご尽力で、私は晴れて独身となりました。もう何の障害もありませんから、間夫ではなく私の夫になって下さらない?」
「はあああ?!」
コトカの言葉にリュウだけでなく、レンを除く全員が思わず声を上げてしまった。そのレンはさっきから笑いをこらえきれず、こっそり後ろを向いて肩を震わせている。
「な…っ!なんでいきなりそうなるんだ?!」
慌てふためくリュウにコトカはにっこり笑って答えた。
「だって私は年上でしっかり者。馬刺しだけじゃなくいろんな美味しいものを好きなだけ食べさせてあげられますから、貴方にピッタリでしょ?」
「いや、その、俺は…そう!今からトウドウとリングの上で試合の練習しなきゃいけねえんだ!おいトウドウ!行くぜ!」
「あ?あ、ああ」
「じゃあオーナーさん、そういうことなんですまねえ!トウドウ、早く来い!」
リュウは猛ダッシュで控室を飛び出して道場のリングへ向かった。その後を困惑した顔でトウドウが追いかけて行った。
さらにその後を「もう!」と怒りながらコトカも追って行った。
逃げ込むようにリングに上がった直後のリュウは、リングサイドに陣取ったコトカの視線が気になって動きがぎこちなかったが、トウドウと手四つに組むと即、いつものカンを取り戻した。後はコトカの存在など全く忘れ去ってトウドウとのスパーリングに没頭していた。
コトカはリュウの闘う姿を見たのが初めてだったので、その精悍さに瞬く間に怒りを忘れ見惚れてしまった。
また、そんなコトカにユージ、ケイイチ、シンヤの三人は呆けたような顔でこれまた見惚れていたが、思うことはそれぞれ違っていたようだ。
(この美人、いったいリュウの何なんだ?ここまで入って来るなんてストーカーなのか?)
(もしかしてサツマから追いかけて来た女房か?)
(いい女だなぁ…どこのソープに勤めてるんだろ)
リュウとトウドウのスパーリングは何の下打ち合わせもなく始まったが、プロレス技の応酬から打撃技、さらに関節技。そしてまたプロレス技へと自然な流れで見ごたえのある内容になっていた。
また、リュウの空中殺法をトウドウが腕を取って見事に切り返し、そこからさらにリュウが逆に関節を決めるなど、一瞬も目を離せない展開にコトカもシンヤたちも夢中になって時を忘れていた。
約一時間が過ぎた頃、ようやくトウドウが「おいリュウ、そろそろ腹減って来たんじゃないか」と荒い息で言うと「あ!確かに!道理でひざ蹴りの足が上がりにくいと思ったぜ」とリュウも腹を抱えてマットにへたりこんだ。
それを合図のように「ではお弁当を持って来させますね」とコトカが言い、通話機能付きの腕時計で車で待機していた店のスタッフを呼んだ。
(げ。まだオーナーさん居たのか…すっかり忘れてた)
困惑するリュウだったが、配られた黒毛和牛のタタキ弁当を開けると、
「うぉっつ!こいつは美味そうだ!!早速頂きまぁす!!」
と叫んで大喜びで食べ出し、
「うめえ!タタキそのものも美味いが、このタレも最高だな!」
と目を輝かせた笑顔をコトカに向けた。
コトカも満面の笑顔でうなずき、リュウにお茶を用意してから向かいに座り、自分も弁当を食べ始めた。
その間、シンヤたちはジンマから「あの女性はスポンサーでリュウさんのことを気に入ってくれているから邪魔しないように」と釘を刺されたので、トウドウも一緒に弁当を持って食堂に移動し、道場にはリュウとコトカの二人だけが残る形になった。
あっという間に二人前の弁当を平らげたリュウを見て、コトカが迷いながら自分の弁当を差し出し、
「よかったら…これも召し上がる?食べかけで申し訳ないのですけど」
と言うと、リュウが笑顔で大きくうなずいた。
「ありがてえ!頂きまぁす!」
何のためらいもなく、コトカの食べかけの弁当を受け取って嬉しそうに食べ出した。
その姿にコトカは胸がきゅっと締め付けられるような気持になり、頬を赤らめた。
(食いしん坊で無邪気なだけってわかってはいるんだけど…嬉しい)
三個目の弁当も平らげたリュウは「あーウマかった!!ごっそうさんでした!」と手を合わせてコトカに頭を下げた。
「昨日、俺も料亭に呼ばれてたのか。行けなくて悪かったな。それにわざわざ弁当まで持って来てもらってすまねえ」
「お仕事で忙しかったのですから謝る必要はありませんわ。私こそ押しかけてきてごめんなさい。せっかくのお料理だったからやっぱり食べて欲しくて」
「本当にすっげえウマかった!料理人さんたちにもお礼を言っといてくれ」
「もちろん!大喜びで3人前を平らげて下さったって伝えます」
嬉しそうな笑顔で応えるコトカに、リュウは真面目な顔をして切り出した。
「…オーナーさん。悪いんだが、さっきの…俺が早く結婚したいと思ってるとか年上が好みって話な、ありゃあカン違いなんだ」
「えっ?どういうこと?」
「インタビューで好きな女性のタイプとか色々聞かれて…どう答えていいのかわからなかったから『他の人はどう答えてるんだ』って聞いたら、その答えをそのまま俺にも当てはめられちまったらしい」
「じゃあ年上もしっかり者も、美味しいものを食べさせてくれる女も好きじゃないってこと?」
「いや、だから!好きとか嫌いとかってこと自体、俺まだよくわからねえんだって!」
リュウは複雑な家庭事情や悲惨な成育環境は伏せながら、異性との関りがほとんどなかったから恋愛に疎いということをコトカに話した。
「そうなのね…」
(お子様どころか、乳幼児みたいな男ってことね…)
「だからな、その手のこと俺に言われてもわかんねえし困るんだよ。いや、もちろん虎拳プロレスのスポンサーになってもらってありがたいと思ってるし、今日もすっげえウマい弁当食わせてもらってすごく嬉しかった。でもな、その…そういう…か…関係ってのは…ちょっと俺には無…」
「はい、そこまで!」
「…むぐぅ」
リュウの口がコトカの手でふさがれた。
「女に恥かかせないで。それ以上言わなくてもいいわ。でもひとつだけ教えて。店で会った時の着物姿と、今日の姿とならどっちの私がいいと思う?」
「どっちがいいか?…俺は、今日の方がいいと思う」
「それはなぜ?」
「よくわからねえけど、うーん…顔が濃くないから、かな?」
「その言い方は違うわよ。顔じゃなくてお化粧が濃いってことでしょ」
「あ、そうなのか」
「あのね。和装の場合は着物に負けないように、はっきりしたお化粧をするほうがバランスがいいの。目尻もアイラインで強調させたり、口紅もしっかり塗るものなのよ」
「へえ。そういう決まりなのか」
「決まりっていうのもちょっと違うけど。まぁとにかくリュウさんはナチュラルメイクの方が好みってことね。覚えておくわ」
「なつらるめ…?」
首をかしげるリュウにコトカはくすっと笑って言った。
「私のこと、なんでもはっきり言ってグイグイ来る変な女だと思ってるでしょ」
「ああ。思った」
「貴方もはっきり言うわね」
コトカは呆れながらも笑った。
「もうね、我慢して大人しくしてるのが嫌になったのよ。一人娘に家業の料亭継がせるために20も年上の男を婿にして結婚させられて。夫には私なんてお飾りの人形みたいなものだった。挙句に10代の風俗嬢を愛人にして貢ぐなんて情けないことされて!」
(え?家業を継ぐための結婚?!)
「両親も亡くなったからもう関係無いわ。婿なんて追い出して私が自分でこの店しっかり支えていけばいいんだから。これからは嫌なものは嫌、好きなものは好きってはっきり言って生きることに決めたの!」
(第五十八話へ続く)
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