「だから!あいつらが悪いんだって!マリエの仕事の邪魔をしやがるから…営業妨害だろ!」
リュウは虎拳プロの事務所で憤慨していた。
「リュウ、それを言うなら正しくは業務妨害だ。尚、威力や偽計を用いたわけではないため業務妨害には当たらないし、状況を見る限り軽犯罪にも該当しないだろう。むしろリュウがやったことのほうが恫喝や強要に近いな」
弁護士のレンが冷静に指摘するものの、リュウは納得しない。
二人の間に挟まれているジンマは頭を抱えていた。
なぜリュウが怒っているかと言えば、道場見学に来ていた男性ファンがマリエをナンパしようとしたからである。
正月二日、新年初の試合を明日に控えてリュウたちレスラーは合同練習を開始した。
虎拳では一定のルールのもとでファンが練習を見学するのを許可しているので、十数人のファンが立見席として使われる二階のバルコニー部分からリング上の練習を見ていた。
しかし男性ファンの一部がマリエに、
「君、新しい売り子さん?可愛いなあ。名前なんて言うの?」
「昼の休憩何時から?一緒に昼ご飯食べに行かない?」
と迫っているのをリュウがリング上から目ざとく見つけ、もの凄い速さでグッズ売り場に駆け付けた。
「おい!」
リュウは男性ファンに後ろから声を掛けた──というよりもその声は威喝に近かった。
「わっ?!リ、リュウ…選手!」
「仕事の邪魔すんじゃねえ。この娘の仕事はグッズやチケットを売ることなんだ。あんたらは何を買いに来たんだ?」
「そ、そりゃもちろんリュウ選手のグッズを…あ、このTシャツです!これ下さい!」
「俺のTシャツよりあんたにはシンヤのTシャツの方が似合う。こっちにしとけ」
「えっ?」
リュウはシンヤの大きな顔と身体が目いっぱいプリントされているTシャツを押し付けた。しかもファンの男は細身なのにXLサイズを、である。
「そっちのあんたにはケイイチのTシャツがいいな。顔がケイイチに似てるし」
「いや…あの、俺はサナダ選手のファンなんですけど…」
「師範のTシャツは作ってないからケイイチで我慢しろ」
欲しくも無いTシャツを押し付けられて困っているファンたち。それに気づいたジンマが慌てて駆け付けてきた。
「お客様、申し訳ありません!」
と頭を下げてTシャツを回収した。マリエに客のフォローを頼み、レンと二人がかりで嫌がるリュウを事務所に引っ張って来たのだった。
「リュウさん、押し売りしちゃダメだよ!しかもお客さんはリュウさんのTシャツを欲しいって言ったのに、なんでシンヤのTシャツを勧めるの?」
「シンヤとケイイチが自分たちのTシャツ、売れ行きが悪いって言ってたから…」
「それはリュウさんが心配しなくていいから!とにかくマリエさんの仕事はマリエさんに任せてあげてよ。彼女は客あしらいも上手いから、きっとナンパを上手くかわしながらちゃんと対応できるよ」
(マリエが男に襲われて殺されかけたこと、ジンマは知らねえからそんなことが言えるんだよ!)
シュウの配慮で、ジンマにはマリエが事故にあったとしか告げていない。
(ジンマもいきなり誰かに殴られて首絞められてみろ!そうすりゃマリエの気持ちが少しはわかるだろ!)
リュウは怒り顔で黙り込んだ。
ジンマも困ってそれ以上何も言えなくなった。
レンは面白そうな表情を浮かべながら、リュウの顔を観察している。
そこへシュウが戻って来た。
「遅なってすんません!ヒゴくまねっとさんとの打ち合わせ終わりました。──どないか、しはったんですか?」
不穏なリュウとジンマの様子に戸惑うシュウ。するとレンが唇の端に笑みを浮かべて言った。
「シュウさん、マリエさんと君の業務契約内容の変更を提案したいんだが、聞いてもらえるかな」
「はい、何でしょう」
「リュウが、マリエさんに男性客の対応をさせたくないらしい」
「え?」
「そこで提案だが、シュウさんは今後マネージャー業務を調整の上、マリエさんがひとりになる時は隣で物販を担当してもらえないだろうか」
驚いたシュウは心話で即リュウに尋ねた。
(リュウ、マリエさんに何かあったん?)
(マリエに客の男たちが言い寄って来やがって。一緒にメシ食いに行こうって…俺が追っ払ったけどジンマに怒られちまった)
(…ああ、なるほどな)
(男に迫ってこられたら怖かったこと思い出すだろ。だから…)
シュウとリュウの表情を見ながら、レンは提案を続けた。
「託麻大学のプロレス研究会から2名入門したことだし、リュウの付き人をやってもらうといい。そしてマリエさんは子供たちとのふれあいコーナーにもシュウさんと一緒に出てもらって、基本二人一組で動いてもらえばリュウも安心だろう。どうかな」
(リュウ、どない思う?)
(シュウがマリエと一緒に居てくれるなら安心だ!ヒゼンの試合もコスチューム準備全部自分でやったし俺の方は何とかなる。マリエを頼むよ!)
「リュウの試合の時には試合を終えた選手たちが物販に入れるし、マリエさんには本部席でタイムキーパーをしてもらえば、隣に虎之助選手やサブレフェリーのユキナガ氏も居るから何かあれば守ってもらえる。どうかな」
「わかりました。ほな、マリエさんさえ良かったらそないさせてもらいます」
「ありがとうシュウさん!じゃあ早速明日からふれあいコーナーは“大きなシュウヘイおにいちゃんと小さなマリエおねえちゃん”が子供たちと遊ぶコーナーにする!あと、男性客がナンパを仕掛けて来ないよう、マリエさんの彼氏はシュウさんだと思われるような仲睦まじさを出してくれ。頼んだよ!」
「ええっ!?」
ジンマの言葉にリュウとシュウは同時に声を挙げた。
「いや、ちょっとそれは…」
慌てるシュウにジンマは、
「マリエさんに男が寄って来るたびにリュウさんが飛んで来たんじゃ、リュウさんの女性ファンから反感買うだろ。マリエさんには俺からお願いしとくから!」
そう言って事務所を出て行った。マリエに説明しに行くのだろう。
(リュウ、なんかややこしぃことになってもた…どないしょ?)
(う…たしかにシュウがマリエの…か、彼氏…ってことにしときゃ、男も寄って来ねえだろけど…)
「リュウ、不本意とは思うが…ジンマ氏はかなり譲歩してくれているんだ。彼はマリエさんの接客応対力や事務処理能力の高さを評価しているのだから、彼女がここで働き続けられるようにリュウも考えて行動したほうがいい」
「……」
レンの言葉に頭では納得しながらも、やはり気持ちが受け入れられないリュウはぶすっとしている。
レンがニヤッと笑って、
「じゃあシュウさんとじゃなく、マリエさんはシンヤ選手と恋人同士ってことにしてもらうかい?」
こう言うや、リュウが目をむいて叫んだ。
「ソープ狂いのシンヤと、だと?冗談でも絶対にイヤだ───っ!!!」
かくして、設定を渋々了承したリュウがシュウと道場に戻ると、マリエが駆け寄って来た。
「リュウ、さっきはありがとう。私を心配してお客様との間に入ってくれて…ジンマさんに注意されたんでしょう?ごめんなさい」
「いや、俺が悪いんだ。やり方がまずかった…これからはシュウがマリエの傍に居てくれることになったから、か…彼氏…だと思って、何かあったらシュウに守ってもらってくれ」
苦虫を噛みつぶしたような顔で言うリュウに、シュウが即フォローを入れた。
「僕はでかいだけでリュウみたいに強ないから、せいぜい妖怪のぬりかべみたいに前に立ちふさがるくらいやけどな」
「ぬ、ぬりかべ?あははは!」
マリエが爆笑した。
「シュウさんの顔したぬりかべ!あははは!全然…怖くない!むしろ可愛いかもです…」
(可愛いなあ…)
お腹を抱えて笑い続けるマリエの顔を見て、リュウは途端に機嫌を直した。
「あはは…おかしい…あ、これからはシュウさんのこと、シュウヘイお兄さんって呼ぶようにとジンマさんから言われました。シュウ兄さん、でもいいですか?本当のお兄さんみたいに思ってるので」
(お兄さんみたいに…じゃマリエはシュウのこと、彼氏とは思わねえんだな。よかった!シュウも大学時代の彼女を忘れられないって言ってたしな)
リュウは内心ホッとしていた。
「もちろんや。ほな僕もマリエちゃんて呼ぼか。もうすぐ25になる僕が18のマリエさんのこと『マリエお姉さん』て言うのも変やしな」
「はい。シュウ兄さん、よろしくお願いします」
上機嫌のリュウも流れに乗っかった。
「じゃあ俺もこれからシュウのこと『兄ちゃん』て呼ぼうかな?」
シュウが笑って「よしよし」とリュウの頭をなでながら言った。
「ほな三兄妹になるな。しっかり者の妹と、むっちゃ手ぇのかかる甘えん坊の弟や」
「誰が甘えん坊だ!」
「だってリュウは甘い物大好きでしょ?」
「そっちの『甘』かよ!」
マリエからの突っ込みと笑顔が嬉しくて、リュウは大笑いした。
午後になると、新しくスポンサーとなった火の国スリーエスのクレマツ社長が、明日の勝利者賞となる腕時計型デバイス・アルティメットの説明にやって来た。
「へえ、すごく軽いんだな。いろんな機能が詰まってるとは思えねえ」
「ええ。着けているのを忘れるほど軽くすることで、肌身離さず常時使用できるようにしています。充電も充電器にタッチするだけですが、スタンガン機能を使った場合は電力の消費が激しくなるので注意が必要です」
「まぁ俺は自分の身は自分で守れるから、そいつを使うことは…あ!」
「リュウ選手、どうしました?」
「なあ、クレマツさん!これもうひとつくれ…いや、もう一つ別に買わせてくれねえか?護身用に持たせたい娘がいるんだよ!」
「護身用ですか?」
マリエのことだと察したシュウが、横からフォローを入れた。
「新しく入った女性スタッフなんですが、ちょっと危ない目に合いかけたことがあるんで…」
クレマツ社長は即座に応えた。
「では、女性用のアルテミスというものがありますので、こちらのほうがよろしいでしょう。特に護身用の機能を充実させていますから」
「おっ!女性用もあるのか。じゃあそれ買わせてくれ。いくらだ?」
「30万円になります」
「さ、さんじゅうまん…?!」
(そんなにするのか?くそ、大晦日の優勝賞金テッペイ達にやるんじゃなかった…!)
青ざめたリュウの顔を見て、クレマツ社長は笑顔でこう言った。
「もしよろしければ、その女性に1年間モニターになって頂ければ、無償でお渡ししますよ。好きなように使って頂いて、1年経てばそのまま差し上げますのでいかがでしょうか?」
(もにたあ?なんだそれ?)
シュウが心話で答える。
(製品を使ってもろて、その感想や何の機能をよく使ったかとかの結果を伝えてもらうことで、今後の商品を作る際の参考にするんや。そのお礼にお金や商品をもらったりできる人のことや)
「え!それでこれの女性用のヤツをもらえるのか?ありがてえ!クレマツさん、早速マリエを呼んでくるから待っててくれ!」
リュウは大喜びで席を立ち、マリエのもとへ向かった。シュウが「えらいすんません…」とリュウの非礼を詫びたが、クレマツ社長は楽しそうに笑い、こう言った。
「いやぁ、初めてお話しした時や契約の時はかしこまっておられましたが、私はリュウ選手のあの少年のようなところが特に好ましくてファンになったんですよ。リュウ選手からこういう申し出を頂いて嬉しいですし、今後も私にできることがあればぜひ協力させて欲しい。どうぞよろしくお願いします」
「…そうおっしゃって頂き、本当にありがたいです。こちらこそよろしゅうお願いします」
リュウは道場内のグッズ売り場にまたもやって来て、シンヤたちの世話をしていた新人2人を呼びつけるや、
「ここでしばらく店番しといてくれ。マリエ!いいもんもらえるから俺と一緒に来てくれ!」
と、大はしゃぎでマリエを連れて事務所の方へ戻って行った。
その様子を見ていたシンヤが呆れたように言った。
「ほんとにベタ惚れなんだなあ…あんりちゃんやナツキ、熟女美人のオーナーさんにだってあんな顔見せなかったのに」
「リュウは背が低いから、小柄な子が好みだったんだろ」
「なるほど。ケイイチも背が低めだからリュウの気持ちがよくわかるんだな」
「シンヤだって『自分より太い女は嫌だ』って言うくせに」
「俺が重視するのは、細いか太いかよりも胸と尻の大きさだ」
二人の掛け合いをよそに、ユージがぼそりとつぶやいた。
「色白でちっちゃくて、なんかウサギみたいで可愛いな。特にあのパッチリした目がいいよなぁ…」
「お?ユージもマリエさんに惚れてんのか?」
「いやいやいや!そんなことない!おい、俺がマリエさんに惚れてるなんて冗談でも絶対言うなよ。リュウが聞いたら今度こそ俺、蹴り殺されるだろ!」
「大晦日の惨劇ふたたびか。リュウを敵に回すとマジ命がねえもんな!」
3人で笑い合っていると、サナダがやってきた。
「あ、サナダせんぱ…サナダ師範!あけましておめでとうございます!」
「おめでとうございます!」
「今年もよろしくお願いします!」
「おう、えらく楽しそうだな。練習そっちのけで何話してんだ?」
「いやぁ…大晦日の試合、リュウの蹴りが怖すぎたって話っすよ」
「リュウか。さっき事務所の前でデレデレした顔でオンナを紹介してきやがった。ここで働くんだってな」
「マリエさんにも会ったんすね。可愛いでしょ」
「可愛いか…たしかにな。だが、ありゃかなりの手練れだぞ」
「え?」
「てだれ?」
「…どういう意味っすか?」
3人の問いには答えず、サナダはマットの上でストレッチを始めた。
(あの娘にかかりゃ初心な童貞男のリュウなんざイチコロだろ。まぁ、若いうちは女に溺れて痛い目見るのも芸の肥やしだ)
(第七十七話へ続く)
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