髪が伸びる人形の恐怖に完敗した翌日、リュウは病院に居た。
怖さのあまり体調を崩して入院した…というわけではなく、朝から神社にやって来たジンマの頼みで団体メイン選手である「虎之助」に会いに来たのである。
大部屋の一番奥、窓際のベッドで半身を起こしていた男は、とても爽やかな顔立ちの男であった。
「どうも初めまして。僕が『虎之助』こと、カトウ・ヤスヒロです。わざわざ来ていただいて申し訳ない」
「俺はリュウ、飛成竜だ。ケガの具合はどうなんだ?」
「はい。ひざの手術そのものは終わってるんで、後2週間ほどで退院はできると思うんですが、まずリハビリから始めないと。実際にリングに復帰できるのは半年は先でしょうね」
「半年!…それは大変だな」
「そうなんだよ!」
リュウの言葉を待っていたかのようにジンマは言った。
「だからその間、リュウさんにうちの団体のメインを張ってもらおうと…」
♪チャーラーラー♪チャーラーラーラー♪
またもや携帯から変なメロディーが流れた。
100年前ならいざ知らず、今の時代は「着メロ」など使う者はほぼ居ないのだが。
(今度はジンマか?何で変な曲ばっかり鳴らすんだ)
呆れるリュウと大部屋の患者たちの冷たい視線から逃れるように、ジンマはあわてて足早に出て行った。
廊下から「あ!すみません!祭りの例の件ですよね…」という声が聞こえたが、徐々に遠ざかっていった。
虎之助はため息をついて言った。
「ジンマはね、忙しすぎるんですよ」
「え?」
「あいつはうちの団体の営業、広告宣伝、経理、レフェリー、リングアナにマッチメークまで全部やってくれてるんです」
「なに?ひとりでそんなに仕事を抱えてるのか?それはいくらなんでも多すぎだろう」
「今の電話も、今月末にある大きな祭りのイベントプロレスの打ち合わせでしょう。僕がケガをしてしまったからメイン試合をどうするのか、そのカードによってはうちの団体じゃなくて他のところに回すって話で詰められてるんだと思います」
「他のところ…ヒゴにはいろんなプロレス団体があるのか?」
「ええ。うちの『虎拳プロレスリング』はまだまだ新参者です。ヒゴは昔からプロレス愛好者が多くて、昭和の時代のヒーローである『りきどーざん』を中心にした記念館もあるんですよ」
(りきどーざん…たしかきばい屋のおやじさんが、小さい頃に映像を観てたってレスラーのことだな)
「だから小規模のプロレス団体も複数あって、祭りのイベントプロレス枠は奪い合いですよ。今回はジンマが何年もかけて交渉して、やっとうちがやれることになったんですが…僕が不甲斐ないせいであいつには苦労かけています」
「でも、あんたのケガはあのひげ男…えっと名前、何だっけ?」
「トウドウですね」
「それそれ。そのトウドウがやらかした、いわば失敗のせいなんだろ?」
「いや、僕がもっとあいつを盛り上げながら、いいタイミングで技をはずすべきだったのに、変に我慢しちゃったんですよ。だからあいつも、もっと攻めていいんだってついやりすぎちゃって…僕の責任です」
「そうなのか…なんか、やっぱりプロレスって難しそうだな。筋書きとか、相手を盛り上げながら技をはずすとか…。俺、正直言って自分がやれる自信ねえんだよ」
「大丈夫ですよ。リュウさんが試合に出てくれる時は、必ずジンマがレフェリーをやるはずですから、試合中もこっそり指示を出してくれます」
「いや、それが難しいって!闘ってる最中にいちいち指示されてその通りに動けるはずねえだろ?俺も失敗して相手にケガさせてしまうかもしれねえ…」
虎之助はくすっと笑った。
「リュウさん、ありがとうございます。試合に出ることを前向きに考えて下さってるんですね」
「……あ」
「ジンマの様子で交渉が難航してると思ってたんですが、よかった」
「いやぁ、まだちょっと迷ってるから、ジンマと腹割って話しないとなって思ったところに、ちょうどあいつが来たんで、今ここにいるってわけだ。じゃあ、虎之助…さん、あんたに先に話聞かせてもらっていいか?」
「虎之助でいいですよ。僕もリュウって呼ばせてもらいます」
「おう。じゃあ虎之助、教えてくれ。そもそもあんたたちがプロレス団体を作ったのはなぜなんだ?」
「そりゃもちろん、プロレスが好きだからですよ」
虎之助は笑って答えた。
「まあ、ここに至るまでの話をしますとね。僕とジンマは同じ大学の同期で、プロレス好きが集まるプロレス研究会に入ってたんですよ。あいつも当時は学生プロレスラーで、リングネームは『ケロ太郎』でした。ちなみに僕は『蚊トンボ太郎』だったんですよ」
「なんだ?その全然強そうじゃない名前は」
「変でしょ?これはね、学生プロレス界のいわば伝統なんです。うちの大学では新入生は必ず『太郎』と付く変な名前を先輩から名付けられる。自分で決められないんです。でも僕らはまだマシですよ」
ここで虎之助はリュウを手招きし、耳元に小声で囁いた。
(ほとんどの場合、下ネタ系の名前を付けられるんです)
(下ネタ系?)
(ええ。とてもここでは言えないような…〇〇〇や〇〇〇〇、〇〇とかね)
目が点になったリュウの顔にうなずいてから、虎之助は元の声の大きさに戻した。
「学年が上がったら名前変えてもいいんですけど、強い先輩とスパーリングして勝てないと、なかなか変えさせてもらえないんですよ」
「とんでもねえ伝統だな─!」
(もしも俺がその研究会に入ってたら『ちんこ団子リュウ』とか言われるのか…)
「僕は入学当初はすごく痩せてたんで蚊トンボ、ジンマは顔立ちがカエルに似てるからケロって名前を付けられました。僕は嫌でしたが格闘技の古典漫画で『蚊トンボを獅子に変化(かえ)る』って名言があったんで、それを自分の励みにしました。強くなって獅子に化けるぞって。だから次のリングネームは獅子之助にしたんですよ」
「今は虎之助って名前だが、これは自分で決めたのか?」
「いえ、これは自分たちで団体を立ち上げる時に、ヒゴで誰もが認めてくれる英雄は誰だって話になって、やっぱり清正公さんだって」
「せいしょこ?」
「ヒゴ藩の初代藩主の加藤清正公です。僕の苗字は加藤だったから、これは清正公の幼名である虎之助をメイン選手の名前にしようってみんなで決めてくれたんですよ」
「そうか、加藤清正って人はヒゴの英雄なんだな」
「僕は名前が変わっていきましたが、ジンマは最初に付けられたケロ太郎って名前をすごく喜んでました。伝説的な名リングアナウンサーで『ケロちゃん』って呼ばれてた人がいるんですが、ジンマはその人のことをすごく尊敬してたので、最後まで名前を変えることはありませんでした」
「最後…。ジンマは自分もレスラーやってたのに、なんでやめて裏方にまわったんだ?」
「交通事故です。あいつは大学3年の時に事故にあって、左半身が麻痺したんです」
「え?麻痺?!でも、今は普通に動いてるじゃねえか。もう治ったのか?」
「いえ、必死のリハビリで奇跡的な回復を遂げましたけど、今も左手はほとんど力がありませんし、左手の指も細かい動きができないんです。あいつはパソコンも速く使いこなしますが、ほとんど右手だけで打ってますし、パソコンのキーボードも右手メインで使えるように作った特注品なんです」
リュウは昨日、パソコンで映像を見せてもらった時のことを思い出していた。
電子機器に縁がないリュウは意識して見ていなかったが、たしかにジンマは右手だけで操作をしていたし、パソコンキーボードも右半分がタブレット、左は大きめのキーが並んでいるちょっと変わったデザインだった。
(そうだったのか…)
「あいつがすごいのは、それだけじゃありません。交通事故の加害者から支払われた賠償金を使って、プロレスのリングを買いました」
「賠償金で?リングを買った…?」
「はい。当時のプロレス研究会はとても新品のリングなんて買えなかったから、ボクシングジムから廃棄する予定だったぼろぼろのリングをもらって、自分たちで補修しながら使ってました」
ロープも3本じゃなく4本で、プロレス用より硬いからロープに飛んではね返ってくるのも痛くて仕方がなかった、と虎之助は笑った。
「でもジンマがいきなり新しいプロレス用のリングを用意してくれて、大学卒業が迫ってるのにまだ就職が決まらない研究会のメンバーの働く場所として、共にプロレス団体を立ち上げました。それが今の『虎拳プロレスリング』です。資金はすべてジンマの得た賠償金でした」
「………」
「さらに、まだ麻痺が強く残ってた身体で再びリングに上がろうとしました。みんな反対しましたが、あいつは『昔、障がい者のプロレス団体もあったんだから』って…でも結局、あいつがリングに戻ることはありませんでした」
「なんでだ?自分もプロレスをまたやりたかったからリングまで用意したんだろう?」
「心臓の病気を発症したんです。激しい運動は命に関わると診断され、ついに自分がプロレスをやるのを諦めました」
「なっ…!」
「以来、ジンマは虎拳プロレスリングの総合プロデューサーになりました。大好きなプロレスに出来る限り関わっていきたいというあいつの気持ちがみんなわかってるんで、大変なのはわかっててもあいつに任せています。僕も大学卒業してからはしばらく普通のサラリーマンやってたんですが、ジンマが頑張ってるのを放っておけなくて。退職してバイトしながらプロレスラーとして何とかやって来たんです」
「え、バイトしながら?プロレスだけやってるんじゃないのか?」
驚くリュウに虎之助は笑って答えた。
「大手で老舗の有名団体はともかく、うちみたいな地方の小さな団体の選手はとてもプロレスだけじゃやっていけてません。会場を借りて試合をしても、お客さんが少なければむしろ赤字になります。お祭りのイベントは謝礼はありませんが、僕たちの団体を知らないたくさんの人に見てもらえる貴重な機会ですから、絶対盛り上げようって思ってたんですけどね…」
虎之助はリュウの目を見つめて言った。
「ジンマがね、ケガして落ち込んでた僕に言ったんですよ。『故郷のサツマでデカい男たちが集まる闘技戦祭りがある。虎之助の代わりになる選手をスカウトしてくるから何も心配するな!』って…そしたらその祭りの真夜中にメッセージが着て『凄い選手を見つけた!背は低いけどイノキとタイガー・マスクを足して2で割ったような、100年に1人の逸材だ!何としてでも契約してもらうから安心しろ!』って」
(背は低いけど、は余計だろ!)
そう思いながらも、リュウはつい笑っていた。
「たぶんあいつ、祭りの日からずっと寝てないと思いますよ。昨夜も掛け軸の損害賠償をどうするか必死で対策練ってましたしね。トウドウに支払い能力無いのはわかりきってますし。それで僕から頼んで、病院に貴方を連れて来てもらったんです」
虎之助はリュウに向き直って、頭を下げて言った。
「リュウ、いやリュウさん。今お話しした通り、うちの団体に入ってもらっても正直、満足な報酬は差し上げられないと思います。でも、ジンマが必死になってこの危機を乗り越えようと頑張ってるんで、どうか力を貸してもらえませんか」
リュウは虎之助の肩に手を置き「頭を上げてくれ」と言った。そして「俺は…」と言いかけた時、
「いやあ、リュウさんをほったらかしてすまない!ちゃんと虎之助に紹介しようとしてたのに野暮用が長引いてしまって…」
と、ジンマが汗をかきながら戻って来た。
リュウはジンマのほうを見ずに、
「なあ、あんたたちの団体のリング、ロープはたるんでないか?」
と聞いた。
「え?」
驚くジンマだったが、虎之助は真面目に答えた。
「はい。しっかり張ってます。でないとロープワークできないから…」
「もたれかかったらゆるんで、後ろに一回転して落ちるなんてこたぁねえだろうな?しっかり俺の身体を支えてくれるんだろうな?」
「そんな、もたれたからってゆるんで落ちるなんてことは…」
不思議そうな顔をする虎之助に対し、ジンマは何かに気づいたという表情で「リュウさん!?」と叫んだ。
「大丈夫だよ!サコウを倒した後みたいに、逆さまに落っこちるなんてカッコ悪いことはさせないよ!」
「“カッコ悪い”も“背は低いけど”も余計だって」
苦笑しながらリュウはジンマに向かって言った。
「じゃあ決まりだ。
虎拳プロレスのリングに俺を上げてもらおう!
よろしく頼むぜ」
ジンマが目を見開いて「やったぁ───!!」と大声で叫んだ。
大部屋の患者たちから一斉に「うるさい!」と叱られたので、虎之助はベッドの上で「みなさん、すみません!」と頭を下げ、リュウも各ベッドを回って「すまねえ!」と頭を下げた。
しかしジンマは涙を流しながらなおも拳を突き上げ、やった、やった!と喜びを表現し続けていた。
(第三十六話へ続く)
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