ジンマがリュウの目に怯えていると、腹を抑えて悶絶していたトウドウが、ロープをつかんで何とか立ち上がろうとしていた。
それに気づいたジンマはあわてて駆け寄り「立てるか?」と聞いた後、小声で「リュウさんは何をしたの?」と聞いた。トウドウは苦しそうな声で言った。
「あいつ…一本拳を打って来やがった」
「一本拳?」
ジンマの問い返しには答えず、ロープに頼りながら立ち上がると再びリュウに立ち向かっていった。
その時、シュウは試合が始まる前のことを思い返していた。
ジンマと虎之助が控室のテントを出て行った後、リュウは「ハサミはあるか?」とシュウにハサミを持って来てもらうよう頼んだ。
そのハサミを使って、リュウはオープンフィンガーグローブの親指を除いたすべての指先を2㎝ほど切断した。グローブをはめると指の第2関節部分まで露出するようになった。
「指先切ってどないするつもりや?」
シュウの問いかけにリュウは握り拳を作って見せた。
ただその拳は、中指の第2関節部分だけが突出している。
「こいつは“一本拳”ていう拳の握り方だ。普通の拳で殴るよりも、棒を突き刺すように身体の内側へダメージを与えられる」
さらにリュウは自分のみぞおちに、拳を縦にした縦拳でその“一本拳”を当てながら言った。
「鍛えても筋肉の付かない部分、胸から腹にかけての真ん中部分や、へそ側の筋肉とわき腹の筋肉の間やあばら骨の下とか狙って打つと、かなり効くぜ」
「中指の曲げた関節部分だけ立てて打ち込むんか?なんか、中指の方が折れるんちゃうかて思うけど、大丈夫なん?」
「ヤゴロウどんみたいな重量級かつ、ごついヤツだとこっちの拳が持たねえが、トウドウは100kg以下だし問題ない。もしヤツが殺って来た時は、これで返してやるさ」
そんなリュウとの会話に、シュウは
(なるほどなぁ。この拳の握り方なら普通の人にはわからへんし、それにグローブ付けてたら顔面以外のパンチは認められるから、リュウは全然悪いことしてへんわけや)
と、リング下で感心していた。
リュウに再び向き合ったトウドウは長い手足を活かし、片手を前に突き出して威嚇しながらリュウの内太ももを狙っての蹴りを出して来た。
しかしリュウは飛び込みざまに、トウドウのひざ内側を真横に吹っ飛ばすような強烈なインローを返して来た。そのためトウドウは左へ倒されかかった。
追撃しようとしたリュウに、トウドウは左腰のタメを利用した左フックをリュウのレバー目掛けて打って来た!
(くらえ!一本拳のお返しだ)
渾身の一撃であったが、トウドウの拳は鋭い衝撃によって阻まれた。
(!?)
リュウが右肘をトウドウの拳に対して鋭角に構え、迎え撃っていたのだ。
さらにはリュウの左の拳が、フックではなくアッパーでトウドウのレバーに打ち込まれていた。
(ぐぅっ!!)
息が止まるかのような衝撃を受けたトウドウは思わずリュウにもたれかかった。その時リュウがトウドウの耳に囁いた。
「言ったろ?俺はやられた技を身体で覚えるって」
トウドウが崩れ落ちながらリュウを見ると、その顔には凄まじい笑みが浮かんでいた。
(こいつは…?本当にリュウなのか?!まるで鬼だ…)
「お前が俺に何か殺ってくりゃ、全部倍返しにしてやるぜ」
そう言った瞬間リュウはトウドウの左腕を取り、わき固めを仕掛けた。
「おおぉ──っ!!!」
打撃のあまりの激しさに圧倒され、やや引き気味だった観客が再び盛り上がる。
しかし、この技はあらかじめ決められていた【打撃応酬からプロレスに戻る時の合図】でもあった。
ジンマは目を輝かせて、
「リュウさん!合図を覚えててくれたんだね!やっとプロレスに戻れる!」
と小声で喜びながら言い、トウドウには一応ギブアップするかを尋ねながら「早くロープまで逃げて」と小声で催促した。
しかしリュウは真顔でジンマに問い返してきた。
「え?今からプロレスに戻るのか?」
「戻るのかって…リュウさん?わかった上でわき固め掛けたんじゃなかったの?!」
「腕取りやすかったんで、わき固めを掛けただけだ」
トウドウも痛みに泣きそうな声で小さく叫んだ。
「リュウ、極めて来るんじゃねえ!ロープに行けないだろうが!」
「あ、すまねえ」
こっそり謝りながらリュウは力を抜いた。
(3人とも、リングの上でコントやってるみたいやなぁ。お客さんの歓声が大きいからええけど、静かやったらやりとり丸聞こえやで)
チビヤゴくんの心話機能を使ってシュウがリュウに話しかけてきた。
(シュウ、この後どうするんだったっけ?)
(トウドウさんがリュウ引きずりながらロープまで逃げたら離れて、立ち上がって来たところをドロップキックや)
(両足で胸を蹴るやつだな)
(その後トウドウさんの腕つかんで立たせて、ロープに振ろうとしたらトウドウさんが逆にリュウを振る。返ってくるとこへラリアットかまされるから、派手に受けて倒れるんや)
(腕を振って叩きつけてくるやつを受けて、派手に倒れる!だな)
(その後しばらくトウドウさんがプロレス技かけてくるけど、リュウはなるべく南側に背を向けて受けてあげるようにして)
(南側ってどっちだ?)
(控室と花道の反対側や。───あ、リングの上から見たら、南側真正面には【いきなり団子】の屋台看板が見えるから、目印にしたらええ)
(よし、【いきなり団子】に背を向けるんだな)
するとリュウは(いきなり団子、いきなり団子、いきなり団子…)と、その美味しさを思い出して頭がいっぱいになり、トウドウにドロップキックを仕掛けるのを忘れかけていたが、そこはジンマがなんとかフォローしてくれた。
その後はトウドウの見せ場が続く。ラリアットを受けて倒れたリュウにエルボードロップ、さらにパイルドライバー。そしてブレーンバスターを仕掛けてくる。
(このブレーンバスターで真上に身体を上げられた時に、するっとトウドウさんの背後に降りて【最後のやつ】ジャーマンスープレックスホールドで決めるんや)
(よし!【邪魔】ってやつだな)
事前の打ち合わせでは、滞空時間の長い垂直落下式ブレーンバスターでリュウの身体がまっすぐに上がった時に、トウドウの背後に降り立ったリュウがトウドウの腰を後ろからホールドしてジャーマンを決めることになっていた。
しかし、トウドウはリュウの首をホールドしたまま離さず、持ち上げる際につかんだショートタイツも離さぬまま、垂直落下式ブレーンバスターを放った。
(あれ?なんか話が違うぞ)
マットに叩きつけられながら戸惑うリュウだったが、さらにトウドウはフォールまでしてきた!
(トウドウ!ブック破りをする気か?!)
ジンマが怒り、フォールのカウントをわざとゆっくり取ろうとしたが、その必要はなかった。カウントワンを叩く前にリュウが思い切りバネを利かせたブリッジでトウドウをはね返したのだ。
さらに立ち上がりかけたトウドウのあごを狙って、下から突き上げるような掌底を喰らわせた!
たまらずトウドウがダウンするが、段取りが狂ったのでリュウは迷っていた。
(シュウ!適当にやったが、この後どうすりゃいいんだ?)
(僕もわからへん。ジンマさんに従って!)
リュウがジンマを見ると、トウドウの裏切りに怒り心頭なジンマは怖い顔をしてこう言ってきた。
「とにかく派手な技を出して!もう危険でも何でもいいから!その後【最後のやつ】だ!」
(え?いいのかよ)
リュウの方が心配したが、その時にはもうトウドウが立ち上がり、襲い掛かって来た。
(派手か…何がいいんだ?)
考えながらリュウは開脚ジャンプで高々と跳び上がり、突っ込んで来たトウドウをやり過ごした。
「わあっ!」
どっと沸く観客。思わずつんのめりながらも振り返ったトウドウに、リュウはこれまたハイアングルのローリング・ソバットで側頭部を蹴っ飛ばした。
(派手な技…浮かんでこねえな。とりあえず身体当ててみるか)
衝撃で回転しながら後退したトウドウへ、リュウはさらに側転からのフライング・ボディアタックを仕掛けた。リュウの身体能力の高さに観客は歓声を上げ続けた。
しかしトウドウは倒れ様にリュウをしっかり捉え、マットの上に倒れ込んだ体勢ながらもリュウの顔を拳で殴って来た。
観客席から非難の声やブーイングが上がり、女性客からは悲鳴も上がった。
「トウドウ!いい加減にしろ!」
激怒したジンマが即反則カウントを取りに来るが、トウドウはリュウを引きずり上げてから、対角線上のコーナーポストへ叩きつけるように振り飛ばした。
その瞬間リュウは(あ!これいけるな)と技を決めた。
コーナーポストを勢いよく駆け上がり、踏み切ったリュウは高々と宙返りをしながら、トウドウの頭目掛けて縦回転の激しい蹴り──【浴びせ蹴り】を打ちこんだのだ!
「おおお───っつ!!!」
観客席はどよめき、興奮は頂点に達していた。
頭部に浴びせ蹴りを受け、前のめりに倒れ込んだトウドウの背後に回ったリュウは、今度こそジャーマンスープレックスを仕掛けた。
「わあああああ!!!」
スピードあふれる美しい人間橋の完成に、観客は狂喜しながらジンマのカウントに合わせて「ワン!ツー!スリー!」と合唱し、打ち鳴らされるゴングの音をかき消すほどの歓声が沸き上がっていた。
ジンマに手を取られ、高く拳を突き上げるリュウ。万雷の拍手が押し寄せて来た。
すぐさまマイクを取ったジンマはレフェリーからリングアナに戻って、全身を震わせながらリュウの勝ち名乗りを叫んだ。
「17分3秒、ジャーマン・スープレックス・ホールド!勝者、ヒナリ──リュ──ウ──!!」
それを受けてリュウは両手を挙げ、観客に応えるとともに、そのまま後ろへ下がってロープに身体を預けた。
(よし!今回はしっかりもたれても大丈夫だな)
闘技戦では後方へ一回転しながらカッコ悪く落ちてしまったことを思い出しながら(さすがに疲れたな)と緊張感から解き放たれてホッとしていた。
「すみません!ジンマ代表!」
その時、ジンマにはリング下から声がかかった。
ヒゴのインターネットテレビから、急遽取材の申し込みが来たのである。
祭り前夜祭の模様を撮影しに来たところ、子どもと遊ぶシュウの姿が目立っていたので撮影していた。
放送許可を得るつもりで試合が終わるのを観ながら待っていたTVスタッフは、リュウの試合があまりにもセンセーショナルだったのであわててそれも撮影した。
そのふたつの映像を放送する許可と、鮮烈なデビューを勝利で飾ったリュウに今、リング上でインタビューしたいと申し入れがあったのだ。
「もちろん大歓迎ですよ!どうぞ、すぐリングに上がってリュウ選手にインタビューを!」
ジンマは大喜びでTVスタッフを招き入れ、ロープにもたれて寝そうになっているリュウに
「リュウさん!今からインターネットテレビの取材だよ!質問に答えて!」
と声を掛けた。
(へ?質問?)
戸惑うリュウだったが、TVスタッフはお構いなしで撮影隊と共に「ヒゴくまねっとです!いやぁ凄い試合でしたね!」と話しかけて来た。
「飛成リュウ選手は今日がデビュー戦だったんですって?初勝利おめでとうございます!」
「…あ、どうも」
マイクを向けられたリュウは一言だけ発して、一応頭は下げた。
気の利いた答えを返さないリュウにスタッフはちょっと気をそがれたが、観客からは大きな拍手と歓声が挙がっているので、何とか言葉を引き出そうと続けて問いかけた。
「デビュー戦ながら、すでに大人気ですね!今の率直なお気持ちを聞かせて下さい!」
(今の…率直な気持ち?)
何を言えばいいのか悩むリュウ。そこにシュウが助け舟を出してくれた。
(リュウ、今思てること素直に言うたらええねん)
(今思ってること?そうか、じゃあ)
向けられたマイクにリュウは素直に答えた。
「腹減った!」
──微妙な空気の沈黙が広がる中、シュウの声だけがリュウの心に伝わってきた。
(あ…やってもた…)
(え?俺、まずいこと言ったか?素直に言っていいって…)
(たしかにそやけどな)
次の瞬間、観客席から大爆笑が起こった。
「わはははははは!!!」
「腹減った、だと!?」
「リュウ!面白いヤツだ!!」
「天然か!」
爆笑の後に観客たちはリングサイドに集まって来て、笑顔で「リューウ!リューウ!リューウ!」と拳を振り上げながら大合唱を繰り返していた。
(なんだかよくわからねえけど、みんな喜んでるみたいだからいいか!)
(第四十七話へ続く)
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