駐車場での騒動から2日後、虎拳プロレスの事務所にリュウとシュウが向かっていた。レンに作成してもらった契約書にサインをするためである。
「闘技戦の前もそうだったけど、俺はいろいろ説明されたり書類読まされたりすると眠くなるから、シュウ頼むぜ」
自分の仕事の契約だというのに、リュウはシュウに丸投げする気満々だった。
それどころか契約締結の場にも面倒くさがって行こうとしなかったので「それはさすがにあかんやろ」と引っ張って連れて来たのである。
実は前日、シュウはジンマから電話でひそかに相談を受けていた。
それは“リュウのマネージャーになってほしい”というものだった。
「僕がリュウのマネージャーに?なんでですか?」
「詳しくは言えないけど…うちの団体との契約において今後、リュウさんが不利にならないようにシュウさんがチェックしてもらえたらと思うんだ。俺は虎拳プロレスの代表としての立場があるから、うちの団体にとって有利な方を選ばなきゃならないこともある」
シュウに言うわけにいかなかったが、弁護士のレンが示した虎之助の復帰までの方向性に戸惑った結果、ジンマはシュウに頼ることを決めたようである。
「リュウさんは…ほら、あまり損得とか、そういうことにこだわりがないから。虎之助と会ってくれた時から、取り付く島もなかった最初の頃が嘘のように何でも頼みを受け入れてくれるし、撮影のことだってこっちが無理させたのに謝ってくれて。なんか、いったん受け入れると決めたらとことん任せてくれちゃいそうで、ありがたいけどちょっと心配なんだよ」
「あぁ、たしかにリュウはそういうとこありますわな」
「そこのところをシュウさんが上手く、確認すべきところは確認して、断るところは断って、リュウさんのことを守ってもらえたらと思うんだ。身勝手なことを頼んで本当に悪いんだけど…」
「いえいえ、ジンマさんの立場はわかりますさかい。むしろそういうことをこっちに話してもらえたんがありがたいですわ。わかりました。僕がリュウに対してできることはしっかりやらしてもらいます。ほな、マスコット兼リュウのマネージャーとして関わることも契約内容に含めといてもらえますか」
「ありがとう!シュウさんはリュウさんが一番信頼してる人だから、これで安心だ!」
事務所ではレンとジンマが契約書を用意して待っていた。
リュウの契約における主な条項は、次の通りであった。
・デビュー戦をヒゴ玉名の祭り前夜である本年11月22日とすること。また出場はメインイベント、対戦相手は藤堂高虎選手とすること。
・月平均3回開催される虎拳プロレス主催の試合に出場すること。
・他団体より招聘される興行には虎拳プロレス専属選手として出場すること。また、出場スケジュールおよび試合内容は虎拳プロレス代表神馬秀和と協議の上決定すること。
・試合開催時には物販販売業務及び会場設営ならびに撤去に必ず参加すること。
そして報酬、手当に関することは、
・メインイベントは3万円、セミファイナルは2万5千円、それ以前の試合は2万円の報酬とする。
※他団体からの招聘興行参加時は別途協議の上決定。
・選手グッズ販売手当ては金額の30%、試合チケット販売手当ては金額の10%とする。
・虎拳プロレス専属期間中は基本給10万円を毎月支給する。
・試合中の負傷による入院医療費は1日1万円を保障する。
といった内容であった。
リュウはすでに居眠りを始めていたが、シュウは“試合中の負傷による入院医療費は1日1万円を保障する”の項目に注目し、
(ケガして当たり前のような仕事やのに、ちゃんと入院保障してくれるんやな)と感心した。
またプロレスラーとしての実績も知名度もないリュウに、インディーズプロレスしかも地方小団体でのこの報酬・手当は破格の内容と言えた。さらに今月については、道場で練習を開始した日から基本給を日割り計算して支給するなど配慮もしてくれた。
シュウはチケット及びグッズの商品の具体的金額の開示を求めたのと、チケットの販売方法についても確認をし、居眠りしているリュウをつつき起こして最終確認させた。
契約期間については意外なことに、レンから2種類の提案があった。
「一般的にプロレス団体と選手の契約は年契約ですが、今回は虎之助選手の欠場に伴う代理出場という事情もあるので、1年または虎之助選手の復帰試合までの約半年という限定契約の、どちらかを選んでもらうことにしました」
シュウは即座に頭の中で半年契約と1年契約のメリット・デメリットを考えた。そしてリュウが自ら望んでヒゴに来たわけではなく、サツマに早く帰りたいであろうと思っていることを踏まえ、半年がよかろうと思った。
半年経ってそのままヒゴに居たいとリュウが願えばまた契約を結べばいいし、もし虎拳プロレスからの継続要望がなくサツマへの帰藩も許されない場合は、当初の予定通り二人で旅に出ればいいだろうと。
(せやけど、あんだけリュウに惚れ込んで契約を切望してはったジンマさんが、複数年契約や無うて1年、さらに半年でもええていうんは不思議やなぁ)
シュウは気にはなったが、なにか団体運営上の事情だろうと思ってそこは追求しないことにした。
契約期間をリュウに確認すると「あんまり先のことはわからねえから、半年だな」と言ったので半年を選択し、契約は締結に至った。
リュウに続いてシュウの契約も無事終え、ふたりが退出した後にジンマはレンにため息をつきながら言った。
「やっぱりリュウさんは半年を選んだね。レンさんの言う通りだった」
「1年だと、リュウは途中で飽きてしまいかねませんからね。そうなった時、他団体から引き抜きの動きがあればどう転ぶかわかりません。リュウは世間知らずな分だけ、悪気なしでややこしいことになる可能性が高いです」
「今の虎拳プロには引き抜きに対抗できるような資金は無いしなあ…」
「この半年間でいかにリュウ主体の興行を成功させるか、ですね。祭りの時点で次回の試合チケットを即販売できるようにしなければいけませんし、会場も今の虎拳プロレスの道場ではなく、収容人数が見込める会場を設定します。すでに打診をしている候補がありますから、午後のトウドウとの契約締結後に企画書を持って仮押さえに行きましょう。半年後の契約更改に向けて稼げるだけ稼いでおけるように」
「…半年経ったらリュウさんは、もううちとは契約してくれないかもしれないよね…金のある大きな団体からもいっぱい声がかかるだろうし、もしサツマの団体に呼ばれたならリュウさんも嬉しいだろうしなあ…」
「それはどうでしょう。リュウが重視するのは金や安定ではないと思いますが。彼は契約できっちり拘束されたら逃げ出したくなるタイプだと思いますね。むしろ1試合ごとの単数契約で放し飼いにすれば、お腹が空いたら自分から帰ってくるんじゃないでしょうか」
(おっ!美味そうな匂いだな!!)
ヒゴ名物のあか牛の牛飯弁当をもらって喜ぶリュウの顔が浮かび、思わず“くくっ”と笑ったレンの顔には、いつもの冷たさはなかった。
「ここに帰って来たいって思ってくれるのかなあ。その時は虎之助が不動のメインで居るのに」
「それは虎之助さん次第ですね。リュウがトウドウに対して『こいつと、とことんやり合いてえ!』と思ったように価値を感じさせることができるなら。虎之助さん自身もケガを機に、進化する必要があるでしょうね」
「そういえば、なんでリュウさんはトウドウのこと、あんなに気に入ったのかなあ。今までのファイトスタイル見る限りじゃ、リュウさんとガチでやれるほど強いとは思えないのに」
私も格闘家ではないので断言できませんが、と言ってからレンは続けた。
「トウドウは『強いと思わせないようにできる男』なのかもしれません。今までは自分の輝きを消して対戦相手をより光らせる…悪役のフリーレスラーに徹していた。意識してなのか無意識なのかはわかりませんが…。リュウにしたって一見すると小柄だし、普段は大人しいと言えるくらいの男です。でもいったん火が付くと何をしでかすかわからない怖さがありますね」
(ヤゴロウどんと闘った時のリュウさんだ…!)
闘神の指の骨を折り足を砕き、面ごと頭を叩き割った血だらけの狂気のまなざしを思い出し、ジンマは身体を震わせていた。
「彼らは似た者同士なのかもしれません。それが今度の試合でどう作用するか、楽しみでもあり怖くもありますね。ジンマさんもブックを熟考しなければ」
契約を終えたリュウは道場での練習に参加し、シュウは皆の昼ご飯を作る「ちゃんこ番」を買って出ていた。
ヒゴのご当地即席ラーメン「ロン竜」10人前を野菜や肉を入れた大きな鍋で作り、皆で分けて白飯と共に食べた。
麺はまっすぐの乾麺でいわゆる「棒ラーメン」である。白玉粉をメインに作っている製粉会社が製造販売している即席ラーメンだけあって、コシがあってもっちりとしている麺が美味しく、にんにくを使ったマー油が効いた豚骨スープがしっかり絡んだ旨いラーメンだった。
「道場にはジンマが米と何かしら食材をいつも用意してくれてる。即席ラーメン作るにしたって野菜や肉を一緒に入れて作れるから助かっているんだ。バイト代が少ない時や試合が不入りの時も、とりあえず道場に来れば何か食べられるから皆本当に救われてるよ」
こうシンヤが言う通り、冷蔵庫と横の棚には食料が常備されていた。入院保障だけでなく、こうした選手への配慮を常日頃かかさないから皆ジンマに感謝し、頑張っているのだということが伝わって来た。
皆で食事をしながらの会話の中で、シンヤはジンマと虎之助のひとつ下の後輩であり、道場の主的存在であることがわかった。物販の管理などジンマのサポートもしているようだ。
ケイイチとユージはシンヤよりふたつ下の後輩で、大学卒業はしたものの揃って就職先が倒産したため、バイトとプロレスラーの二足の草鞋を履いているらしい。
この他にも大学プロレス研究会のOB2名が所属しているが、試合が近づいた頃しか道場には現れないとのことだった。
体育会系とはいえ、先輩後輩の上下関係は厳しくはなく、シンヤの太めの体型をユージたちがいじったり、逆にシンヤがユージたちに子どもっぽいいたずらをしかけたりと、和気あいあいとした兄弟のような間柄である。
リュウは生まれて初めてこんな雰囲気を味わっていた。学生たちの楽しい合宿のような感覚に多少戸惑いも感じたものの(仲間ってのはいいもんなんだな)と思っていた。
プロレスの技の習得もだいぶ進み、バックドロップやブレーンバスター、各種スープレックスなどもリュウは使いこなせるようになっていた。ただ、フィニッシュホールドとするにはリュウが小柄なため、見栄えなども重視すると使えそうな技は限定されてくる。
また、リュウの動きが速すぎるため、シンヤたち相手になる選手のスピードに合わせるのが難しかった。かといってスローになるとリュウの技の魅力も半減してしまう。
リュウは自分がうまく合わせられないことに申し訳なさを感じながら、同時に本来の動きができないことへ苛立ちも感じていた。
リングの上に立ち、皆で悩んでいたところにケイイチが「なぁ、俺思うんだけどさ…」と口火を切った。
「リュウのデビュー戦の相手はトウドウに決まったんだし、リュウの話じゃちょっとガチでやった時にいい呼吸でやりあえたそうだから、今回は打撃の部分に関しては二人に任せるってことでいいんじゃないか?」
「俺もそう思う!最初はリュウの空中殺法で魅せる、そんで間にトウドウとのシュートっぽい打撃攻防をはさみ、プロレス技の応酬でラストってのがいいんじゃない?」
ユージもケイイチに同意した。
二人の言葉にリュウは(え?)と驚いた。
「そうだな、ジンマに提案してみよう!リュウにあれもだめ、これもするなじゃなくて、リュウは本気でやるけど危ない技は寸止めとか、トウドウが受け切るからガチでいくとか、慣れてないリュウが少しでもやりやすいように流れを作ればいいんじゃないか?」
シンヤもそう言ってくれた。
「え…いいのか、そうしても?」
リュウは戸惑って言ったが、
「リュウのデビュー戦までそんなにないんだから、今回は無理せずに、リュウの良さを活かした方がいい」
とシンヤは言い、リュウの肩に手を置いて続けた。
「せっかくのデビューなんだし、ましてや虎之助の代わりにメイン張るんだ。大変な役割だよ。間違えないように緊張しまくって面白くなくなるより、多少荒っぽくても派手にやったほうがいいさ」
「ありがてえ!ちょっと気が楽になったぜ!」
リュウにもやっと屈託のない笑顔が出た。見守るシュウも温かい笑顔でうなずいていた。
そのシュウの後方、道場の入り口シャッターの陰から、ひとりの男がリングの様子を見つめていた。
事務所で契約を終えたトウドウであった。
皆と笑い合って喜ぶリュウの顔を睨むようにしばし見た後、道場に入ることなく去って行った。
(第四十二話へ続く)
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