「カントクさん、ちょっといいかい?」
「きばいやんせ」の店主は「ら〜めん行進曲◯◯」に入るなり、厨房にいる人物に声をかけた。
「あ、これはきばい屋さん。いらっしゃい!いつもお世話になってます」
カントクさん、と呼ばれたその男性は、穏やかな笑顔で頭を下げた。
「閉店間際の時間に悪いけど、まだ注文は大丈夫かい?いや、食べるのはわしじゃなくて腹を減らせた若い男ふたりなんだが…」
「もちろんです。ただ、もうスープや麺が少しずつしか残ってないんで、あまりいろいろなものは作れませんけどよろしいですか?」
「ありがたい!助かるよ。あと、厚かましいんだが、ちょっと人目をはばかる理由があって、そのふたりを他の客に会わせたくないんだよ。悪いがもう暖簾を下げて店を閉めてもらってから、そのふたりを入れたいんだが…勝手なことばかり頼んで本当にすまない」
頭を深く下げるきばい屋店主に、カントクさんは
「とんでもない!きばい屋さんの頼みなら何だって喜んでお受けしますよ。理由もお聞きしませんから」
すぐに表通り側の入り口に出していた暖簾をはずした。扉にも鍵をかけ、笑顔で言った。
「どうぞ、安心してお連れ下さい」
「ありがとうな!じゃあすぐに連れてくるよ。見たらちょっと驚くかも知れないけど、ふたりともすごくいいやつだから心配しないでくれ」
きばい屋店主は裏側の出入り口から外に出て行き、しばらくしてからまた戻って来た。
その後ろから上半身裸の、額にべっとりと血を付けた男が入って来たのでカントクさんは「おぉ?!」と驚いた。
「き、きばい屋さん、理由は聞きませんけど、その人のケガ、大丈夫ですか?」
「あ、これは心配いらねえよ。血が付いてるだけで傷は無えから!」
リュウは左手で自分の額をゴシゴシこすり、その手を道着の下衣になすりつけて血を拭いた。
「…ほんとですね。傷はないですね。あ!それ、血糊ですか!なるほど、プロレスの試合でしたか。お疲れ様でした」
「へ?」
リュウは何を言われたのかよくわかっていなかったが、きばい屋店主はこれ幸いとカントクさんの勘違いに乗っかった。
「そ、そうなんだよ!派手にやってくれって興行主から言われてな。凶器攻撃で大流血って流れなわけだ。決着が付かずに終わったから観客が大騒ぎになったんで、選手たちをこっそり逃して来たんだ。驚かせて悪いな」
そこへ大きな身体を前屈みにして、扉に挟まれるようにしながらシュウが入って来た。
「こんばんは。お邪魔します」
挨拶をしてから身体を伸ばしたが、頭が天井に着きそうになったので、背を曲げたままの姿勢で止まった。
あまりの巨体にカントクさんは口をあんぐりと開けてから、
「き、きばい屋さん…詳しくは聞きませんが、この方は昔『人間山脈』とか『ひとり民族大移動』とか言われてた大巨人『あんどれ』のご子孫ですか?」
(あんどれ?樵してたデカいやつのことか?)
リュウはさっきのシュウの話を思い出した。
どうやら、カントクさんはリュウとシュウをプロレスラーだと思っているらしい。
「あ、ま、まあそうだった…かな?リュウさん、こちらはこのお店の主人で、カントクさんだ。じゃあわしは、トラックで待ってるからな」
嘘が上手につけないきばい屋の店主はそう言い残し、慌てて車に戻って行った。駐車位置をずらして、裏側の出入り口をふさぎ、他の客が入って来られないようにするらしい。
「店主さんはカントクっていう名前なのか?」
リュウが不思議に思って聞いた。
「いや、あだ名ですよ。昔演劇やってて、俳優、脚本から演出まで総監督こなしてたから、今でも仲間たちからカントクって呼ばれてるんです。きばい屋さんもそれをご存知で、カントクさんって言って下さるんですよ」
「へえ、すごいですねぇ。演劇の才能あってその上料理もできはるやなんて。マルチタレントやなぁ」
シュウの言葉にカントクさんは照れながら、
「いやいや、あ、どうぞ座って下さい。大きいほうの方はこの椅子、ふたつ並べて使って下さい」
と椅子を動かしてくれた。
「おおきに。あの、ここに書いてある『白みそら〜めん』て作ってもらえます?僕、西のミヤコに居ったんで、白みそ好っきゃねん」
「はい!白みそですね」
「俺、ちゃんぽんが食いたい!大盛りできるかい?」
「はい!ちゃんぽんの大盛りですね。白みそも大盛りにしましょうか?実は麺がもうふたつずつしか残ってないんで、食べて頂いたほうが助かります。サービスしときますから」
「嬉しいなあ。お願いします」
「ありがてえ!」
その時、表通り側の扉がガタガタと揺すられた。
「え?なんで閉めてんの?」
表から女性の声がし、さらに鍵を差し込んで開ける音もした。
ガラガラと扉が開けられ、
「ちょっと、どないしたんよ!まだ閉店前やのに暖簾もあらへんし、鍵まで閉めて…え?いやぁ、えらい大きいひと居てはりますね。あ、すみません!いらっしゃいませ!」
威勢の良いカンサイ弁の笑顔の女性と、はにかみ笑顔の男の子が入ってきた。
どうやらカントクさんの妻子らしい。
(同じカンサイ弁でも、この女の人はしゃべる速さがシュウの3倍くらいあるぞ)
呆気に取られているリュウとは対照的に、シュウは笑顔で
「奥さん、えらい大きゅうてすんません〜。僕見て他のお客さんがビックリして腰抜かしはったらあかんので、無理言うて貸し切りにさしてもろたんです」
と、さらりとその場を取り繕った。
「あ、そやったんですか!ほな閉めときますね」
奥さんはすぐ扉に鍵を掛けて、厨房に戻ったカントクさんと入れ替わり、水を持って来てくれた。
「お水お待たせしました、どうぞ。いやぁ、大きいお兄さん、近くで見たらほんまに大きいですねー!ヤゴロウどんみたいやわ!」
「僕、実はヤゴロウどんの中のひとなんです」
リュウは飲みかけた水を“ぶっ”とふきだした。
(シュウ!何を言い出すんだ!バラしてどうする?!)
あせってシュウと奥さんを交互に見るリュウ。しかし奥さんの反応は意外なものだった。
「ほなヤゴロウどんのお兄さんは、今日は朝からお祭りで忙しかったんですね!お疲れ様でした」
「せやねん。朝も早よからひっぱり起こされて、浜下りの途中でも高架くぐる時、あやうく顔ぶつけそうになったり、いろいろあって大変でしたわ〜」
「あはははは!お兄さんオモロいですね!」
奥さんはシュウがヤゴロウどんの正体だと言ったことを冗談と受け止めて、自らもその冗談に乗ったらしい。
信じられないような事を言われると、それを疑うよりもボケたりツッコんだりして冗談にするのがカンサイ人の哀しい性質なので、シュウはその技をうまく使ったようだ。
リュウにはもちろんそういうことはわからないので、二人の会話をヒヤヒヤしながら聞いていた。
「すぐら〜めん作りますから、待っとって下さい。あ?こっちのお兄さんもえらい汗かいて、血ぃまで付けてはりますやん。もしかしてお祭りでアクションヒーローショーとかしてはったんですか?」
「はい。ふたりで闘って、引き分けになりました」
またもシュウはさらりと返した。
「ヤゴロウどんのお兄さんと引き分けですか?こっちのお兄さん、強い役の人なんですね!もしかしてサツマ剣士はやとの役ですか?」
「かあちゃん、はやとが闘うなら相手はヤゴロウどんじゃなく、やっせんぼーじゃない?」
男の子がにこにこしながら優しく母に突っ込みを入れた。
「あれ?ヤゴロウどんやなかった?まぁええですやん、どっちも最初に『や』付いてるから一緒や!って、全然ちゃうがな!あははは!」
奥さんはひとりでボケとツッコミをして、ひとりで笑って厨房へ戻って行った。
リュウは圧倒され、思わず小声でシュウに言った。
「奥さん、しゃべる速度どんどん加速してるぞ。シュウの5倍はあるんじゃねえか?」
「いや、あれが普通のカンサイ弁の速度や。よう『マシンガントーク』て言われてる。僕はサツマ生まれで生粋のカンサイ人と違うし、西のミヤコの影響と自分の性格でゆったりしてるねん」
「あの早口が普通の速度?!凄いな!カンサイ人はみんな口に機関銃つけてるのか?」
と呆れるリュウ。そこへ男の子がにこにこして湯で絞ったタオルを差し出してくれた。
「どうぞ。顔も拭いて下さい」
「お、これはすまねえな。ぼうや、ありがとう!」
タオルを広げて顔を拭くと、こびりついていた血がうつってタオルが赤黒くなった。
「あ!悪いな。タオルが血で汚れちまった」
「大丈夫ですよ!それ、粗品でもろたタオルやし、ぎょうさんありますから気にせんといて下さい!」
奥さんが厨房から明るい声で言った。
さらに男の子は何枚も湯で絞ったタオルを持って来てくれ、リュウもシュウも闘いで流した汗を拭いてすっきりすることが出来た。
「ぼうや、おおきにやで。おかげで兄ちゃんら、ものすごきれなったわ〜」
シュウに頭を撫でてもらい、男の子は満面の笑顔になった。
リュウがタオルをよく見ると「殺し屋見参」というロゴマークが入っていた。
(殺し屋???いったいどんな業種の粗品なんだ?)
「それな、サツマで有名な害虫駆除業者さんやねん。昔は天文館いう繁華街にその会社のビルがあって、シャッターにその言葉も書かれてた。ええ目印になるから、みんな『待ち合わせは殺し屋の前で』って言うてたんやて」
「殺し屋の前で待ち合わせが普通か…カンサイだけじゃなくサツマも凄いな」
サコウとの試合でこの殺し屋タオルかお葬式タオルが投入され、TKO負けになっていたかもしれなかったリュウだが、本人はそれを知らない。
そこへ奥さんが丼を運んで来た。
「はい!お待たせしました!白みそら〜めんとちゃんぽんです!どちらも大盛りです」
「おお!こりゃあ美味そうだな!」
「ええにおいやなぁ〜」
「もう閉める時間やから、余った具材全部入れときました!今宵限りのスペシャルら〜めんですわ」
朗らかに言う奥さんにリュウとシュウは、
「え!いいのか?ありがてえ!いっただきまーす!」
「おおきにすんません。ほな、頂きます」
と合掌し頭を下げて、箸を割り早速食べ始めた。
「うめえ!具材の旨味がすげえ出てていい味だ!五臓六腑に沁み渡るぜ〜!うん!うめえよ!!」
骨にヒビが入った右手や背中の痛みも忘れ、大喜びでかき込むようにちゃんぽんを食べるリュウ。
「むっちゃ美味しいです〜!白みそのまろやかさと炒め野菜がものすご合うてます。隠し味で香辛料効かしてはりますね。いやぁほんま美味しいわぁ」
少しずつ麺と具材を口に運び、レンゲでスープを飲んではしみじみと微笑むシュウ。
「ありがとうございます!!!」
厨房からカントクさん、そしてカウンター近くからは奥さんと男の子の、家族3人の嬉しそうな声が重なって店内に響いた。
外のトラック運転席で、他の客が入って来ないか見張りをしていたきばい屋店主の耳にも、その声は届いていた。
(リュウさん、美味しい特効薬が効いたようだな。よかった)
きばい屋店主もまた、嬉しそうな笑顔になっていた。
(第二十二話へ続く)
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