非殺の水銀弾

過保護な義姉が神殺しだと知った日、僕は神様になりました
アオカラ
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115 家族の置き土産

公開日時: 2021年9月15日(水) 21:00
更新日時: 2022年6月29日(水) 00:10
文字数:4,481


 叔父さんは、暴走状態の咲良と出会った。

 けれど、彼女を殺しはしなかった。

 いや、みなとの邪魔が入ったせいで殺せなかったという方が正しいのか、それとも殺す必要がないと判断したのか。

 

 どちらにしても、面と向かって相対したのは事実であるのなら、聞きたいことがひとつあるのだ。

 

「……叔父さんから見て、咲良はどうだった?」

 

 きょとんと、彼は首をかしげながら訝しむような目でこちらを覗く。

 

「どう? なんやまた曖昧な聞き方やな。どっからどこまで聞きたいんや?」

 

「咲良は、怪異に取り憑かれていた。その右手の火傷を見たら、なんとなく察しはつくけれど、炎の怪異なんでしょ?」

 

「ああ、せやな。なんかだいぶ異質やけども、その子の名前にある『桜』と『炎』が混ざり合ってる、って感じやったな」

 

「桜と炎……か。たしかに、苗字も苗字だしね……」

 

「そうや、あの子のフルネーム教えてくれるか?」

 

 空木叔父さんは、みなとと行動を共にしていたから咲良の名前の呼び方は知っていても、文字までは知らないのか。

 そう考えると、咲良と身内のように接していた巴叔母さんに、情報的なアドバンテージがあったわけだ。偶然の僅差だな。

 

「苗字は優婉閑雅ゆうえんかんがの『雅』に、発火の『火』がついて雅火みやび。名前は八分咲きの『咲』に『良い』で咲良さくら雅火咲良みやびさくらよ」

 

 咲良の名前を言いながら、私の中でふとした疑問というか、違和感が浮かんできた。

 巴叔母さんのことだ。

 危険を察知して真っ先に帰ってきて、咲良を気にかけていた巴叔母さんは、いまは一体どこで何をしているのだろう。

 

 今回、庭園から灰の調査を任されたのは叔母さんだって一緒のはずだ。

 ただ彼女は「庭園に戻るつもりはない」と神楽坂家に帰ってきた日に、悪びれもなく言いのけた。

 

 だが、叔母さんは「赤い灰」の情報を一体どこで仕入れたのだ?

 花を咲かせるのではなく、染井吉野へ変化させる「彼岸の灰」は時間経過で「無垢の灰」へと劣化してしまう。

 

 巴さんが家に帰ってきたあの時点では、まだ「無垢の灰」しか見つかっていなかったはずだ。

 それはきっと方舟だけでなく、庭園だってそうだったはず。あの段階でもし庭園が「彼岸の灰」の情報を掴んでいれば、そこに所属している叔父さんが闇雲に探し回るわけがない。

 

 まさか、巴さんはあの段階で独自に情報を掴んでいて、下手をしたら「彼岸の灰」を手に入れていたのか?

 となれば、あの人のことだ。きっとなにかとの取引材料にするといった、よからぬことを企んでいるのではと邪推してしまう。


「また難しい熟語を……って、『火』まで付いてんのか。面倒というか面妖というか。格好の餌食って感じで可哀想に思えてくるわ」

 

 ふと熟考してしまった私の隣で、叔父さんは咲良の名前を聞いて、幼気な少女を哀れむように眉をひそめる。

 名前に縛られる怪異は、取り憑きやすい名を持つ者に歩み寄る。

 まるでそれが運命だったかのように、関連性と関係性の深い者同士は、出会ってしまえば繋がってしまうのはたやすい。

 

 だが。

 

「……叔父さんは、咲良と対面して、どんな違和感を抱いた? 彼女が怪異に取り憑かれてしまうような、そういう危うさみたいなものを、何か感じ取ってない?」

 

 私は暴走状態の咲良とは出会ってはいない。

 だから、実際に対面した叔父さんに聞くのが手っ取り早いと思っていたのだが、なぜか彼は眉間にしわを寄せて、顔をしかめる

 

「それ、俺が言ってしまってええんか? あの子は、みなと君の幼馴染みって聞いてる。ちゅうことは、結奈ちゃんにとってもなじみ深い子なんやろ?」

 

「もちろん、妹みたいに大切な子よ」

 

「じゃあなおさら、外様とざまの俺がどうこう言って良い問題やとは思わんけどな。たった一度しか対面しとらんし、ましてや正気でもなかった。そんな子の分析をつらつら語ったところで、見当違いなことばっかり言いそうや。それで結奈ちゃんを怒らせたくはねえな」

 

「おねがい、叔父さん」

 

 私は頭を下げて、頼み込む。声をゆっくりと落ち着かせて、真剣なトーンで。

 

「私には全く分からない。いや、私だから、身内みたいに大切に思っている子だからこそ、考えたくない。自分の思考にフィルターをかけてしまって、あの子が『死に近づく行為』をした事実を受け止めきれずに、消化できずに、考えが一歩も進まないの」

 

 進まない。認めたくない。そうであってほしくない。

 嘘だと思いたい、夢だと思いたい、決定した事象が裏返って欲しい。

 咲良が、あの子が、怪異に呑まれているだなんていうのは、私にとって悪夢そのものだ。

 大切な身内達が、まるで私のそばに居るせいで、どんどん巻き込まれていくような世界が、恨めしい。

 

 たとえただの人間であっても、いつの時代も死は普遍のものであり、誰にでも訪れる。

 誰しも平等にその機会は訪れる。

 だが「時期」は平等ではない。

 

 時期の差異を意図的に作り出しているのが、異形のもの。

 怪異に見初められた人間というのは、潜在的に死を望んでいるものでもある。

 

 心の片隅で無意識に、あるいは有意識的に。

「早死にしたい」と考えている人間が、怪異にとっては格好の獲物である。

 

 そう考えるほど、考えてしまうほど、生きる精力を失った人間のところへ、まるで死神のように怪異は現れる。

 どこにでもいる怪異は、人間が考える原初の欲求に敏感であり、さらに負の感情に至っては大好物だ。

 欲求に溺れた人間は、そのまま堕落し、死に向かいはじめることを、彼らはよく知っている。

 

 彼らこそが、欲望に墜ちた先人たちなのだから、それは当然でもある。

 

 もちろん人によってそこに至る理由は様々だ。

 自尊心が失われ、自分自身を鞭打つように追い込んで、自己を肯定できず、己を信じられなくなったものもいれば。

 外的要因で己の生きるすべを失ってしまい、世間や時の流れに呑まれるまま、生きる精力を作り出せなくなるものも。

 

 咲良ちゃんもきっと、例外ではない。

 だがその理由までは、今のところ分からない。

 

「私は、咲良ちゃんに生きてほしい。おこがましい願いであることは分かっているけど、前向きになって欲しいから、手を貸したい。でも今は、私の主観で考えた選択肢に自信がなくて、道を誤ってしまいそうで、怖いの。だから叔父さん」

 

 顔を上げて、彼の目を真っ直ぐ見据えた。

 

「あなたの観察眼で、あの子がどう見えたかを、教えてくれませんか……?」

 

 叔父さんは、言い終えた私のことを目を細めながら見ていた。

 値踏みしているようにも見えるし、軽蔑しているようにも見える。呆れているというのも、近いかもしれない。

 数秒の沈黙と視線の交錯が続いたあと、彼は気が抜けたように大きく溜め息をついた。

 

「結奈ちゃん、変わったな」

 

「……え?」

 

「俺の知ってるというか、数年前に出会ったときの結奈ちゃんっていうのは、戦闘狂であること以外は、冷徹で感傷に浸らず、躊躇のない殺し屋のイメージやったんやけどな。それこそ、巴姉ちゃんの生き写しみたいなさ」

 

「……私と叔母さんって、似てるのかな?」

 

「似てる似てる。いやまあ、似てたっていうのが合ってるやろうな。俺も姉ちゃんとは長いこと会ってないし、あの人も変わってたら二人とも似ているっていうのは、過去の話になるしな。思春期を越えて、感情豊かになったのか。それともみなと君っていう、『家族』のおかげなんかな?」

 

 叔父さんはからりと笑いながら、私の背中をぽんぽんと軽く叩いてきた。

 

「思いやれる子になってて、俺はちょっと嬉しいわ。元々こっち側の世界に入らせるのを反対していた人間のひとりとして、最後までどう責任を取ってやるべきかずっと考えてたんやけども」

 

「責任を取るなんて……。この道を進んだのは、私の意思でやったことだし……」

 

「子供の意思っつうのはな、本人の持つ意思だとは断定できんもんや。誰かの期待に応えたいとか、身内の見えない圧力で歪められたりとか、本当の意味での自己決定ではなくなっていることも多いねんな。子供がしたことの責任は、身近な大人も一緒に背負ってやるべきやと、俺は思うとる。それは今でも変わらん」

 

 だから、と続けながら、叔父さんは私の手に収まるシルヴァ・デリを、優しく引き抜いた。

 

「シルヴァ・デリを結奈ちゃんに託した時、俺は本当にこんな叔父で良いんかって、後悔しとった。姪っ子が裏家業へと突き進む道を、あの時、嫌われる覚悟で俺がへし折る方が、まだましやったんとちゃうんかってな。でもそんな杞憂は、もうせんくていいやろ」

 

 私の愛銃であり、もとは巴さんの得物であるシルヴァ・デリ。

 巴さんが家を離れる際に、家に置いていったただ一つの置き土産。

 それを叔父さんが、チューンアップしてくれて、今は私の得物として朽ちずに使えている。

 

「心を抹消して戦う神殺しは、過去の話や。変革の時が訪れたってことやと、俺はみなと君に感謝しつつ、彼を信じようやないか」

 

 手に収まっているシルヴァ・デリに、叔父さんは神秘術を使った。

 灰のように薄白く光る手の中で、銃がふわふわと浮かび上がって、部品が緩やかにどんどん分解されていく。

 

 シルヴァ・デリには、「不朽」と「必中」と「堅牢」の加護が宿っている。

 時が経っても朽ちず、弾の狙いは逸れず、いかなる衝撃を浴びても壊れない。

 そんな神話武器のような銃を、叔父さんは難なく分解し、パーツ一つ一つに神秘の業をかけて、加護の術式を組み直していた。

 

「話、だいぶずれてしまったな。すまんすまん」

 

「あ、いや……大丈夫」

 

「ひさびさに銃のメンテナンスをするから、時間かかると思うわ。暇つぶしの独り言が漏れるかもしらん、聞くも聞かんも結奈ちゃんの自由や。戯れ言やと思って、知らん振りしてもええよ」

 

 私は、無言で待つ。

 彼が今から話そうとしていることを、察したからだ。

 独り言に野暮な突っ込みは入れるべきではない。だから、静かに傾聴するのが、私が今するべきことである。

 

「咲良ちゃんはなぁ、俺が最初に遭遇してあの子の体を見た時、なんとなーく『呪われている感』が薄いことが不思議やったねんな。確かに体は乗っ取られて、意識も奪われて、飲まず食わずで徘徊していたっぽさはあった。着ている服がよれていて、砂埃もまあまあ付いてたし」

 

 ただ、と切り替えるように、彼の語調が一転し、平坦になる。

 

「あの子は、呪いだけで成立している感じに見えんかった。状況も経緯も違うが、みなと君とミズチのような『共存』に近い感覚にも見えた。怪異による完全な乗っ取りだと断定するんは、なんかちゃうんやないかってな。んで、あくまで初対面で彼女の内面を全く知らん他人が見た、俺個人の直感的な悪寒が言うには――」

 

 この直感的な感覚の話が、聞きたかったのだ。

 

 裏家業で生きてきた年数も経験値も豊富な灰蝋空木は、様々なパターンを知っている。

 怪異に関わった人間の性格、精神性、人間性。抱えている問題から生まれる、怪異との繋がり。

 そして怪奇事件が起こった時の原因も、鋭く推理する。

  

 それ故に、経験則の勘が頼りになる。女の勘より、よっぽど。

 私は固唾を呑んで叔父さんの言葉を聞き逃さないよう、集中した。

 

「咲良ちゃんはな、死に義務を見出しているタイプなんやないかって、感じたんよ」

 


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