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イヅナの部屋は、なんと国会議事堂の中央階段の裏手であった。にもかかわらず、誰もその場所を知らないという。
ミサギと木戸が施した隠遮の魔法がかけられているからであった。その場所に行こうとしても、招かれざる者は迷ってしまい、たどり着くことはできない仕掛けだ。
おかげで、存在しつつも居所がつかめない飯綱動力監理院は、都市伝説となり、その巻き添えで一員であるミサギも、気を抜けば迷ってしまうハメとなったのだ。
着いてみれば、なんの変哲もない木製の扉。
中に入れば、窓もない、壊れかけの蛍光灯数基が頼りの暗い部屋があった。
需要が激減し、アンティークしかなくなった本棚。
今時珍しい、紙製の書類が文字通りの山を築き上げている。土台は、これまたアンティークな飾り彫りが立派な書斎机だ。
いたって簡素な部屋――いや、物置と呼んでも遜色のないほど、狭く暗く窮屈した空間だ。
「やあ、やっと来たね」
バサバサと書類の束を崩し、ひょっこりと顔を出したのは、手持ち無沙汰に折り鶴を持った男性。
ユウにとっては初めての、ミサギには嫌というほど突き合わせている顔である。
焦茶の髪に年齢を示唆するかのような口元の小さな皺。それとは対照に、少年の感覚が抜けきっていない笑顔が若さを見せている。
ミサギよりも上背があり、細身ながらも
黒のニットジャケットとベージュのチノパン、ベルトと靴もジャケットと色を合わせ、全体的に引き締まった印象を持たせている。
今がトレンドとニュースでも特集をしていたビジネスカジュアルをイメージしたのだろうが、正直なところ、部屋の設えと全くあっていない。
「なあなあこれ、いいだろー。大人コーデだろ~。うちの娘が選んでくれたんだぞ」
発言もデレデレとした娘自慢で、大人にしてはちょっと頼りない。
ユウは、大人の魅力が台無しになった瞬間を見てしまった。
「薄暗いなかで、家族自慢しないでください」
「そう言うなよ。君こそ、来るのが遅れるなんて珍しいじゃないか。誰かに絡まれても、自慢の毒舌で瞬殺秒殺辞職に追いやってくるのに」
あっけらかんと言い返され、ミサギは苛立ちに大きくため息をつく。
「早く来てほしいなら、いい加減ここの術の改良をしていただけませんか。毎回毎回、術をかい潜るのは面倒です」
揶揄する言葉に不満をぶつける。
けれど、彼は悪びれた様子もなくやれやれと肩をすくめる。
「仕方ないだろう。あいつらがアヤカシ案件を後回しにするから、監視してないといけないんだ。当分は動けないよ。てか、もしかして迷ったの?」
「……」
彼は不機嫌顔で視線を逸らす。そのとき、思わず見た子供にフウガは気づいた。
「ふぅむ……君が術にひっかかっちゃたのかなあ?」
言って、意地悪そうな視線をユウに投げかける。
「……え?」
「誰か一人でも惑わされると、全員が迷子になっちゃうんだよね~」
粘着質な口調は、子供を泣かすのに十分すぎる効果があったようだ。
ゆっくりとミサギたちを振り返るユウ。その顔は申し訳なさげで今にも泣きそうだ。
「……ボクのせいで迷子に……ごめんなさい」
「君のせいじゃない」
「せやせや! 気にせんでええよ!」
「でも……!」
「謝罪ならこの男にさせよう」
ミサギは、ズカズカと折り鶴をもっている男に歩み寄り胸ぐらをつかんだ。
「ちょちょちょちょーい! ごめん! 泣かすつもりじゃなかったんだ!」
「だったら泣かさないでくださいよ。それに、謝る相手は僕じゃないでしょう?」
言って、乱暴にユウの前へ男を突き出した。
男はすまなそうに頭を掻き、
「すまなかったね。いや、ホントに悪気はなかったんだ。完璧な術式なんてできる人間がいないから仕方ないことなんだよ。君が気にすることじゃない」
それから居住まいを正し、にっこりと笑う。
「ようこそ、飯綱動力監理院へ。
私は室長の総領寺フウガだ。よろしくね、春日ユウ君」
「は、はい、よろしくお願いします……」
涙と鼻水を、目の前に出されたハンカチですすって、ペコリと頭を下げる。
それが、みっちゃんのワイシャツだと気づいた者は、はたしていたのかどうか。そも、誰が差し出したのか。
「ユウ君、と呼んでいいかな?」
「はい……あの、どうしてボクの名前……?」
不思議そうに訊ねると、彼はにっこりと笑う。
「君の事は、業務上必要最低限の項目で調査させてもらっている。情報は鮮度が命だからね」
総領寺は自慢げに胸を張る。
「うちの情報網は超優秀だからね。国家予算からとある大臣の寝言まで、知らない情報はないからね~」
声は前方からしたはずなのに、彼の姿はユウの背後にあった。
「?」
「あ、今度は先に謝っとくよ、ごめんね」
「!?」
その意味を知ったのは直後だった。
総領寺の手が挙がるのを視覚が認識する。瞬間、それはユウの眼前にあった。
掌底が、のけぞるユウの真上を切り裂く。
意図しての行動ではなかった。ただ、危険だという本能のみがユウの身体を突き動かしていた。
「え? なんで急に?」
「ほぉ……やるなあ」
今度は手刀が襲いかかる。素早さも殺気も異常だ。人並みどころかケタ外れすぎて、人の形をした恐怖の塊を相手にしているようだ。
そしてユウの問いに答えはなく、本気で殺しにかかろうとするばかりだ。
怖い、怖い、怖い。
胸中を一つの感情が埋め尽くす。どんどん滲み出て、体中が染まっていく。
しかし感情とは裏腹に、尽く攻撃を避けていく。
「!?」
「ユウどん、すごいやん……!」
「え? えっ?」
驚いていたのは、周囲どころかユウ自身もであった。
「なんでボク避けるのできてるのぉっ!?」
『こっちが聞きたいわっ!』
一斉にツッコミが入る。
攻撃している総領寺も思わず叫んでいた。
理由はわからないが、相手は本気だ。いくらケガをしても平気とはいえ限界だってある。
しかも、的確に急所を狙ってきている。
油断すれば、一瞬で心臓を貫かれてユウの生命は尽きるだろう。
だがどうだ。
不思議がっていたユウの表情は、だんだんと嬉々としたものに変化しているではないか。
子供が喜びに満ちた顔で攻撃を躱していく。
そんな状況、誰が理解できようか。
生きるか死ぬかの極限まで追い込まれ、神経を全て目の前の攻撃に投じ、研ぎ澄まされていく感覚に気持ちが昂揚し駆けあがっていく。
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