「すいません。追加で、このページのここから――」
言いつつ、ユウの指がメニュー画面の左上の端から右下の端へと移動する。
「――ここまで全部、お願いします」
これで何度目であろうか、食べ終わった皿を回収しようと伸ばした手をピタリと止める女性店員。彼女の耳に、マンガみたいな追加注文をする声がいつまでも残り脳裏をぐるぐると回る。
まさか、実際に聞く日が来るとは思わなかったであろう。しかも、一日に何度も。
最初に聞いたときは、三度聞き直してしまった。
口の回りに、ナポリタンソースをつけた小さな客は、レストランメニューの肉料理のページを見せつつ、改めて「これ全部です」と、屈託のない表情を彼女に向ける。
「……ご注文、ありがとうございます」
笑顔、はやい、親切がモットー、全国展開のチェーン店を誇るファミリーレストラン。
早くも一つ目が引きつって崩壊しつつある店員は、注文用のタブレット機器を操作した。決して間違えないよう、震える指をゆっくりと画面にタップしていく。
複雑な表情でキッチンへと向かう店員を哀れに見送り、小さな客に向き直るみっちゃん。
「……ユウどん、なんやねん……どんな胃袋やねんソレ……」
もはや、驚きを通り越して乾いた笑いしか出てこない。
「昨日の今日でこの量て……食べちゃう? もういっそ店まるごと食べちゃう?」
「んむゅ?」
目の前には、小さな客――春日ユウが朝食を摂っている。その量たるや、人間の限界をとうに超えて象に匹敵するのではないかというほどであった。
店員が通り過ぎる度に皿を片付けていくので、テーブルに皿の山こそないものの、追加追加でユウが食べた料理の数は百を超える。
財布という役割で付き添っているみっちゃんはというと、自分のスマホを手にし、若干震えていた。
画面を見ようとしてすぐ目を逸らす。さっきからそんな挙動不審を繰り返していた。どうやら、支払い金額を見るのが怖い様子である。
それもそのはず。
店に入るとき、みっちゃんの奢りということで、電子マネーの清算設定をしていた。
スマホには、注文した品が表示され、精算時に自動で支払われる。
当然ながら、残金がなければそれ以上の注文はできない。
支払い方法を、経費用の電子マネーに切り替えなかったことを今更ながらに後悔した。
経費用ならば、どれだけ金額がかさんでも後払い――要は『ツケ』で済ますことができたのだ。
勇気を出して「とりゃ!」と掛け声を出して注文履歴を表示する。
「……」
みっちゃんは、やはり見なければよかったと後悔した。
かつてない速さで画面がスクロールしながら注文した品が表示されていく。
画面下部には、まさに神速といわんばかりに数字が瞬きその桁を増していく。末尾には『円』の文字がついていた。
わざわざアニメーションで表示しないでほしかったと思う瞬間でもあった。
彼はそれを見た後、思考が停止し魂の抜け殻になる。その姿は真っ白に燃え尽きていた。
どこかで、仏壇にある鈴の音が鳴った。
◆ ◆ ◆
「お腹空いたぁ……」
それは、ユウがライセンスを取得できた昨日の夜のことであった。
みっちゃんの奢りでとある食事処に行った二人。早速席に着き、みっちゃんはメニューを広げユウに手渡す。
「どんどん頼みぃや。好きなモン奢ったる」
「いいの? ボク、結構燃費悪くてよく食べる方なんだけど」
「遠慮せんでええ。子供はよう食わにゃあかん」
その言葉に、ユウの表情がふわぁっと明るくなる。
「ありがとう!」
その微笑みは天使のものか悪魔のものか。このときのみっちゃんに予想できるはずもなかった。
ユウは、すぐさま店員のおばちゃんを呼んで、メニューを見せる。
「すいません、ここに書いてあるの、全部お願いしますっ!」
『……は?』
聞き返す声は、みっちゃんと食事処のおばちゃん、両方のものだった。
正気なのかと疑うようなみっちゃんのサングラスは、今からやってくるであろう料理を楽しみに待ちわびる無垢な子供を映していた。
どんどん運ばれてくる料理を次から次へと平らげていくユウ。
その食べっぷりをおばちゃんに誉められつつも笑顔で出禁をくらってしまったのだ。
そして今。
目の前の学習しない子供は同じことを繰り返そうとしていた。
「な、なあユウどん……あんまり容赦なく食べると、ほら……昨日みたいになっちまうから、な」
「んー……」
言葉を選びつつ注意を促すと、ユウは物足りなさそうな表情をした。
口の中の物を飲み下し、食べた物はどこへ行ったかわからぬほどスリムな腹を撫でる。
「でも、お腹空いて力が出ないよ。ミサギさんと木戸さんは用事があるからって今朝早くに出かけちゃって、朝ごはん食べてないし」
そう。本日のユウは木戸の朝食を食べ損ねてしまったのだ。彼の作る料理を食べれば、今この惨状はなかったであろう。
今更になって、木戸のありがたみが理解できたみっちゃん。
祈るようにして盛大なるため息を落とすが、今更である。
ちらと見れば、ほんわかと肉の香りを含ませた湯気ごと頬張り、ニコニコと幸せそうに噛みしめるユウ。
みっちゃんはついつられて微笑んだ。
「……とりあえず、それ食ったら屋敷に戻ろうや。ミサギどんたちも帰ってきてるかもしれんしの」
ところで、とみっちゃんはユウの姿をじっと見る。
いつものユウである。いつもの、ずっと黒いフードを目深に被っているユウだ。
初めて会った時は意識しなかったのだが、気がつけばこの子供はフードを被って顔を隠している。
「なあ、なしてさフードぬがんの?」
問われたユウは、途端にバツが悪そうにフードの裾をいじり始める。
「や、その……ボクの髪……ヘン……だから。目立つのヤだし」
それを聞いて、彼はますます不思議そうに首を傾げる。
「ヘンて……別に寝ぐせも立っちょらんやったろ?」
それでも、ユウは視線を合わせようとしない。
「――もしかして、髪の色を気にしちょるんか?」
図星だったようで、ふいとそっぽを向く。
みっちゃんは、意外だというふうに頭を掻き、
「あのな、屋内でフードかぶっとる方が悪目立ちするわいな」
大丈夫じゃて、とみっちゃんは笑う。
「今時分、髪を染めとるやつなんていっぱいおる。たとえ地毛でも『オシャレじゃろ♪』と堂々としときゃええんじゃ」
「そう、なのかな?」
「そーや。そんなモンやっ」
わっしが保証しちゃる、とみっちゃんは胸を張る。
その言葉を信じたのか、ユウは肩の力が抜けたように笑った。
「そっか、気にしすぎたら逆に目立つんだな」
「せや、なーんも悪い事じゃないんじゃけえ、気にせん気にせん♪」
「あ~、なんか気が楽になった!」
「悩みはないのが一番じゃて」
「うん! よし、じゃあ食べよう!」
「どんどん食え……へ?」
目の前には、湯気まで美味しそうな料理が数並んでいたはずだった。
空になった皿を見て、ユウの顔を見るみっちゃん。
リスの頬袋を見事に再現したユウの頬は、幸せそうな咀嚼に合わせてもごもごしていた。
「……あかん、ブーストかかってもうた……」
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