「あの! お世話になりました!」
ユウは改めて深々と頭を下げる。そして、先に行ったみっちゃんのあとを追って、暖簾の向こうへと走っていった。
その姿を見送った井上坂は、糸の切れた操り人形のようにドッと座り込む。
言の葉屋はその頭を小突いた。
「こンの……おばかたれ!」
「仕事終わりの身体にひどい……」
井上坂は叩かれた頭をさする。
「えすこぉとしろと言うたろうが! 試練の門が出たときの対処はどうした!?」
「ごめん。できなかった」
井上坂は、淡々と当時の様子を伝えた。
「あの子の試練、門の中と外の両方にあったからすぐに動けなかった」
「はあ!? 門の外だからって………………は? 門の……外……?」
言の葉屋は驚きの顔を見せたが、井上坂はケロリとして答える。
「うん、門の外」
言の葉屋は、大きく息を吐いた。
「そりゃまた……前代未聞じゃのう」
「うん、前代未聞。僕の方が死ぬかと思った」
言の葉屋は少し考えこみ、囲炉裏のそばに座る。井上坂も座ると、彼女が熱いお茶を湯呑みに注いで差し出した。
「まあ……とにもかくにもお疲れさま」
「……ああ、こういう事で死ぬのもあるんだな。先代の井上坂が命を落とした理由ってのも、あながち嘘じゃないかも」
「字綴りは、言の葉を織り込み綴って、意識を、気持ちを、時には世界の理までねじ曲げる。そりゃ長生きするわけなかろう」
「わかってる。わかっててこの仕事してるんだから」
井上坂は、差し出された湯呑みを手にし、そこから立ち上る湯気をぼうっと見る。
字綴りは命を削る。
その内容がどんなに些細なことであれ、だ。
ふと思い出したように、彼は自室に行き分厚い書物を手に戻ってきた。
日記である。
彼は、字綴り屋になってから毎日記憶を綴っている。
些細なことから、腹黒い政治家の大事件も残らず書かれていた。
これも全て次の井上坂に受け継ぐためである。
逆に、言の葉屋は言葉を生み出すため、その命も溢れるかのように長い。
彼女も幼い子供の姿だが、とうに百歳は超えている。今まで幾人の字綴り屋の最期をみたことか。
井上坂は湯気の立ち上る湯飲みを横に、日記に筆を走らせる。先程の字綴りを思い出しながら。
彼が参道を歩く間、囃子に合わせて太鼓が鳴るたび、言葉を綴るたび身体の力が抜けていく。
例えば命を削る感覚が、全力疾走した疲れと似ていれば、彼はさほど苦ではなかった。息切れを悟られなければいい。しかし、体を支える力がなくなるのは、我慢してもふらつきを止められない。
それが、命がなくなっていく感覚なのだと知っていたが、初めて恐ろしいものだと思い知った。
「できれば死ぬ前に、もう一度あの子に会いたい」
「ほぉう……」
彼のつぶやきに、言の葉屋が笑みをこぼす。
「……と、友達に……なりたい、とか……考えるくらい、いいだろ?」
心なしか、彼の顔は赤くなっていた。
言の葉屋が茶化せば、きっと湯気にあてられたせいだと言うだろう。
「ふひひっ、己に絶望して親から逃げ出した奴の言葉とは思えないねえ。大丈夫さね。あんたに服を返しに来るじゃろうが」
「知ってるよ」
「そういや、あの蒼童はお前さんと同い年くらいか?」
ダボダボのシャツを着て感謝の表情を自分に向けてくれた、そんなユウを思い出し脳裏に焼き付ける。
「僕の方から会いに行ってみようかな?」
「は? 本気かの?」
井上坂は、すすった湯呑みの中に茶柱を見て、ニイッとした。
その一方で。
再び役所に戻ってきたユウとみっちゃんは、十数分も経たないうちに出てきた。
その表情は晴れやかだ。
「よかったなあ、無事に魔法士のライセンスが取れて」
「うん! スムーズに手続きできてよかった。何で今までてこずってたんだろ?」
「あー……そうさなー」
二人は、既にユウの身分証明の違和感など微塵も感じていなかった。
「さて、そいではお次は――」
ぐうぅぅぅ
地の底から響くような、何かが唸るような声がした。
「何やっ!?」
慌てるみっちゃんに、ユウは顔をきょとんとさせて腹を押さえる。
「そーいえばお昼ご飯まだ食べてないから、おなかが――」
言っている間にも、急かすように容赦なく鳴り響く腹の虫。
「……………………夕飯、奢るわ……」
みっちゃんはユウの肩にポンと手を置いた。
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