二人が実際に行ってみれば、建物はボロボロ、道など破壊し尽くされて無きに等しい。辛うじて通れる場所は瓦礫の山。報告にあった状況よりさらに悪化していた。
そこは、かつて魔法士たちが戦い果てた跡の散らばる場所だ。爆発で抉れた地面や切り裂かれた壁があちらこちらに見て取れる。
アヤカシが暴れまわった跡かと推測されていたが、ミサギは魔法士によるものだと確言した。
先人の大怪我と引き換えに手に入れた調査報告によると、今回のアヤカシは群れているという。
ならば、仲間に被害が及ぶほど大掛かりな攻撃はないだろう。と、ミサギは後の報告書に、表向きは、そのように記録した。
実際のところは、
「自分たちが放った魔力の痕跡くらい見分けろ」
だ、そうだ。
彼によると、微力ながらも魔法士たちが攻撃した際の魔力が残っているのだという。
そうは言うものの、魔力感知などできないに等しい下請けの魔法士にはできない芸当だ。
二人は最後に調査報告のあった場所の扉を開けた。
案の定、これまで見たことのない数のアヤカシが一斉に赤い目を見せる。
幸なのは、種類としてはサルを模したアヤカシだけで、数百を超えるものの、どれも幼獣で弱く倒すのが簡単だったこと。
不幸だったのは、アヤカシ全てが視界を共有していることで、一匹に見つかると他のアヤカシにも居場所を把握され、一斉に襲われる危険があること。
どちらもまた、先駆者の命がけの情報だ。
たとえ弱くとも、通常、魔法士が一人で相手できるアヤカシはほんの数匹。それ以上は魔力なりスタミナなり尽きてしまい、体が動けなくなってしまう。
だがしかし。
二人は――特にミサギは、そんなことを言うのは軟弱者だと主張するかのように、周囲に群がるアヤカシを一瞬で消し飛ばしてしまった。
手を触れることなく、ただうっとおしそうに「邪魔、消えろ」と視線と言葉を放った瞬間に。
スタミナも魔力も底を測れない。
一匹だけ残されたアヤカシの子ザルは、ガタガタと身を震わせるも、しっかと目を見開いた。
ミサギを見ようと顔を上げたが、そこには黒い巨大な影が立っていた。
「ギキイィィイ!」
子ザル一匹、恐怖を抱えて逃げ出していく。
「木戸……ビビらせすぎだ。親のもとへ帰る前に消滅したら追えなくなる」
木戸は、無表情に頭を下げた。そしてすぐに、子ザルとは違う方向へと走り出した。
――すぐ他のサルたちが集まるだろう。ミシェルでも呼んで撹乱しておいてくれ
ミサギの指示は、言われずとも伝わっていた。
◆ ◆ ◆
まだ昼過ぎだというのに、廊下から差し込む光は彼の行く手を阻むように薄暗い。
途中にあった角を右へ――曲がろうとして足を止める。
壁一面、天井も床も真っ黒だった。煙にも似た黒いものが滲み出て、無数の赤く丸いものが二つ一組で点滅を始める。彼には、それがアヤカシたちの瞳だと理解するのに〇.五秒もかからなかった。
木戸の手に握られたスマートフォンが奇怪な音をたてて壊れる。
画面を見ると、『送信済』のメッセージが一瞬だけ表示され、あとはウンともスンともいわなくなった。
ミシェルのもとへはなんとかメッセージを送信できたようだ。
ミサギの指示通り招集の連絡ができたことに、木戸はホッとする。
ひとまず、アヤカシのいない場所を見つけて追加で詳細を連絡しようとも思ったが、壊れたスマートフォンは復活する兆しもなく、諦めた。
木戸はスマートフォンをスーツの胸ポケットへとしまい込んで、
「仕方ありません、ミサギ様が本体を倒すまで私がお相手いたしましょう」
小さく呟いた。
「本来ならば、私一人めに指示していただければ済む案件なのでしょうが……ミサギ様がお怒りモードですし、ストレスは発散していただかないと……」
呟く途中でも、四方の壁から煙が燻り、子ザルのアヤカシたちが次々と湧いて出てくる。木戸が少し下を向いている間にサルたちはみるみる溢れ、立ち尽くす彼を呑み込もうとドームのように群れて覆い始める。
あと数センチでドームの天井が閉じようとした瞬間。
ガチャン、と金属音が鳴る。
すると、サルの動きに変化が生じる。いや、止まったのだ。
次の瞬間には、バラバラとドームが崩れサルたちは地面に転がり落ちる。
その中心には、手に鍵を持った木戸が立っていた。
◆ ◆ ◆
ウォード錠は黒く艶めき、持ち手部分に埋め込まれた青い水晶は光を帯びている。
彼はその鍵を突き出し、施錠するように捻っていた。
アヤカシでも呼吸が必要なのだろうか、と木戸は冷静に彼らを見下ろす。
木戸を襲おうとしたサルたちは、残らず地べたに這いつくばり、呻き苦しんでいた。
あるサルは酸素を取り込もうと大きく口を開けて肩を上下させ、またあるサルたちは痙攣して手足をヒクつかせている。
アヤカシとはいえ見た目はサル、自らの知能を駆使するかと思いきや、拍子抜けにも為す術なく倒れていた。
サルたちの倒れた原因は、傍目では酸素不足の症状を見せている。だが、木戸の魔力による威圧をかけているだけであった。
彼は自身の『鍵』を使う能力で空間を隔離した。その範囲は壁を天井を越え、建物全体を『通常空間から隔てて鍵をかけた』のだ。
そのうえで魔力を空間に充満させたに過ぎない。
気付けば、壁にも天井にも蠢いていたサルのアヤカシたちは、彼一人の魔力に負け、息も絶え絶えとなっていた。
「ここは私が鍵をかけた空間。動物の姿といえど正体はアヤカシであるあなた達に自由はありません」
サングラスの奥にある瞳が、サルを冷たく見下ろす。
そこにいるのは、ミサギの意思を忠実に再現した部下であった。
「ミサギ様の邪魔をしないでいただきたい」
低く脅す声は、力尽きていくサルたちを追い詰めるのに十分すぎた。
どこからか、薄く紫に色づいた花びらが数枚、迷い込んでくる。
一匹のサルが、花びらに気を取られ瞬きする。
瞬いた次には、視界に小さな黒い穴が出現した。
穴、だけではない。一緒に、黒い鍵が浮いていた。
サルたちは、それぞれが周囲を見渡す。鍵も穴も視界共有ではなく、現実にサルの数だけ出現していることを知った。
サルは知る由もない。木戸の能力である。
黒い穴は鍵穴だ。
サルが触れようとするも、鍵も穴もするりと通り抜けて触れない。
「理解できずとも結構です」
木戸は、手に持つ一本の鍵を、穴に差し込むしぐさをする。と、同時に、カチャンと軽い音をたてて、サルたちの前にある鍵は鍵穴へと差し込まれた。
さらに鍵をかけるように捻る。すると、全ての鍵が次々とかけられ、施錠音が連なっていく。
何が起こったのか。
木戸の言う通り、当のアヤカシたちは理解できず戯れに鍵と穴に触れようと手を掻いていた。
数百ある鍵がかけられた瞬間、アヤカシたちは断末魔もなく真っ赤な宝石核の姿となって地に転がり落ちる。
木戸がさらに鍵を捻り抜き取る。無数の鍵穴と鍵は、役目を終え、一斉に花びらと化して中空へと舞い消えていった。
核は灰となって溶けていき、残ったのは一人廊下に佇む木戸。
「さて、残るはミサギ様のところですね」
木戸は、スーツについた土埃を軽く叩いて襟を正し、鍵を取り出す。
「……おや?」
鍵から、ほんのりとひとの気配が感じられた。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!