気をつけの姿勢（しせい）のまま、ミサギの後ろまで逃（に）げるように下がる。

　可愛（かわい）いと言いつつするどい目で睨（にら）まれ、ユウは身の危険（きけん）を感じてしまったのだ。

「しょ、所長は子供（こども）好きなんです！　ただ目つきが悪すぎるので！　決して睨（にら）んでるわけでは――ぐふぁっ」

　弁明するセリフの途中（とちゅう）で回（まわ）し蹴（げ）りをくらう助手。

　アスカと電話をしていたときとはまったく違（ちが）う印象であった。

　叫（さけ）んでいて、ヒステリーを起こして――別人だったのではないかと錯覚（さっかく）さえおぼえる。

「初めまして。私（わたし）がここの所長、緇井（くろい）リョウだ」

　落ち着いた、大人（おとな）の雰囲気（ふんいき）を醸（かも）し出（だ）す挨拶（あいさつ）だ。

　蹴（け）り飛ばした助手を優雅（ゆうが）に指し、

「あちらは助手の吉之丸（よしのまる）」

「……よろしく……」

「よろしくお願いします」

　壁（かべ）に窪（くぼ）みができるほど激（はげ）しく飛ばされた割（わり）に、会釈（えしゃく）を返す余裕（よゆう）のある彼（かれ）。

　名前なのか苗字（みょうじ）なのか曖昧（あいまい）な自己（じこ）紹介（しょうかい）を――いやそれよりも、蹴（け）られた箇所（かしょ）と背中（せなか）は大丈夫（だいじょうぶ）なのか、ユウの思考はしばらく混乱（こんらん）を極（きわ）めた。

「さあ、立っていてもなんですから、そちらのソファへどうぞ」

「所長……！」

　彼女（かのじょ）の案内に、ヨタヨタと吉之丸（よしのまる）が割（わ）り込（こ）む。

「……やっぱりやめましょう！　こんなヤツに来られたら、事態が悪化するだけですよ」

「？」

「吉之丸（よしのまる）」

　緇井（くろい）が睨（にら）む。諫（いさ）めるように語気を強めて名を呼（よ）んだ。

　しかし彼（かれ）は首を振（ふ）って言い続けた。今まで溜（た）め込（こ）んでいたものを吐（は）き出（だ）そうとして、口調が強くなる。

「知ってますよ、コイツが関（かか）わった事件はロクな事にならないんですよねっ！

　みんな災害級の被害（ひがい）を受けて、辺りは焼け野原になって何も残らないん――」

　最後の言葉は、所長の本日二度目の見事な回（まわ）し蹴（げ）りにより、壁（かべ）へと叩（たた）きつけられた。

「お前は何か勘違（かんちが）いをしているようだな」

　緇井（くろ）は手元から青緑色の花びらを散らしつつ教鞭（きょうべん）を出す。彼女（かのじょ）にとって魔法（まほう）に必要な道具らしい。

「お前が喚（わめ）いていた災害級の被害（ひがい）とは、調査を進めた結果に判明したアヤカシによるものだろう？　最初に引き受けた者たちの手に負えない事態になったから、政府が彼（かれ）を遣（つか）わしてくれたんだ！

　他（ほか）の依頼（いらい）もそうだ。引き受けたものの、事態を悪化させた者に代わり、彼（かれ）が収束（しゅうそく）させてくれているのたぞ！

　勘違（かんちが）いも甚（はなは）だしいぞ、吉之丸（よしのまる）!!」

　教鞭（きょうべん）を助手に容赦（ようしゃ）なく突（つ）きつける。

　吉之丸（よしのまる）は、叩（たた）きつけられた反動でむせ、よろめきながら立ち上がった。

　壁（かべ）は破砕（はさい）しているというのに、彼（かれ）は傷（きず）一つない。頑丈（がんじょう）な体をしているようだ。

　不服そうにそっぽを向き、

「……すみません」

　と、小さく謝罪した。

「助手の吉之丸（よしのまる）が失礼をした。これに懲（こ）りずご助力願えればとても助かるのだが」

　彼女（かのじょ）は、申（もう）し訳無（わけな）いと頭を下げる。ミサギはというと、なんと笑（え）みを返したではないか。

「貴殿（きでん）の為人（ひととなり）は存じています。こちらが努力を惜（お）しむ事などあり得ませんよ」

「感謝する」

　緇井（くろい）はもう一度深く頭を下げて、資料を差し出す。

　――ありゃ？　なんや、ミサギどんの態度が……

　違和感（いわかん）に気づいたのはみっちゃんと木戸。

　いつもなら罵詈雑言（ばりぞうごん）の嵐（あらし）で仕事どころではなくなるはずなのだが、今回はそれがない。

「ミサギさん、すごいお仕事してるんですね」

　言うは感心しっぱなしのユウだ。

　二人（ふたり）の思考は、とある推測（すいそく）へと到達（とうたつ）する。ユウの発言で至（いた）った結論（けつろん）だ。

　――ミサギどん、まさかユウどんにええトコ見せようとしてるー！？

　紐（ひも）で纏（まと）められた資料は、イヅナで見たものよりきれいな和紙だった。皺（しわ）一つなく作られたそれには、緇井（くろい）の丁寧（ていねい）な性格が表れている。

　書かれていた内容は、とある地域（ちいき）で数日前から起こっている怪現象（かいげんしょう）についてだ。

「最初は、一組のカップルが相談に来（き）た」

　緇井（くろい）は、当時の出来事を思い出しつつ話し始めた。

　相談に来（き）た彼氏（かれし）は、金髪（きんぱつ）に肌（はだ）を小麦色に焼いていた。隣（となり）に座（すわ）る黒髪（くろかみ）の男性を彼女（かのじょ）だと言い、二人（ふたり）仲良く並（なら）んで座（すわ）る光景を見る限り、なにか困（こま）っている事があるとは思えなかった。

「ここって、怪奇（かいき）現象とかも解決してくれるんスよね？　前に、チラシ見たんスけど……」

　言って、しわくちゃになったチラシを見せた。

　それは以前配布したもので、本来の行政書士の広告の下に「身の回りの怪奇（かいき）現象についてもご相談にのります」と小さめに書かれていた。

「はい、確かに。どんな些細（ささい）な事でも気になる事はすべて受け付けております」

　緇井（くろい）は、営業スマイルを見せる。

「まずは無料相談からなので、いきなり料金を請求（せいきゅう）することもありません。お気軽にどうぞ」

　真摯（しんし）な対応に、二人（ふたり）はほっとした表情を浮（う）かべた。

　金髪（きんぱつ）彼氏（かれし）は、黒髪（くろかみ）男性をチラと見て、訊（たず）ねる。

「こっちの黒髪（くろかみ）の子……男に見えます、よね？」

「ええ。とてもかっこいい男性に見えますね」

「やっぱそうッスよね……」

　金髪（きんぱつ）彼氏（かれし）はシュンとうなだれた。一方で、黒髪（くろかみ）男性は嬉（うれ）しそうに顔を輝（かがや）かせていた。

「あの……彼女（かのじょ）、実は女なんッスよ！　だから、もとに戻（もど）してほしいんッス！」

「え～？　別にこのままでもいいっしょ。てか、マジイケメンなんけどウチ♪」

「いや、オレの気持ちも察しろよぉ……」

　黒髪（くろかみ）の彼（かれ）はハスキーボイスで上機嫌（じょうきげん）だ。自身をスマホに映（うつ）し動画や写真をとめどなく撮（と）っている。

　そのやりとりを見て、緇井（くろい）は不思議そうに訊（たず）ねる。

「……もとに戻（もど）す、とは？」

「あの！　こないだ、すんげぇカミナリがあったの知ってますか!?」

　金髪（きんぱつ）彼氏（かれし）は身を乗り出す。

「はい。落雷（らくらい）でこの辺りも停電しました」

「あのカミナリが落ちた時、オレら近くにいたんス！　んで、落ちたカミナリがバリバリバリ～って地面に広がって、オレらも感電したんスよ！　で、見たら彼女（かのじょ）がこんななってたんス！」

　頼（たよ）りない語彙力（ごいりょく）にジェスチャーを混（ま）ぜ込（こ）んで、彼（かれ）は懸命（けんめい）に状況（じょうきょう）を説明した。

　◆　◆　◆

「雷（かみなり）で女性がイケメンに？」

　聞いていたユウが思わず訊（たず）ねる。

「ああ、不思議なことにな。しかも、そのカップルだけでなく、付近にいた女性全員に同じ現象が起こったとの事だ」

　原因は不明。きっかけは落雷（らくらい）と感電。しかも女性限定など、自然や人間の仕業とは到底（とうてい）思えない現象だった。

「確かに、これはアヤカシ絡（がら）みとみてよさそうだね。相変わらず意図の解（わか）らない事をしでかしてる」

　パラパラと資料をめくっていたミサギだったが、ふとあるページで手を止めた。

　題名が『財閥（ざいばつ）子息失踪（しっそう）事件』と書かれてあり、数件の報告が載（の）っていた。

　これもアヤカシ絡（がら）みだったのだろう。怪奇（かいき）現象により、ある財閥（ざいばつ）の息子（むすこ）が突如（とつじょ）として目の前から消えてしまったという内容だ。

　思わず見入ってしまったが、すぐ視線（しせん）を外す。

「別の資料が紛（まぎ）れていますよ」

「ああ、いいんだ。その財閥（ざいばつ）の御令嬢（ごれいじょう）も、例の雷（かみなり）の被害者（ひがいしゃ）だから、同時案件として複製した資料を一緒（いっしょ）にしたんだ」

　ユウも資料を見ようと手を伸（の）ばしたが、ミサギに「君はまだダメ」と取り上げられてしまった。

　膨（ふく）れる頬（ほお）をつつきながら、アスカとみっちゃんが、

「どーせ漢字が読めんのやろ」

「後で説明してあげるよ」

　と、こっそり言った。

「同じ現象はその依頼（いらい）以外にも三回起こっている。しかも、ここ一週間で連日でだ」

「で、被害（ひがい）が拡大（かくだい）し、僕（ぼく）のところに話が回ってきた、という事ですね」

　緇井（くろい）は頷（うなず）く。

「そういう事だ。我（われ）ながら情けないが、貴殿（きでん）の助力が必要だ。よろしく頼（たの）む」

　深々と頭を下げる緇（し）井（い）に、ミサギは軽く微笑（ほほえ）んだ。

「いいですよ。そのために来（き）たんですから」

　それは、いわば昇天（しょうてん）と同意義の所作であった。

　彼女（かのじょ）は気絶しそうになり、吉之丸（よしのまる）は鼻血を吹（ふ）き出（だ）してノックアウトした。

「か……感謝する」

　ミサギのこの現象は、顔立ちだけでなく魔力（まりょく）も関係しているに違（ちが）いない。

　傍（かたわ）らで見ていたユウは、そう思った。

「では、早速（さっそく）現場に向かいましょう。案内していただけますか？」

「ああ……こちらだ」

　二人（ふたり）は虫の息で立ち上がった。

お読みいただきありがとうございました！

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