◆ ◆ ◆
扉の向こうへ一歩踏み出せば、流れる人の波と喧騒の嵐。
巨大モニターは、ニュースが終わり流行曲がランキング形式で流れ出す。
忙しい人々は信号が点滅し始めると慌てて対岸へと押し寄せ、待ちきれずに少しずつ動く車はクラクションを鳴り響かせる。
空腹もそこそこに、いざ街という海原へと繰り出したユウとみっちゃんは、その嵐を眺めながら途方に暮れていた。
みっちゃんの手に持つスマホが、
「目的地まで、約百五十キロメートル、所要時間は車で二時間六分、電車で三時間九分、徒歩で二十六時間です。出発しますか?」
と、無慈悲な情報を繰り返しているのが原因だった。
目的地は工場地帯を示している。ここは街の中心部なので、目の前には環状線が走り、タクシーも絶え間なく往来し、移動手段には事欠かない。
だがしかし、それでも解決できない問題はあった。
――急いでおります。十分以内にお越しください。
木戸からの連絡内容である。
「物理的に無理やぁぁあああああん!」
悲痛な叫びは、車と電車と一斉に浴びせられた冷たい視線にかき消された。
金髪の結び目をくしゃくしゃと掻いたものだから、ポニーテールがほどけてしまった。
「何やのん! 木戸はんいつからこんな無茶ブリしてくるよぉなったん!? ストレスか? いっつもミサギどんに無理難題押し付けられとるストレスかっ!?」
みっちゃんは髪を結い直し、考えあぐねる。
ユウはというと、やむを得ず食べ残した料理が未練だったらしく、腹を鳴らしてシュンとうなだれている。
今からアヤカシを討伐しに向かうというのに、ユウの心は空腹にばかり向いている。
事態を理解しているのかいないのか。
みっちゃんは、ユウのアヤカシに対する行動を測りかねていた。
自分自身、アヤカシの事件に携わるようになってから、何度も命を危険にさらしてきた。自らが望む望まないに関わらず、だ。
大半はミサギが原因でもあったが。
無防備でアヤカシの前に出るのは死に直結する。
それとも、妖魅呼はアヤカシに関わりすぎて感覚がマヒしてしまっているのか、と、みっちゃんはミサギを思い出す。
彼もまた、ユウと同じくアヤカシを軽んじているところがあるのだ。
――いややや、
ミサギどんの場合、ありゃ最強じゃからじゃ
やけんども、ユウどんの場合……
危ういんよのぉ……
彼の本音としては、危険だとわかっていてユウを連れていくのは気が咎める。かといって、子供一人を置いていくのも、大人として、人として非道徳的だと考えていた。
「あー……せめて、今すぐ屋敷に戻れたらのぅ……」
その言葉をユウは聞いていたのだろう、顔を上げて、みっちゃんのシャツをくいと引っ張る。
「帰れるよ、屋敷」
「へっ?」
「屋敷に帰るなら、木戸さんからもらった鍵を使えば帰れるよ」
言って、鍵を取り出して見せた。
銀でできた、美しい細工のアンティーク調の鍵。間違いなく木戸が作り出した、屋敷への扉を開く鍵だ。
「それやあ!」
「!?」
みっちゃんが頭上で豆電球を光らせる。
「そやったそやった! 木戸はんの鍵があった! それを使えば一瞬やん! ユウどんナイス! さっそく屋敷に行くでっ!」
「う、うん」
まくしたてるみっちゃんに気圧されつつ、辺りを見回し扉を探す。
小さなコーヒーショップが収まっているビルの横に、それはあった。
「あそこ、ちょうどいいかも」
通用口と書かれた鉄扉に駆け寄り、ドアノブにある鍵穴へそっと鍵を近づける。鍵の形も鍵穴もまったく合わないのだが、銀の鍵は自ら光を放ち、鍵穴へと吸い込まれるように入っていく。
ガチャリ、と鍵の開く音がすると、
「テッテレテッテテーテテー♪」
背後で見ていたみっちゃんが、急にファンファーレをくちずさんだ。
「……」
ユウは黙ってみっちゃんを見上げる。
彼の表情はまるで、どこかの未来ロボットがなにかしらのひみつ道具を出した時のように見えた。
一方、ユウの顔は虚ろであった。いや、心なしかショックを受けているようだ。
「パクリやないっ!」
みっちゃんは言い切った。
「思ってることはわかる!
けどパクリやないっ!」
「わ、わかったよ……
ていうか、みっちゃんはもらってないのか、合鍵?」
「うむ、貰えんかった! わっし、やかましいから来るなって。
じゃけえ、屋敷へは空間の歪み? みたいなもんを見つけて入り込んどるんよ」
「……」
ミサギと木戸に拒絶されているのを、なぜドヤ顔で言うのか理解はできなかったが、納得はできた。
そういえば、初めて会ったときも床から飛び出してきて不思議に思ったのをユウは思い出した。
例え、常人が不可能なことでも、みっちゃんならば可能なのだろう。
みっちゃんは、そういう存在なのだと割り切ればいいのだ。
「えっと、そろそろ行こうか」
扉を開けようとした、その時。
「あっ――」
ガツンッ
「へぶぁっ!?」
ユウが開いた扉に驚くのと、木戸が急に扉を開けたのと、みっちゃんが扉に激突したのは、不運にも同時に起きた事だった。
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