◆ ◆ ◆
すぐさま周囲を見渡す。気配はわずかだが感じ取れた。だんだんと近づく歌声とともに、彼の警戒心は頂点へと達する。
「……」
歌声が止んだ。
「キキィィイイ!」
突如、甲高い悲鳴が眼前から飛び出してきた。
スマートフォンの画面が波打ち、かと思うと小さな塊が飛び出してくる。彼が視認できたのは、小さいながらも鋭い牙をむき出しにした口だけだった。
しかしそれが木戸に届くことはなかった。彼はヒョイと頭を逸らし、横をすり抜けた塊を手刀のもと真っ二つにした。
時間に換算すると一秒未満。
床に転がった二つの塊を確認すると、それはニホンザルの幼獣だった。短く密に被われた毛に短い尻尾、しかし、その胴体は木戸によって泣き別れしたにもかかわらず蠢いて唸り声をあげている。
世間でよく見るサルはそんなことできはしない。木戸は似て非なる存在を頭の隅に浮かべる。
――アヤカシ
その証拠に、こちらを睨みつける眼は血のように赤く光っていた。
「ギィィイイ!」
子ザルは断末魔を残して、灰となって散っていく。
木戸は、再びスマートフォンを見た。
アヤカシが機械を通り抜けたせいか、画面はノイズが駆け巡っている。幸か不幸か、弱いアヤカシだったため、元に戻るのにそんなに時間はかからない様子だ。
木戸は廊下へと出た。
静かだが、耳を澄ますと歌声がまた微かに聞こえる。
今回のアヤカシは、一匹に見つかると他のアヤカシがわんさかと湧いて出てくるらしい。
そのため、木戸は自ら囮となってミサギから離れる行動へと出た。
木戸のいるこの場所も既に安全ではなくなっていた。
◆ ◆ ◆
木戸は廊下を移動しながら、今回ミサギが受けた依頼の内容を思い出していた。
自分は何も感じることはなかったが、ミサギにとって非常に腹立たしい依頼のされ方だったというのを覚えている。
内容自体はさほど難しいものはなかったはずだ。廃工場で起こる怪奇現象の調査と解決であった。
通常であれば、調査のみを行い、結果を上層部へ報告すれば、後は政府の方で業者を別に依頼して解決してくれる。
だが、その上層部がなんと丸投げしてきたのだ。
これまで、何人もの魔法士が依頼を受けて調査を行ったが、ことごとくやられてしまったらしい。
このまま調査だけを下請け業者に依頼していけば、被害の拡大は防げない。そこで、政府の意向でミサギに白羽の矢が立ったのだが、言伝る人選を誤ったようだ。
「『――君もたまには我々が担っている仕事の大変さを知るといいよ』とのことです」
伝達に来たロボットは、主人であるお役人の言葉を一字一句違わず、声音を主人に真似て伝えた。
「……ああそう」
ミサギがイラッときたのを、傍らで感じ取る木戸。
このロボットの主人は、見た目も中身も厚かましい中年男性の議員だ、と木戸は思い出す。
『自分の仕事は部下の仕事、部下の手柄は上司である自分の手柄』を体現したような人間である。
無表情かつふんぞり返るように立つロボットの背後に、でっぷりしたお腹をさする主人の様子がまざまざと浮かび上がる。
依頼内容の書かれたタブレットを受け取ったミサギは、
「ありがとう。君のご主人には『承りました』と伝えてくれ」
礼を言ったが、表情は凍り付くほど冷ややかであった。
あくまでロボットは仕事をこなしただけであり罪は何もない。
だが不運にも、ミサギから漏れ出る絶対零度のオーラにあてられてしまった。
手足の駆動部分がガタガタと震えだし、音声も振動によって怯えきった出力となり「承り……エラー発生」と何度も呟きながら戻っていく姿は、哀れとしか言いようがない。
その後、なんとか主人のもとに辿り着いたロボットは、「サムカッタ」と最後に言い残し、基盤が砕けてして再起不能になったと聞く。
よほどそのロボットに金をつぎ込んでいたのだろう。
木戸の脳内で、スケジュールが一件追加された。
後日、ロボットが故障した怒りに日常のストレスを添えて、例の議員が怒鳴り込んでくる予定だ。
そして当然の如く、ミサギは執務室に彼を招き入れ、木戸にそっと扉を閉めさせるはずだ。
数分後、部屋を出る頃には、きっと謝罪の言葉が出る。壊れたあのロボットのように何度も呟きながら。
「『実力行使』なんかしなくとも、言い負かして追い込むくらい簡単なんだけどね」
タブレットを操作しながらミサギは言った。表情は穏やかだ。
穏やかなのだが、青筋を前髪で隠していたのは木戸のみが知る事実。
「今は上層部と揉めるのは面倒だから仕方ないさ。我慢だよ、木戸」
主人よりも大柄で無口な部下は、ただ頷いた。
「さて、じゃあ行くとしようか」
ミサギと木戸は、こうしてたった二人で現場へ出向くことになったのだ。
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