時刻はもうすぐ十三時。
鬱蒼とした森のように建つビルの合間には、人々の憩いの場がある。
ランチを楽しめるベンチがあり、小さな子供向けの遊具があり、緑も豊かに整備されていた。
安らぎのひと時を過ごし、昼食を終えたOLやビジネスマンは、職場へと足早に戻る。
既に、というより、休む間もなく取引先を忙しなく駆け巡る人もいた。
人々がときに波となり、渦となる大都市の風景は、今やAIロボットの普及で、そこかしこに人間に近い形の機械を目にする。ロボットも人口に含めるなら、その割合は半分近くを占めている。
それが、先ほどまでのいつもの光景、日常であった。
わずかだが、地鳴りがした。
敏感な人間と、センサーを持つロボットは、地震ではないかと辺りを見回す。不安と警戒を抱き、人はその場にとどまり、ロボットは情報収集にアンテナを伸ばす。
日常を破壊するのは、いつだって人間の理解を超えた存在であると、予感が空気に紛れてやってくる。
突然、高層ビルが一つ、爆発した。
遥か上階でのことにもかかわらず、重苦しい轟音は外を歩く人の体を震わせた。
爆風で粉砕された窓壁が中空へと吹き飛ぶ。
火の手は見えない。冷静な人が見れば、あれは爆発というよりは、何かが激突した破壊に似ていると言うだろう。
それは、連鎖して次々と隣接するビルに起こっていった。
一体、何が起きたのか。
五十階以上あるビルの上部が破壊されたことで、ガラスや壁の破片は人々を襲う凶刃の雨となる。
痛みを伴う雨。逃げ遅れた者には命さえ奪う雨。
人々は初めての降雨に悲鳴し、我先にと逃げだす。
正常な判断を奪われ、頭上から無差別に降ってくる恐怖に、街は瞬く間に地獄へと変貌した。
AIロボットたちは、ガラスの降雨と同時に危険を察知した。自身が傘となり盾となり、人間を安全な場所へと誘導するプログラムも実行されていた。しかし実際は、惑いがむしゃらに走るしかできない人間に押しのけられ、あるいは踏みつけられていった。
倒れたAIロボットの虚ろな瞳が、今起こっている現状をブラックボックスに記憶する。
その映像は、横一直線に破壊されていくビルを映し、そして、蒼い一閃が宙を舞ったところで途切れた。
◆ ◆ ◆
「だーもうっ! アヤカシつよウザいっ!」
後ろを振り返り、ユウはやけっぱち気味に叫んだ。
年のころは十二、三歳ほど。
透き通るような、それでいて深い瑠璃色の髪。
花よりも儚げな色、しかし光を秘めた薄菫色の瞳。
細く白い華奢な四肢は、身にまとった漆黒の衣装によって一層引き立っている。
AIロボットが記録した、蒼い一閃の正体である。
長いまつげのせいか、耳も隠れる長めのショートヘアのせいか。
少年にしては可愛らしく見える。
その本性は、もしかすると人間ではないのかもしれない。
傍目では性別の判断がつかない子供は、窓と窓の隙間にあるわずかな枠組みを蹴って、ビルからビルへ、大きな谷間を縫うように上昇していく。
腕に抱くは、気を失った少女。
少しばかり、ユウより背丈が高そうな少女だ。
ユウは、振り落としてしまわないよう肩に乗せ、しっかと抱きしめるように腕を回す。
「こんなヤツがいるとか聞いてないっ! 都会怖い! 怖すぎっ!」
弱音を吐きつつも、「アヤカシ」なるものの対処法は心得ているようだ。
とにかく上へ上へと向かう。最後、窓枠がベキッとひしゃげるほど踏み込み、跳躍した先でようやく高層ビルの屋上に到達する。
体力、俊敏さ、脚力、全てが常人のしている事から、かけ離れていた。
ユウは、辺りをキョロキョロと見渡す。
右も左も、ビル、ビル、ビル、ビル……。皮肉にも、ビジネス環境と自然の共存で区画整理されつくした街は、ユウを簡単に迷子にさせた。
「何だこの都会の迷路……ここどこ?」
騒動の始まりは、ユウが通りすがりの少女に道を訊ねた時だった。
アヤカシに気配が見つからないように、蒼い髪が目立たぬように、隠れるようにしていたのだが、少女はユウのフード姿を見て訝しんだのだろう。
警察で道を訊ねればいいと、少女はぐいっとユウの腕を引っ張って歩き出した。
明らかに不審者だと思われて、慌てて逃げだそうとしたのがいけなかった。
アヤカシには見つかり、少女はアヤカシの強い威圧に気を失ってしまった。
その場から、ユウだけが離れれば済む話なのに、倒れた少女を放っておけないという気持ちが、現在の状況へと繋がってしまった。
都会の迷子と化したユウは、ポケットに入れていたスマホを取り出す。マップは方角も地名もしっかりと表示されている。ナビゲーションでも「どこへ行きたいですか?」と親切にも行き先を訊ねてくれている。
「そっか! 兄ちゃんからもらったメモを……」
ユウはメモアプリを起動する。困ったときに開くように、と兄から言われ、初めてその内容を見る。
アプリのデータには、手書きで目的地が書かれている。
縦棒が二本、横棒が三本ほど引いてあり、目的の場所であろうところに赤い矢印が書かれている。
『この場所だ。ユウ、グッドラック!』
綺麗な字が応援していた。
「……兄ちゃんの……バカヤロー!」
応援されたユウの、涙ぐんだ叫びが、虚しく空へと吸い込まれる。
直後、ユウの後方で、禍々しい咆哮が轟いた。
人々には見えず聞こえず。
しかし振り向いたユウの目には確かに存在しており、狙いを定める声が追いかけてきていた。
「げっ……! もう来た!」
姿は、ニワトリに長い尾がついたもの、といえば想像できようか。
さらに、ヘリコプターほどの大きさにした、といえば、その異常さは伝わるだろうか。
真っ黒な巨鳥のバケモノを、ユウは『アヤカシ』と呼んだ。
図体が大きければ羽も大きい。
こちらに向かって飛んでくる。広げた翼が、ビルの木々を横一文字に切り倒すように破壊していく。
地上では、突然の事に逃げ惑う人々が悲鳴をあげている。
「ちょっ、やめろ!」
アヤカシに理性があれば、ユウの声にも反応したかもしれない。だが残念ながら、叫び虚しくアヤカシはさらに破壊を繰り返した。
揺れ動く長い尾でビルを叩き、鉄骨まじりのコンクリート片が爆散する。
ユウのいる方向へも、背丈ほどある破片が飛んできた。
どぉん
空気が重く響き渡る。
ビルの一部だった塊は、空気の震えと同時に粉と散っていった。
その向こう側には、片足を上げた体勢のユウ。
表情は、明らかに怒りでいっぱいになっていた。
抱きかかえていた少女は、アヤカシが壊した破片を壁にして、隠すように避難させている。
「いい加減にしろよ……! 何もしてないのにお前らアヤカシは喰おうとするし! 逃げりゃ街をぶっ壊すし! 弁償できんのかっ!」
馬の耳に念仏、アヤカシに説教。
効果がないのはわかりきっているのだが、そんな事はお構いなしに、ユウはチョーカーにつけた十字架をぶちっと取り外す。
腕を振り下ろしたとき、それは一瞬で錫杖へと変化した。
ユウの殺気を感じて、アヤカシは羽を激しく動かし、鋼鉄が如く硬い羽根を飛ばしてきた。
無数の羽根の矢にも、ユウは動かなかった。
一枚は、ユウの頬をわずかに掠る。
幾枚かは、腕と脚、そして腹部に突き刺さる。
残りは、周囲のコンクリートにヒビを入れた。
頬の赤く伸びる傷から、血が滲み溢れてツゥと一筋、流れていく。
それでも動かず、標的と定めたアヤカシを睥睨する。
――人外は、塵にて外へ斯くあるべし
子供らしからぬ言葉が、ユウの口から紡がれる。
力を封じる呪いか。
ユウの言葉に、白い花びらが一枚、どこからともなく、ヒラリと中空に生まれて消えた。
この言葉をユウが発すると現れる花びら――魔法が成功した証だ。
再びアヤカシへと視線をやると、屋上の硬い地面に落下するところだった。力が入らないのか、羽根や足を蠢かすも身動きが取れないでいるようだ。
ユウは、アヤカシの胴体へ狙いを定め、錫杖を力いっぱい込めて投てきする。
ギシャァァアアアア
アヤカシの断末魔が、ユウの耳にだけ届く。
「くぅっ……」
鼓膜を突き抜け頭にまで劈く高音に、顔をしかめ、思わず両手を塞いだ。
やがて、灰と化して空気に溶けて消えゆくアヤカシの姿。残されたのは、ユウの錫杖と、その先に刺さっている赤い物体。
丸く荒削りした宝石にも見える。
ユウが片手でつかむが、余るほどの大きい。陽にかざすと、中が揺らめいているのが見て取れた。
「こんなのが、アヤカシだなん……て…………」
緊張が解けたのか、力が抜け膝をつく。が、その膝すらもユウを支えきれず、手が出る前に、地面へと顔を突っ込んでしまう。
ぶへっ、と間抜けな声とともに、ユウの意識は遠のいていった。
◆ ◆ ◆
ユウが見渡す限り、そこは暗闇だった。
純粋な黒ではなかった。すべてを混ぜ込んだような、黒。これが闇なのだろう。
遠く、波の音が聞こえる。
見上げると、夜とは違った黒い空が広がり、また視線を真っ直ぐにすると、闇であったところに海が揺らめいていた。
写すものも反射する光もない海は、ただ黒く揺蕩っている。
ふと、彼方から鐘の音が小さく聞こえる。
周りには、空と海。ユウもいつのまにか、海の上に立っていた。
そして、他には何もない。
「誰かいないの!?」
心細くなり、ユウは辺りを見回して叫んだ。
返事はない。
この声を聴いているのは、自分唯一人なのだと思わされる。
「誰か――」
声が、闇に呑まれるように聞こえなくなった。
いつの間にか、自身の腕も足も暗く見えなくなり、ただ、闇だけとなった。
そこは、誰もいなかった――
「……なんか、白いのが見える」
気付いて、視界に飛び込んできたのは白い壁、いや、天井であった。
両手を上げてみる。
「うん……ちゃんとある」
朧げな記憶に一瞬、身を震わせる。
のっそりと起き上がってみると、かなり立派な部屋で寝ていたようだ。
「どこだ、ここ?」
さっきまで横になっていたベッド脇には小さなテーブル。ベッドとは反対側の壁沿いには、大きな本棚と勉強机。電飾はシャンデリア……とまではいかないが、おしゃれにもシーリングファンのついた明りが灯っている。
デザインは白で統一されシンプルだが、洗練されたものだと子供のユウでも分かった。
「えっと、確か――」
思い出そうとすると、巨鳥のアヤカシを倒し、紅い宝石のようなものを手にして転んだところで、視界も記憶も途切れていた。
「そうだ、ボク……」
「気がついたかい?」
「え?」
振り返ると、いつの間に入ってきたのか。サングラスをかけた黒ずくめの大男が立っていた。
「で、でかっ……!」
ユウの遠近法が狂ったか、天井に届きそうな長身だ。
別段、どっしりとした体格でもないのに、重量感と威圧感を全身に浴びているようだ。
男は、ゆっくりと横へ移動し、なぜか後ろに向かってお辞儀をした。
「?」
「やあ、どこか痛むところはある?」
大男の背後から現れたのは、小柄な女性だった。
ここまで読んでくださりありがとうございます。次回更新は、3月19日の予定です。
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