ミサギが足をタンッと軽く踏み鳴らす。
「犬猿の仲とは言うけれど、君たちが喰いあうと面倒だし、消えてもらうよ」
彼が足をほんの少し上げると、堰き止められていたものが溢れ出すように、淡い紫の花びらが吹雪となって世界を包む。
と、同時に女性の声が聞こえてきた。
決して声を張り上げているわけではない。しかし、澄んだ声ははっきりと耳元に届く。
「……歌が聞こえる」
「正確には歌ではなく、アヤカシを消滅させるミサギ様の言霊です」
「コトダマ……って、あれミサギさんの声ぇ!?」
普段も中性的な通りのよい、聴き惚れそうな声をしているミサギ。今聞こえるのは、いつもより少し高めの声。ゆったりと包容力に溢れ、気持ちが溶けていくような、脳に響き渡る感覚に囚われてしまいそうな歌声である。
「ホントに……ミサギさんの声……?」
「はい」
くらくらと頭が揺れるのを、木戸が支えながら説明する。
「口にした言葉を実現させる力です。古来より伝わる魔法の一つですが、ミサギ様はその力が並外れて強いのです」
「なんか、言の葉屋さんや井上坂さんの力と似てる……」
言の葉屋の言織、そして、井上坂の字綴りを思い出す。
ついでに彼に強く握られた手の事も一緒に蘇り、赤くなる。
「そういえば、ユウ様は字綴りを経験済みでしたね。でしたら、この事も知っておいてください」
「?」
「字綴りと、ミサギ様の言霊の力には明確な違いがあります」
木戸はアヤカシを見る。
「それは、術の対象が異なる事です。
字綴りは、あくまで人間が対象になりますが、ミサギ様の言霊は、人間もアヤカシも、存在する全てが対象になります」
「存在する全てって……」
「炎も、水も、空気も……おそらく、時間や空間においても……全てです」
「え……それ無敵ってこと? え?」
ユウの顔が驚きにひきつる。
「無敵ですね。私の知る限り、ミサギ様以上の強い能力は見た事がありませんし、常人には使う事すらかないません。理由の一つとして、膨大な力を消費する事が条件にありまして……」
「そんなすごいことをサラリと……!?」
「理由の一つっちゅー事は、まだ何かあんのん?」
さっきからユウにポニーテールを掴まれ、暇を持て余して変なポーズばかりを取っていたみっちゃんがとうとう口を挟んできた。
通常ならば、ミサギが「ウザい」と突っ込む場面なのだろうが、あいにくこの二人は素質を持ち合わせていなかった。
「もう一つの理由というのが、その……代々受け継がれる血筋といいますか……」
「ちすじ……」
「ユウどん、わかるか血筋? 親からとか、じいちゃんばあちゃん、ご先祖からの血のつながりっていうものだぞ」
急に先生のように語りだすみっちゃんに、ユウは憤慨する。
「い、意味くらい知ってるよ! ようは、ミサギさんはゴセンゾさまから血をもらって強いってことだろ!?」
「…………」
「……まあ、そんなところです」
ユウは、二人の反応を見て、うぅ……と言葉に詰まる。特にみっちゃんは、サングラスをしているというのに、残念そうな顔芸が達者だ。
「みっちゃん、その顔やだ。サングラス越しでもその顔やだ」
ユウはみっちゃんの顔を押し戻した。と、あることに気付く。
「ん? その代々受け継がれる力って、もしかしてアカツキの――」
続く言葉の先は、木戸の指先で止められた。
「それは口になさらない方がよろしいかと」
「うっ……そうだった」
ユウは両手で口を押えてミサギを見る。
幸いにも術に集中してこちらの会話には気付いていないようだ。
ミサギの声は、アヤカシ二匹を包み込むようになおも響く。彼が手を伸ばすと、応えるように花びらが二枚、ひらひらと舞い降りてきた。
てのひらに乗った花びらにミサギが息を吹きかける。
刹那。
アヤカシたちは霧で身動きが取れないうえに、無数の花吹きあがる檻に捕らわれた。
風が花びらをアヤカシに吹きつけ、触れたアヤカシの肉体を花びらへと変えていく。
ラァーエェー……
「……ッギイィィイイイイ!」
サルのアヤカシが断末魔を上げた。
少しの抵抗も許されず、最後は花びらとなってその姿は消えてしまった。
犬のアヤカシはというと、本能からかサルよりも強い力を持っているのか、唸り、首を振り、抵抗を続けている。
「しつっこい」
ミサギはさらに花びらを手のひらへ乗せる。
すると、アヤカシの前足がようやく花びらとなって散り始めた。
ウォォオオオン
アヤカシの遠吠えが地響きを起こす。
「あっ!?」
アヤカシは、その巨躯を大きく振り回し、霧の呪縛を払った。花びらを纏い、まき散らしつつ、逃げるように景色の中に溶け込んでいった。
「逃げたか……なかなかに厄介だね」
ミサギは、アヤカシが消えた場所を見つめ、周囲一帯を見て盛大なため息をついた。
そこは、二匹の巨大なアヤカシが暴れまわり、炎獄とされた工場跡地が広がっている。
「後始末か……一番面倒なんだが」
ミサギが口を開くと、先ほどとはまた違った妖艶な声が旋律を伴なって溢れ出る。
彼の足元から、円を描くように風と花びらとが舞い、広がっていく。
朱く黒く身を焦がした世界は、刹那のうちに駆け巡る花びらに洗われ、炎は花へ、かつてアヤカシだった赤い核は小さな光となり、ゆるりふわりと浮かび、ミサギを中心に幻想へと姿を変えていった。
光はぽつりぽつりと消えていき、最後の一つが空へと溶けると、朱闇は明け空気が澄み、風が疾く走る。
「……おやすみ」
ミサギがつぶやいた。
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