「門の中で何があったかは訊かないが、ここまで酷いのは初めてだ」
言いながら、彼は震える体に何とか力を入れて拭い続ける。強く握りしめた手は、ユウの頬を触る感覚がほとんど感じられなかった。
「井上坂さん……大丈夫です」
ゆっくり、囁くように言葉が紡がれた。
ユウは、固く握って壊してしまいそうな井上坂の手に、そっと自身の手を添える。
「ボクは、大丈夫なんです」
赤く染まる小さな子供は、薄菫色の瞳をまっすぐに向ける。その先には、心配と不安で表情が定まらないでいる井上坂。
「……お前のどこをどう見て大丈夫だなんて思えばいいんだよ……」
「え、えっと……」
今にも泣いてしまいそうな井上坂に、ユウは立ち上がってボロボロの服を捲って見せる。
「ほら、こことか……ここも。血がついてるけどケガしてないですよっ」
腕や足を指さして、無事であることをアピールをしていく。しかし井上坂はとうとう蹲ってしまった。
「あの……心配かけてごめんなさい……! ホントにケガはもうしてないですから……あ、服! ボクのせいで汚してすみません!」
「……服なんて、いくらでも洗えば済む」
井上坂は膝を抱え込んだまま、拗ねたように言う。
「けど、君は――」
言いかけて口をつぐむ。
ユウの身体は、確かに全身が血にまみれていた。それはすべてユウの血なのか。
井上坂は、袖口と口元を腕で隠したまま、じっとユウを見る。
字綴りの力を見せていないのだから、必要ないことなのだろうが、それでも彼は口の動きを見せず、オロオロするユウに問いかけた。
「”本当に大丈夫?”」
「はい! 今はもう大丈夫です!」
ユウはしっかりと答えた。
「”ケガはどうだったの?”」
「ええと、体中あちこち切られたりぶつけたりしたんだけど、これくらいならすぐに治るから平気です」
「……”敬語は嫌だ”」
ユウの口調に不満を持ったのか、井上坂はポソリと言う。だが、ユウには効いたようだ。
「うん、わかった。敬語をやめるよ」
「”ケガ、もう全部治った?”」
「大丈夫、全部治ったよ」
ユウはケロリとした表情で答えた。
なるほど、と井上坂はユウの手足を見る。先ほど見たときには無数にあった切り裂かれた跡がなくなっていた。
井上坂は、表情を見せないように、進む道を向いて立ち上がる。
その袖口からは、花びらがはらはらとこぼれ落ちていた。
ユウがそれに気付いたかどうか。
「……ケガがないならいい。字綴りを続ける」
「わかった。で、何をすればいい?」
「言織は――あるな」
そう言って、血でかすれた言織がユウのズボンに挟まっているのを確認する。
「え? あ、こんなところに……失くしたかと思ってた」
「言織は常に持ち主のすぐそばにある。字綴りは歩きながらするのが習わしだが――」
井上坂は、ケガがないと言った血まみれの子供を見た。
「ボクなら大丈夫だよ、歩けるし」
先だって歩き出そうとするユウ。
「……歩かなくていい」
井上坂は、自分の上着をユウに着せ、頭を優しく撫でた。血の染みついた髪がカサリと揺れる。
「俺が歩けば問題ない。だから、無理するな」
再び浮遊感に見舞われたユウは、慌てて井上坂を止める。
「うわわっ! ま、待って待って! ボク歩けるから『お姫様だっこ』はやめてくれっ!」
「……そうか」
心なしか落ち込んでいるようだ。
渋々とユウを下ろし、今度は手をギュッと握りしめた。
「転ばないよう注意しろ」
「☆※■&◎%!」
初めて声にならない声を上げたユウ。言うまでもなく、顔は真っ赤であった。
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