「買ーえた買えた! 買えましたー! わっほーい! やったーーー!!」
絵本を包んだ布袋を抱えて街を走る。変装のかいあって、私が聖女なんて大それた称号で呼ばれるフィーネ・アルバスだと気づく人はいないみたいだ。九歳くらいの子が同じコートを着ていた時は逃げ出したくなったけど。
それでもついに手に入れたのだ。『黒猫ニトラの大冒険 五巻』を。
「ふっふふー。さてと、問題はここからです」
この後はユーくんたち祓魔隊のメンバーも出場している闘技大会を見るために闘技場へ行く予定だ。ただし手順を考えなくてはならない。
目当ての絵本は思った以上の人気で、近所の本屋さんは入荷もできていなかった。なのでいろんなお店を探し回り、赤いお屋根のフィリップス商会本店で店頭販売しているのをようやく見つけて買うことができた。
その点では、こうして変装してでも――あくまで変装だ。これは私服じゃない。私は子供に変装をしている――朝一番に出かけて正解だったけれど、行列が思いの外長くて時間を食ってしまった。すでに時刻は昼前、開会式はとうに終わっている時間だろう。
「もう予選が始まってるかも……。でも、うぅ……」
悩む。
とても悩む。
できるなら一度部屋に戻って、普通の服に着替えてきたい。このピンクピンクした服は子供たちに混ざって絵本を買うのに役立ったし、どういうわけか誰にも怪しまれなかったけれど、この姿で何百何千人という人がいる闘技場へ行くのはちょっと、いやかなり抵抗がある。
「ユーくんたちががんばってるのに私があまり遅くなるのも……。着替えに行くとかなり遠回りですし……うぅぅ……」
もし知り合いに出くわしたりしたらどうしよう。でも祓魔隊員の中には早めに試合を終えてしまう人もいるかもしれない。見逃してしまってはあまりに申し訳ない。
頭がぐるぐるしてきた。こうして悩んでいる間にも時間は刻々と過ぎていく。
「……よし」
心を落ち着けるため、さっき買った絵本を開いてみる。今夜ゆっくり読むつもりだったけれど、ここは愛読書にヒントを求めよう。
開いてみた最初のページ。目に飛び込んできたのはこんな台詞だった。
『黒猫でも白猫でも、なんならピンク猫だっていいさ。君はお魚のウロコが赤いか青いか、そんなことを気にしながら食べるのかい?』
「……!!」
なんてピッタリなのだろう。今の私に贈られたような言葉だ。
「もう迷いません! 私、皆さんの応援に行きます!」
服装なんて大した問題じゃない。ニトラに応援された私は、迷いを捨てて闘技場へと駆け出した。
◆◆◆
「……人間と猫って、違いますよね。毛並みと違って着替えられますもんね」
そして後悔した。
闘技場までやってきて、客席に座ったまではよかった。いや、係員の方に「子供だけじゃ入れないよ」と呼び止められて聖堂の身分証を見せた時はすごい顔をされたけれど、それでもなんとなく気分が高まっていて平気だった。
「知ってる人が目に入ると急に恥ずかしくなるんですね……」
席についたのはちょうどユーくんとシアさんの予選六組が始まったタイミングで、二人の試合に間に合ったこと自体はとても幸運だったのだけど。二人の姿が目に入った瞬間、自分がとんでもない格好で着てしまったことの実感が湧いてきた。
ただの田舎娘な私は、それでも人前に出ることはけっこう多いし英雄なんて呼ばれている身だ。それが子供服でお出かけしてるなんて、もしもバレたら大変なことになるんじゃないだろうか。『聖女フィーネの意外な性癖』なんて記事が出回ったりして。
「うぅ……これじゃ『ひっこめー!』なんて叫んでる場合じゃな
「帰れ帰れ田舎者ーーー!!」
はいスミマセン!!」
すぐ隣から声がして思わず返事をしてしまった。
帰れ田舎者、と叫んだのは冒険者風の男性だった。腕には参加者章の腕章をつけている。きっとギルドから派遣された闘士で、試合を終えたか待っているかの方なんだろう。
「あ? なんでガキがこんなとこに?」
「いえ、その、家族が出場していて……」
幸い、いや、納得はいかないのだけど、ただの子供と思われているようだ。
「ふーん。名前はなんてんだ?」
「フィ……いえ、えっと、ニトラです! ニトラ=カタギリ!」
とっさにニトラの名前にユーくんの姓をくっつけてしまった。いつかユーくんといっしょに暮らすことができたら、黒猫を飼って名前はニトラってつけようと思ってたのに。まさか自分が先にニトラになるとは。
ユーくんのペットになる生活。それはそれで……。
「……カタギリ?」
「は、はい」
「お前の家族って、まさかユーリ=カタギリ? 妹かなんか?」
「ユーくんを知ってるんですか?」
よく考えたら出場者なんだから名前を知られていてもおかしくはないのだけど、目の前の男性はもっと身近に知っているらしく、苦々しげに闘技場に目をやった。
「やっぱりか。珍しい姓だからすぐに分かったわ」
「は、はあ。ユーくんがいつもお世話に……」
「お前の兄貴はな、人間のクズなんだよ」
「はい?」
「俺はな、お前の兄貴の先輩としていろいろ世話してやったんだが……」
どうやら、とんでもない人の隣に座ってしまったらしい。そう気づいた頃には、ユーくんの元先輩を名乗る男性の長い悪口が始まっていた。
曰く、社会のルールをひとつも分かってないとか。先輩の仕事を台無しにしただとか。足が臭いだとか。無駄に腕がムキムキしてて先輩が細く見えるだとか。だんだん悪口なのかすら分からなくなってくるけど、とにかく気分が悪い。
散々言ったあと、彼はこんなことまで言い出した。
「今じゃ、聖女フィーネ様の靴を舐めて下僕になったらしいんだけどな」
「靴を舐めて!?」
「あいつが聖女様に雇われるなんて、それ以外に理由が考えられないってみんな言ってる」
「いろいろあると思うんですけど!」
いったい何なのだろう、この人は。ユーくんの先輩ということは、ギルド『獅子の鬣』の人なんだろうか。
「でも、今から無様晒してクビになっから」
「クビに!?」
「そんくらいだっせえ負け方するんだよ。聖女様も目が覚めるだろうさ」
彼の話を聞き流すのに精一杯で試合に集中できていなかった私は、闘技場で起こっている異常な事態にそこでようやく気がついた。
「ユーくんが、集中攻撃されてる……?」
「はっはっは、運がなかったみたいだなぁ!」
闘技場にはユーくんを含めて十二人が立っており、そのうち八人までがユーくんを取り囲んでいた。不自然に見えないように振る舞ってはいるけれど、そうと分かって見れば明らかに意図された動きだ。
「な、何か知ってるんですか? なんでユーくんがあんなに狙われてるんです?」
「オレには飲み屋で知り合ったいろんなギルドの連中と、その友達が山のようにいるからな! ひと声かければこんなもんよ!」
「そんなの不正です!! 大会運営に訴えますよ!!」
「ハッハッハ、ガキの言うことなんて誰も信じねえし? 知ーらんぺって言っておしまいだね!」
「知ーらんぺってなんですか! 田舎者ですか!」
「だとしてもユーリには負けるなぁ! あっ、お嬢ちゃんも妹ってことはおんなじ村なのかな? アッハッハ!」
「うぐぐ……! たしかに田舎ですけど綺麗なところなんですよ!!」
なんなんだこの人は。そういえば、私には名乗らせたくせに自分は名前を言っていない。
親からもらった名前なら聞かれなくても正直に答えろというものだ。
「オレ? キンメルだけど? 『獅子の鬣』のキンメルな」
「……あん?」
キンメル。
『獅子の鬣』の、ユーくんの元先輩の、キンメル。
その名前は聞いたことがある。忘れもしない、ユーくんをくだらないギャンブルのために墓場に置き去りにした男の名前。それがキンメルだった。
つまり、目の前のこの人が……。
「なんだ? 人の名前聞いたら『いいお名前ですね』くらい言えや。ったく兄妹そろって気が利かねえんだから……」
「……とぉっても素敵なお名前ですねぇ!」
私は、全力で笑顔を作ることを選んだ。
今ここで、私がフィーネだと名乗ることは簡単だ。眼下でユーくんに襲いかかっている理不尽もこいt……彼のせいだろうから、やめさせることもできるだろう。
でも、こんな木っ端のクz……要職にない方では、告発したところでギルド本体には大した痛手になるまい。トカゲの尻尾のように切り捨てられて終わりだろう。そんな形で逃げさせるものか。
「お、おう? 笑うとけっこう可愛いじゃん。もうすぐユーリも乞食かなんかになるだろうし、三年くらいしたらオレの女にしてやろうか???」
「オホホホホ!」
危ない、作り笑いが崩れるところだった。
「魅力的なお話ですねーーー! でもぉ、こんなところじゃ恥ずかしいから……」
ちらと闘技場の方を見る。これは心配ではなく、ただの確認。
ユーくん本人は『都会には俺よりずっとすごい人たちがいるんだろう』なんて言っていたけれど、先に村を出た私は知っている。彼が昼は畑、夜は山で鍛え続けた力が、世間一般でどういうレベルにあたるものなのかを。
「裏でお話、いいですか?」
各々の思惑と都合が交錯する中、闘技大会が動き出す――。
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