宇宙には、色が無い。
色を持つのは、星だけだ。
星意外は、漆黒という変わり果てた色しかない。
星の数だけ、奇跡がある。心がある。彩りが、色がある。
メルトがツクシと一緒に星を見上げていて学んだのは、今では常套句となった理だった。
しかしその星すらも、気が遠くなるような距離の果てに色を失う。
とりあえず埋め合わせしたかのような、白とも金色とも形容しがたいモノクロの光しか存在しない。
光と影。
結局のところ、宇宙にさんざめくのは寂しい事にそれらだけしかない。
要点。
宇宙に、色は存在しない。
メルトが持つ、七色以外は。
“メルト・キッズ”は、色のみで構成されている。
纏った羽衣から、白いキャンバスの様な肉体部分へ色を沁み込ませていく。
赤。橙。黄。緑。青。藍。紫。
青空を飾る虹を構成する色が、メルトの肉体と羽衣とで互いに縫い合う。
夜空を覆うオーロラを構成する色が、メルトというキッズの中で無限に溶け合う。
“色の怪物”と成り果てたメルトが、その両の眼で見たのは蜘蛛の怪物だった。
誇りを追い求めた結果、未来を覆う埃の雲にしかなれなくなった元貴族。
あれを殺す。
このどこかも分からない場所で、誰も知らないままひっそりと死なせる。
その為にメルトは、一年ぶりにキッズになった。
「この姿は……嫌だな」
「めるとるメルトるメルトるメルトるメルメルメルメル!!」
メルトはぼそりと呟いた。
それが隙だった。
気付けば、グローリーの咆哮ともに四方八方から“圧し潰す巨大さと質量”の糸が飛んでくる。
先程メルトと雨男が破ったものよりも、明らかに破壊力が増しているそれが、途方もない体積の空間を埋め尽くしていて――。
「橙灯《プライドドレッド》」
“宇宙が橙色になった”。
熱が、宇宙を上書きした。
大気も無い筈のこの宇宙空間が、夕焼け空よりも只管に橙に染まる。
刹那だけ蜘蛛の糸が発光したかと思うと、オレンジの世界に同化するように溶けていく。
万単位の暴力的な数が、橙色の銀河に飲まれたかのように消滅した。
「……この姿になると、沢山聞こえるんだ。この姿にならなくても聞こえるんだけど。銀河魔術の“声”が」
「……」
「グローリーも聞こえているんだろ? もしかしたら、もう聞こえていないのかもしれないけれど。聞くだけの精神が残っていないんだろうけど」
「メエエエエエルウウウウウウウトオオオオオオオ!!」
グローリーの眼前に、光が集まった。
上下左右にさんざめく星よりも燦然と輝く灼熱の塊。
掛け値なく、その灼熱魔術は太陽の温度すらも優に超えていた。
漏れた瞬きだけで人間が黒く染まるような灼熱を目の当たりにして、メルトが口にした銀河魔術は一つだけ。
「蒼海《スロウスクレイドル》」
“宇宙が青色になった”。
水が、宇宙を沈没せしめた。
漆黒で構成された無重力空間が、深海よりもただ蒼く彩られる。
グローリーから放たれた太陽を上回る灼熱が、圧倒的な水に抱擁されて鎮火していく。
有無を言わさぬ理不尽な光球が、蒼色の銀河に眠らされたかのように見えなくなった。
「……赤点だ」
無味無臭の表情で、メルトは続ける。
「“反転魔力”をまったく活かせていない。ただ体内に巡る“反転魔力”を、壊れた本能のままに魔術と銀河魔術の火力源にしているだけだ。キッズに心を喰われている存在としては、典型的な末路ではあるけどね」
「めるめるめるメルメルメル」
「別にそこは気に掛けなくていい。あんたじゃなくても、インベーダ達も、人間も、まだ銀河魔術の根源たる――森羅万象全ての物質と概念の経典である“反転魔力”を扱えた人間は一人として存在しない。僕も、ただ登竜門の前をうろちょろしているだけだ……“先生”も」
「めるとえとせとらぷとれまいおすめるとえとせとらぷとれまいおすめるとえとせとらぷとれまいおすめるとえとせとらぷとれまいおすめるとえとせとらぷとれまいおすめるとえとせとらぷとれまいおすめるとえとせとらぷとれまいおすめるとえとせとらぷとれまいおすめるとえとせとらぷとれまいおすめるとえとせとらぷとれまいおすめるとえとせとらぷとれまいおすめるとえとせとらぷとれまいおすめるとえとせとらぷとれまいおすめるとえとせとらぷとれまいおすめるとえとせとらぷとれまいおすめるとえとせとらぷとれまいおすめるとえとせとらぷとれまいおすめるとえとせとらぷとれまいおすめるとえとせとらぷとれまいおすめるとえとせとらぷとれまいおすめるとえとせとらぷとれまいおすめるとえとせとらぷとれまいおすめるとえとせとらぷとれまいおすめるとえとせとらぷとれまいおすめるとえとせとらぷとれまいおすめるとえとせとらぷとれまいおす」
何の意味も無い言葉の羅列。
誰かの名前を口にしている感覚さえ、もうグローリーには無いだろう。
ただ蜘蛛を模した宇宙の化物が、憎悪の残滓をなぞっているだけに過ぎない。
何故銀河魔術を突如使えるようになったのかは分からない。
しかし、メルトには一つだけ確信していた事があった。
……決して、才能だけで扱えるような代物ではない。
確実に、裏で何かが手を回している。
何かが暗躍している。
しかし今のメルトに出来る事は、未来を奪う化物になったこの高飛車を宇宙の塵にする事だ。
未来を守る。
千人を殺すよりも難しく、万の敵を滅ぼすよりも際どい事だ。
だけどメルトが、確かにやりたかったことだった。
「……仮にあんたが反転魔力の存在を知ったとして、一体何をした。もし銀河魔術を、自我を保ったまま手に入れたとして、何をした?」
「ころすろころすろころすろめるめるとるめるとるめーとるめるとめとるめーると」
「銀河魔術に必要なのは、努力と、生徒の中身を慮れる環境。どちらも提供するのは、教師の役割だ」
「ごろろろおろろろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
「努力もしようとせず、生徒の尊厳を踏みにじって快楽を満たそうとするお前には、銀河魔術も、教師も土台無理だ」
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!! わがあああああああああああああああああなあああああああああああああああはああああああああああああああああああああああ」
「もう、チャイムだ」
メルトの姿が消えた。
少なくともグローリーの目前から消えた。
“猫の解”により、空間の連続性を飛び越えたのだ。
どこへ消えた?
蜘蛛の体毛で感じる人間の気配を頼りにグローリーが見つける前に、辺り一帯に響いた。
メルトの、皮肉でたっぷりな声が。
「とはいえ僕は一人の人間。努力で行きつける場所なんてたかが知れている。手に入れたのは七つの奥義と、それを複合させた一つの必殺技だった」
そもそも論、空気が存在せず振動が伝播しない宇宙という舞台で、何故ここまで声が響き渡るのか。
宇宙の存在もまともに知らず、自分という存在ももう分からなくなったグローリーには巡らせる思慮もない。
やっと見つけたメルトが何故七人になっているのかも。
物質を司る“粒子”と、精神を司る“暗黒”をどれくらいの比率で調合させればメルトそっくりの人形が出来上がるのかも。
グローリーは考える暇もなく、七倍になった憤怒を口元に灼熱の球として集め始めていた。
「必殺技って名前は言い過ぎかもしれないね。ただ七つの銀河魔術の奥義を、七人の僕で同時に放つだけなのだから」
その間に、メルトは宇宙の色を変えていた。
七つの奥義を、同時に発動させて。
『緋陽《ラースステージ》』――赤に。
『橙灯《プライドドレッド》』――橙に。
『黄金《グリードアップル》』――黄に。
『碧樹《グラトニーシー》』――緑に。
『蒼海《スロウスクレイドル》』――青に。
『藍地《エンヴィーメテオ》』――藍に。
『菫冥《ルストロスト》』――紫に。
宇宙は明滅する。
色を何度もとっかえひっかえに繰り返し、やがて歪み始める。
まるで、オーロラの様に。
七人のメルトが、手を上にあげて。
円卓のようにグローリーを囲って。
そして、必殺技――七つの奥義を寸分の狂いもなく、放つ。
「白虹貫日《セブンゴート》」
色の循環を繰り返した末。
その宇宙は、一つの破壊となってグローリーに襲い掛かり――。
「以上、授業は終了だ。いい加減あんたに構っている暇はない――僕は僕の生徒を、守らなきゃいけない」
メルトが去った宇宙には、何もなかった。
星さえも、もう見えなかった。
もう一度、要点。
宇宙に、色は存在しない。
メルトが持つ、七色以外は。
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