ベータ魔術学院魔物訓練場には、錚々たる顔ぶれの魔物が管理されている。
人間とは根本的な造りが違う“魔物”は、個体差はあるとはいえどそのどれもが人類の天敵に成り得ている。
彼らは人間をただの捕食対象としてしか認識しない。旨そうな食糧として見極め、人間だけの言語で懇願されようとも汲み取る事もせず、食欲に従って喰らう。ある魔物は膂力で人間を圧し、ある魔物は吐き出す灼熱で人間を焦がしてしまう。知能を持つ魔物も存在し、人間の脳内を間接的に操る幻覚系の魔物も存在する。
こんな魑魅魍魎の見本市を管理出来ているのは、やはり現在の星の支配者が人間である事の縮図だろう。果てしない原野と比べ一握の砂程度にしか過ぎないシェルターの中に閉じ込められ、餌を与えられなければ魔物同士で共食いするしかない状況に追い込まれている。
プトレマイオスを初めとした教師であり強力な魔術師、兵士でもある人間達に彼らは敗北したのだ。
そして授業の題材として、仮想敵としていつ駆除されるかも分からない毎日を過ごすだけの一生と貸してしまったのだ。
だが、鍵がかかっている筈の入口を飛び越して、侵入してきた少女は、この世界の支配者が人間である等とは思わない。
少女の形を模した、“星”にとっては、皆平等な子供だ。
出来るだけ外と同じ環境が再現されている地面の上、まるで散歩のように“コスモス”はミモザの体を動かしていた。
「人として生まれたか、人に非ざるものとして生まれたか。私にとってはくだらぬ番付だがな。勝者が正義とはいえ、流石にこの光景は、少しばかり心に来るものが無くはない。貴様達の親としてはな」
呟くコスモスの周りに、少女の姿よりも更に小さい魔物が素早く群がる。
振り返った時にはすでに遅し。退路を塞ぐように囲まれていた。
緑の小鬼、ゴブリン。
小さい体躯と侮ることなかれ。捕まれば人間の骨は簡単に砕き、噛まれれば人間の肉など簡単に引きちぎれる。
更には魔物では珍しい集団行動を成し遂げる点。彼らは連携して人間の男性を食糧として殺害し、人間の女性を性欲を果たす為の舞台装置として監禁する。場合によっては巨体な魔物よりも、ゴブリン達の方が数十倍厄介だ。
ミモザの体を犯そうと企んでいる邪な顔。
それを汲むこともせず、コスモスは目を瞑る。
「親に逆らうか。躾が足りんな」
「ぎぎっ!?」
ゴブリンは飛び掛かる――事は出来なかった。
足が動かない。腕も動かない。
特に何もされていない筈なのに、“重力とか引力とか見えざる力に押され引っ張られ”一切の自由がゴブリンから消失していた。
空中で静止したゴブリンが、一所に集まる。
何も目立った動作はしていないが、コスモスの意図通りだった。
「だが母は許そう。星である私にとっては、君達も人類も分け隔てる事は無い。知らないのであれば思い知ればよい。私の愛を誉として、思う存分自らを抑圧する人類に仇なせば良い。星は、競争を歓迎する」
コスモスの右手に、漆黒の空気が集まる。
宇宙の何よりもどす黒いそれが、相変わらず空中でじたばたする事しか出来ずに焦燥するゴブリン達に放たれた。
「ぎぎ、ガ、ガ!?」
「ゴゴ、ギャウ!?」
理解できない筈の絶叫が、心で迸り、理解できてしまう。
『あーおごっ』『こんな化物の中に』『ママああああパパあああああ』『いやっ』『死にたくない』『染まっていく、夢』『助けて助けて助けて』『ゴブリンに、あっ、あっあっ』『んごごごごごご』
ゴブリンの秩序立っていない心を、暗黒が埋め尽くす。
宇宙の創立のように心から広がる暗黒が排出と収縮を連続的に繰り返し、やがて緑の肉体を真っ黒に染め上げていく。
ゴブリンとしての唯一のアイデンティティであるその小柄な肉体が、コスモスを超える巨体へと膨らんでいく。
一体だけではなく、その場にいた十体が。
暗黒の成れの果て、宇宙の終点、“キッズ”へと変貌したのだった。
『オーガ』
オーガ・キッズと化した元ゴブリンたちは、その漆黒の足で大地に立つと、頭から更に腕を生やす。
刃の様に伸びた牙を口からはみ出させながら、生者を追い求める様に辺りをさまよう。
一人のオーガ・キッズが、筋骨隆々の牛頭魔物であるミノタウロスと鉢合わせた。
「ガアア、ガアア!」
ゴブリンにとっては天敵であるミノタウロス。
完全に力で負けており、一切の攻撃が意味をなさず、捕まって縊り殺される毎日を送ってきた。
ミノタウロスは途端に敵意をむき出しにし、人間の頭蓋骨を簡単に握りつぶす様な掌を伸ばす。
だがゴブリンはその腕を掴むと、木の枝でも折るかのように。
ボキっと。
簡単に、圧し折って、ミノタウロスの腕をもぎ取った。
「ピギッ」
時間を超越したかのように、結果だけがそこにあった。
“時間を飛ばしたのだ”。
ほんの僅かコンマ何秒か程度。
だが獣同士の戦いにおいては、その僅かな時間すらも致命傷。
実際、ミノタウロスは悲鳴も上げる暇も無く、その牛刀を木端微塵に潰されてしまったのだから。
「ほら。魔物《きさまら》でも、主人公になれる。宇宙の力とは本来そういう物だ」
「……」
涅色の顔に、瞳孔が存在しない血走った瞳。
ぎょろりと、元々ゴブリンだった存在はコスモスに向けるが、それ以上の事はしない。
「さあ、今度は貴様らをしたり顔で管理している人類に仇なせばいい。この光の向こうで、奴らは何食わぬ顔で式典を執り行う様だぞ」
「……」
怨敵を討ち果たしたゴブリン達は、今度はまるで導かれるように歩き始めた。
魔物訓練場からベータ魔術学院の敷地内につながる通路に向かって、覚束ない足取りで向かっていく。
閉じ込める為の鍵が、一切機能しなくなった勝手口へと――。
「――うむ。これは良い発見だ。魔物であろうとキッズにはなれる、か」
ベータ魔術学院で一番高い場所に“出現”したコスモスは、納得したように黒い生き物達の更新を見下げる。
その視線の先には、入学式がこれから執り行われるであろう巨大な建物が聳え立っていた。
これから何も知らぬ“ミモザ”へと戻り、被害者としてあのキッズ達の経過を観察するつもりだ。
そろそろ戻らなければ、流石に人間達も訝しむだろう。そう思った時だった。
「ん?」
コスモスは気づく。
“今、このベータ魔術学院に集結しているキッズは、ゴブリンが元になったオーガ・キッズだけではない”と。
「ほう。あれは知らんな。私が暗黒を分け与えたものではない」
自分が暗黒を提供したキッズたちの行進とは反対方向から、また別の漆黒なる存在が向かっているではないか。
“吸血鬼”。
確か昔、人間が信じてしまった俗話に会ったような気がする。
その時人間が想像していた、吸血鬼を連想させるシルエットをしているのだ。
「人間……へ、復讐を……」
微かに聞こえた声を聴いて、ふぅん、とコスモスは頷く。
“もうこの時点で、裏に込められた全ての事情を察しながら”。
「存外、人類も侮れんな。どうやら星の上で支配者を気取っている奴らは、相当の曲者の様だぞ……どうする。侵略者共《インベーダ》」
そしてコスモスは――また“ミモザ”に主導権を渡しつつ、入学式の中に紛れるのだった。
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