昨日対峙した存在にもかかわらず、メルトが落ちてきた第一声は雨男《エトセトラ》への心配だった。
メルトは悶える雨男《エトセトラ》に近づいて手を翳す。
「相当暗黒の浸透が悪化している……まだ完全じゃない。けれどこのまま使い続けると、本当に人に戻れなくなるよ」
「……何をする」
漆黒の体に広げられた掌へ、宇宙色の空気が吸い込まれていく。
雨男《エトセトラ》を構成している暗黒の幾分かを、メルトの掌が喰らったのだ。
キッズ体を襲っていた震えが、完全ではないにせよ止まった。精神を蝕む暗黒の速度が格段に減ったのだ。
これならまだ戦える。そう思った心を見透かしたかのように、メルトが忠告する。
「僕も出来るのは緊急処置までだ。欄魔を手放さない限り、君のキッズ化は進行し続ける」
「……礼は言う。だがそれどころではない筈だ」
「うん。一体何故インベーダ達が去った筈のこの星に、まだキッズが残ってるのか……」
瓦礫を押しのけて、現れるスパイダーキッズへ二人の視線が向けられる。
「メぇルト……貴様、貴様貴様、散々やいのやいのやいのやいの、うるさかった奴ぁ……」
「……このキッズ。まさかグローリーなのか」
メルトも驚きを禁じ得ない。人間がキッズになる手法など、欄魔等の例外的なアイテムを使わない事以外には銀河魔術を修めるしか方法が無いからだ。
何より、“静《コバルトウォーズ》”を体験していたくせに銀河魔術のぎの字も知らなかった典型的な貴族魔術師。そのグローリーが一夜にしてキッズと化している事は、メルトにとってはあまりに想定外すぎる展開だった。
「白日夢《オーロラスマイル》。お前、コスモスという名前に聞き覚えは」
「いや、無いね。もしかしてグローリーをキッズにした張本人?」
「こいつの世迷い事を信じるならな」
最早グローリーに真偽を確認するのは不可能だ。人間の眼から感情を読み取る事は出来るが、蜘蛛の複眼から意図を読み取る事は出来はしない。
ただ糸を吐き続けるような牙をギリギリと鳴らしている辺り、現れたメルトに対しても怒りを燃やしているのは自明の理だった。
「メぇルト……貴様ら、めぇ、めぇと群れる事しか知らぬ羊が……」
「お前達ハーデルリッヒと群れるつもりなど毛頭ないがな」
「群れる必要は無い。無理に僕の事を信頼する必要もない」
メルトの言葉に、雨男《エトセトラ》のキッズ化した漆黒の頭が動く。
「意外だな。お前みたいな奴は、教師を尊敬し崇めろとは言わずとも、生徒から信頼というものに飢えているものだと思ったが?」
「目的が逆転している。信頼を集める為に授業するんじゃない。後から結果として信頼は積み重なるものだ」
メルトはそこで足元に転がっていた玩具を見つける。
銃の形をした玩具。建物の崩落に巻き込まれて、子供が嘶くくらいにヒビが入っていた。
勿論トリガーを引いたところで、カチカチ虚しく音が流れるだけだ。
そんな小さな玩具に、メルトは銀河魔術を込める。
「変心《モーフィング》」
鼠色に変色し、更にメルトの体に見合ったような大きさに膨れ上がった銃身。
トリガーに手をかけながらグローリーへ先端の空洞を向ける。
「僕が飢えているのは、君と後ろの子供達。計3人の未来だ」
「俺達の未来だと?」
後ろで最早抱き合って目の前の状況を見つめる事しか出来ない兄妹を一瞥し、再びメルトの横顔を見る。
「お願いだ。僕に協力してほしい。君達三人を救いたい」
精悍な顔つきで銃を構えたメルトが続ける。
「グローリーのキッズはどうも未知数だ……僕一人で戦えば、情けない事に犠牲者が出るかもしれない。怖くて敵わない」
「……お前」
「僕が奴の攻撃を防ぎ、君の攻撃をサポートする事に特化する。君が奴に近接戦を仕掛け、心臓か脳を潰して止めを刺してくれ」
猫の解を使って子供達を逃しても、グローリーがキッズになってしまった以上、同じく空間を飛び越す恐れがある。子供達が飛んだ先にトンネルを作られてしまえば、結局は被害が広がるだけだ。
その先にいる人間は、子供達は間違いなく皆殺しだろう。
最悪のシナリオに思考が辿り着いた途端、メルトも雨男《エトセトラ》も同じ惨禍を思い浮かべていた。
メルトは、“血の池に沈んでいた、最初の生徒達”。
雨男《エトセトラ》は、“オリオン”。
「お願いだ……僕はもう、誰も失いたくない」
「……」
「君に言われたね。『教師になって、生徒の未来を救えば、世界全ての未来を救った気にでもなったか』って。お前は本当に未来を救いたいのかって……君がしている事と比べれば、僕のやっている事なんて自己満足なのかもしれない。たった十数人の子供達の未来さえ守れなかった僕に、そんな力があるなんて思えない」
「……白日夢《オーロラスマイル》」
「それでも、手に届く範囲だけでも僕は守りたい……そして未来を導きたい……多分、それだけは胸にあると思う」
白日夢《オーロラスマイル》と呼ばれた伝説の、ちっぽけな願い。
きっとそれが、ミモザ曰く“やりたいこと”なのかもしれない。
そう感じてくれたからこそ、ミモザは勇気を振り絞ってメルトの手を離してくれたのだ。
この“やりたいこと”を信じる事は、ミモザという生徒を信じる事でもある。
「お前の事は信用した訳ではない。多分なんて言葉、やはり貴様の言葉は借り物だ」
吐き捨てるような、合成音。
「……手厳しいね」
「変心《モーフィング》」
落ちている石を拾い上げ、一振りさせながら刀である“欄魔”へと書き換える。
その切っ先を、メルト――には向けず。
「……いいだろう。共闘は承知した」
そう言い終わった時には、雨男《エトセトラ》はメルトの隣に並ぶ。
その切っ先を、場違いの憎しみに乗っ取られたグローリーへと向ける。
教師が向ける銃口。
生徒が突き付ける切っ先。
どれも、蜘蛛と人体が融合した灰色の化物へと伸びていた。
昨日は仮にもグローリーを守る為に戦闘していた筈のメルトが、今度は雨男《エトセトラ》と組んで自分を殺しに来ている。
「それは……はん、逆……反逆、反逆反逆反逆反逆反逆!! 反逆かぁ! この落ちこぼれれれれれ!! 我が聖戦に、しかもよりによって二対一だと!? この、卑怯者!!」
メルトも雨男《エトセトラ》も反応しない。
ただ目前のキッズによる攻撃を警戒し、隙を探している。
即席チームにしては息の合った二人の無反応は、しかしグローリーの感情を更に過熱させる。
「ゆるさん、ゆるさん、許さんぞ!! 貴様らあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
その雄叫びが。
グローリーの、最後の人らしい声になった。
はち切れんばかりの咆哮と同調して、スパイダーキッズの体が膨れ上がる。
ぼこぼこ、と沸騰して、人間としての大きさも形も完全い忘れ去っていく。
『スパイダー』『スパイダー』『スパイダー』『スパイダー』『スパイダー』『スパイダー』『スパイダー』『スパイダー』『スパイダー』『スパイダー』『スパイダー』『スパイダー』『スパイダー』『スパイダー』『スパイダー』『スパイダー』『スパイダー』『スパイダー』『スパイダー』『スパイダー』『スパイダー』『スパイダー』『スパイダー』『スパイダー』『スパイダー』『スパイダー』『スパイダー』『スパイダー』『スパイダー』『スパイダー』『スパイダー』『スパイダー』『スパイダー』『スパイダー』『スパイダー』『スパイダー』『スパイダー』『スパイダー』『スパイダー』『スパイダー』『スパイダー』『スパイダー』『スパイダー』『スパイダー』『スパイダー』『スパイダー』『スパイダー』『スパイダー』『スパイダー』『スパイダー』『スパイダー』『スパイダー』『スパイダー』『スパイダー』『スパイダー』『スパイダー』『スパイダー』『スパイダー』『スパイダー』『スパイダー』『スパイダー』『スパイダー』『スパイダー』『スパイダー』『スパ「はアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
人ならぬ暗黒の大合唱が連続していく。
暗黒の暴走。二人とも、認識は同じだった。
間違いなく、巨大化していくグローリーの体内から暗黒の暴走は解き放たれていく。
「逆恨みが大好きなグローリーだ。職員室ではいつもの事だった。今はその感情が暗黒と反応して厄介だけどね」
「つまり。“100%”完全なキッズと成り果てた訳か」
後ろにいる子供達にも勿論気を使いながらも、その急成長を一旦見守るしかない。
誇大化した肉体は左右の瓦礫も壁も容易く押しのける。
地面にはその重さ故の亀裂が、地割れとなって辺りに展開されていく。
「――」
呼吸音。
ただ空気があらぬ軌道で、吸って吐いてされていくだけ。
その音さえ、目の前の存在が人からも魔物からも逸脱した宇宙の存在である事が窺い知れる。
巨大な蜘蛛に成り果てたグローリー。
立っておらず、無数の爪で地面にはいつくばっている。
しかし振るう爪の破壊力は凄まじく、ただの一振りで無数の瓦礫を吹き飛ばしてしまった。
メルトも、雨男《エトセトラ》も表情は変わらない。
横並びで佇み、互いの武器を構える彼らに後退はない。
ただ未来を守りたいという。
共有の意志だけが、二人には宿っている。
「……宇宙を穢す者は、排除する」
「グローリー。貴様は未来を壊し過ぎた。これ以上は、僕が許さない」
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