宇宙で最も謎に包まれている物質“暗黒”。
銀河魔術でも扱いが難しく、不透明なそれは“通常目に見える物質とは逆に位置する、マイナスの粒子によって構成された存在”。
諸説ある研究の中で、それは反物質とも呼ばれている。
眼に見えない魂の概念は、このマイナスの存在によって確立されている。
つまり、そこにある。
ただし、プラスの世界で生きている人間やインベーダには見る事も聞く事も出来ないだけだ。
キッズとは、暗黒で構成されている“魂”をマイナスからプラスの次元へ反転する事で完成する。
地水火風の通常魔術を放つ魔力とは別の、銀河魔術を構成している“反転魔力”も、暗黒に干渉出来るからこそその名前が着いた。
暗黒の鎧に、裏返された存在。
魂の化物。
宇宙が産んだ、もう一つの世界の住民。
それが、キッズである。
ただし、本来プラスの次元に出てくるものではない為、術者への負担はとんでもない。
特に精神の汚染は、魂が具現化しているからこそ当たり前に発生する副産物である。
「……!」
“時間”を更に速めた訳でもないのに、既にゼロ距離まで詰められていた。
銃でけん制する暇もない速度。
更に、思考した時には攻撃が始まっている身のこなしの素早さ。
死どころか粉砕を連想させる握り拳は既に目前まで迫っている。
「くっ……!」
弾き飛ばされる。
何百メートルも。
人間が吹き飛ぶにはあまりにスケールが違い過ぎた。
駆け抜ける疾風が、木々をスローモーションで破壊していく。
直撃した訳ではない。
刹那だけ、重力によって被弾箇所を歪めて拳を食い止めていた。
それでも、余波の発生を防ぐだけの魔力を込めるにはあまりに時間が足らなかった。
「……安心したよ」
ようやく擦れる靴裏で踏ん張り、引きずる力を殺すと迫ってくる雨男《エトセトラ》を見つめる。
「敵が誰かという判断が出来るくらいの精神はまだ残っているみたいで」
「……舐めるな」
駆け抜けてくる最中、木の枝を二本拾う雨男《エトセトラ》
両手に逆手で構えると――ただの茶色い棒が、漆黒の刀に変貌する。
どこからどう見ても、怪刀“欄魔”だ。
「それ、“変心《モーフィング》”まで使えるとはね……」
“粒子単位で、物質の情報を書き換えたのだ”。
明らかに人間態より、銀河魔術の威力と範囲が飛躍している。
「自分の限界ぐらい承知している。まだやる事もあるからな。限界が来る前にお前とグローリーを染みにしてやる」
「こっちは君の限界がどこか分からないんだ。本気で一度一線を越えたら人間に戻れなくなる」
「最初から最終的にはそうなるつもりだ」
「なら……主義に反するけど、怪我させてでも君を止めるのが最上の選択みたいだね」
メルトも足元に会った二つの枝を蹴り上げる。
それを握ると、雨男《エトセトラ》と同じことをしでかした。
「“変心《モーフィング》”」
出現したのは、灰色単色の銃火器。
先程の様に指で模した形ではなく、完全に拳銃に木の棒を“上書き”し、メルトオリジナルの銃を錬金した。
勿論銃口から放たれるは弾丸などではなく、粒子による光弾。
「……素でやるか」
先程とは威力も桁外れな上に、今度は中心目掛けて放ってきた。
速度も段違い。かわし切れず、左肩に着弾する。
押し戻され、回転する雨男《エトセトラ》の体。キッズの甲殻でなければ、あらゆる物質を瞬時に焼き溶かしていたはずだった。
しかし一瞬怯んだだけで、直ぐに特攻を再開する。
確かにダメージは与えている筈なのに、雨男《エトセトラ》は痛覚すら無視し始めている。
「それでも本気ではなさそうだな」
「本気だよ」
全身に光線を受けながらも、遂にメルトの間合いまで辿り着くと怒涛の連撃を繰り出す。
二つの刃。
袈裟切りを同時に六回。
空間を飛んで後ろから三十回の突き。
これらが全て合わせて一秒以内に完了している。
更には蹴りで足元を牽制。
更には両断するように二つの刃を鋏のように繰り出す。
刀を手放すと、足元の枝を蹴り上げて“変心《モーフィング》”。
欄魔に変貌した刃を上段から命一杯に振り下ろす。
斬撃の一つ一つから生まれた鎌鼬が辺りの物を切り崩し。
体術の一つ一つから生まれた衝撃波が辺りの物をへこませる。
全てが必殺の連撃。
キッズ故の、魔物すら超越した驚異の攻撃力。
これらが二秒以内に行われ――しかしメルトは一度も死んでいなければ、一度も攻撃を受けなかった。
何故なら。
全て、メルトにあたる直前で止まってしまうから。
流石に何百メートルと距離があれば、重力波を巻き散らして防御壁を敷けてしまう。
勿論雨男も同じく重力を操る銀河魔術を付属して攻撃を放ってはいるが、全て予測したようにメルトが書き換えてしまう。
遂に振られた刀を受け止める形で、雨男《エトセトラ》の動きを止める。
「相手を殺さない様にって……案外難しくてね」
「……ならそのまま縛りルールでやってろ、偽善者」
雨男《エトセトラ》が素早い動きで、フェイントを入れつつ空間を飛び越える。
“猫の解”。
先程一度これで後ろを取った。
しかし今度は、後ろではなく、頭上。
刃を真下に向けて、自身に超重力をかけて落ちる。
当然串刺しどころか、超重力でメルトを潰すつもりだ。
「終いだ」
「“流星群”」
メルトの頭上から閃光。
気付いた時には、波状の粒子が胸部に直撃していた。
胸にとてつもない衝撃と熱量が走り、かつ何十メートルと真上に吹き飛んで地面に叩きつけられる。
「い、今……」
流石のキッズの装甲も、防御の構えが出来ていなければそのダメージも大きい。
しかも先程銃を模したものから放たれたものよりも、威力が段違いだ。
立ち上がるのも、やっとの様子。
そんな雨男《エトセトラ》にメルトが近づく。
「別に銃なんて無くても、こんな指の形をしなくても、粒子魔術は放てる……“流星群”」
再び粒子の濁流。
純白の閃光が、直線になって四方八方にはじけ飛ぶ。
メルトの周りの空間。
触れてすらいない三次元の座標数か所から、外側に向けて一斉に放たれた。
しかしこれは攻撃ではなく、あくまで授業の一環として放たれたものだ。
「どうやら粒子情報を上書きすることは可能だが、荷電粒子に転用するのは苦手みたいだね」
「……授業のつもりか」
「君が誰かは分からない。それでも、違うクラスでもなるべく時間は捻出するよ。だから君の話を聞かせてほし――」
「“黙《サイレントチルドレン》”」
メルトは距離を取る。
そして目の当たりにする。
右腕から伸びる、狼の形をした純粋な暗黒の顎。
キッズと同じくマイナスの世界のそれは、粒子と同じくあらゆる物質を消滅せしめる。
ただし、“疑似対消滅”として粒子のレベルから喰いつくしてしまう訳だが。
「……君の話を聞かせてほしいから、お願いだから、心が喰いつくされる前にキッズから戻るんだ」
かつてヴィシュヌが放ったものと同じ形。
それを見上げながら、メルトは特に焦る様子も見せず、しかし予断を許さないといった表情で雨男《エトセトラ》と向き合う。
その視界の中で、雨男《エトセトラ》が左手で頭を抑える様子を見せる。
苦しんでいる。
まるで頭の中で、自我の食い争いをしているように。
「……俺の話を聞くだと。聞いてどうする。お前が聞くべきなのは、地獄で死した未来たちの怨嗟だ」
「君が“オリオン”の生き残りだと言うなら、猶更ね……君は一体、“オリオン”で何を見たんだい」
「ぐっ……うぐっ……」
「雨男《エトセトラ》!」
遂に姿勢さえ抑えきれなくなったのか、膝をつく雨男《エトセトラ》。
完全に精神の浸食が始まっている。
助けに行こうと駆けだしたメルトだったが、思わず足を止める。
“黙《サイレントチルドレン》”。
それは、純粋な暗黒を精神という宇宙から召喚し、具現化するもの。
故に――こうしてコントロールしきれない時、術者の精神が反映される事がある。
特に、その術者の中でトラウマになっている記憶が映し出される傾向にある――。
「これは……雨男《エトセトラ》の記憶……」
狼の形をした枠組みの中に、まるで隙間から覗かれるような断片的な情報が見えた。
雨男《エトセトラ》の、始まりの一部が。
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