一時的に、フクリには寮の部屋を与える事にした。
だが次に来た時も、部屋の物には何も手を付けないまま、生のままの部屋が広がっていた。
壁を背に、座り込んだままその位置から変わっていなかった。
「メルト先生、ミモザちゃんは……?」
「下で料理してるよ。ちょっと心配なところはあるけどね」
「そうですか……」
小さな声でフクリが言うと、メルトが困ったような笑顔になる。
「今は君の方が心配だ。体調は大丈夫?」
「……私は、慣れてますから。こういうの」
「強がらない」
膝を曲げて、フクリと同じ目線になるメルト。
「さっきの反応を見ていれば、いかにスラム街での生活を送っていても、性行為に対して慣れているか慣れていないかくらいは分かるつもりだ。男である僕じゃ想像しきれないのかもしれないけれど、それでも君が平気なのかどうか位は分かるつもりだよ」
「……先生、私のしたことは間違っていたんでしょうか」
フクリから問いを投げかけられる。
「私のしたことで、逆にミモザちゃんが傷ついてしまいました……ミモザちゃんは学校に行かないとまで言ってます……私のせいで……」
「手段はもしかしたら、間違っていたのかもしれないね」
間違いに対する指摘。
だが厳しい口調では決してなかった。
そっと寄り添うような、優しい口調で、メルトも壁に背を預けた。
「フクリ。もしかしてグローリーがああいう手に出るって、予想してた?」
「……正直、少しは想像はしてました。そうなったら、向こうの思い通りになってでも、ミモザちゃんの入学を撤回してもらおうと……覚悟、決めてました……」
フクリが小さく自嘲しながら、太ももに顔をうずめる。
「だって、私は本来こんな所にいるのも場違いですから……ミモザちゃんみたいに、良家の娘という訳でもないんです……だからミモザちゃんだけは、って思って……」
「もし本当にそれで君が覚悟を決めていたとしたら、僕は君に謝らなければならないね」
メルトは天井を向いて、続ける。
「……世の中には、確かに体を売って生計を立てている人もいる。正直な話、僕はそれ自体は悪い事だとは思わない」
「そうなんですか」
「例えば彼氏の数が、ファンの量が、あの有名人と付き合えたという事がステータスって。自分は一人じゃないと思いたい為だけに、承認欲求を満たす為だけに、上から目線になりたい為だけに、不要に体を大事にしない人もいるくらいだから。そうじゃなくて、生きる為に、そして大事な誰かを助ける為になら、僕は何も言わない。だって人は死んだら終わりだし、大事な誰かは死んだら二度と会えないしね」
メルトはそこまで語って、
「……でもさ」
と、折り返した。
隣で、一度は露になりかけたシャツを抱きしめるようにしながら、すすり泣くフクリの泣き声を聴く。
「君の場合は、そんな風に怖がって泣くくらいなんでしょ。それくらい体を売るのが怖かったんでしょ。そんな事をした先に、にどんな未来があるっていうんだよ」
「……」
少しだけ上げた顔には、涙と鼻水で塗れていた。
怖かった。恥ずかしかった。あんな姿見てほしくなかった。死ぬかと思った。死んでしまいたいと思った。
そんな感情が書いてある顔を見て、メルトに出来る事と言えば言葉を紡ぐ他に、ハンカチを手渡す事くらいしかなかった。
「ミモザがそんな事をされて、嬉しがると思う? 会って二日の僕だって、分かっちゃうよ」
眼鏡を取ってそのハンカチで顔を拭うフクリ。
そのハンカチを手にしたまま、深く頷いた。
「それでも、友達を守ろうとした君の気持ちは間違いじゃない。それだけは、誇っといて」
「……どうしたらよかったんですかね」
「きっと間違っているとか、間違っていないとかじゃないんだよ。自分の歩きたいように歩けるよう、自分をちゃんと愛せる自分になるように、考え抜くしかないんじゃないかな。それはきっと、人間でもインベーダでも変わらない事だから」
フクリがはっとして、メルトの方を向く。
その反応で、メルトは確信する。
「やっぱりね」
だがメルトは何でもない事の様に、元気づけるような笑顔を変えない。
それがフクリには違和感だった。
「どうして気づいたんですか……?」
「奴隷商人が対象に近づくときは、奴隷にしたい時だけ。今のこの星では、その対象はインベーダと相場は決まってる」
「それ以前に……私をインベーダと知って、そんな反応なんですか……!?」
「フクリ。意外とこの星にはね、人とインベーダは同じって見る人は多いんだよ……特に人とアルファルドチルドレンはね」
「……」
諭すように、メルトが続ける。
「昨日君を助けたという雨男もそうだ。君は偶々、そういう人と巡り合えなかったってだけなんだよ」
「……正直、あまり信じられません。雨男さんみたいな人が、珍しいのかとばかり」
「そうだな……珍しいといえば珍しい。でもそういう人も確かにいるんだ。フクリに会わせたかった人もいるんだけどな……」
「会わせたかった人……?」
「まあ、でもやはり世間様から見れば叩かれやすいのは確かだ。僕もこれは秘密にしておくよ」
人差し指を唇に翳して、秘密のポーズをとるメルト。
フクリはそれを見て、やっと小さいながらに笑えていた。
「いえ、この学院に二人も理解者がいるって、心強いです」
「二人?」
「もしかしたら、ですけど。雨男さんもこの学院の生徒です。ローブの中に学院のワイシャツを着ていたので」
「……そうか」
階段を駆け上がる音。
廊下からそれが聞こえて、一階のキッチンに居たお節介がやってきたと二人は予感する。
「フクリ? 体は元気?」
「……ミモザちゃん」
扉を開くと同時、一瞬だけ互いに躊躇いを感じて立ち止まるも、ミモザの方から踏み込んできた。
そのまま、フクリに上から覆いかぶさって、抱き着く。
「……心配したじゃん。もう二度とあんな事しないでね……!」
「ミモザちゃん、ごめんなさい、私……」
「私の事なら大丈夫だよ。なるようになるって……なるようにならんかったら、その時は頑張って私の思ってる事学院に正直に口で伝える……それでも駄目なら、生徒達を応援するカフェでもやろうかな」
「……とりあえず、二人には言っておくけどミモザが入学できないなんて事は絶対にない」
いい加減この二人には、この手の話題から安心付けた方がいいと判断したメルト。
「グローリーは一つ見落としている事がある」
「見落としてる事?」
「プトレマイオス先生だ」
「プトレマイオス先生って、あの学院長?」
「確か零度夫人とかっていう物凄い怖い軍人さんだったんですよね……」
「……ご飯にしようか。それで来たんだろ? ミモザ」
「あっ、そうだ! ご飯覚めるよ! ほら、フクリちゃん行こ!」
「朝から何にも食べてないんだろ? ミモザが禁止にしなければパンはあったんだけどさ」
「だからそういう偏食禁止! 何のために買い物行ったか分からないじゃない!」
「炭水化物も頭働かせるには大事だ。疲れてる時なんかパンは相当に効くぞ。さっき食べたし」
「ええっ!? ちょっと! 栄養バランス計算してたのにいいいこの反面教師!」
言い合いをするメルトとミモザ、それを後ろから笑うだけの元気は戻ってきたらしいフクリは一階のリビングに向かう。
とりあえず、話はご飯を食べてからだ。
■ ■
耐える、という事がグローリーには一番耐え難い事だった。
あんなハーデルリッヒ一族の落ちこぼれに散々言われ、かつ一方的にインベーダを模した魔術で嬲ってくる。
これ以上の屈辱は無かったが、あの場では戦略的撤退を選ぶ事が出来た。
何故なら、これ以上に確実な方法でこれからメルトを殺すからだ。
「くくく……やかましいリチャードの娘と、腰を振る事も出来ない能無しの娘ごと、この家を焼き払ってくれる」
グローリーがいるのは、メルト級の生徒が居座る寮。
メルトがここに入っていくのも、先程確認済みだ。
グローリーが指を鳴らすと、昨日指示した通り、インベーダの殺し屋が陰から姿を現した。
“全座兄弟”。
銀髪の散切り頭の大男、弟のデオン。
坊主頭の小男が、兄のチタトウ。
「グローリー殿」
「グローリー殿」
揃って、自分の名前を呟きながらグローリーの両隣に並んだ。
ここまで手筈通り。計画通り。
メルトは何やら教育論等という負け犬の戯言を宣っていたが、結局自分の掌で踊らされていたにすぎない。
大好きな生徒と一緒に、この家を棺桶に死んだことも気づかないまま眠るのだ。
「……そういえば、奴は“末弟”の担任でもあったな。親父がどことも分からん愛人と作った息子だったか。この際に弟の教師となり、兄としての威厳を示し、メルトの様に道を踏み外さないようにしなければな」
既に皮算用を始めたグローリー。
しかしそこで、この二人に一応念の為伝えておくべきことを思い出した。
「ああ、そういえば殺しの相手が一人増えている。あの中にいるフクリという少女も対象だ。何、全員ガラクタ以下の価値しかない。ゴミ掃除が一つ増えただけだ」
グローリーは知る由も無いが――このデオンもチタトウも同じインベーダが殺戮対象でも問題ない。
彼らには人種による差別がない。
差別なく、対象は皆殺し。
そうやって今日まで278人殺してきた。
「グローリー殿」
「グローリー殿」
「……さっきからどうした。俺の名前を呼んで」
しかしそこで、流石にグローリーも訝しんだ。
この二人、グローリーの両隣に立ったきりピクリとも動かないのだ。
「グローリー殿、グローリー殿」
「グローリー殿、グローリー殿」
「……?」
デオンの銀髪。
それが、どんどん白くなっていく。
更に体が極寒にいるかのように震えている。
「グロ、グログロ、グログログログログログログログログログログログログログログログログログログログログログログログログログログログログログログログログログログログログログログログログログログログログログロ!!」
「リーーイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイぃいいいい、いいあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
突如壊れた悲鳴を上げる二人。
その表情は酷く、悪夢に魘されている様な焦点の定まらない恐怖に溢れていた。
最早、二人の眼には何も見えない。
ただ、怨霊たちに囲まれた地獄が見えている。
「なっ……」
流石に後ずさるグローリー。
そこで、一つの足音に気付く。
「――やはりあんたの私兵か。既に“惨毘歌”に囚われている」
人間の声とは思えない、性別不明の創られた声。
その方向に目を向けると、逆さまに白日夢の面を付けた存在が歩いてきていた。
その右手には悍ましいくらいに真っ黒な刀が握られている。
「何だ貴様は……まさか、白日夢か?」
「その名は嫌いだ。俺は雨男。お前らハーデルリッヒに全てを奪われた者だ――一年前にな」
「一年前だと……?」
一年前。
それを聞いて、グローリーの脳裏に一つの事件が思い出す。
「貴様、“オリオン”の生き残りか……!」
わなわなと指を差される雨男《エトセトラ》。
質問には答えない。そのまま進む。
「まさか……ジェニファーの叔父貴を殺したのも」
「ルジス=ハーデルリッヒの息子達とその本人。俺の復讐対象は、お前達だけだ……ハーデルリッヒの血は、俺が消す」
怪刀“欄魔”引っ提げて、遂に雨男が駆けだした。
前座にしかなれなかった全座兄弟《オールスター》を踏み越えて。
「宇宙を穢すものは、排除する」
読み終わったら、ポイントを付けましょう!