「うわああああああああああああああああああああああああああああ!!」
丁度食事をとり終わった後だった。
悲鳴はメルト達の耳にも入っていた。
「グローリー……?」
メルトが外に出ると、処刑の直前だった。
無様に地面に転がり、目前に聳え立つ存在に手を伸ばす。
「ま、待て……俺達が悪かった……話そう……」
すっかり戦意は折れ果てているグローリーに、その存在はゆっくりと滲み寄る。
「……」
白い仮面。
メルトという名前を、白日夢として上書きしていた仮面。
間違えるはずもない。見紛うはずもない。
「雨男さん……」
その名前を聞くまでもなく、雨男と認識したメルトは行動を開始する。
“駆け出す”。
「“縮地《ソングスリップ》”」
“音速の時間に、一人入り込んでいた”。
「疾(はや)……」
とミモザが言い終える前に、メルトは既に到着し終えていた。
「……ぬあああっ!?」
勿論その反動で駆け抜ける疾風は放射状に吹きすさび、途上にいたグローリーを乱暴に吹き飛ばすのだった。
しかし一方で、雨男《エトセトラ》はローブを揺らすだけ。びくともしない。
「……銀河魔術。“時間”の属性か」
その仮面には声帯変換魔術なんて取り付けていなかったんだけどな。
思わずそう言いそうになるが、自らの正体が露見するリスクを思い出しぐっと堪える。
「何者だ」
「僕はメルト。教師だ」
「教師は魔術師の精鋭とは聞いていたが、銀河魔術の研究は公にはそこまで進んでいない筈だが」
「……君が雨男《エトセトラ》だな」
「別にそれを聞く意味は無い筈だ……どけ」
漆黒の刃を僅かに振動させ、白い泣き顔の仮面が喋る。
一方で元仮面の持ち主は、眼鏡を直しながら困ったような笑顔で返す。
「人を殺しそうな生徒がいたら、教師はこうやって立ち塞がるしかないんだよ」
「雨男《エトセトラ》さん、どうしてこんな事を……!?」
ミモザと共に駆けてくるフクリを一瞥して、その言葉の意図に気付いたらしく、雨男《エトセトラ》は特に何も返さなかった。
メルトも重ねる。
「後ろで転がってるアレは多方から恨みを買いそうなのは否めないけど、それでも殺そうとまで考える理由って何かな」
雨男は答えない。
黙ったまま、無言のまま。
一秒が一秒の世界から逸脱する。
「“縮地《ソングスリップ》”」
雨男《エトセトラ》の体が音速の狭間に消えた。
ミモザとフクリにその事を認識させないまま、二人の隣を擦れ違う。
昨日フクリが躍った星の唄の様に、流星を演じるかの如く一筋の線へとなる。
メルトの時と違い、別の銀河魔術を駆使する事でソニックブームが二人を引き裂かない様に心がける配慮付きだ。
だが、“時間”の銀河魔術によって音速の世界へ飛び込んだ雨男《エトセトラ》は、時間がすっかり止まってしまったグローリーには容赦しない。
このまま音速で蹴り飛ばせば、そのままあの世までキックオフだ。
後三歩。右足を踏み出す。左、右、と来て左脚で織りなす頭蓋骨の放物線。
「……うっ」
しかし雨男《エトセトラ》の思惑は、見えざる力に引っ張られる事ですべてが外れた。
重力。
気付いた時には体制も崩れ、何メートルも引きずられている。
「メルト……!」
「まだ僕たちの質問に答えてないな」
誰も入れない筈の緩慢な理想郷で、一人だけ明らかに自由に動いていた。
雨男に向けた右手で、重力を操っている。
先程、メルトも同じ銀河魔術を――“縮地《ソングスリップ》”を確かに使っていた。
メルトなら確かに同じ音速の世界に入ってこれるが、しかし自分と話すために解除をしていたはずだ。
だが、実のところ、メルトは解除していなかったのだ。
“感覚神経だけ、縮地を研ぎ澄ませていたのだ”。
全ての世界がゆっくりに見える世界で、相手に合わせて口ずさむ。
流石に事にここに至って、雨男《エトセトラ》は“気づいた”。
「……“重縛《サイコキネシス》”」
漆黒の刀を振るい、同じく重力属性の津波を解き放つ。
自身を縛り振り回す重力の蔦を断ち切る。
「それで、僕としてはグローリーを殺す理由を聞くよりも、更に優先する事があるんだけど」
一方、メルトは雨男《エトセトラ》に尋ねる。
最早この世界で動いてるのはメルトと雨男《エトセトラ》のみ。
未だに情けない表情を浮かべたまま座り込んで停止しているグローリーも。
驚いたまま明後日の方向を向いて静止しているミモザも。
もうその先にはいない雨男《エトセトラ》へ物憂げな表情を浮かべるフクリも。
ぶつからない限りは、意志のない背景として二人を囲んでいる。
「“それ”、どこで拾った?」
突如、声が低くなる。
その表情は先程までの教師の顔ではない。冷酷に命を刈り取る殺戮者の顔となっていた。
しかし矛盾する事に殺意は一切ない。雨男《エトセトラ》もそれは感じ取っている。
「……この仮面か」
「昔どこかの腰抜けが捨てた仮面なんてどうでもいい。僕が訊きたいのは怪刀“欄魔”の方だよ」
逆手に握る刀。
漆黒の、一切の光を反射しない宇宙を凝縮したような刀、怪刀“欄魔”。
それを掲げることなく、そのまま雨男《エトセトラ》は言葉を返した。
「白日夢《オーロラスマイル》とヴィシュヌが最後に戦った今は何もない場所――“エデン”。拾ったのは白日夢《オーロラスマイル》がヴィシュヌを打ち取った直後」
「早く捨てろ。それは“魔王”ヴィシュヌの刀だ」
短く、ストレートにメルトは吐き捨てた。
しかし説得するように、丁寧だった。
「今こうしてコミュニケーションが取れてる時点で、その刀への対抗力としては驚嘆に値する。それは通常の人間が扱えば、一瞬で精神を“暗黒”に喰われてあそこに転がってるインベーダの様に廃人になっている筈だからね」
メルトが指さしたのは“全座兄弟《オールスター》”である。
最も、メルトは面識はないが。
「“宇宙”の代名詞のような刀だ。扱えていても、扱い切れてはいない……」
「だろうな」
生徒に、こんな冷酷な事を言うとは思わなかった。
「“命、吸われてるよ”」
「そんなことは分かっている」
「その目的は何だ。自分の命を削ってまで、君は何がしたい」
雨男《エトセトラ》は。
やっと、答えた。
「アルファルドチルドレンが、笑える世界を作る為。その為にこれは必要だ」
「その刀はそんな未来を保証しない。ただの呪いだ」
「いや……あんたは知ってるんじゃないのか? この刀は呪いの刀であると同時に、世界を救う刀でもある。毒が薬に転じるように。“暗黒”が人を喰う闇にも、人を救う光にもなるように」
右手で、逆さに握った怪刀“欄魔”を掲げる。
音速の世界でも平等に降り注ぐ日光の世界で、たった一つだけ光が嫌う漆黒の刃が、忌々しげに目を細めるメルトに映る。
「俺が望む世界で、ハーデルリッヒは笑顔を腐らす穢れた血だ。だから今は、この力を人を喰う闇としてこの地に根差すとしよう」
「……確かにそこのグローリーは教師の風上にも置けない糞野郎だが、笑顔を腐らすとはどういう意味だ?」
「“オリオン”」
その名前には、メルトも聞きおぼえがあった。
ハーデルリッヒに滅ぼされ、ハーデルリッヒの名を轟かせた、とある小さな村の事。
「俺はあの場にいた人間だ」
「……そうか。復讐か」
メルトは全てを察する。
傍目から見てもそれが分かるくらいに、寂しい表情になっていた。
「説明はした。どけ」
生徒かもしれない存在が復讐を講じようとしている。
メルトの中に、あの血なまぐさい感触が蘇る。
インベーダだろうと、人類だろうと。
命が飛び出た肉の落ちる音は、気持ち悪い。
「復讐が何も生まないなんて高尚な事を教えるつもりはない。復讐して君が失った何かは戻ることは無いなんて綺麗な事を伝えるつもりはない。けれど、君の未来は確実に暗黒に包まれたものとなる。それを肯定する事だけは、教師として出来ない」
「……」
「だから、もう少しを話を聞かせてくれ。君は一体何者なんだ」
「……なら貴様ならどうとでも出来るというのか。驕るなよ“白日夢”!」
相変わらずの合成音声。
しかし、トーンが格段に下がっている。
まるでグローリーに向けられていた圧倒的な憎しみの一部が、メルトに向いたかのように。
自分の二つ名が露見している事に、驚きはない。幸いにも違い過ぎる速度の次元によって、周りには判明していない。
目先の存在も、怪刀“欄魔”を携える程の銀河に満ちているのだから。
「特に復讐するつもりはないし、逆恨みだという事も分かっている……それでも尚、俺はお前が憎い」
たん。
たん。たん。たん。
たん。たん。たん。たん。たん。と。
まるで複数人が舞っている様な連続した足音。
互いに同じ音速の次元にいながら、相対的にも疾風迅雷と言わんばかりの速度で、メルトとの距離を詰める。
欄魔を逆手で握る右手は、異常なまでの力が込められていた。
「俺の狙いはあくまでグローリーだ。もしあんた単体だったら狙うつもりは無かったが……」
「……」
沈黙したまま。
一秒の間に、ゼロ距離とした雨男が宇宙の刃を振るう瞬間を、メルトはじっと見ていた。
「邪魔をする奴は、全てが俺の敵だ!」
読み終わったら、ポイントを付けましょう!