グローリーが歩く道は、まるで戦争時を再現している様な悲惨な状況だった。
灼熱魔術から発された異常な爆風《ソニックブーム》は、石造りの建物を簡単に全壊させ、人体の肉体や内臓を簡単に圧殺し尽くしていたからだ。
歩けど歩けど邪魔な残骸しか存在しない。
歩けど歩けど醜い肉塊しか存在しない。
生きている人間は、あまりの事態に避難してしまったのだろう。しかしそんな事に考えを張り巡らせる事も無く、つまらないと言わんばかりに吐き捨てる。
「……情けない。生きている事さえ迷惑な、寄生虫どもめ!」
地団太を踏むくらいの気持ちで、口から蜘蛛の糸を吐く。
人間の姿のままでも、街一帯を包み込む規模の長さと大きさを一瞬にして吐き出せてしまう。
少しすると一帯の街を繭のように包み込み、ハンマー投げの様に口を起点に回転させ、彼方まで吹き飛ばしてしまう。
結果、きっと建物があったであろうくらいの何もない空間が出来上がった。
晴れた視界に満足すると、グローリーは頷く。
「障害は取り除かなければ、我が生涯の道に邪魔となる。まずは使えない存在を間引く所から始めようか……勿論目下優先するべきはあの3人を殺すことだがな」
「ひぃっ……」
漏れる声を、グローリーは聞き逃さなかった。
その方向を向くと、幼い男子と女子を庇う、母親の逃げる姿があった。
「待て! そこの親子よ」
「……な、なんでございましょうか……」
全員傷塗れで、動くのもやっとといった三人に容赦なくグローリーは声をかける。
選ばれた存在として。アルファを統べる存在として。
「俺のこの顔は、勿論知っているだろうな」
「は、はい……グローリー様」
「よろしい。して、何故俺がグローリーと分かっていながら声もかけずに逃げようとした? 言ってみろ。ん?」
「こわい……」
子供たちが母親にしがみ付きながら、素直な感想を述べる。
先程街の一帯を蜘蛛の巣に包んで、彼方へ投げ飛ばしたのを見ていたのだ。
母親が愕然とした表情で子供達の口を塞ぐように抱きしめながら、歩いてくる絶望を見る事しか出来なかった。
「うむ。子供は純粋だ……。つまりはそれが、お前達の本意という事だ。子供は純粋で良い。俺は子供の頃、自分の心を押し殺す事に必死だったのだ。結局公爵となるまでに家を押し上げた父上についていく事が正しい事だと、強制されてしまったからね……。結果それが正しい事だと分かった訳だが」
本能とは逆に生きる。
ひたすら父親の操り人形として生きながら、父親の寵愛を受ける事に夢中になる。
まるで蜘蛛のような益虫のような生き方なのに、生物の生き方をおおよそしていないのだがな、と嘲笑する。
「権力者に対して恐怖を抱くのはいい事だ。その恐怖があるからこそ、人民は我らに尽くそうと必死になる。自由主義だ民主主義だ資本主義だ共産主義と唱える哲学者は、その辺りの事を分かっておらん。支配無くして秩序等存在せん。支配無くして人類に平和は訪れん。恐怖は、決して負のものではない」
「……」
「しかしそれを基に逃げるような軟弱物の血が流れている様ではな……いつ恐怖から反乱を起こすか分からん。私の王国に、人は、少数でいい……私の巣に、反乱分子はいらない、いらない、いらない、苛々させてくれるのは、いらない」
伸びてくる掌が、一瞬灰色の化物のように変わった。
殺される。
内臓を引きずり出される。
ようやく目前の存在を化物と認めた母親は、逃げる事も叶わないと悟って、自分の命を諦め始めた。
泣きじゃくる子供を身に着けていたマントの中に隠し、嘆願する。
「お願いします。どうか、どうか子供の命だけは……!」
「貴様らは見せしめという形でしか役に立たん。あの“オリオン”の奴らの様に、全裸にして辱めを与えた上で、蜘蛛の巣に磔にして――」
「――そこまでだ」
常套句と共に、二者の間に人体が降ってくる。
衝撃と共に巻き起こる粉塵。しかしそれが晴れずとも、その忌々しい合成音声を忘れはしない。
「雨男《エトセトラ》ァ……!」
笑顔の仮面。しかし上下反対に着けているが故に、涙顔の仮面。
雨男《エトセトラ》を増幅した憎悪に従って、狂気に塗れた目線をもって睨みつける。
一方の雨男《エトセトラ》は明らかに様子がおかしくなったグローリーに警戒を解かないようにしながらも、後ろに隠れる形になった親子に短く指示する。
「逃げろ」
その言葉に従って子供の背中を押しながら、逃げていく母親。
彼女の背中に攻撃しようとしたグローリーの前に、回り込む様に雨男《エトセトラ》が立ちはだかる。
「あは、ははははは」
グローリーは喜んだ。
駆除対象の人間を逃がしてしまったのは悔しがる事だが、それよりも一番憎い存在が目の前に立っている事に喜んでいた。
全身の血管を浮き立たせていた。
「会いたかった逢いたかった“愛”高《たか》ったぞ雨男《エトセトラ》……ずっとお前の事の仮面を晒して頭蓋骨を脳漿毎踏みつぶたしくて堪らなかった……」
ぴき、ぴき。
およそ人体から鳴ってはならない軋みが、グローリーの笑顔から鳴っていた。
灰色の気泡が、全身の肌から浮かんでいる。今にも破裂しそうだ。
そんなグローリーに今更動じずとも、思う所はある雨男《エトセトラ》が問いかける。
「グローリー……貴様が何故銀河魔術を携えている。何故キッズになれる程、暗黒に精通し始めた?」
「当然だ……私はハーデルリッヒであり、この星の支配者だ。星の加護を賜った。この星に、俺は選ばれたのだ」
「神……ね。暗黒を手に入れた経緯は良く分からないが、ちゃんとお前の自我は暗黒に呑み込まれた様だな。息する様に何もかも壊して殺しやがって……ただの魔物と変わりゃしねえな」
もう取り返しのつかない大破壊に見舞われた街の惨状を見る。
しかし両者で惨憺たる街の風景に対する価値観は、あまりにも違い過ぎた。
「暗黒に呑まれただと……? 違うな、俺は預言者として進化し、この世界に経典を齎す旨、この星から承った……これはその預言者として選別だ」
「星から星から……星がまるで意志でも持って、人の形して貴様の前に立ったみたいな物言いだな」
「だから言っているであろう。間抜けめ。この星そのものから、こうして世界を破壊し創造する力を承ったと……! この星“コスモス”から……!」
「そのコスモスって奴が、あんたを利用してるって訳か……ハーデルリッヒの領主ともあろうものが、こんな詐欺に引っかかるとは先祖代々の偉人達はさぞかし草葉の陰から嘆いてるだろうよ」
「おい! 貴様がハーデルリッヒを、コスモスを愚弄するな!! 貴様のような反逆者が、その汚い仮面で名を呼ぶことさえ大罪だ!」
全身から灰色の成分が噴き出す。
まるで中身が外身と反転したかのような一瞬を見せた後、八本の爪が展開されていく。
『スパイダー』
グローリーの暗黒が突如統一された合唱をした時には、既に変身は完了していた。
既に、人間という繭を破り、キッズとしての真の姿を示していた。
「反逆者はどっちだ糞野郎……」
キッズになった事にも狼狽えず、腹から欄魔を取り出す。
逆手で握られた雨男《エトセトラ》の漆黒の刃は、相手の精神を折る為の状態ではない。物理的に敵の心臓を貫き、首を刈り落す為の構造。
その刃を、一足飛びで間合いを詰めた雨男《エトセトラ》が、グローリーの首目掛けて一閃――。
「全く理解に苦しむ……私は何故、貴様に全く歯が立たなかったのか……!」
「……っ!?」
出来なかった。
直前で止められた。
ピクリとも動かない。
内四本の爪の欄魔を挟む力が、雨男《エトセトラ》の腕力を確実に上回っていたからだ。
「確かに私が賜った力と同じ力を感じる刀だが……あくまで貴様は人間だろうが! 預言者に逆らうんじゃない!!」
止まっていた雨男《エトセトラ》に腕を大振り。
その衝撃波だけで、後ろにあった建物に亀裂が走り、次の瞬間には粉々に砕かれていた。
膨大過ぎる力の一閃を事前に見切った上に、自身の腕で逸らしていた為に雨男《エトセトラ》への直撃は無いにしても――その衝撃波で吹き飛ばされる。
受け身を取りながら降ってくる瓦礫の流星群の隙間を縫ってかわしていく。
「あ、そらそら!! どうしたどうした!! 昨日までの威勢のよさは! 逃げてばかりじゃ勝てねえってんだよぉ!」
更にグローリーお得意の灼熱魔術の塊が、何発もグローリーに吹きすさぶ。
威力が昨日見たものより段違いだ。着弾した箇所から溶岩の様に紅く溶けていく。
しかも銀河魔術の一つである重力を纏っているせいで、“重縛《サイコキネシス》”による反射も効かない。着弾した箇所も溶岩のようになったかと思えば、辺りの物体を吸い込んでどんどん溶かしていく。
たった十秒もしない内に、辺りは完全に煮えたぎる平面と変わり果てていた。
「ゴミは環境を破壊する……捨てただけでは消えはしない。ちゃんと溶接炉《くずかご》で影も形も無くさなければ、なあ!」
「甚だ同意だ。お前が消えろ」
スパイダーキッズとなり、宇宙を知ったが故の真価。銀河魔術が備わったが故の進化。
一発でも喰らう訳にはいかない赤い弾幕の隙間と、一踏みも踏むわけにはいかない溶岩地帯を交わしながら、素早い足運びで再び間合いに詰めていく。
だがそれを待っていましたとばかりに、グローリーが次のギミックを発動する。
背中の八本の爪が、糸に繋がれて全方向に展開されていく。
「イキって逝き逝きじゃあまりに情けない最期だな! 飴《エト》! 乙《セト》! 子《ラ》! 君っ!!」
人の姿を忘れ、人の心をどこかに置いてきたグローリー。
それと引き換えに得られるのは。
伝説の勇者をも超越した、取り返しのつかない力。
「!?」
八つの爪が織りなす、半径三メートル以内の乱反射攻撃。
それは嵐と表現すべきなのか、暴風雨と表現すべきなのか、ハリケーンと表現すべきなのか。
もう、音も聞こえなかった。
最早密度という言葉で語るのも生ぬるい。濃度で語るべき異常な触手攻撃の濃さ。
同時に一万人から鞭による攻撃を受けている気分だ。
手数が圧倒的に多すぎる。
速度が圧倒的に速すぎる。
威力が圧倒的に大きすぎる。
ただ致命傷を外すのが精いっぱいで、肉や骨まで響く攻撃が次々と入る。
雨男《エトセトラ》の超人的な身体能力、感覚能力を以てしても完全に見切れないし捌けない、途方もない速度。
距離を取った時には、既に全身のローブはすっかり裂かれていた。
「所詮その程度か」
「……なっ」
声を漏らした時には、既に遅かった。
“ありもしない複数の場所から”突如伸びた白い蜘蛛の糸が、雨男《エトセトラ》を絡めとっていたからだ。
張られた糸の、起点は確かに存在していない。
あまりに細すぎて、その先の世界が見えていないだけだった。
――空間の狭間から、スパイダーキッズとしての能力で伸ばしているに過ぎないのだから。
「空間を飛び越えている……“猫の解”か……!」
「その通りだ。どこからでもこの蜘蛛の糸は吐き出せる。何本でも!」
更に別の個所から、突如蜘蛛の糸が飛び出しては雨男《エトセトラ》の体を固定する。
絡みつきの密度が浅い右手を除いて、力ずくでも、重力の操作によっても引きちぎれそうにない。一件柔らかそうに見えて、ダイヤモンドのような硬さまで実現している。
「……ほう。本当にあの学院の生徒だったとはな」
磔にされてしまった雨男《エトセトラ》の破れたローブの隙間から、ベータ魔術学院の制服を見つけるグローリー。
「生憎教職は降ろされたのでな。貴様のような愚図を導く必要もなくなった訳だ。剪定するのに、何の障害も無くなった」
「結局貴様は教職を、自分の権威の為としか考えていなかった訳だ……昨日のメルトよりも分かりやすいがな」
「せめて首から上は傷つかない様に気を付けてくれよ? このハーデルリッヒに逆らった顔は忘れず、一族郎党、更には遺伝子も似ているであろう似た顔の奴らを跡形も無く溶かさなければならんのでな」
「そいつは随分と人口が減りそうだな……神様気取りの貴様の前では、少し遺伝子に“雑”があるだけで消し飛ばされそうだ。そんな事を淡々と熟してしまうその血こそが、オリオンの様な悲劇を産んだってんだ!!」
全身の自由を奪われても、尚折れる気配は無い雨男《エトセトラ》。
しかし逆に自由を奪われた男の減らず口とでも考えたのか、特に脅威も感じずグローリーは高々に自説を吐きまくる。
「……先の戦争により、この星の人口は5分の1まで減った……それでも喰って寝る事しか考えない原始時代の有象無象《ホモサピエンス》でこの世界は溢れている。私は星から神託を賜った身として、星に生きとし生ける生命の整理を成し遂げねばならん」
「……」
「何よりインベーダ共害虫にこの星の資源を渡している事。それこそが皇帝配下政治の腐敗だというのだ。そんな事だからインベーダに侵略され、五分の一にまで人類は選別された! この星を土足で踏み荒らすインベーダ共は一人として生かしておかん……見つけ次第、股間から串刺しで晒してやらねばなぁ!!」
「ふざけるな……」
みし、と。
つい先ほどよりも、蜘蛛の糸が強く引っ張られていた。
千切れないにしても、蜘蛛の巣の模様が若干崩れていた。
「剪定だとか整理だとか……そんな理由でオリオンのあの子達は、命を奪われたってのか」
仮面の下で思い浮かぶのは、オリオンという村で太陽に負けない笑顔を見せていた同胞達。
そして、向日葵の下で楽しそうに踊る、この星で一番輝く笑顔を持っていたサニーという過去の妹。
「アルファルドチルドレンは……この世界に生きる人間は、そんな理由でこれから殺されるってか」
再び思い浮かべるは、檻の鉄格子を掴み、絶望の眼差しをしていた昨日の少年少女達。
そして、湖の上で全て解放して踊る、この星で一番優しい笑顔を見せてくれたフクリという未来に駆ける少女。
全てが血に塗れていく。
赤く、腐って、色褪せていく。
過去を彩る思い出も、未来へ駆ける夢も、そして現在《まだ》ある命も。
自分勝手な暴力で死を齎す、目の前の蜘蛛によって。
「オリオンのあの日、俺がどんな思いで死を見つめていたかも知らずに……命が何なのかもわかってない貴様は預言者でも何でもない! 頭のイカれたスプラッタ野郎だ!」
「なんだと……?」
「貴様の事を利用された哀れな被害者なんて思わねえよ。どうせ命を取るつもりだったんだ……お前の剪定はこれで最後だ。自分自身を切取って果てろ」
辺りで煮えたぎるマグマよりも迸る憤怒。
しかしそんな憤怒すらも、グローリーには涼風にしか感じない。
「……はぁ。そんな体で何が出来る?」
鼻で笑うグローリーの前で、雨男《エトセトラ》は右手に握られていた怪刀“欄魔”を見つめる。
最後の手段。それは、目の前のグローリーと同じく、雨男《エトセトラ》自身もキッズになる事。
だがそのカードを切ろうとしたところで、昨日のメルトからの言葉が脳裏を掠める。
『その刀は危険すぎる。正直今も、脳内でそいつが放つ暗黒と戦っているんじゃないのか』
敵と見定めた人間の忠告を真に受けるなど悔しいが、実際問題そうだった。
前回の“反天《リバース》”から全く休憩期間がない。“縮地《ソングスリップ》”すら温存していたのもそれが原因だ。
欄魔を振るっているだけでも近づいているのが分かる。
暗黒の属性に蠢く、救われなかった魂たちの嘆きが。
キッズになるという事は、この声に近づくという事。
自我を乗っ取ろうと、生きとし生ける肉体を再び受肉しようと手を伸ばす怨嗟の掌と、真正面から向かい合うという事。
それでも。
雨男《エトセトラ》の眼は、変わらない。
ハーデルリッヒ一族を前にして、今を懸命に生きるアルファルドチルドレン達から未来を奪うこの存在を、雨男《エトセトラ》は生かしてはおけない。この一族を生かしたままで、雨男《エトセトラ》として死ぬことも逃げる事も許されない。
「頼む……どうか」
欄魔から頭へ割り込んでくる“声”達に、祈る様に伝える。
「どうか、おれに、やさしいせかいにする、ちからをください」
そして覚悟を決めた雨男《エトセトラ》は。
唯一自由だった右手を動かし、握っていた欄魔で自分の腹を刺した。
途端、声が濁流の様に雨男《エトセトラ》の精神を呑み込み始める――。
『おおごっ』『いや』『夢まだかなえて』『ぎぎぎぎぎぎ』『痛い』『あっあっあっあっあっあっあっ』『ぱぱああああああ』『こっちこないで、あっち行っ』『いやだいやだいやだいや』『助けて』『ううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううう』『あん』『神様』『レイラ』『娘が、娘、娘』
断末魔。
あらゆる悲劇が凝縮された刃を、その痛みに必死に耐えながら、遂に腹を掻っ捌く様に動かした。
「いぎ、ぎ、ぎああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
精神を侵食する声と共に、その肉体を星無き宇宙の海が包み込む。
あっという間に全身を取り込み、僅かに見えていた白い仮面の隙間に――紅い涙のような線が駆ける。
空気も、肉体を捉えていた蜘蛛の巣も、途端、まとめて吹き飛んだ。
「反天《リバース》!!」
グローリーも思わず目を瞑る。
「ぬっ……!?」
結局、跳ね返した暗黒に詰まった悲鳴が、辺りに展開されていた。
キッズの生誕を祝う福音《だんまつま》と共に、出現したそのキッズからは、憎悪と使命の大きさを象徴するように、黒い線で完成された翼が広く、両側に展開されていた。
昨日メルトと戦った時よりも、広く。
たなびくマフラーを一瞬抑えながら、キッズと化した雨男《エトセトラ》はグローリーへ指を差す。
まだ、暗黒の重さに負けていない、自分自身の意志で。
「宇宙を穢すものは、排除する……!」
読み終わったら、ポイントを付けましょう!