致命傷だった。
それでも治るのが、キッズ体の凄まじい所ではあった。
背中が半分以上溶けて抉れても、心臓や脳が無事である為に、雨男《エトセトラ》はまだ生き続けている。
「ぐ……あ……」
しかし、致命傷である以上雨男《エトセトラ》自身への負担は尋常ではない。
グローリーの放った灼熱が、今も背中にこの世のものとは思えない痛覚を浴びせ続ける。
回復しようというキッズの体と、溶解しようという灼熱魔術。
破壊と再生の中で、じりじりと雨男《エトセトラ》の意識が暗黒にのまれ始める。
『にぃに』『ぎぎぎぎ』『あああああああああ』『神様』『おごぅ』『やめろめろめろめろめ』『げっ』『死にたくない』『ひっ』『あん、あん、誰、助、冷』
「…………」
必死に歯を食いしばって、激痛や暗黒に耐えながらも目の前の兄妹を見る。
キッズとしての化物な漆黒の体にも、彼らは怯えなくなっている。今の防衛行動で、自分が味方だと分かってくれたのだろう。
「あ、あ、だ、だい、じょ……」
兄の方は恐怖に駆られても尚、こちらを気にかける余裕があったようだ。
しかし妹は完全に言葉を失って尻餅を着いており、スカートの中から失禁を始めていた。
「逃げろ……早く」
「……で、でも」
「お兄ちゃんなら……妹をしっかり守ってやるんだ。いいな……」
兄の肩を押し、股間を濡らし続ける妹に向く。
「妹の方も……早くここから逃げて……二人とも、生き延びてくれ……」
「あ、ああ……」
「――ひひ、ひひ、このガキ、漏らしてやがる、そこまで教育されていない子は、俺の王国にはいらぬぅ……!」
酩酊に見える、殺意を孕んだ狂気そのものが後ろからあった。
四肢の欠損が治ったグローリーが、三人の周りから無数の糸を出現させたのだ。
キッズとしての体なら動けなくなる程度だが、普通の子供が握られれば骨が粉々になるのは目に見えている。
ただの少年少女が逃げようとして、逃げられる結界ではない。
現に無から出現した無数の蜘蛛の糸に、気づく前にあっけなく捕まりそうになっていた。
そんな喪失は、嫌だった。
ただそれだけが、雨男《エトセトラ》にあった祈り。
「うがあああああああああああ!!」
背中の激痛も、暗黒に飲み込まれる自我も忘れて、子供達の上に覆いかぶさる。
全身に粘りついた蜘蛛の糸が、あっという間に雨男《エトセトラ》のキッズとしての体を封じる。
更に灼熱に溶かされている背中に張り付いた蜘蛛の糸が、悪戯に痛覚を刺激する。
「が、が、あああああああああああああああああああああああああ!!」
「そんなに痛いのが大好きかぁ!!? なら拷問を賜ろうぞ! この私の顔に泥をどろどろと塗りやがって泥をどろどろどろどろどろどろどろどろどろどろどろどろどろどろどろどろどろどろどろどろどろどろどろどろどろどろどろどろどろどろどろどろどろどろどろどろどろどろどろ!!」
更に背中に、蜘蛛の爪による徹底的な破壊が加算される。
十、百、千――指数関数的に、背中の欠落が増殖していく。
憎しみの爪はキッズとしての回復力を上回り、その背中を破壊していく。
「大丈夫だ……俺なら大丈夫だ」
胸に隠している兄妹を見る。
無事だ。怪我がない。
「お前達は……傷つけさせはしない……」
「あ、ああ……」
「お兄ちゃんは、そんな顔をしていちゃだめだ。いつも妹の隣にいて、死なない様に見てやらなきゃ……家族が死ぬのは、妹が死ぬのは、本当に痛い事なんだっぞっ……!?」
意識が唐突に暗黒へ溶け始める。
まずい。今、雨男《エトセトラ》の自我を失う訳には行かない。
しかし欄魔から肉体を癒そうと自動的に溢れてくる怨嗟の声は止まらない。
『おおおおおおおおおおええええええあああああああああああええええええ』『理解できない』『お星さまになった』『ががあしゃいうおあ』『joke……』『戦士になりたか』『夢』『大好きだよ』『……ジョ、かー』『ひっ』『除、可』『まん、まん』『どろどろに』『道化』『ジョ……カー……』
その中にあった、雨男《エトセトラ》の“完全なキッズ”としての名前。
否、この欄魔の力を借りてなってしまった、キッズの名が何度も反響してくる。
まだ曖昧な声で、バラバラな断末魔の中に紛れている程度だ。
それでもこれが一致した瞬間。
雨男《エトセトラ》は自我を失い、ただの体力殺戮兵器になる。
そうなればどうなるか?
「やめろやめろやめろ……いやだ、嫌だ……こんな所で……この子達を、俺は……俺は……!!」
少なくとも、この兄妹に未来はない。
あの日オリオンを滅ぼした人間達のように、罪もない子供達を殺すだろう。
それは、雨男《エトセトラ》にとって身を裂かれるよりもあってはならない事態だ。
『イレギュラー』『じょー』『想定外』『冗談』『ョーカー』『切り札』『jok……』『53枚目』『ぐしゃぐしゃ』『ジョー……ァー』『死神』『皆殺し』
「あ、あああ、あああああああああああああああああああ!!」
この断末魔が一致してしまった瞬間。
雨男《エトセトラ》は“ジョーカー”のキッズになってしまう。
今でさえ、脳味噌が溶けるような感覚に襲われている。
色彩が一つ一つ消えていく。
モノクロな宇宙へとのまれていく。
化物へと、感覚が近づいていく。
腹の下の子供達への、遺恨が宿怨が恨私怨憎悪殺意厭悪憤怒絶望悪意恐怖が――
虐殺してその内臓を引きちぎりたいと、化物の様に叫んでいて――。
「ざけんな、ざけんなああああああ!!」
雄叫びと共に、暗黒の力を外方向へ開放する。
全身を縛っていた蜘蛛の糸が千切れ、その余波でグローリーがよろける。
その間に体勢を取り戻し、グローリーと向かい合う。
「まだ逆らおうというのか、この無礼者め!! 散々その頭蓋骨にざくざく刻み込んだのに、未だこの誉れ高いグローリーの光に屈しないか!!」
「お前にも、そして俺の中の欄魔にも屈さない……俺はもう失いたくない……子供達の未来を奪わせない……死んでも……」
「死ではない……生だ。貴様はこの聖なる私の養分となるのだ、喰われるのだ、お前は未来永劫、この栄光の一部となるのであああああああ!!」
再び空間のあらゆる場所から蜘蛛の糸を放とうとしている。
完全なキッズに近づくにつれ、研ぎ澄まされた嗅覚がその発生位置を瞬時に理解した。
途端、一気に十体にも見えるような俊敏な動きを発揮した。
完全な化物の領域へと踏み入れ始めた身体能力が見え隠れし始めている。
「おぉ? 十体、二十体、反逆者が増えたぁ?」
「……っ!!」
当然、負荷が高すぎる。
最早能力を使うだけで、意識が暗黒に貫かれていく。
「では、いつまで持つかなぁ!!」
直感的にグローリーも、雨男《エトセトラ》が暗黒へと同化している事を理解し始めている。
だからこそ憎き敵のピンチを煽る様に、何度も何度も蜘蛛の糸を発現する。
蜘蛛の巣。
それが出来たかと思えば、匂いだけで動いていた雨男《エトセトラ》によって破壊されていた。
最早動く事さえ叶わない兄妹達に怪我はない。
だが、彼らを守ろうとする雨男《エトセトラ》の精神はもはや限界だった。
「ぐ……あ……」
それでも、幼き命を狙う攻撃を、無理してでも守り続ける。
そうしていれば、“オリオン”の皆が許してくれるような気がした。
サニーという妹が、兄である自分に笑ってくれるような気がした。
「……どうして、わらってくれないんだ」
眼に浮かぶ蜃気楼には、殺される直前の悲愴な少女の顔。
「きみがわらってくれないと、雨が、鳴りやまない……」
もう七回目。
兄妹達は無事だ。
しかし、サニーは笑わない。
「もうすこしだ。もうすこしで、虹の麓に、たどりつけるから。このせかいを、やさしくする、ジョーカーになれるから――」
そして、意識が消えかける。
よろけて、空を見上げた。
雨が降っていた。
実際には降っていなくとも、オリオンが滅んだ日から低く垂れこめる雲と、雨音がずっと感じられる。
泣きだした空を背景にして、一つの光。
あの光は何だ?
あの日守れなかったアルファルドチルドレンが、天国から降りてきたのかと思った。
違う。
実際の、隕石だ。
“人間が発光しながら、この地目掛けて降ってくる”。
「“流星群”」
隕石が、昨日戦った“メルト”だと分かった時。
空から降ってきた光弾は、グローリーに着弾してスパイダーキッズをいとも容易く吹き飛ばしていた。
「な、狼藉者!?」
グローリーがそう声を上げた時には、地面にその隕石は突き刺さる。
地を鳴らす音。人間が空から着地して、ここまでの破壊音が鳴るだろうか。
……鳴らせるかもしれない。
キッズの力をもってしても倒しきれなかった背中を見せる、このメルトという男ならば。
「しっかりするんだ! 雨男《エトセトラ》!」
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