白日夢が被っていたという雪の様に真っ白な仮面について。
一切の模様はなく、一切の文字はなく、ただの純白で出来ている。
特徴を上げるとしたら、十分に顔を覆うだけの大きさと、笑顔模様に目と口の個所に空いた穴だろう。
そして今、フクリの目の前で男の演説を止めた存在と同じように、そんな白い仮面と深いフード付きローブを被る事で、メルトという男は存在を隠してきた。
しかし、そのメルトと、フクリの目の前に現れた白日夢の違いを上げるとするならば。
真っ白な笑顔の仮面を、上下逆さまに着けていた事くらいだ。
しかも。
笑顔の口部分が真ん中で僅かにくっついていて。
眼の縦線は、正位置で見て上に行けば行くほど微妙に広がっていたので。
逆さまに着けたその面は、フクリにはまるで嬉しい笑顔ではなく、哀しい泣き顔の様に見えた――。
「白日夢……は止めてもらいたい」
舞台から男を引っ張り下ろしながら、そう呼ばれる事を嫌った――ここでは便宜上、白日夢としておくが――白日夢は、合成された音声で続けた。
「俺はその名前が嫌いだ」
ならば何故その仮面を上下逆さまとはいえ、被っているのか。
しかしそもそも、引っ張り下ろした男と白日夢とでは、体格が違い過ぎる。
白日夢の方が一回りも二回りも小さな体。
にも関わらずすんなりと大男を引きずりおろせた事に、フクリの“何か”を公表しようとしていた男達は顔が引きつるが、直ぐに白い仮面への敵対心が上回った。
「何だってんだよ。興ざめだ、失せろ」
「興ざめはお前達の方だ。ここはこの少女が天使となる舞台だったはずだ」
耳にするには、不都合のない造られた声だった。
だからこそ、その場にいた観客も店員も、白日夢の雰囲気に飲まれる。
波紋も立たぬ水面の様に静寂で、かつ何人も生きられぬ深海の様に無限な気配。
「お前達の出る幕はない」
フクリを庇う様に位置を取った白日夢に、大男が怒髪冠を衝いた表情を見せた。
腕を振りかざす様を見て、後ろにいたフクリが目をつむる。
「だからお前、なんだって、言ってんだ、よ!」
力任せに大振りされる二の腕。
男性の体でも弾き飛ばしそうな苛立ちの一撃を、白日夢は片手で受け止める。
想定外。
男の顔は、間違いなくそう代弁していた。
対して白日夢は、逆さまの笑顔――泣き顔のままだった。
「宇宙の穢れは――」
腕を振り切れず、止まった男の捻じれた脇腹。
そこを目掛けて、白日夢は開いた掌を置く。
「――排除する」
木霊したのは店中に響き渡る轟音。
一瞬胴体を中心にしてズレた、男の肉体。
背中に背負っていた大剣。それが割れたことからも、異様なまでの衝撃がその掌から放たれたことが分かる。
当然、男は白目をむいてその場に倒れてしまった。
仲間の男も、奴隷売人の男も余裕そうな表情から逆転。青ざめた様子で白日夢を見つめる。
「こ、このぉ!」
仲間の男が魔術を放とうと、腕を前に出す。
だが魔法陣が描かれるよりも先に、白日夢が距離を詰める。
ゼロ距離。
男がそれを自覚するよりも早く、足が払われ天地が逆転。
店の床に、容赦なく叩きつけられる。
店内に駆け抜けた振動。
それだけで戦闘は終了した。
突っ込んだ男の体は停滞したまま、手痛いまま動かない。
隣で悶える大男と共に伏せたまま、ひくりとも動かない。
本当に、最小限しか動いていない。
店の備品を何一つ巻き込むことなく、フクリにこれ以上の怪我を負わせることもなく、白日夢はその泣き顔で見下ろすだけ。
「つ、強ぇ……」
実は、天使を守る騎士の演出だったと店が言いふらしてもおかしくない状況。
しかし白日夢(オーロラスマイル)はぶっきらぼうに言い放つ。
「……本物の白日夢はどうだか知らんがな」
手を洗った後の様に一度ぶんぶんと振るうと、白日夢は奴隷商人の男を向く。
床で伸びている仲間達。
舌打ちしながらも、その場で立ち竦んでいるだけのようだ。
最早向かってくる気概はない。
そう判断したのか、白日夢の白い仮面はフクリの方へ向く。
「頭の怪我、大丈夫か」
「え、あ、はい……!」
完全に呆気に取られていたフクリは、そこで自分の額から血が流れていたことを思い出す。
瓶の当たり所が良かったせいだろうか。それとも異常な状況に、体から出た変な成分で痛みが紛れているのだろうか。
改めて血に触れようとするフクリよりも早く、白日夢が袖のローブで拭う。
「うわ、わ……そんな、ローブが汚れて……」
「どっちにしろ汚れたローブだ。手持ちがこれしか無くてすまない」
「あ、ありがとうございます……」
という他、フクリには無かった。
本物の白日夢ではない……と言うが、明らかに命の恩人なのは間違いなかったからだ。
しかしこうも予定外の演出が続くと、どう対応していいのか分からない。フクリはアドリブに弱いのだ。
拭い終わったところで、男達に向かい合おうとするが白日夢がある事に気付く。
先程フクリに瓶を投げ、野暮にも踊りを邪魔しに来た男達の姿が忽然と消えていたのだ。
「流石に尊厳と自由を奪う泥棒。思いの外逃げ足が速い」
お目当ての天使を穢した野蛮人を捕まえる度胸は、酔いどれの客達には無かったらしい。
しかし白日夢の存在で、先程までフクリに生まれていた西ガラクシ帝国へのスパイを庇ったという疑念が消えているのも確かだった。
「折角綺麗な踊りだったのに、野暮な奴のせいで残念だ」
「……」
「……親友を信じるあんたは、ちゃんと心の中まで天使だ。信じてもらえる」
一体だれかは分からない。
姿はローブに包まれ、声は造られ、表情は逆さまの笑顔に隠されている。
何故白日夢なんて伝説の存在が、それとも伝説を名乗っている偽物が自分を助けてくれたのかは分からない。
しかし、自分が救ってもらえたのは確かだ。
優しい言葉をかけて去ろうとする白日夢に、フクリが声をかける。
「白日夢……さん」
礼を言う前に、短く白日夢が返す。
「その名前は嫌いなんだ」
「……えっと、じゃあ」
なんて呼べばいいんだろう。
困った顔をするフクリに、その存在は付け加えた。
「“雨男”。自称するのも変だが、便宜上の名前だ」
白日夢を嫌う、白日夢を逆さまに貼り付けた存在。
どこからともなく現れ、無粋な掌から天使を守った体術使い。
“雨男”はそれ以降振り返ることなく、出口に向かって歩いていった。
「……いったいどこの兄ちゃんだろうな」
「いや、案外女って事もあるかもだぞ……」
「間違いなく静(コバルトウォーズ)の経験者だろうが……」
「しかしあの仮面までして……声まで隠してんだ?」
「指名手配犯なのかもしんねぇな」
勝手に騒めく酒飲み達。
結局最初から最後まで天使を助ける事をしなかった傍観者から、勝手な興味の目線がその背中に向けられる中、一人だけフクリは感謝と恩恵の念を抱いていた。
雨男という名前だけは絶対に忘れない。
一体どこの誰かは存じないまでも、今日抱いた恩は忘れない。
明日、彼……彼女なのかも分からないが、情報を集めて何かしらお礼をしに行こう。
ただし、ここから数時間後。
フクリはもう一度、雨男に会う事になる。
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