天地を震わす振動と共に、爆発でもあったかのように巻き上がった砂煙。
一足先に跳び戻ってきたのは雨男《エトセトラ》だった。
「……まだやれてはいない。だが」
雨男《エトセトラ》はキッズとしての体から、人間の肉体に戻っていた。
肉体の回帰が、緊張する事態の終焉を告げていた。
「充分、致命傷だね」
砂煙が晴れ、しかしいつまで経っても流動的な影が消えないと思っていたら――グローリーのキッズとしての肉体が端から消滅しかかっていた。
粉へ、粒子へとその肉体を溶かして、青空へと吸い込まれていく。
自身の肉体を構成する暗黒が、雨男《エトセトラ》の攻撃によるダメージによって遂に限界を迎えたのだ。
肉体を完全にキッズと化してしまっていた為に、グローリーという命そのもの終焉も迎えていた。
しかし、警戒を幾分かといたとはいえ油断はない。
メルトも雨男《エトセトラ》も、未だ蠢くグローリーから目を逸らさない。
「消滅までは時間がかかりそうだ」
「一思いにやってやるよ」
雨男《エトセトラ》が欄魔を向けたその時だった。
仮面の下からうかがえる視界に、異常があった。
どくん、と。
震えてはならない鼓動が、脈動が、雨男《エトセトラ》の心を横断する。
「ぐ、あ……!?」
「雨男《エトセトラ》!?」
膝をつく雨男《エトセトラ》。
欄魔すらも手放してしまい、体が揺れる。
世界が揺れる。
存在が、自我が、揺れる。
「キッズ化の……反動か……!?」
『私の息子よ』『ジョ、カ、ア』『時代のせい』『ひょげげげげげげえええ』『んごおおおおおおおおおおお』『ジョークッ』『ふぁっ』『ママ』『死にたく』『冗談だよ冗談』『あっ』『ジョジョジョカカカカカ』
自身の中に蠢く暗黒が、コントロール出来る領域を超え始めた。
人間態に戻って抑えたはずなのに、それだけでは自分すら保つのも怪しい所だった。
「暗黒が君の限界を超え始めた……!?」
「安心しろよ……俺は……喰われ……」
立ち上がろうとしたが、暗黒の重力はやはり強大だ。
すぐさま膝をついて、四つん這いになるのが精一杯。
「喰われかけてる! 強がってるんじゃない!」
先程と同じ様に直接雨男に触れて暗黒を吸い出そうとした時だった。
メルトは、思わず反応し、身構えた。
巨大な蜘蛛のまま、蠢いたグローリーに、思わず息をのんだ。
「……どうやら、まだ足りなかったみたいだね」
天に昇っていくような、粉へと昇華していく消滅現象――それらが終了していたのだ。
恨み言を吐きながら、暗黒を木霊させながら、致命傷すらも修復して複眼で睨んでくる。
「メエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエルウトオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエトオセトラアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」
まるで地獄から這ってくるように、命を失ったゾンビが墓から湧き出てくるように、グローリーはその蜘蛛の体を前進させていた。
間違いなく雨男《エトセトラ》の決死の攻撃は、グローリーを破壊していたはずだ。
しかし、破壊の度合いが足りなかった。
致命傷の深さが足りなかった。
ここからがキッズの恐ろしい所。
ここからが暗黒の戦慄すべき所。
――銀河魔術の概念である一つである暗黒という属性は、人間の精神を象る一面も持つ。
その暗黒の塊であるキッズとしての肉体は最終的に精神を壊し、人間としての意識とか自我とか知性とかを喪失させるが、一つだけ逆に増加していくものがある。
『食べないで』『インベーダは生きてちゃいけな』『あっ、あっ、あっ、あっ、あっ、あっ、あっ、あっ、あっ、あっ、あっ、あっ、あっ、あっ、あっ、あっ、あっ』『にへ、にへへへ』『ママ、ママ、いたいよ』『やだ、やだ』『食べられてく、私の太もも』『死にたくな』『インベーダとして生まれただけなのに』『どうして』
それが負の感情。暗黒の、キッズの餌である。
暗黒の中に籠った、怨霊達が望む道連れである。
キッズであるが故に、メルトや雨男《エトセトラ》への憤怒憎悪絶望だけが青天井に跳ね上がる。
無限に膨れ上がる負の感情を、暗黒が喰らって更に化物へと変貌する。その過程で即死ではない致命傷であれば回復してしまう。
回復の際に足りなくなった暗黒が、負の感情を引き出す。
悪循環。
完全にグローリーを支配しているのは、蜘蛛の巣よりも雁字搦めにされた、終わりなき負の連鎖である。
無限に強くなる代わりに、ただの破壊兵器と成り果てていく。
力そのものとなり、心が喪失する。
キッズの既定路線を素で行っていたグローリーに、最早救いの手は無い。
……そして、雨男《エトセトラ》も、この最悪のループに片足を突っ込みかけている。
(早く奴を殺して、雨男《エトセトラ》を暗黒から引っ張り出さないと……!)
メルトは即座に構える。
この場で戦えるのはもはや自分しかいない。
建物を凌駕し、蠢くだけで血が震える巨大なキッズに、銀河魔術の矛先を向けようとした――その時だった。
一つの建物が崩れ、視界が新しく開ける。
朝日はその方向から、突き刺す様にグローリーの複眼を突き刺した。
殆ど本能で動く故に、一瞬だけ目の前の復讐対象の事を忘れてグローリーがその方向を見上げていた。
その隙をメルトが着けなかったのは。
開けた視界の先に会った場所が、問題だった。
山の上に聳え立つこともあって、寒空故に空気が透けている事もあって、この場所からでも――ベータ魔術学院はくっきりと見えてしまっていた。
「プト、プト、プト、プト、プト、プト、プト、プト」
メルトには、グローリーの中に会った憎悪の焔が増えたような気がしてならなかった。
2つから、3つへ。
「プトレエエエエエエエエエエエエエマイオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
咆哮の直後、グローリーの足元が突如、青空へと変わってしまっていた。
「“猫の解”か!? ……しかもあの座標は!?」
メルトが恐れた先は、グローリーの足元に出来た空間を飛び越えるトンネルの入り口――ではない。
その出口。
明らかに、ベータ魔術学院の上空の個所に、不気味に浮かび上がった風穴が出来ていたのだ。
「……ベータ魔術学院に飛ぶ気か!」
光線を放つが、既にその時には手遅れ。
「くそっ!」
グローリーの巨大な体は、すっぽりとそのトンネルに滑落していった。
激情故にコントロールが効かなかったのだろう。微かに雲に隠れてしまうくらいの高さに出現した。
だがそれでも――数分もすればグローリーという隕石は瞬く間にベータ魔術学院を蒸発させるだろう。
ミモザやフクリが蹂躙された姿が頭に浮かんで。
一瞬、メルトの思考が凍結された――。
「行け……メルト……」
呻き声を上げながらも、言葉を発したのは雨男《エトセトラ》だった。
「俺は体がいう事を聞かない……戦えるのはアンタだけだ」
「……駄目だ。君を放っておくことはできない」
「アンタは教師だろ……自分の生徒を守らないで何が教師だ」
「君だって生徒だ!」
「だったら優先順位を付けろよ!」
泣き顔の仮面の下、その眼が強くメルトを睨みつける。
「あっちの方がどう見ても人数が多いに決まってんだろ……フクリ、ミモザ、もしかしたら既に先行で来ている生徒がいるかもしれない……! 優先するべきはどっちだ、馬鹿でも分かる計算問題だろう!?」
「……………………“猫の解”」
メルトの背後に、青空が出現した。
グローリーと違い、完全にコントロールされたそのトンネルが行きつく先と、グローリーの落下軌道は見事に交わっている。
「必ず君を助けに行く……それまで持ちこたえているんだぞ!」
「……心配しないでも……俺は……“虹の麓”に辿り着くまで……止まら……ない」
息も絶え絶えで、瓦礫に背を預ける雨男《エトセトラ》を見つめたまま、そのトンネルに吸い込まれていく。
その様を見つめて、雨男《エトセトラ》は小さく仮面の下で笑っていた。
次に見たのは、何とか立ち上がれるくらいにはなった兄妹だった。
「……妹を連れて、歩けるか?」
気絶してしまった妹を抱えた兄は、無言でうなずいた。
「強い子だ……もう大丈夫だ。避難所まで……行け……」
「あなた、は?」
雨男《エトセトラ》は“万が一”の事態に兄妹を巻き込まない様に、避難所とは反対方向へ歩き始めた。
「……俺はもう、連れていく妹もいない……一人だから……」
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