決して、メルトは世界を救いたいと考える勇者ではない。
そうしなければ世界が滅ぶ。だから戦った、という訳ではない。
ツクシという唯一の理解者の、最後の願いだったからインベーダ達と戦っただけだ。
しかし、メルトは窓に張り付いたまま、一つの爆炎が雲へと変わる朝空を見上げていた。
もう、自分は白日夢《オーロラスマイル》ではない。世界は確かに救った筈だ。
教師になったという、夢はもう既に叶えたはずだ。
このまま老いて、朽ちて、腐っていくだけだ。
ただ一つ、誰も死なない様に未来へ導いていくという使命を持った、からくり人形として生きていくつもりだ。
『未来を、守りたかった。この星に生きる子供を、インベーダの侵略から守りたかった。それだけだ』
昨日、雨男《エトセトラ》にそんな事を言った。
この言葉、嘘ではない。
借り物の言葉だ。でも偽物ではない。
未来の喪失以上に、この世界において悲しい事なんて無い。
『教師になって、生徒の未来を救えば、世界全ての未来を救った気にでもなったか……?』
雨男《エトセトラ》から返された言葉。
思っていない。
思っていないけれど、もう星を救えば十分だろう。
たった数人の子供すらも、たった一人の恩師すらも、たった一人の“妻”すらも救えなかった自分に。
とても、世界という単位は重すぎる。
世界全ての未来は、重すぎる。
この学院の生徒達だって、救える自信は本当はないのに。
白日夢《オーロラスマイル》として何万人でも殺す事は、出来るかもしれない。
でも、一人の教師として一人の大事な生徒を救う事さえ、出来ないかもしれない。
だから、この学院の外の事まで背負ったら。
全てを失いそうな気がして。
多くのものを失い過ぎて、今度は人間じゃなくなるかもしれない。
……そんな言葉が言い訳だと、受け入れているのに。
もう、疲れたのに。
もう、関係ない筈なのに。
もう、白日夢《オーロラスマイル》の仮面は捨てたはずなのに。
(僕はもう……教師なのに)
どうして、あの雲の下で嘆いている子供達の事を考えているのだろう。
あの雲の下に、ここに入学する生徒がいるかもしれないから?
いいや。突き動かしているのは、きっと――。
「行きなよ、先生」
手を繋いでいたミモザの声が、その心を優しくなでる。
「すっごい行きたいって顔をしているよ?」
「そうはいかない。あの爆発は只事じゃない。あれを齎したものが、仮にここに来たとしたら……僕には君達を守る義務がある」
そうだ。
油断していたら、守りたいものは簡単に手からこぼれていく。
終わる時は、いつだって一瞬だ。
「でもそれ、最善の策だと思ってる? 本当はどうしたいと思ってる?」
その言葉に対して、メルトは言い返せなかった。
何も言い返せなかった。
朝日に照らされた、勝ち誇ったようなミモザの笑顔を、崩す事が出来なかった。
「先生がプロキオンから私を救ってくれたときね。私、思ったんだ。ああ、この人は本当に私達を救いたくて仕方ない先生なんだなって……でも、何というか、考えすぎちゃってるのかな。無理してるのかな、とも思ってる」
「僕が、無理してる?」
「こうやって私の手を握ってくれている事は、きっと本心からだと思う。大体私の裸見といて、謝るだけで照れるとか何も無しって、聖人かってレベルくらいだよ。これでもそれなりに自分の体には自信あるんだからね!」
話していて恥ずかしさを思い出したのか、再び桜色に顔を染めるミモザ。
十全に、自爆していた。
「と、とにかく! 先生はなんだか沢山怖がってるって感じ! 私と変わらない訳よ! それで本当にやりたい、選びたい事が出来なくなるのは、私は悲しいと思う」
「……決めつけてくれるね」
「踏み込みすぎちゃったかな」
しかし、メルトは強く言い返せなかった。
ミモザが決めつけた事。そう言いつつも、沈黙は肯定と受け取られると分かっているにもかかわらず。
「でも、図星でしょ」
「……」
「私ね、ずっと考えていたんだ。お父さんが逃げようって言った時、学校に通うのも諦めて、西ガラクシ帝国逃げるべきだったのかなって。そうすれば、少なくとも私に降りかかった災難は防げた」
確かに、父親について亡命していれば、今は安全な生活があったかもしれない。
父親と離れ離れになる事も。
プロキオンに捕まり、死の危険に晒される事も。
入学の危機に一喜一憂する事も。
何も考えない人間達に後ろ指をさされることも、無かったかもしれない。
「でも、これだけは言える。私は選びたい道を選んでよかった。後悔なんてしない。反省なんてしない。だってずっと待ちに待っていた学校生活が、青春生活が目の前にあるから。ずっとベータ魔術学院に通いたかったから。ずっと勉強、したかったから。西に行っていたら、結局何だかんだで逃げるばかりで、ずっと箱入り娘だったかもしれない。父さんの操り人形としてずっと生きるなんて、私は嫌だ! 絶対嫌だった!」
「……ミモザ」
「私から先生に教えられる事は二つだけ。一つ目は健康的な食生活。そしてもう一つは、生きたいように生きてみたら、案外間違いじゃなかった事が多いって事」
いつか、ツクシが言っていた。
生徒から、教師が学ぶこともある、と。
この世界の魔術の教科書をツクシに持って行ったとき、まるでミモザみたいな生徒の様に寧ろ学びつくしていた気がする。
だからその言葉も、ツクシの様に受け入れる事が出来た。
「先生が昔、何があったのかは分からないよ。どうして銀河魔術なんてものを持ちながら教師になろうとしたのかも分からない。でも、教師になって為したい何かあったから、きっと教師になったんでしょ? そしてそれをやりたいのは今じゃないのかな? んん?」
上目遣いにメルトの顔を覗いてくる。
クリーム色の髪がとても近い。プライベートゾーンとか知らないと言わんばかりの距離だ。
でも、この目にメルトは多分、もう嘘をつく事は出来ない。
「先生がやりたい事をするためなら、私はこの手を離せる」
「大丈夫なの?」
小さく、心配そうに笑うメルト。
「先生が戦ってるだもん。励まされて私だって……戦う」
「……」
メルトが歩き始めると、ミモザは自然と手を離した。
子供が漕ぐ自転車を支える手を、離すかのように。
どっちが親で、子か分からないけれど。
「僕が本当にあの場所に飛び込みたいのかは分からない。ここに残って君達を守りたい気持ちも本当だ……でも、行かなかったら後悔する気がする」
「じゃあ行くべきだね!」
「こんな教師で申し訳ないね。ミモザ」
「いやあ、逆に完璧星人すぎても付け入る隙ないし。何やっても仏頂面で皮肉聞かされるとか溜まったもんじゃないもん」
「その一言でありがたみが一瞬で消えたね。信頼って大事だよ」
「そういうとこだよ、先生」
べーっとミモザが舌を出す。
への字に曲がった口も、メルトの顔が緩むのと合わせてはにかみ始める。
「頑張ろう先生。私達は生徒と教師でもあるかもだけど、これから一年間同じ釜の飯を食う仲間なんだから。何人何脚になるかは分からないけど、前に向かって進んでみよ! もう少し休んだら、朝ご飯作って待ってるから!」
「うん、分かった」
メルトは扉からではなく、猫の解に消えた。
最早見慣れた別空間への扉が閉まる音がして、そのミモザの眼には若干の哀愁が漂っていた。
「……かっこいいよ。メルト先生。もっと恩返しできるように、私も頑張るから」
朝早くで、眠っていると考えたからか、フクリに直ぐに声をかけないミモザだった。
だからこそ、実は開いた窓から飛び降りて、戦場に一人でに駆け込んでいる親友に気付かなかった。
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