“オリオン”。
静が終戦を迎えた、即ちメルトの最後の戦いが終わりを告げた八日前に、地図の上から消滅した村の事である。今その村に行こうとも何も残っていない。焼けた木材の切れ端くらいしか、どんなに探したところで見つからないだろう。
オリオンという村では、ひまわりが咲いていたらしいが、もうそのひまわりも見当たらない。
何もかも、全ての命と共に紅い悪魔が呑み込んでしまった。
オリオンという村では、身寄りを失った子供達が大人の手を借りず、逞しく生き抜いていた。
その大半はアルファルドチルドレンで構成されており、貧しくも平和な生活を送っていた。
時間が止まったような村だったけれど、それでも住んでいた子供達は皆未来に向かって生きていた。
それくらいに平和、だった。
平和、だったのに。
皆、確かに未来があったのに。
どうして。
あの村は、未来になれなかったのだろう。
どうして。
あのひまわりは、今年も咲かさないのだろう。
どうして。
あの子達は、永遠に子供のままになったのだろう。
どうして。
どうして。
どうして。
■ ■
「“惨毘歌《トライアングル》”」
何の迷いもない一閃だった。
間合いを詰めたと同時、純黒は確実にメルトの体を裂いていた。
ただし、肉体的なダメージはない。
メルトの胸元には、一切の切り傷はない。
代わりに、メルトの世界を怨霊達が包む。
その精神を引きずり込もうと、怨嗟の声が鳴り響く。
『すいませんごめんなさい助けてお願っ』『いっ』『あー死、あー、死』『熱』――
声は、沈黙した。
悪意と絶望の焔は、雨男にも目に見える形で消滅していた。
凛としていて、かつ静かなメルトの目線は変わらない。
「やはり銀河魔術の使い手。“惨毘歌《トライアングル》”程度では無効か」
「暗黒の属性をそのまま向けるなら、同じく暗黒の属性で引き剥がすまでだ」
「どうやら……引き剥がされる前に、物理的に断つしかない――つまり」
もう一度雨男《エトセトラ》は振るった。
今度は精神を断つ為の暗黒ではなく。
肉体と命を絶つ為の、凶器として。
「殺しで行くぞ、恨むなよ」
涅色の軌道。
確実に、メルトの首を通過していた。
回避さえされなければ。
重力を無視した動きで、メルトが背を反ってさえいなければ。
「それは嫌だなぁ。殺ししか手段を知らない未来は、流石に肯定出来ない」
重力を操り、本来なら倒れる重心だろうと挙動の対象足り得るメルトからは死への恐怖はない。
雨男《エトセトラ》もそれを感じ取った上で、返す刃で二振り目を解き放つ。
膝から下が離れ離れになった想定をしながら。
「なら死なない内に譲れ」
「それも出来ない」
突如蹴り上げられた脚。
革靴の靴底が、刃の行進を止めた。
刃と靴底の間で、強烈な光が拡散する。
“粒子”属性。
宇宙の属性の中で、暗黒の様な概念意外であればありとあらゆるエネルギーへとなれる存在。
人を象るための芸術的な粒子から、人を消滅させるための高エネルギーの粒子へと変幻自在。
メルトが使ったのは後者だ。
単純明快な破壊力を持つ光線を革靴に纏い、欄魔の威力と相殺したのだ。
構えが出来ていなかった分、高エネルギーの反発力に吹き飛ばされたのは雨男の方だった。
光の粉が舞い散る中で、放射線状に体が持っていかれる。
100メートル。一瞬でとめどない風圧が背中に襲い掛かった。
「……そんな使い方もできるのか。器用なことだ」
しかしただ自由な上空に放り投げられていたわけではない。
重力を自在に操ると、落ちることは無く中空にとどまり続ける。
下界には幾つもの校舎や寮といった建物、そして学院を囲う森、さらに遠くには復興途中の不完全な街が見下ろせた。
その中心で。
メルトは銃のように右手人差し指を雨男《エトセトラ》に向けていた。
「そっちこそ、怪我しない内に止まれ」
人差し指の先端から、ばんばん、と。
本物の銃のように、弾が飛び出してきた。
銃と違うのは、筒状の弾丸と違い、触れれば溶けること間違いなしの光線だった事だ。
しかし雨男は、その閃光に恐れはしなかった。
規格外の視力をもって、冷静に弾道を見極めると左右に僅かに動いただけ。
無駄のない移動で、その二発の弾丸をかわす。
その次の銃撃もかわす。
何故なら、一発たりとて雨男の胴体や頭を狙っていないからだ。
「急所を狙わないつもりか」
地面に降りるなり、駆け抜ける雨男《エトセトラ》目掛けて単発の光線。
もはやかわす事もせず、怪刀“欄魔”で打ち返しながら突き進む。
メルトもその光景に眉を潜める事もせず、ただ淡々と迫りくる雨男《エトセトラ》に銃弾を放つだけだ。
「僕は勝負をやっているつもりはない。ただ君に止まってほしいだけだ」
「お前の力ならそれが出来るとでも?」
「やるしかないでしょ」
メルトが反対の手を突き出す。
途端、雨男《エトセトラ》の突進が止まり、中空に浮く。
重縛。
左手から放たれた斥力に対し、雨男《エトセトラ》は驚く事も無く、同じく重力の力を込めて欄魔を一振りする。
宇宙の力で創られたヴィシュヌの剣は、あらゆる銀河魔術の属性に対して有効である。
異常な重力が千切れ、自然な上から下への力で着地。
再び音速の行進曲《あしおと》が始まる。
「そうやって自分なら何でもできるかと思ったか……? 神様にでもなったつもりか? 自分の救いたいものだけ救って浸る自己満足の湯舟はどうだ?」
遂に間合い。
欄魔が、メルトに向かって振るわれる。
だがそれだけの距離という事は、人差し指にも近くなったという事である。
ノーモーションである分、メルトの方が攻撃が速い。
人を差す指から放たれる一筋の線。
近距離であれば、着弾までは刹那。
かわすための行動を起こそうとしても、その電気信号よりも早い。
欄魔を逆手に持つ右手目掛けて放たれた光線は――しかし欄魔にも、右手にも直撃しなかった。
「一年前と変わらない。お前は傲慢だ」
その声は、真後ろからだった。
“猫の解”。
空間の連続性を飛び越えて、雨男《エトセトラ》はメルトの目前から背後に跳んでいたのだ。
「白日夢《オーロラスマイル》の伝説は俺が完結させてやる。ここで第一部完だ」
ぶん、と。
殺気と敵意を存分に込めた漆黒の刃は、空を切った。
刹那前まで、確かにそこにメルトはいたのに――。
「それはできない」
しかし、メルトの頭だけは同じ場所に合った。
上下逆さまになって。
頭と足が、天地逆になって――浮いていた。
「僕には守るべき未来がある。君も含めて」
そして向けられていた右手人差し指。
的確に、冷静にその斜線上には欄魔があった。
放つ。
防御行動自体は間に合うも、構えが間に合わない。力が入り切っていない。
完全に不意打ちへのカウンターを喰らった形になり、雨男《エトセトラ》の体が後ろへ十メートル引き下がった。
「確かに見て取れた。ローブの隙間からベータ魔術学院の制服。制服は流用が効かない様に、他の人が着れない細工がなされている筈だ……やはり君はこの魔術学院の生徒だ」
それを確認するために、わざと無防備を装い雨男《エトセトラ》を接近させた。
重力で浮き上がり、首元の隙間から制服を確かめる為に。
雨男もそれが分かった上で。
欄間を握る右手を震わせた。
「未来を守るだと……?」
放たれたのは。
魔術による変音ですら隠し切れない、どす黒い感情だった。
「笑わせるな! 白日夢(オーロラスマイル)!」
きっと泣き顔の仮面の下では、泣き顔よりも昏い表情になっていた。
あまりに直線的な憎悪に、メルトの顔も曇る。
「お前は、何のために戦っていた……自らの銀河魔術を見せびらかす為か? 正体不明の、匿名の戦士として伝説となって、優越感に浸る為か……」
「僕は……」
一瞬だけ口が止まり。
メルトは、ツクシとの会話を思い浮かべながらやっと答える。
「未来を、守りたかった。この星に生きる子供を、インベーダの侵略から守りたかった。それだけだ」
「ふざけるな!! そんな借りたような建前の言葉などどうでもいい!!」
時間違いの次元で、たった一人だけ。
哀しく、慟哭が巻き上がる。
全身で呼吸するように肩を上下させて、静かな声に怒りを載せる。
「俺は言える……お前は何も救っていない……お前が救ったのはこの星だけだ!」
「何故そんな事が言えるんだ」
「言っただろう。俺は“エデン”にいたと。お前とヴィシュヌが戦った最後の刻、俺は確かにあそこで最後の瞬間を見た……俺はお前の素顔を見ていたんだよ」
そのヴィシュヌが駆っていた剣先を突きつけながら、雨男は続ける。
「ああ、あの時世界は平和になった。インベーダ達も撤退した。それはいい。だがお前は世界を守ったのであって未来は守っていない……この星には、“オリオン”みたいな末路を迎えるしかないアルファルドチルドレンが沢山いるというのに……“あろうことかお前は、その仮面を捨ててどこかに行った”」
仮面を掴みながら。
忌々しそうに掴みながら。
「知っているか……このアルファという街でさえ、フクリというアルファルドチルドレンが奴隷にされかけた……何人ものアルファルドチルドレンが食糧として飼われる所だった!! 遂10時間前の話だ!!」
その話はメルトも、フクリから先程聞いた。
フクリがアルファルドチルドレンだと悟ると同時に、危ない所だったと酷く反省した。
実際、メルトはこの雨男には感謝しかない。
こんな出会い方でなければ、御礼申し上げていただろう。
「教師になって、生徒の未来を救えば、世界全ての未来を救った気にでもなったか……? 壇上から点呼して全員から返事が返って来れば、星全ての将来を守った気にでもなったか……? 貴様は教師という役職について、手に届く存在を守った気になっているだけの自己満足野郎だ」
メルトは黙る。
黙ったまま、雨男が欄魔を天地逆さまにしていく光景を目の当たりにした。
「……それは」
そこに来て思考の深海から戻ってくる。
だがもう遅い。
既に発動している。
「別にそれだけならどうでもいい……だが何だかんだ理屈をつけて、あの未来を蝕む穢れた血を生かそうとしている……貴様にもハーデルリッヒの血が流れている様だな……」
「やめるんだ。それをやったら人間に戻れなくなる……完全にそれを発動したら……!」
手を伸ばすメルト。
だが、欄魔から溢れるは暗黒の湿地帯。
永遠の黒が、雨男の全身を抱きしめる。
「未来は俺が守る。安心して過去になれ」
白い仮面。
泣き顔にしか見えない、逆さまの仮面。
その眼の線に、唯一紅が走る。
溶岩の様に灼熱で煮えたぎる焔が、涙腺の様に迸る。
「反天」
拡散。
同時、悲鳴にも似た甲高い音をメルトは聞いた。
空気の揺らぎを防ごうと、思わず腕で覆っていた目を開いた。
漆黒の鎧が五体満足全てを覆っていて。
甲殻のみで構成されているかと思いきや、首元からマフラーの様な揺らめきがあって。
最後に広がったのは、真っ白ならば天使のそれにも見えただろう、翼を模した線の群れだった。
「……キッズ」
それは人間でもインベーダでもない、生命体が宇宙になった存在――“キッズ”である。
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