銀河魔術の先生~天の光は全て教室~

これは、星の数だけ在る未来の授業。
かずなし のなめ
かずなし のなめ

040:スパイダーキッズ

公開日時: 2020年10月16日(金) 18:07
文字数:4,294

「……おのれ、おのれ」


 自室で酒を煽っていたグローリーは、ただ呪詛の様に呟く事しか出来なかった。

 忌々しきメルトの暗殺も失敗。しかもプトレマイオスに思わぬ裏切りを受け、学院の教員資格すら剥奪された。

 メルトの、ゴミを見るような双眼。

 プトレマイオスの、気骨まで凍りそうになる双眼。

 あれだけの扱いをされておきながら、おめおめと帰ってこうして酒を煽る事しか出来ない。

 傷つけられたプライドの耐え難い傷を、今は耐えるしかない。

 

「メルトも、プトレマイオスも……このハーデルリッヒを敵に回したらどうなるか思い知らせてくれる。教育界どころか、この星のどこにも居られなくしてやる!」


 と、誓いながらも今できる事はビンの酒をグラスに移すだけ。

 勿論グローリーだけの権力でも、総動員すれば二人の地位を脅かす事が出来る。

 だがそれだけでは足りない。眠る事さえ許されない様な、生かさず殺さずの焦熱地獄を味合わせてから始末しなければ、削れた誇りの恨みは晴れない。

 

「父上がネブラの入学時にやって来る……、その時、私が壇上に上がっていない事がどんな結末に繋がるか、ハーデルリッヒの家柄にかけて父が証明してくださる……」


 あと一週間弱。

 それだけの期間耐えれば、入学式の檀上は断頭台へと変貌する。

 メルトの狼狽えた顔、プトレマイオスの冷や汗。想像するだけで溜飲が下がる。

 

「ハーデルリッヒを差し置いて、この俺を差し置いて下民共が跋扈する学院なぞ、潰れてしまえぇ!!」


「――永久《とこしえ》に、父の笠に隠れ、終末まで生きるつもりか」


 緩みかけていた顔が、真顔に戻った。

 少女の声。少なくとも家の者に、そのような声の主はいない。

 聞こえた方向は、灯りの死角。曖昧な影から、しかし足音は確かにした。


「貴様が煽る酒は、何かを腐敗し雫とする。葡萄、林檎、麦……時には米を」

 

「……ミモ……ザ?」


 疑問形でグローリーが眉を潜めるのも無理はない。

 人前に出るにはその寝間着姿はとても似付かわしくない。そもそも、護衛に見つからず、扉すら開いた気配も無いのにどうやってこの自室に入ってきたのか。

 そもそもミモザはクリーム色の髪をしていなかったか。蛍の様に紺碧の色に薄らと瞬く、背まで伸びた髪は確かに彼女のものではない。

 

 誰だ。

 グローリーの言葉を濁らせたのは、その疑念だった。

 明らかに目の前にいるのは、ミモザに形を似せた何かだ。

 

「心憂い試練を、酒の毒素で一時的に感じなくする……時には神などという偶像を掲げて、洗脳されてまで。可愛い事だ。だが私は、そうまでして抗わぬ人の感情が分からぬ。小さき弱きこの人の身に宿ろうとも、理解が出来ぬ」


「……貴様、何者だ」


「小心者故、嗅覚は在るようだ。貴様が睨んでいる通り、我は人ではない」


「インベーダ?」


「私はコスモス……“星そのもの”」


「……?」


 星そのもの。

 これまで貴族としてそれなりの経験を積んできたグローリーでも、得心が行かない。

 しかしいつもなら、スラム街の出身で、頭の狂った娘かと捨て置く筈なのにそれが出来ない。

 目の前の存在が、本当に神にすら見えたのだから。歴史上預言者として名を遺した神の代行者が、神に出逢った瞬間を今まさしく再現していると肌で知ってしまったから。

 

「私は先程、メルトと雨男《エトセトラ》の戦いを見ていた」


「……戦い?」


「疾さの次元が異なるが故、貴様は戦っているのが分からなかったろうがな。あの場で見えていたのは、このミモザの中にいた私だけだ」


「ミモザの……中だと!?」


 グローリーには先程のメルトと雨男《エトセトラ》の戦いは、突如消えたかと思ったらすぐに決着がついていた。

 あの瞬間、あの刹那の間に一体何が起きていたのか“縮地《ソングスリップ》”も“銀河魔術”も十分に知らないグローリーには無理からぬことではあった。

 だが、疑問はまだ続く。

 ミモザの中……やはりこの体は、ミモザのものだというのか。

 

「私は先程の戦の中に、一つの光明を学んだ。それがこの、暗黒だ」


 コスモスの右手に、灯光が全く届く気配のない漆黒が蠢き始めた。

 

「この暗黒は、心を変容させる。私は人の心がただでさえ分からない身。いかに星と言えど、心を操る事は無理だと諦めていたが……これで私の望みは、確かに達成へ近づいた」


 コスモスの笑顔。

 しかしミモザがやらないような、傷つける事を楽しむような笑顔。

 その笑顔が決して癒すものではなく、絶望へ落とし込むものだと悟った時には――既に始まっていた。



「では試しに貴様を、この星《わたし》の……子供《キッズ》にして進ぜよう」



 コスモスの右手の暗黒。

 それがグローリーの腹部へ、埋め込まれていた。

 

『おぼぼぼ』『足、私の足』『あああああああああああ』『死に、死んじゃ』『あぐっ』『げえええええええええ』『空、青』『喉乾いた、喉、喉』『暗い』『お兄ちゃ――』


「あが、が、がああああああああああああああ!?」


 脳内に蔓延る断末魔の数々。

 無数の暗黒が、グローリーの精神を奪いに来た。

 蹲り、大きく見開いた眼をぐるぐるさせて、グローリーにしか見えない暗黒の世界を彷徨い始める。

 

「大袈裟に恐怖するでない。苦しむ必要もない。その怨嗟は、貴様の肉体として生まれ変わる」


「あ、ああああああああ……」


 しかし、雨男《エトセトラ》の惨毘歌《トライアングル》とは根本的に違った。

 ただ恐怖に心がおられ、廃人になる雨男《エトセトラ》の鎮魂歌とは異なり、グローリーは肉体に変化があった。


 髪以外にも、全身が灰色に染まっていく。

 爪先から内臓に至るまで、燃え尽きた炭の様に、灰色に朽ちていく。

 朽ちていき、全く別の生き物として生まれ変わる。

 

「力が……湧き上がる」


「見様見真似だが上出来だ。即ち、先程の雨男《エトセトラ》が披露したキッズは“不完全”だったという結論……不完全であれ程だというのだから、奴には舌を巻く」


「お、おおお、おおおおおおおおお……!」


 頷くコスモスの隣で、グローリーが立ち上がる。

 肉体がどんどん人間という境界から――そもそも生命という世界から逸脱し始めた両手を見て、心を沸かせながら。

 

「暗黒は有頂天から絶望へ叩き落とされた瞬間にこそ、最も馴染む。貴様も感じるであろう。宇宙から生まれし私の子供……即ち宇宙の血が脈動している事を……」


「力が……力が……」


 浸食は未だ続く。生命から逸脱した宇宙の侵入は、再現なく続く。

 肉体そのものが、人間を辞めていく。

 しかし、これは紛うことなく、“進化”。

 未知で、無知であったにも関わらず、誰よりもグローリー本人がその真実に辿り着いていた。

 

「俺は、俺はぁぁぁぁ!!」


「星の愛を誉《ほまれ》とせよ。星から投資された君が初めてだ。其方は害虫を貪る、益虫の第一号として私に力を示すのだ」


「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」


 咆哮。

 途端、衝撃波がグローリーを中心に吹きすさぶ。

 勿論、暗黒という濁流も一緒に――。

 

 

『スパイダー』



 合わさる筈の無かった怨霊達の叫びが、突如整列して一つの単語を放った。

 その時にはもう、アルファ郊外に佇んでいた堅牢豪華なハーデルリッヒ家の屋敷は跡形もなく吹きとんだ。

 

 静かな一帯の中、突如変わり果てた瓦礫の山。

 数時間後。

 朝日が昇り始めた頃。

 

 その中から瓦礫を持ち上げて出現したその存在は、確かに人ではなくなっていた。

 

「父上……貴方の手を借りずとも、私は、悪魔共を踏みにじって、にじって、にじって、にじって、にじって」


 地団駄で瓦礫がどんどん潰れていく。

 中にメイドや執事が人の形を忘れて死している事すらも、頭が回っていない様子で。

 ミモザの形をした神様が、いつの間にか姿を消した事すらも忘れて。


「メルト、プトレマイオス、そして雨男《エトセトラ》を、にじって、滲って、煮字って、二つに割って、ぱかんって、やつらの頭蓋骨で、盃を交わしましょうぞ、混ぜましょうぞ」


 人の言葉を、暗黒に穢れた自我が忘れつつあろうとも、確かに誇りを踏みにじった奴らを忘れなかった。

 だが、確かに人の形は忘れていた。

 何せ灰色の筋骨隆々の全身から無数の毛が外へ伸びていたのだから。人間ではない。

 五本の指ではなく、一本の強靭な爪のみが伸びている腕が八本もあるのだから。人間ではない。

 口は横一文字ではなく盾に割れていて、黒い歯はかみ殺すには充分すぎる程尖っているのだから。人間ではない。

 眼は二個ではなく、無数の紅い複眼になっていたのだから。人間ではない。

 

 蜘蛛の化物だった。

 つまり、強靭な二本の脚で自律した――“スパイダーキッズ”である。

 

「ま、魔物……」


 流石に何時間も経ち、陽も上がったせいか観衆が集まっている。

 ハーデルリッヒの屋敷が崩れたのだ。ああ、これは一大事だ。

 しかし下に位置する民達は、自分を“魔物”と呼んだ。

 

「魔物だ!」


「軍を呼べ!」


「グローリー様が魔物に殺された!」


 まさか自分を魔物と間違えているのか。

 そんな蒙昧共が、同じ空気を吸っているというだけで吐き気がする。

 体内の宇宙が言っている。この街を統べろ。この星を統べろ、と。

 

「チクショウ、まだ私が誰だかその小さな脳味噌に刻めてないようだ……なっ!!」


 グローリーの体から、無数の糸が出現する。

 時間を飛び越したように、眼下にいた存在全員に纏わりつく。

 そのまま糸は張り、何十人もの人間を軽々と持ち上げて、同心円状に展開される。

 

 蜘蛛の巣。

 力で、魔術で下民たちが抗うが全くどの糸も切れる気配がない。

 

「磔、見せしめ、まずは私が一体、どれだけこの星に、神に愛された預言者であるかを、手ずから理を持って示すとしよう!!」


 グローリーの頭上に灼熱が集まる。

 グローリーも未だかつて経験したことのない、未曽有の質量のそれは、誰の目にも太陽に見えた。

 ただ出現しただけで近い人間は燃えて、溶けて消えていく。

 生き残った人間も、次々に干からびていく。

 

「私こそ、ハーデルリッヒ公爵を継ぎ、やがてはこの東ガラクシ帝国を継ぎ、この星を継ぐ誉高きグローリーなるぞ!! 愚民下民ゴミ共は大人しく畏怖して崇めるがよい!!」


 灼熱の太陽が、遂に落とされ爆散する。

 眼下にいた人間どころか、辺り一帯の家がまとめて巨大な爆発で吹き飛んだ。

 帝国の中でも有数の巨大街、アルファの十分の一が吹き飛んだ瞬間だった。

 マグマの様に煮えたぎる死の世界を、スパイダーキッズという怪物と化したグローリーが闊歩していく。

 

「メルト……プトレマイオス……雨男《エトセトラ》……あれらを剪定した上でな」


 姿だけ人間に戻っても、最早その自我は戻らない。

 支配と、復讐しかもうその歩みにはない。

 全てを自分の蜘蛛の巣とし、その玉座に座る事しか、もう。

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