雨男《エトセトラ》が元の人間に戻った途端、二人を包む“縮地”は終焉していた。
キッズ体から元に戻った事、更に本来ならば疑似対消滅が発生してもおかしくないエネルギーを一身に受けた雨男《エトセトラ》の方は、連続発動していた“縮地”が解けてしまったのだ。
一方で、あくまで同じ目線、同じ時間に立ちたかったメルトは雨男《エトセトラ》の隣に着くなり“縮地”を解いたのだった。
「……ぐ……」
やむを得ないとはいえ、相当のダメージを与えたはずだ。
それでも、ぐらぐらと揺れる脚で必死に立ち上がろうとしていた。
呻き声が、未だ衰えぬ闘争心を現している。
地についている膝と掌が、未だ閉じぬ戦意を示している。
右手に逆さで握る刀が、未だ殺意をカタカタと音で示している。
「雨男《エトセトラ》。ここまでだ」
だがメルトは生徒と戦うつもりはない。
これ以上傷つけるのは、自信の主義に反する。
しかし放っておけば、雨男《エトセトラ》の精神力は削れて消えてしまう。
「……精神は無事の様だね。だが次も精神を保てているかどうかは分からない。その刀は危険すぎる。正直今も、脳内でそいつが放つ暗黒と戦っているんじゃないのか」
欄魔の危険性を改めて指摘する声に、雨男《エトセトラ》は欄魔を握る手を弱めようとしない。
「俺がその程度の覚悟でこの場にいると思うか……? 俺は吞まれない……目的と、復讐を果たすまでは!」
「雨男《エトセトラ》さん……!」
雨男《エトセトラ》はここでようやく、自分が元の時間の早さに帰ってきたことを悟ったらしい。
左側から一番早く書けてきたのはフクリだった。
遅れてミモザも訳が分からないといった様子で二人を見渡していた。
「なんなのよ二人とも……突然姿が見えなくなったと思ったら、物凄い速さで戦ってたから……」
ミモザの様な一般人にはかろうじてメルトと雨男《エトセトラ》が音速の世界にいる事しか分からなかった。
しかしそれにも個体差がある。
ミモザは銀河魔術が時間まで超えられる事を今初めて知ったのに対し、フクリはある程度知見があったために、驚きは少なく最初から雨男《エトセトラ》の言動に注目する事が出来た。
故に、“目的”と“復讐”という言葉まで聞き取れてしまった。
「目的って……アルファルドチルドレンを助ける事ですか」
「……」
「なら復讐って……」
そこで言い淀み、欄魔を見つめる。
「私も銀河魔術については殆ど分かりませんが、その右手に持っている刀からは恐ろしいものを感じます……握ってたら、雨男《エトセトラ》さんが壊れちゃうものじゃないんですか……?」
「その通りだ。フクリ」
メルトが代わりに頷く。
雨男《エトセトラ》はフクリに向きかけた仮面をまた正面に戻す。
「君には関係ない事だ。放っておいてくれ」
「放っておけるわけありません! あなたは、私を助けてくれたではありませんか……!」
「そのお礼ならもうしてもらった……君には――」
そこで一瞬、雨男《エトセトラ》の言葉が途切れる。
この場にいた誰もが、雨男《エトセトラ》が仮面の下で思い描き、重ねていたワンルーム。
ひまわり畑の前で踊る、遠き日の“妹。
蛍が飛ぶ聖なる湖で舞う、近き日のフクリ。
それらすべてを今は忘れて、ただ目の前の状況に集中する。
「……アルファルドチルドレンが、人間の子供と分け隔てなく笑える世界。その世界にハーデルリッヒは不要だ」
立ち上がり、雨男《エトセトラ》は欄魔を振るう。
「“猫の解”」
同時に巻き起こる砂塵。
それがメルトも含めたその場の人間に、一瞬の隙を作った。
一秒だけで十分だった。
裂けた空間の裂け目に、自ら飛び込むには。
『忘れるな。お前達は裁かれて然るべき存在……お前達の殺人を最後に、俺は“虹の麓”を実現する』
言葉だけが、その場に置かれたものだった。
「逃げられたか……」
僅かな油断があった。
自分をそうやって責めながら、遅れてやってくる影に目を向けた。
「……何だか知らないが、良くやったぞ」
やってきたグローリーが出した声は称賛の声だった。
まるで救国の英雄に、玉座でふんぞり返っているだけの王様がかけるような形だけの声だった。
「これで一件落着だ……見ろ、あそこで伸びているインベーダ達も再起不能。侵入者同士で勝手に自滅し合ってくれ、最後はメルト先生によって最後の一人も逃げた……誰も被害にあわなかった。なんて素晴らしいこどっ!?」
頬を凄まじい力で掴まれ、グローリーのプレゼンテーションは中断された。
鬼の形相で、メルトが睨みつけていた。ミモザやフクリも、一瞬怯える程の冷徹さだった。
「なんで僕がお前みたいなゴミ救わなきゃいけないんだ」
「いっ……」
「僕が救いたかったのは生徒だ。雨男《エトセトラ》だ……お前がフクリとあの雨男《エトセトラ》にやった事は責任を取らせてやる」
「な、何のことだ……そのフクリは勝手にそいつから脱いだだけだ! あの雨男《エトセトラ》に至っては何の関係もない! あれが初めましてだっ!?」
「お前もう黙れ……」
更に力を強める。
「お前がオリオンでした事。洗いざらい吐いてもらうぞ」
「“オリオン”……? 何の事だ、証拠でもあるのか……。あれはアルファルドチルドレンが勝手に暴走を起こして、それを俺達ハーデルリッヒが鎮圧した事件だ、あれの加害者はアルファルドチルドレンだ」
反論しようとして、メルトは思いとどまるしかなかった。
確かに音速の世界の中で、暗黒の暴走が見せた記憶の欠片――と裁判所で証言した所で、何の証拠もあったものじゃない。
世間ではアルファルドチルドレンが人間へ一矢報いようとして、未然に防がれた出来事。捏造され、捻じ曲げられた証拠ならいくらでも出てくる。
今の時点ではまだハーデルリッヒが黒幕であることを示すのは不可能。
メルトが顔をしかめていると――。
「――これは何事だ」
全てを貫くような、はっきりとした女性の声があった。
「色々事件があったようで、不安になって早めに帰ってみれば……」
「プトレマイオス先生」
零度夫人《プルート》。
軍を引退したにもかかわらず、未だ軍服を身に着けた麗人の登場にグローリーは不敵な笑みを浮かべた。
「これでお前も終わりだ……ミモザもな」
「……」
一方のメルトは、グローリーから手を放し、ただ睨むだけだった。
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