銀河魔術の先生~天の光は全て教室~

これは、星の数だけ在る未来の授業。
かずなし のなめ
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051:「ベータ魔術学院の銀河魔術使いは、君ら二人だけじゃないってことや」

公開日時: 2020年12月5日(土) 17:14
文字数:5,081

 “生きている人間”が誰もいないのは幸いだった。

 雨男《エトセトラ》がそう安堵して座り込んでいたころには、暗黒の浸食は深刻な状況だった。

 

「ぎ……ぐ……あ……」

 

 脳の中心にまで、漆黒が掘り進んでしまっているような感覚に立つ事さえ出来なくなっていた。

 息を荒立てながら、崩壊しかかって危険な瓦礫に背を預ける事しか出来ない。

 あらゆる所から火の手が出ている。火の中で、壊れていた建物が更に崩落するのが見えた。

 グローリーによる破壊の爪痕。このエリアが復興するのは、非常に時間を要するだろう。グローリーによる破壊があれだけ起きたにもかかわらず、要請されている筈の兵士たちが来ない。つまり、それだけ破壊は広がっているという事だ。

 

 しかし、時間が来れば兵士たちが来る。

 雨男《エトセトラ》の白い泣き顔の仮面も、その時に剥がされてしまう。

 まだ正体を明かすわけにはいかない。雨男《エトセトラ》としてやることが、酷く山積しているから。

 

「くそっ……体が……上手く……動かな……」


 立ち上がろうとすれば、ふらついてまた倒れる。

 無理するたびに、視界が歪み、聴覚があの声で一杯になる。

 

 暗黒が持つ、生者への憎しみで。

 宇宙を構成する心の成れの果てが持つ、憎悪で。

 

『怖い』『ひぎあああああああああああああああ』『痛っ、あっ』『ひゅっ? えっ?』『死にたくない』『べべべべべべべべべべべ』『許さない』『帰らなきゃ、あの子の所へ』『じょー』『許さないよ』『カー』『助けて』『酷い』『許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない『じょー』許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さ『お前のせいだ』ない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない『ょかー』許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない』『じょーーーかーーー』『許さない』『じょーか』


「ぐ、ああああああああああああああああああああああああああああっ!?」


 抑えきれない。抑えきれない。

 苦しい。苦しい。苦しい。

 誰かの借り物の憎悪が、青天井に増幅していく。


「あ、あああああ、やめろめろ、やめろおお、やめろおおおおおお!!?」


 必死に振り払おうとしても、染み込んだ暗黒は振りほどけない。

 ここまで制御不能に陥ったのは初めてだ。

 メルトの言う通り、無理をし過ぎたのだ。

 

 このまま、誰かが自分を見つけてしまったら。

 強制的に入ってくる暗黒に、体の所有権を渡してしまったら。

 

 きっと、ハーデルリッヒじゃなくとも、懐かしき妹の姿であろうとも、殺してしまう。

 

 

「見つけた!」


 見つかったのが、まだメルトだったら良かった。

 恐らくメルトならば、“キッズ化からの暴走”をしても抑えてくれる公算があったからだ。

 

 しかしその声の主は、明らかに男性教師の声ではなかった。

 か細いながらも、暖かい――天使の様なとある少女の声だった。

 

「フクリ……!?」


 悶える雨男《エトセトラ》に気付いたフクリは、一層物憂げな表情を浮かべながら小走りで近づいてきた。


「良かった……無事で……!」


「く、来るな……!」


 仮面に遮られながらも、音声を魔術で上書きしながらも、鬼気迫る言葉にフクリも足を止めざるを得なかった。

 しかし一瞬だけ。

 首を横に振りながら、苦しむ雨男《エトセトラ》に近づく。

 

「……そんなに傷ついているじゃないですか」


「これは……いい」


「良くない! 今にも死にそうじゃないですか……!」

 

 悶えは、まだ銀河魔術についてそこまで詳しくないフクリでは真意は分からない。

 ただ傷に喘いで、苦しんでいる様にしか見えない。

 放っておく理由が、ない。

 

「うっ……」


 最も傷が酷く、ローブも中の制服もボロボロに成り果てていた箇所にフクリも着目する。

 

「酷い傷……街をこんなにした存在と戦っていたんですね」


「いいから、逃げろ……いやだ、いやだ……」


「だ、大丈夫です……! 街をこんなにした存在も見かけないですし」


「違う……俺が、俺が……が、ああ……」


 肉体的な激痛と、精神的な激痛がそれ以上の言葉を許さない。

 雨男《エトセトラ》は歪んだ視界の中で、ただ一人温かみを持つフクリの姿を見る事しか出来なかった。

 ポケットから青いハンカチを取り出し、患部を締め付けるように結ぶフクリの姿しか。

 

「一番流血が酷い所はこれで押さえました。ですが、私も回復魔術は扱えないので応急処置はここまでしか出来ません。力には自信がありませんが、何とか避難所まで運んでみせます……」

 

 青いハンカチで巻き付かれた腕を手を添えて、フクリがとても苦しそうな顔をする。

 

「アルファルドチルドレンを助ける為に……活動しているんですよね」


「……ぐ……あ」


「どうして。あなたはどうして、そんなにボロボロになってまで……あなたは一体、誰なんですか? 私達を助ける為に動いているというのに、どうして私はあなたの顔を知らないんですか?」


「……」


「こんな事をしていたら、あなたは死んでしまいます……私が見るあなたは、優しい一方で、いつか永遠にいなくなってしまいそうです」


「……それで、い――」


「よくない!」


 フクリが声を荒げた。

 目元に、確かに大粒の涙が溢れていた。

 

「あなたの事を、私は知らない。でも、あなたの事を死んでもいい人間だなんて絶対に思えない。思いたくない!」


「……君がどう思おうと勝手だが……俺は、もう死んでいる。一年前に、もう死んでいる」


「馬鹿な言葉遊びはやめてください……あなたの心臓は、こうして動いています! 体が異常を発しているのが分かるくらい、ばくん、ばくんって動いてる……! あなたの正体は分からないけれど、あなたが生きている事! そんな事くらい私にも分かります……!」


 オリオンの一件を知らない少女だからこそ、その皮肉すらも通じないのだろう。

 だが、か弱く儚くとも、必死に訴えかけてくる少女に。雨男《エトセトラ》の胸に、迷いなく手を当てて心臓の鼓動を確かめてくる少女に。

 雨男《エトセトラ》は、ずっと目を奪われていた。

 

 オリオン以来だった。

 人間の、暖かさに触れたのは。

 

「……そんな仮面脱いで、一緒に避難所に行って助かって、そして一緒に学校に行きましょうよ……。あなたの寮の前で、親友のミモザって子と一緒に待つから、その時に話を聞かせて……?」


 縋りたくなるような、優しさ。

 一昨日見た踊りも思い浮かべる。あの踊りに、彼女の全てが凝縮されていた、と。

 誠実さとか、献身とか、純粋とか――それらは全て、オリオンという冥界に置いてきた妹が持っていたものと同じで。

 

 サニーという妹を、失いたくなくて。

 本当に、フクリとサニーは似ている。

 

「サニー……」


 思わず、フクリの頬に触れようとした。

 自分の名前じゃないにもかかわらず、それにも何か理由があるんだと頷き、その手を掴む。

 敵の手を防ぐ為に掴む為じゃなく、助けたい相手の手を手繰り寄せる様に。

 

 あの時もこんな感じだった。

 オリオンに最初に行った時も。

 アルファルドチルドレンと最初に会った時も。

 

『……お兄ちゃんって呼んでいい?』


 そんな風に、サニーというアルファルドチルドレンの少女と出会った時も――。

 

 

 不意に。

 懐かしき平和を。

 滅ぼした、あの一族とこの世界が――。

 

 

『許さない』『許さない』『許さない』『君のせい』『許さない』『人間』『許さない』『ジョー』『許さ』『ジョーカ』

 

「があああああああああああああああああああああああああああああああ!?」


「うっ……!?」


 突如、雨男《エトセトラ》の中で暗黒が、銀河魔術を構成する“反転魔力”が暴走を始めた。

 衝撃波として外の世界を駆け抜けたそれは、フクリの小さな体をあっという間に吹き飛ばす。

 全身へのダメージで意識を失ったフクリは人形の様にその場を転がっていき、ピクリとも動かない。

 

「フク……リ……が、ああああああっ、いやだ、それだけは、そ、こんな、こんな……!」


 頭から血を流しているが、フクリの命に別条はない。

 分かっている。というか、分かってしまう。

 キッズの領域に勝手に入り始めた雨男《エトセトラ》は、五感に頼らなくとも“周りの生者”の気配を感じ取れてしまう。

 

 犇めく暗黒が、生を終焉した魂の残骸で構成されているから。

 その大半が、勝手に生者を羨み、妬み、殺したくてうずうずしているから。

 心を喰われていく一方で、残った体の感覚が無理矢理動かされているのが分かるから。

 

『ジョーカ』『許さない』『ジョーカ』『ジョーク』『許さ』『ジョーカ』『生きてる』『お前のせいだ』『許さない』

 

 ただ、目の前で生きている少女を殺せと。

 体が勝手に暗黒に染まり、キッズへと変色していく。

 

 白い仮面の隙間から、涙ラインの赤い線が勝手に出現し。

 輪郭がどんどん禍々しくなっていく。

 制御外の所で、体が心と比例して化物へとなっていく。

 

「いや……だ。殺したく……ない。おれは、おれは、おれは……おれのせいで……もう……」


 寄りにもよって、自分を助けようとした少女を。

 サニーとよく似た、フクリという少女を。

 あのハーデルリッヒ一族の様に、この手で殺さないといけない。

 

 キッズのリスクは重々承知していたつもりだが、最悪の所で顕在化してしまった。

 このまま漆黒に染まった“完全なるキッズ体”となって、フクリを跡形もなく消し飛ばしてしまう。

 最早体が言う事を聞かない。逃げる事も、止まる事も叶わない。

 

 ただ、只管に人への憎しみを晴らそうとする怨霊達の賛歌に、惨禍の発生を余儀なくされる事しかなく――。

 

 未来を守るなんて豪語しておいて。

 自分が、未来になれない存在を作り上げてしまう。

 一番の、悲劇。

 


「――心温まるハートフルボッコラブコメストーリーは終わりなん? 君らより歳行ってないお子ちゃまやけど、そういう好きなんやで」


 この時、実は雨男《エトセトラ》にはもう一つの気配を感じる事が出来た。

 勿論精神を蝕む暗黒と、体に纏わりつくキッズとしての甲殻がその生者も屠ろうと囁きかけていた。

 

 どこに?

 それは、この辺りの瓦礫で一番高い所。

 最初からいたその少女は、足を組みながら座り込んで、まさに高みの見物を決め込んでいた。

 

「に、ゲロ……ころ、しちまう……ぐちゃって、ぐちゃぐちゃって」


「ああ、思考も化物じみ始めてんなぁ。まあ、“欄魔”に頼って順番無視で滅茶苦茶な手順で銀河魔術使っとったからな。しゃーない」


 一体どこの方言なのか。

 そして、朝日のせいで陰になって良く見えない、その少女はどんな風貌をしているのか。

 

 思考を巡らせている余裕しかない。

 ただ殺したいという悪夢が這入ってくるのと、殺したくないという抵抗しか考えられない。


「誰……でもいい……はしって、にげ……ころ……いやだ……ああああああああ」


「あたいは“ピュア”。あんたらのクラスメイトや」


 勿論。

 “何故この少女が、自分と同じクラスだと知っているのか”。

 という

 

 そしてこの尋常じゃない状況の中で、何故名乗りながら仁王立ちになって見下げているというのか。


「……」


 微かに見えたその風貌は、正直――まだ子供だった。

 

 顔立ちこそしっかり清楚に整って、成長しきったきらいがあり、体躯だけで見ればフクリよりも若干背丈はあるが。

 キッズとして読み取れる聖者の情報として、その魂の年齢は“まだ11歳”。

 何故同じクラスメイトなのか。

 

 勿論、そんな事を考える余裕も。

 もう。


「じゃ、手が付けられなくなる前に。未完成のキッズであるうちに。一回舞台裏の隅っこに体育座りしてもらおか」



『ゴースト』


 ピュアはその場で、唱えた。

 “体内の暗黒が合唱する、キッズの名を呼ばれた後で”。



「反天《リバース》」



 直後だった。

 全く意図しない方向から、雨男《エトセトラ》の意識は刈り取られた。



「メルト先生……そして君、雨男《エトセトラ》」


 薄れていく意識の中で。

 ピュアではない誰かに喝がれながら、ピュアの言葉を耳にしていた。


「……ベータ魔術学院の銀河魔術使いは、君ら二人だけじゃないってことや」

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