破壊の足音は、何の前触れもなく訪れた。
「!?」
メルトとツクシが“重力”属性を操り、木々よりも高い位置から眺めた景色は、既に手遅れだった。
「……なんだこれ」
メルトが生きてきた街は、既に途方もなく広がっていた火炎に飲み込まれていた。
建物はその殆どが倒壊し、離れた森まで断末魔も聞こえる。
メルトの街だけではない。更に遠くの方からも黒煙が夜空に伸びていた。
橙色の輝きは、人の住処が死に汚されていく事を暗示していた。
「……奴らが、来た」
奴ら。
その正体に辿り着いたのは、夜空を見上げた時だった。
ツクシを初めて見つけた時と同じ隕石が、何百も、何万も空を闊歩していた。
流星よりも侵略者と呼んで差し支えない隕石は、地面に着弾するなり爆光を拡散させる。
それが街と人を焼き、次から次へと地図すらも塗り替えていく。
次から次へと、星だけの夜空から降りてきて来ては無尽蔵に破壊を繰り返していく。
「あれは……宇宙人?」
「そうだ。僕と同じ星から来た……侵略者だ」
憎らしくツクシが吐き捨ててようやく、その“存在”が認識できた。
明らかに爆散したと思われていた隕石の中から、人体が出現する。
メルトは、言葉を失った。
中から出てきたのは、ツクシと同じく銀髪銀眼の男女達だった。
この事実があってようやく、彼らがツクシと同じ人種である事を得心した。
ただし、彼らはツクシとは真逆の事を始める。
翳した掌で、目に映った人間達を原型も留めないくらいに圧殺していく。
銀河魔術。
この星では、メルトとツクシしか使えない筈の、宇宙出身の魔術。
「……う……ああ……!」
ぐしゃ、ぐしゃ、と。
人が簡単に、重力に握りつぶされていく。
人が初めて死ぬ様に、それも血と肉を巻き散らかしながら小さくなっていく様。
12歳の少年には、衝撃的する光景に思わず血の気が引いた。
消えそうになった意識は、しかしツクシに抱き留められ、支えられることで何とか保てた。
「大丈夫?」
「……うん」
「君はこの森に隠れていて」
重力の銀河魔術を解くや否や、ツクシが草木の茂みの中にメルトを押し込む。
ツクシの表情に深刻さは刻まれていないが、声に余裕がない。
メルトは正直、どうすればよいのかわからなかった。
この星の侵略。
言葉にすればこんなに短いのに、いざ目の当たりにしたら足が竦んで仕方ない。
足りてなかった覚悟が、悲鳴を上げている。
建造物を崩壊させ、人を重力の渦で挽肉にしては、火炎で炙っていく。
人としての尊厳を踏み外した行為を、いとも簡単に行えてしまう侵略者達の眼に怯えていた。
この二年間の授業が、得られた銀河魔術が全て滑稽に見えてしまう。
(今まで僕は……何をしてきたんだ……)
あの侵略者と対峙すれば、次は自分がミンチになる。
死ぬ。殺される。砕かれる。喰われる。
そんな可能性に辿り着いたとして、絶対零度に触れたように震えていたとして誰がメルトを責められようか。
「大丈夫だよ。メルト」
氷結された世界は、肩に置かれた教師の掌で融解された。
授業の時と変わらない、柔らかい笑顔が視界にあった。
「先……生……」
「ごめんね。思ったより侵略が早かった……いきなりこんなの見せられたら、怖かったよね」
「そんな事ない……俺も行く。先生にやっと銀河魔術、認められたんだ。行かなきゃ、行かなきゃ嘘だろう!?」
「だけど想定以上に向こうは多勢だ。いきなりあんな大勢で来られちゃ君には厳しい。だから今回は僕がやる」
ツクシの背後に、不自然に区切られた境界線が発生した。
その内側には、現在進行形で滅ぼされていく街が映っていた。
建物から吹いた炎が、その“トンネル”を超えてツクシの横を掠めた。
銀河魔術の“空間”属性で繋げた街という戦場へのトンネル。
ツクシは、一人でに向こうの世界へ踏み出していく。
「待ってくれよ先生! 俺、この世界を守るために銀河魔術を教えて貰ったんだろう!?」
恐怖に散々に支配されているのに、それを打ち破ろうとする感情が生まれる。
認められたいという承認欲求。
自分だってやれるという過大評価。
ここでやらなきゃ意味がない、なんて無謀とはき違えた勇敢。
渦巻く感情を支配できないまま手を伸ばすメルトに、ツクシは仕方ないなぁといつもの笑顔で返す。
「教師ってのはね、それでも生徒が死ぬのが一番嫌なの」
「……ツクシ先生」
「君に教えることはいっぱいある。だからそれまで、君を絶対死なせない」
トンネルが縮んでいき、ツクシの姿が向こう側の空間に消えていく。
「先生!」
「大丈夫。君の授業は明日からも続くから」
メルトがようやく立ち上がり、駆けだした時には既にトンネルは霧消していた。
何もない空で転びそうになって、一度何とかしっかり立ち上がって。
ツクシに教えて貰った“空間”属性の銀河魔術を使って、同じトンネルを発現する。
「……あれ?」
いつも出来ている筈なのに、授業なら完璧なのに、何も起きない。
日常で苦楽を共にする自分の体じゃないみたいに、思い通りに魔力が動かない。
何度同じ手順を踏んでも、森と街を繋ぐ空間のトンネルが出現しない。
「なんで……なんでだよ!」
こんな時に二年前の、ツクシに会うまでの自分に何故戻らなきゃいけないのか。
何もこんな時に、何もできないメルトという子供にならなくたっていいじゃないか。
何度も自分を殴りながら、自分の中の宇宙を操ろうとするが、しかし無反応。
「努力してきたじゃないか!! いっぱい勉強してきたじゃないか!! なのに! なんで肝心な時に手をこまねいている事しか出来ないんだ! 先生を一人で行かせて、それでいいのかよ!! 俺が今まであの人に教えられてきた毎日は、一体何だったってんだよおおおおおおおおお!!」
湿気たマッチに灯らぬ火のような魔力に苛立ちを覚えながら、しかし恐怖だらけの感情のせいで銀河魔術が発現しない事からも目をそらす。
情けなさに久々の涙を流しながら、遂に夜の淵から走りだすことを決意する。
街が見える距離になって、宇宙から訪れた破壊者達の顔も良く視認出来るようになってきた。
同時に、突き出た骨と、肉と内臓の境界線がつかなくなった肉塊の姿も見えてきた。
一歩間違えた時の、メルトの末路だ。
「ぐ……ぐ……」
吐きそうになりながらも、それでも何かを求めるように林道を駆ける。
このまま死にたくないと怯えて二年間を無駄にするくらいなら、この先は死んだような生き方しかできない。
尊敬する教師の隣に並び立てないなら、この先はあの尊敬するような教師には永遠になれない。
あの灼熱の戦場にしか、メルトの未来は無い。例え生存確率が一割もない場所だとしても。
「ああああああああああああああああああ!!」
ツクシがメルトに託した、この世界を守るという役割。
せめてそれだけは、死んでも全うしたい。
少年は死んだ後の自分を必死に、思考から除外し続け、ついに辿り着く。
もう終わってしまった、真実色の街に。
「……あ」
黒煙に塗れ、炎上する街を背景に、銀髪銀眼の集団と出くわした。
メルトの思考が停止したのは、多勢に無勢の状況に絶望したから、もある。
焼かれ、潰され、消滅させられた人間の死骸に自分の未来を見たから、もある。
今向こうで、子供達が侵略者から放たれた“粒子”によって風穴を開けられ死んだから、もある。
しかし何よりも絶望したのは――侵略者達の中心に横たわっていた人物。
「ツクシ……先生……」
血色の池に揺蕩(たゆた)うは、知らない人。
知らない、分からない、理解できない人。
同時に、認識の範囲外にあった感情が、暗雲となってメルトの宇宙を覆いつくした。
次第にぽつぽつと瞼から漏れ出す水を感じながら、段々と蜃気楼のように曖昧になっていた景色が明らかになる。
「ツクシ……先生……?」
ツクシ“らしき”ものは答えない。
鮮血で無作為に化粧され、血の気の失せた顔からは何も伺い知れない。
右手と左足が焼き千切れ、残った左手と右足もピクリとも動く気配がない。
「なんだ、まだ子供が残っていたのか」
「生き残りなんざどうでもいいがな。俺達の目的はこの星を支配する事だ」
「とはいえここら一帯の連中は皆殺しだ」
一番血の匂いがする侵略者達が何か喋っている。
理解できるような、理解できないような気がする。
違う星から来ておいて、同じ言語なのもおかしいけれど。
「とりあえずこの“裏切り者”を本星に連れ帰るのが先だ」
「別にマストじゃないだろう。もう消しちまったら? こいつに何人仲間を殺されたと思ってんだ」
「良く考えろ馬鹿。こいつの“正体”知ってんだろ? ちゃんと行間読めよ」
そして一人が、右手をメルトに向ける。
銀河の魔力。違う星のメルトにも、それが脈動しているのが分かってしまった。
「あーうっぜ。やっぱストレス発散は原住民虐殺に限るっしょ」
“重力”の魔術で、圧殺するか?
“粒子”の魔術で、焼殺するか?
“時間”の魔術によって加速した拳打で、撲殺してくるか?
“空間”の魔術で、バラバラにしてくるか?
“暗黒”の魔術で、宇宙の彼方を永遠に彷徨うか?
戦闘経験のないメルトが、男の次の動きを読めるわけがなかった。
そもそもそんな事、どうでもよかった。
「ツクシ……先生」
ツクシ先生がいない未来なんて、メルトは信じない。
他に進むべき道なんて、メルトは知らない。
まだツクシに、十分に褒めてもらっていない。
何の恩も返していない。
楽しい教室は、まだ閉校してほしくない。
そう思ったら、振り払った掌にはち切れんばかりの宇宙が乗っかった。
まるで増幅した負の感情を代弁するかのような、メルトがこれまで見たことのない規模の銀河魔術だった。
メルトの銀河が言う。
“先生みたいに”。
“死んだって構わないから”。
“かっこよく、生きなきゃ”。
「いっ……!?」
男は莫大な重力に引っ張られ、石造りの建物を貫通していく。
出てきた時にグズグズになった肉は、そのまま流星の様に摩擦熱で燃えて消えていった。
「待て……なんだ、こいつ」
「この星にこれ程の銀河魔術を扱える奴が、……存在するだと!?」
狼狽える侵略者にも視線を合わせない。
ただ、邪魔という認識だけがメルトの中に現れる。
ツクシを助ける為に、彼らは邪魔でしかない。
そう考えたら、もうメルトにとって彼らは命ではなかった。
特に、家族みたいに近かったツクシと比べれば。
そう考えたら、覚悟なんてとうの昔に完了してしまった。
「邪魔だ……ツクシ先生が死んじゃうだろ」
属性“粒子”という宇宙。
メルトの全身から無数に放たれた光線は、侵略者達の全身を流れ星の様に通過していった。
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