私立カルセドニア学園・中等部──1年A組。
本日、1学期の授業初日のHRで担任の女教師にセクハラを働いた男子は、その女教師──風間 菫に窓から投げ捨てられて以降、教室に戻ることはなかった。
実は彼は即座に退学になって公立中学に転校になったのだが、彼の元・同級生たちは知るよしもない。1人を欠いた状態でも、A組の授業は何事もなかったかのように始まった。
そこで加藤 飛鳥は抜群の存在感を示した。
とはいえ、自らの秀でた能力をHRで謳ったその男子生徒の、入試最高得点の頭脳はまだ目立ってはいない。
各人に学力の差はあれど1~3時限目の英語・国語・数学では初日からそれが浮きぼりになるほど難しい授業はされなかった。差が出たのは──体育。
¶
バスッ‼
ピーッ‼
体育館の壁の高所に巡らされた細い通路上の観客席。その床の外側に設置された立板から突きでた金属環を、大きめのボールが上からくぐり、リングから吊られたネットを揺らし、得点を示す審判の笛が鳴らされた。
種目はバスケットボール。
1年A組の約40名の生徒たちは男子4チーム・女子4チームに分かれ、男子は男子同士・女子は女子同士の4組の対戦カードを組み、体育館の4つのバスケットコートで試合をしていた。
その一試合、飛鳥がかなり離れた所から高々と放ったボールが吸いこまれるようにリングをくぐり、通常より1点多い3得点を獲得した。
素晴らしいコントロール。
背の高いイケメンが不敵に笑い、白い歯を光らせながら華麗なシュートを決めた──女子たちから黄色い悲鳴が上がった。
(君たち、自分の試合は?)
咲也はボールを拾いながら呆れた。女子たちも試合中なので、飛鳥のプレイに反応するのは余所見している証。こちらは六花と小兎子の体操着姿を視姦したいのを我慢しているのに。
だが、その自分が恋する2人が飛鳥に無反応なので、他の女子たちがいくら騒ごうと咲也は平静でいられたが。他の男子たちは非常に苦々しい顔をしていた。
「トキワ!」
飛鳥の対戦相手チームの一員である咲也は、その嫌そうな顔をしている男子の1人、チームメイトの常磐へ思いっきりボールを投げた。反撃だ!
「おう!」
ボールを受けとった常磐は、ボールを片手と床のあいだで往復させながら走るドリブルで、立ちふさがる飛鳥のチームメイトの横を次々とすり抜けてゴールを目指す──
うまい!
常磐は咲也と同じで、アーカディアン以外なにかに打ちこんだことはない。バスケは小学校の体育の授業と、休憩時間の遊びでやったくらいで、クラブ活動などで専門的に学んではいない。
そのタイプとしては、かなり上手。
咲也がロボット以外に興味がなくて運動は苦手なのに対して、常磐はロボット以外に興味がなくても運動は得意だ。
運動神経のいい常磐はどんなスポーツでも始めてすぐに、そこそこできる。そこそこできればコツを掴むのも早い。初めは全くできない咲也とは、スタートラインから違う。
咲也も昔はその差が悔しかったが。
今はただ、親友を頼もしいと思う。
バッ‼
敵陣のゴール下で常磐がジャンプ! ボールを投げてリングに入れるのではなく持ったまま直接に叩きこむ、ダンクシュートを決めにいく!
かなりの身長がなければ跳躍したところでリングの上まで手が届くものではないが、中1離れした体格の常磐にはそれがある!
「はい残念」
「んなッ⁉」
バシッ! ゴール直前、常磐が頭上に伸ばした両手に握られていたボールが弾かれた。長身だが常磐よりは低い、飛鳥の手に。飛鳥は明らかに、常磐よりも高く跳んでいた。
弾かれたボールは飛鳥のチームメイトの1人の手に渡り、その彼が反対側のゴールを目指していく。咲也はそれをとめるために駆けだした。咲也にこの競技にかける情熱など欠片もないが──
真剣勝負で手は抜かない!
それは相手に失礼だから!
ドリブルするそいつの前に立ちはだかる‼
「来い!」
「クラブ経験者のおれに、そんな動きで!」
「あ」「え?」
「いただき!」
バシィ! そいつの持っていたボールはあっけなく奪われた。咲也でも、咲也のチームメイトの誰かでもなく。そいつの味方である、飛鳥に。
「加藤、テメェ⁉」
「いーから任せな」
味方からボールを奪った飛鳥はドリブルでこちらのメンバーを突破して、ゴール下で跳んだ。そこに敵陣ゴールから戻ってきた常磐も同時に跳ぶ!
「「おおおおお‼」」
先程とは逆に飛鳥のダンクを常磐が阻止しようと、飛鳥の持つボールに常磐の手がふれ、空中で押しあいになり──
ズガァン‼
飛鳥は自身よりも大きい、体も顔もゴリラのような常磐をブッ飛ばし、強引にボールをリングへと叩きこみ──華麗に着地! その横で、姿勢を崩して落ちた常磐が尻餅をついた。
ピーッ‼
きゃー‼
得点の笛と女子たちの歓声が響く中、勝者としてそれを浴びる飛鳥と、その足下に倒れた常磐。あまりに克明な勝敗の図式──咲也は常磐の許へと駆けよった。
「トキワ! 大丈夫⁉」
「ぐ……ああ、平気だ」
その常磐を見下ろし、飛鳥が吐きすてた。
「ウドの大木」
「「なに⁉」」
親友を侮辱された咲也と、侮辱された当人からにらまれても、飛鳥は怯みも悪びれもせず、勝ちほこって侮辱を重ねた。
「図体だけじゃオレはとめられねぇよ」
「言ったな……目にもの見せてくれる」
常磐はそう返したが。
それは叶わなかった。
その後も、誰も飛鳥をとめられなかった。常磐と咲也は、それでも最後まであきらめず戦ったが、他のチームメイトはあまりの力量差に、早い段階で戦意喪失した。
そして、飛鳥のチームメイトたちも。
飛鳥はさっきのように味方からもボールを奪い、常に自分だけボールを持ってシュートを決める。これでは彼のチームメイトはチームが勝っていても楽しいはずがない。
きゃーっ! 加藤くーん‼
女子たちの声が大きくなっていく一方、飛鳥を除く男子たちの空気は悪化していった。咲也がふと気づくと、別コートで試合をしている男子たちまで一様に、飛鳥に暗い視線を送っていた。
試合は100対0で、飛鳥チームの勝利。
100点全て、飛鳥の入れた得点だった。
飛鳥は溜息をついた。
「初めてやったけど、こんなモンか」
¶
4時限目の体育が終わり、昼休み。咲也たち4人は食堂に来て思い思いのメニューを注文、カウンターで受けとってテーブルについた。初めての学食。だが、それを楽しめる雰囲気ではない。
「なんなんだ、あいつは……!」
いつも冷静沈着な常磐が、珍しく怒りを露わにしていた。それでも大声で怒鳴ったりはしないが、抑えた声から怨念がじっとり伝わってくる。
「加藤くん、私の一口あげるー♡」
「飛鳥くん、私のも!」
「なに名前で呼んでんのよ、図々しい!」
「るっさいわね、早いモン勝ちよ!」
「おいおい、オメーら。オレのために喧嘩すんな」
「「はーい♪」」
常磐の言ったあいつこと飛鳥は、向こうの席で何人もの女子に囲まれている。どうも、A組では見なかった顔があるような……別のクラスや上級生もいるらしい。
あの中に飛鳥と元から知りあいな人はいなさそうだ。つまり、授業初日の午前中だけで、あれだけの人気を得た。咲也は常磐の問いに、思ったままを答えた。
「漫画みたいな奴だよね」
咲也は常磐のように飛鳥を妬んではいなかった。体育の時間のことは、バスケで勝ちたいという気持ちがないないので負けても悔しくない。
ただ、親友を侮辱されたことは腹立たしく思っている。しかし怒りは自分より怒っている人が傍にいると鳴りを潜めるもの。
常磐が怒った分、咲也は落ちついた。
「漫画といえば風間先生もだが……ともかく優秀なのは結構だ。俺が気に食わんのは、あいつがそれを鼻にかけ──そんな態度でありながら女子たちから好感を持たれていることだ」
「なんか、口が悪いところも『ワイルドで素敵』だとか『いい人ぶってなくて、かえって親しみやすい』とか言われてるね」
「なにが『かえって』だ。俺が同じ態度だったら絶対に彼女たちから不興を買うぞ。ただの短所を魅力の一部だと許される者と、許されない者。その明暗を分けるのは」
「顔」
咲也がそう言うと、六花と小兎子がビクッとした。今の発言は『常磐は顔が悪い』と咲也の口から言ったに等しいからだろう。
なお咲也も飛鳥にも負けないほど顔は良いが、それは女顔で、背も低いからか女子たちの関心は引かないらしい。小学校の時と同じ。それでいい、六花と小兎子にさえ想われていれば。
その2人は不安そうに常磐を見ていたが、常磐は咲也の発言に腹を立てたりはせず、あっさりと認めた。
「そういうことだ」
会話が途切れたところで、常磐は食事に手をつけた。気持ちを吐きだし少し落ちついたようだが、まだ眉間に皺が寄っている。
咲也は平気だが、こういう常磐はおそらく初めてなのだろう、六花と小兎子は居心地が悪そうだ。六花が、そっと挙手した。
「岩永くん、いい?」
「名雪? あ、ああ」
常磐は深呼吸すると、普段の雰囲気に戻った。
「すまなかった、苛立ちを撒き散らしたりして。もう大丈夫だ。怒らないと誓うから、なんでも言ってくれ」
「ありがとう……岩永くん、容姿のこと気にしてる? 今まで、そういうの聞いたことなかったから」
「こんなゴリラみたいな顔、気にするのは当然だ。この面子では楽しい話しかしたくないから言わないようにしてきたが、ついに破ってしまった。反省している」
「気にしないで。岩永くんの素が知れて、なんだか嬉しい」
六花の言葉に、小兎子が頷いた。
「アタシもよ。いいんじゃない? 『優劣を意識するのは当然』ってアンタも咲也に言ってたじゃない。アンタにもそういう人間らしいとこあるって知って『かえって』親しみが増したわよ♪」
「小兎子……ありがとう」
「で? さっきから慌てた素振りもない咲也は、常磐のこういうトコ知ってたってことよね。幼馴染だから」
「うん」
咲也と常磐、六花と小兎子、2組の幼馴染がこの4人組になり2年近く、今まで男子組の容姿の話をしたことはない。
咲也には話す理由がなかっただけだが、どうも六花と小兎子は話題にできぬまでも気になっていたらしい。なら、話す好機か。
「トキワはイケメン嫌いだよ」
「「えっ」」
「特にひねった理由もなく、自分が不細工でワリ食ってるから、顔がいいだけで得してる男は嫌いなんだ。だから出会った当時は僕にも当たりが強かった」
「「ええっ⁉」」
2人が驚いたのは、咲也が常磐を『不細工』と言ったからか、己の美貌に自覚的な発言をしたからか、あるいは両方か。
常磐が苦笑して、言葉を継いだ。
「俺たちも美的感覚は人と変わらない。お互いの顔面についての見解も同じだ。リッカは美しく、俺は醜い。そのことにふれずに親友になれるか。とっくの昔に一悶着あって、乗りこえたんだ」
咲也は一部、訂正した。
「いや、醜いとは思ってないって。世間的に偏差値の高い顔じゃないとは思うけど。僕はトキワの顔、男らしくてカッコいいって出会った頃から思ってる」
「そうだったな。俺は自分ではそんなふうに思えず、ずっと気にしていた。だから美しいリッカがうらやましかったが、リッカはリッカで自分の女顔を気にしていたんだ」
「今では『たとえ女顔でも美形に生まれたんだからラッキー』て思えてるけど、小さい頃はね。名前も女の子みたいだし」
「「……」」
六花と小兎子は真剣に聞きいっていた。
自分の内面に関することだからだろう。
それが咲也には嬉しかった。
「俺たちは本気で互いのことを妬んでいた。その妬ましい部分を相手が誇るどころか気にしているとは想像もつかず……ある日、ついに衝突して、互いの胸の内を知って」
「『望む顔が逆ならよかったのにね』って、意気投合したんだ」
「お互いコンプレックスが解消されたりはしなかったが、少なくとも俺たちが妬みあうのは馬鹿らしいと思えた。その時、本当に友達に……親友になれたのだと思う」
「素敵!」
「いい話」
六花と小兎子は瞳は輝かせ──たが、困惑顔になった。
「「だけど……ロボットの話は?」」
「この話には出てこないよ。僕たち当時3歳か4歳だったから、まだそんなにロボット作品、見てないって。2人ともロボットにどハマりするのは、もうちょい先」
「あの頃の俺たちは世界の色々なものに興味を持っていた。今のようなロボットばかりの人間になるとは思っていなかったな」
「リッカくんと、岩永くんにも」
「そんな時期があったんだ……」
いい話をしたと思ったのだが。それに全部、持ってかれた。
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