すーっ……
はーっ……
深呼吸した音が大きく聞こえた。今、立花 咲也の頭部はフルフェイスのヘルメットに覆われているため、その密閉された狭い空間で音が反響したから。
首から下も耐衝撃性に優れた素材のスーツ・手袋・長靴で全身ぴっちり覆われている。これらには体温調節機能があり、外見に反して暑くなく、ありがたい。
その服装はバイクのライダーや自動車レースのドライバーにも似ているが〔ロボットアニメに出てくるロボットの操縦士が着るパイロットスーツ〕にこそ、そっくりで──
事実、そのものだった。
全高3.8m以下の搭乗式人型ロボット【アーク】のパイロット用に開発された、事故・戦闘時の衝撃からパイロットを保護するスーツ。それを着て咲也はアークの操縦室に収まっていた。
両肩・両脇腹の後ろから1本ずつと、股の下から左右2本の、計6本のベルトを下腹部の前で締めた〔6点式シートベルト〕によって操縦席にがっちり固定されている。
両足は左右のペダルに置き、操縦時は左右の肘掛けの先にあるレバーを握る両手は今は膝に置いている。ヘルメットのバイザー越しに見るコクピット内は、かなり狭い。
そして懐かしい。
2年前、初めてこれと同じ実機のアークのコクピットに入った時は狭く感じなかったが、アークのコクピットを現物より広めに再現したアーケードゲーム【機甲遊戯アーカディアン】の筐体に慣れた今は狭く感じる。
前・左右・上の4ヶ所に貼られた長方形のメインモニターと、パイロットとの距離が、筐体より近い。前方の正面モニターなど咲也の膝の直上にある。
その膝は正面モニターの下端から手前に張りだしたコンソールパネルに隠れている。現在、点灯しているのはこのパネルだけでコクピット内は薄暗かった。
節電のため。
機体頭部の前・左右・上にある、その方向を撮影するカメラが捉えた外の様子を映すメインモニターを点けても、今この機体が座っているトラックの箱型荷台の中が見えるだけ。
機体の蓄電池に蓄えられた電気も、そこに充電する電気を作る機内搭載ディーゼル発電機の燃料も、有限なのだから無駄遣いできない。
だがトラックが目的地につくまで真っ暗な中で待っているのも精神的疲労で作戦に支障が出かねないので、コンソールパネルの点灯および通信は許されている。
『リッカくん、こういうの好きでしょ』
咲也のヘルメットに仕込まれたヘッドフォンから、咲也機の前に座っているアークに乗っている名雪 六花の声がした。
「こういうの?」
咲也が返事をすると、パイロットスーツの首に仕込まれた咽喉マイクがその声を拾って機体の通信機を介して六花機に届ける。
『ロボットを大型車両に積むの』
「ああ、うん、好きだよ。あの林間学校の日も行きのバスの中でトキワとそんな話してたんだ」
『まだロボットに興味のなかったわたしたちに遠慮して、2人がわたしたちの前ではロボットの話をしなかった頃だよね』
『小5の時はアタシたち別のクラスで、乗ったバスも別々だったのよね。アタシたちがいなくて2人で話せる内に、ってこと?』
月影 小兎子の声。
彼女は咲也機の後ろに座っているアークに乗っている。つまり咲也機は、六花機と小兎子機に挟まれている。2人の片方だけが咲也と隣接すると揉めるので。
「そうそう」
『今ではわたしたちも立派なロボットオタクだから、話に付いていけるよ♪ こういうのコード■■■であったよね』
『あとパト■■■■と、ボトム■』
道路の騒音にかき消され作品名の一部が聞きとれなかったが、なんと言ったか脳内で補完できたので問題ない。それらの作品で見てきた状況に今、自分が置かれている。
感慨深い。
「緊張しすぎて、今がそういうシーンだって気づいてなかった。六花のおかげで気づけたよ、ありがとう」
『えへへ♪』
『…………』
「小兎子も! こうしてアークに乗って1号機の警備に就けるの小兎子のおかげだから。改めて、ありがとう。感謝してる‼」
『フフーン♪ まぁ当然よね?』
『…………』
これから3人はブルーム試作1号機を怪盗忍者から守る警備に参加する。3人とも12歳で、その運転免許を取れる年齢に達していないアークに乗って。
そんな、咲也が希望したとおりの無理が通ったのは小兎子の、宇宙飛行士を目指して勉強してきた明晰な頭脳と、積極的な性格からくる行動力の賜物だった。
¶
アークに乗って怪盗忍者を撃退する。
そう願った咲也だが、乗りこむアークもその免許も、当日には警察に封鎖される予告現場に入る資格も、持っていない。
そこをどうするかについて、咲也には『現場の警察官に頼んで警官用アークを貸してもらい、それに乗って警備に参加する』という、無謀な案しかなかった。
そこに小兎子が助言した。
ブルーム試作1号機を開発し、予告現場=国立科学博物館へと寄贈した常陸グループの総帥、常陸 香 翁を頼ろうと。
怪盗忍者が使用しているアークは常陸から盗んだもの、そして1号機も常陸製。常陸としては怪盗忍者は怨敵であり、その犯行阻止と逮捕に協力したいと、かの総帥は声明を出した。
それで1号機の警備は警察官たちと、常陸グループが依頼した民間警備会社の警備員たちとの合同による、官民一体で行われることになった。
小兎子はそこに目をつけた。
自分たち子供を警察の警備隊に入れるのは無理でも、民間警備会社の警備隊に紛れこませるくらいなら総帥の力をもってすれば可能なのではないか。
六花と小兎子と3人で作戦会議のグループチャットをしている中で小兎子からそう言われた時、咲也は気乗りしなかった。
あまりにも厚かましい。
それほどの願いを叶えてもらうのに釣りあう代価を自分は用意できない。総帥とは知りあってからSNSで繋がって歳の離れた友人のような関係だが、金持ちの友人にたかるなんて卑しい。
だが小兎子は──
小兎子
[総帥には断られて、怒られて嫌われるかも知れないけど。アンタには1号機を守るほうが大事でしょ? 『ダメ元で試してみることさえしないのは無理』って常磐に言ったじゃん。なんでもやらなきゃ]
そう言われて納得して。
咲也は作戦会議グループチャットに招いた総帥に事情を話し、小兎子の考えたとおりに便宜を図ってほしいと嘆願した。
総帥は──
常陸香
[話は分かった。じゃが、それについて話す前にこちらを言わせてくれ。立花くん、先日は弊社のボガバンテが怖い想いをさせてしまい、すまなかった]
咲也
[ありがとうございます。ですが総帥にも常陸グループにも責任のないことですから、どうかお気になさらずに。道具によって起こったことが、それを作った人の責任になるはずない。使った人の責任ですよ]
常陸香
[ありがとう、そう言ってもらえると救われる。しかし、君は以前にもボガバンテで嫌な想いをした。今度のことでさらに嫌いになったとしても、それもまた無理ないことと思うよ]
咲也
[いえ全然]
常陸香
[ぜ、全然⁉]
咲也
[元々、嫌いってワケじゃないんですよ。僕が乗りたいタイプのロボットじゃないってだけで。2年前の一件では、逆に愛着が湧きましたし]
常陸香
[そうじゃったの⁉]
咲也
[むしろ僕が人質になったことで、犯人の目論見どおりボガバンテの規制が進んでしまいそうで。申しわけないです]
常陸香
[全く、君という子は。気にするでない、規制強化は良いことじゃ、むしろ今までが緩すぎるくらいだったんじゃから]
咲也
[いいんですか?]
常陸香
[規制強化されてもボガバンテはなくならんよ。人は一度 手にした便利さを手放せん。もう建設業界はボガバンテなしでは回らなくなっとる]
咲也
[それは、よかったです]
常陸香
[では話を戻すが……儂は君たちを孫も同然に思っとる。君らの頼みとあらば法律なんぞ、いくらでも破ろう。なぁに、儂ほどの超上級国民になれば大抵のことは揉み消せる]
咲也
[総帥⁉]
常陸香
[じゃが、君たち自身に罪を犯させるつもりはないゾイ? たとえ儂の力で裁かれんようにはできても罪は罪。君たちを儂のように穢しとうはない]
六花
[感動的ですけど反応に困ります]
常陸香
[スマンスマン! 大富豪ジョークはさておき、2年前の事件で1号機に乗った立花くんが罪に問われんかったのは、緊急避難じゃったからと理解しておろう?]
咲也
[はい]
小兎子
[ですが、無免許の子供が予告現場でアークに乗って警備に当たるのは、不法ではないですよね]
咲也
[え⁉]
小兎子
[2年前、緊急避難だったから許された咲也の罪も、人のものを勝手に使って壊したことだけで、そこに無免許運転は含まれていませんよね?]
六花
[本当⁉]
常陸香
[月影さんがそう思う理由を聞かせてくれるかの?]
小兎子
[各種運転免許は対応した車両を公道で運転するのに必要なもの。あの工場のような公道でない場所で動かす分には、無免許でいい。あの日、免許を取れる年齢じゃなかったソウマ・コジロウくんが双腕重機ボガバンテを動かしていたように]
常陸香
[……正解‼]
咲也
[本当に⁉ 重機を私有地で動かすのは無免許でいい、ってのは僕も知ってたのに、それと同じ話って気づかなかった。あれ、なんでだ?]
小兎子
[咲也は実機で戦うために機甲道の選手を目指してるでしょ? その選手資格を得るには16歳から取得できるアークの運転免許も必須だから、混同したんじゃない?]
咲也
[それだ! 警備は、機甲道じゃないよね]
六花
[あれ……じゃあ機甲道のライセンス取るのに、なんで運転免許も必要なの? 機甲道って専用の会場でやって公道ではやらないよね?]
常陸香
[公道でない競技場を走るのに免許は不要なので、自動車レースの世界では免許を取れない低年齢から実車に乗って危険なレースに出る例が昔はあってのう]
常陸香
[同じ轍を踏まぬように、機甲道では初めから資格取得に免許が必要ってことにしたんじゃよ]
六花
[そうだったんですね……]
小兎子
[そういうワケで、常陸がアタシらを雇ってくれて、常陸側が用意する警備員に加えてくれて、警備用アークを貸してくれて、アタシらはそれを公道でない現場でしか操縦しない──これなら問題ないのでは?]
常陸香
[皆無とは言えんが、多少の問題は儂がなんとかしよう。儂とて進んで若者を戦わせる気はなかったが、月影さんの推理を楽しませてもらったお礼じゃ。その話、乗った!]
小兎子
[ありがとうございます♪]
六花
[ありがとうございます‼]
咲也
[ありがとうございます‼ でも、そこまで面倒を見ていただいて、僕たちにはお返しできるものが]
常陸香
[相変わらず律儀じゃのう、立花くんは。では……警備員として雇うという話じゃが、就業可能年齢でない君たちに労働はさせられん。子供のお手伝いという扱い、ギャラは払えん]
咲也
[それは、もちろんです]
常陸香
[が、法がどうあれ人をタダ働きさせるなんぞ言語道断。君たちには報酬を受けとる権利がある。それを返上するのが儂が君らの願いを叶える代価。それで貸し借りナシにせんか?]
咲也
[それだけで? 我がままを聞いていただいて、さらに報酬までもらう気なんてありませんでしたし、ただ僕らの願いが叶うだけでは]
常陸香
[自分たちの価値が分かってないのう。アーカディアンのS級が1人、A級が2人。A級相当以上の操縦技術の持ち主なぞ機甲道なら1戦ごとに分厚い札束がもらえる身分じゃぞ?]
常陸香
[そんな凄腕3人をタダで雇える。色々と用意する費用を引いても、儂のほうが丸儲けじゃよ]
咲也
[総帥……本当に、ありがとうございます‼]
六花
[ありがとうございます‼]
小兎子
[ありがとうございます‼]
総帥の言葉がどこまで本当か分からない。多分、こちらが気に病まないよう大袈裟に言ってくれたのだろう。その心配りを無にしないため、咲也はそれ以上は言わず厚意に甘えることにした。
¶
そして今日、怪盗の予告した3月31日。
朝早くから3人は総帥と合流して、総帥から貸りたパイロットスーツを着て、総帥から貸りた警備用アークに乗り、アークごと常陸のスタッフが運転するトラックの荷台に積まれ、トラックは予告現場へ向かって発進。
別れる前、総帥からは『現地に着いたら他の警備員や警察官に子供だとバレないよう、顔を隠すヘルメットのバイザーは人前で上げず、姿も見せないよう極力アークの中にいるように』と忠告された。
そして現場に到着。
咲也たちはアークに乗ったまま、警備隊の指揮官の指示に従って所定の位置へと移動、怪盗を待つことになった。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!