人形たちのサナトリウム

- オーナレス・ドールズ -
片倉青一
片倉青一

終章「止まり木の療養所の看護人形」

10-1「代理兵士に花束を」

公開日時: 2022年7月15日(金) 18:00
文字数:5,689

 青十字の方々とわたしたちが死闘を繰り広げてから、一週間が経ちました。

 時刻は午前九時。

 夜勤を終えたわたしは、花束を持って、当院の東側、松林を訪れていました。

 眼前には、つるりとした大理石で作られた、小さな無銘の石碑。先日の戦闘で損壊した大量の人形を弔うため、建立されたものです。

 大量の遺骸を埋めるわけにはいかないので、それぞれの人形のアンテナに埋蔵されている識別チップを摘出し、埋葬してあります。

 レーシュン先生いわく、


「ヒトのカタチをしたものを廃棄する際は、弔いをするものだ。大量に廃棄する際は、尚更だ」


 とのこと。

 わたしは花束を持ったまま瞑目して、あの辛く痛々しい出来事を思い返しました。

 わたしの支配によって人格を剥奪され、操られるがままに破壊された、数多の人形。肉体の限界を超えて稼働し続け、化学的な損壊に至った二体の狩猟人形。今もなお当院にて全身の部品交換を続けている、二体の狩猟人形。そして、わたしをかばって銃撃を受けたラヴァさん。

 彼らに祈りを捧げます。

 わたしたち人形に、祈る神様はいません。魂が天国に行ったり地獄に堕ちたりすることもありません。だって、人形に魂なんてありませんから。自らの心を改めて傷つけ、痛みを思い出し、二度と惨事を繰り返すまいと誓いを新たにするのです。

 いま現実に稼働しているわたしは、次こそは間違えない、と。


 五分ほど、そうしていたでしょうか。

 わたしは目を開き、花束を見やりました。白い花弁が星のように長く伸びたお花が十数本、束ねてあります。エーデルワイスというそうです。

 わたしが青十字の方々に無茶を言って取り寄せました。当院は外部からの干渉を受け付けず、外部への干渉を許しませんが、このくらいはお目溢しを頂いてもいいでしょう。

 だってこの花束は、ラヴァさんに差し上げるためのお花なのですから。

 空を見上げます。真夏のお日様が、北に向かってぐんぐんと昇りつつあります。

 今日も暑くなりそう。

 などと、ぼんやり考えていたときのことでした。

 わたしの背に、聞き覚えのある低い声がかかりました。


「やあ、ハーロウちゃん」


 慌てて振り返ると、屈強ながらも穏やかな表情の代理兵士デーモンが松の木に寄りかかっていました。わたしに微笑み、軽く手を上げました。


「ラヴァさん⁉」


 わたしは駆け寄り、アッシュブロンドの彼を見上げました。


「まだ安静にしていないと駄目じゃないですか!」


 ラヴァさんはばつが悪そうに後頭部を掻き掻き。いやあ、と前置いて、弁明します。


「代理兵士が、これくらいの損傷で寝込んでるわけにはいかないさ」

「一週間も絶対安静だったお方がよく言いますね!」


 大きな背中に回り、花束を持っていないほうの手でバシリと背中を叩いてあげました。


「あ痛たた!」


 もう一回、バシリと叩きます。


「痛い! ちょ、待ってくれ! まだ骨と筋肉が馴染んでないんだ!」

「それ見たことか、ですよ。まだ怪我人なんですから安静にしててください」

「……ハーロウちゃん、俺が寝ている間にずいぶんと乱暴になったね」

「はいはい、そうかもしれませんね」


 医師の言うことを聞かない患者さんに容赦なんてしてあげる必要はありません。言うことを聞けない患者さんには優しくしてさしあげますけどね。聞かないのと聞けないのとでは大きく違うのです。


「はい、これ、どうぞ」


 ぶっきらぼうに花束をラヴァさんへ突き出しました。


「うん?」

「快気祝いですよ」

「それはどうも。だけど、人形の俺が花を貰ってもな」


 何て言うんでしたっけ、こういう性格を表す言葉。

 そうだ、朴念仁です。あるいは唐変木。


「気持ちです。わたしもあなたも人形ですけれど、心はあるでしょう? だったら、このくらいの気遣いはあってもいいと思うんですけれど」


 ラヴァさんは眉尻を下げ、軽く両手を挙げて降参と示しました。それから、わたしが差し出した花束を受け取りました。


「……悪かったよ」


 わたしは両腕を組み、フムンと鼻息をひとつ漏らしました。不満です。


「もっとふさわしい言葉があるんじゃないですか?」


 ラヴァさんは再び後頭部を掻き掻き。


「いや、本当に……たくましくなったね」


 花束を改めて両手に持ち、ラヴァさんは肩をすくめました。


「ありがとう、ハーロウちゃん。嬉しいよ」

「よろしい」


 わたしはようやく頷き、今度は優しくラヴァさんの背中に手を当てて、無銘の石碑から離れました。


「さ、病室に戻りますよ。どうせ、勝手に抜け出してきたんでしょう?」

「はは……背中も耳も痛いな……」


 二体連れ立って、松林から敷地の芝生へと出ました。

 今は午前の回診のお時間です。屋外には誰もいません。メスキューくんがぽつぽつと歩き回り、掃除をしたり街灯のメンテナンスをしていたりするくらいです。


「目が覚めたのは三日くらい前だったんだけど。いてもたってもいられなくなってね。絶対安静が解かれたから、メスキューから君の居場所を聞いてきたんだ」

「まったく……お気持ちはありがたいですけれど、あなたは患者さんなんですから。それも心ではなく体に外傷を負った! 肩甲骨が剥がれても知りませんからね」

「分かった、分かったよ。悪かったって」


 ラヴァさんは嘆息を一つ。花束を肩に担いで、軽く首を捻りました。


「それで。あの後、どうなったんだい? 一応、説明は受けたけれど、君とメラニーちゃんから、ちゃんと話を聞いておきたいと思ってね」


 メラニーは閉鎖病棟で日勤の真っ最中ですから、夜勤を終えたわたしを訪ねたのでしょう。他者への気遣いはできるくせに、ご自身への気遣いはできないのですから、この代理兵士さんは唐変木の朴念仁なのです。


「当院は、いつも通りの運営に戻ります。何もかも、元通りです。患者さんが運ばれてくる。一等人形造形技師の先生方と、わたしたち看護人形は、観察・理解・共感を通して、患者さんの治療にあたる」


 ラヴァさんは驚いたようで、足を止めてしまいました。


「本当に、それだけの成果を勝ち取ったのかい?」


 振り返ると、花束を担いだ大柄な代理兵士が、目を丸くして立ち尽くしていました。


「はい。何も、何も変わりません。ま、青十字の監視が入るくらいです」

「え……それは随分と変わるんじゃないかな。やりづらいだろう」

「いいえ。わたしたちに後ろめたいことなんてありません。勝手に監視していればいいんです。当院の運営方針に口を出させたりはしません」


 ラヴァさんは肩に担いでいた花束を、両手でそっと抱えました。


「そうか……」


 当院では栽培していないはずの花が、手元にある。当院に滞在して長いラヴァさんなら、その意味が分かるはずです。


「良かったね、ハーロウちゃん」


 いつもの温和な、曖昧な微笑みではなく、心から祝福してくれている笑顔でした。

 腹が立ちました。


「何を他人事のように。あなたのおかげですよ、ラヴァさん」

「俺は何もしてないよ。頑張ったのはハーロウちゃんとメラニーちゃんだろう?」


 この代理兵士ときたら、どこまで朴念仁なんでしょうかね。


「いいえ。あなたのおかげで、わたしたちは喧嘩に勝って、話し合いの機会を勝ち取りました。当院が独立性を保てたのは、他でもないラヴァさんが、喧嘩のやり方を教えてくれたおかげです」


 ラヴァさんは複雑な心境のようで、顔を歪めてしまいました。頬に一筋走る銃創が、ぐにゃりと曲がりました。

 彼の気持ちは分かります。わたしは彼の心を読み取って、何もかもに共感したのですから。戦いのために造られたのに、戦えなくなった。間違った解を得てしまった。そんな自分が、役に立ったと言われてもピンとこない。


「ラヴァさんは間違ってなんていません。あなたが指無し代理兵士デーモンであろうと、わたしはあなたが至った解を肯定します」


 わたしは一呼吸置いて、ラヴァさんの様子を観察しました。変わらず、しかめ面。あなたは正しいと言われても、信じきることができない。そんな顔でした。

 だからわたしは、彼が目覚めた時に言ってあげると決めていた言葉を告げました。


「病院と兵隊はいつだって忙しいものですけれど、暇な方がいいに決まっているでしょう?」


 ラヴァさんはハッと目を見開いて、渋面を解きました。わたしの顔をまじまじと見つめました。わたしはにっこりと笑顔を作りました。してやったり。

 ふふん。わたしだって、たまには気の効いた言葉を言えるのです。

 戦争なんて、するべきではない。

 その解が理想論に過ぎないとしても。

 戦争なんて、しないに越したことはない。

 こうすれば、現実的な解に置き換わる。

 人形はその性質ゆえに、時に極端な解に至りがちなのです。


「そうか……うん、そうだな」


 ラヴァさんが導出した解は、あらゆる諍いごとに適用できます。

 仮に諍いが起きたとしても、双方の被害を最小限に食い止め、歩み寄りの第一歩を素早く踏み出すことができる。相互不理解を解消できる。

 そして、いつかきっと、病院も兵隊も暇で暇で仕方ない日がやってくる。そう信じられる。


「エーデルワイス、か」


 あら、どうやらご存じの様子。

 エーデルワイスの花言葉は、大切な思い出。あるいは、勇気と忍耐、だそうです。メラニーと一緒に調べて、取り寄せました。

 ラヴァさんの大切な思い出ミーム、わたしたちに協力してくれた勇気、そして戦闘という使命を果たせなくなってもなお稼働し続けた忍耐が、当院を救ってくれました。


「ありがとう、ハーロウちゃん。俺は果報者だよ。役に立たなくなったのに、役立ててもらった。人形として、こんなに幸せなことはない」


 本当に、この代理兵士さんときたら。行き過ぎた謙遜は卑下ひげまんっていうんですよ。あの家政人形エリザベスさんが言っていました。

 まあ、指摘はしませんけれど。病み上がりの人形に、そこまで説教するのは酷というものです。わたしも誰かに説教できるほど偉い人形ではありませんし。

 歩いていたら、開放病棟を通り過ぎ、閉鎖病棟へとたどり着いてしまいました。

 ラヴァさんは安静にすべき患者さんですから、閉鎖病棟の病室にてお休みしてもらっています。かつて学友人形フェローのアンソニーくんが入室していた病室が、今のラヴァさんの病室です。


「さて、と……俺はこれからどうしようかな」


 病室に戻って安静にする、とかいうスケールのお話ではないことくらい、わたしにも分かります。

 彼がこれから代理兵士としてどう稼働していくか、です。

 わたしとメラニーは、ラヴァさんが有する情報因子ミームのコピーを丸ごと持っています。ラヴァさんは情報因子ミーム保有のオリジナルであり、サンプルとして貴重ではあるのですが、彼を稼働させ続ける必要性はかなり薄れてしまいました。

 無用の長物となった道具は、廃棄してしまうのが当然でしょう。かつては便利だった計算尺が、より正確な値を弾き出せる関数電卓にとって代わられたように。

 けれど。


「わたしに提案があります。バンシュー先生やレーシュン先生とも相談した内容です」

「何だい?」


 わたしは二歩、三歩と駆けてラヴァさんの前に立ち、くるりと半回転。手を後ろに組んで、首を傾げてみせました。

当院ウチで、看護人形ナースとして働いてみてはいかがですか?」

 廃棄するだけでは、進歩がありません。

 人形を再使用リユースすることだってできるはず。その昔、人形の職能分離が進んでいなかった頃は、万能の家政人形ジェネラルが様々な雑務を担っていたのですから。


「俺が……看護人形ナースに……?」


 ラヴァさんが困惑するのも無理はありません。ヒトや人形を殺める人形が、ヒトや人形を救う人形に転職してはどうかと提案されたのですから。


「あなたはわたしよりも当院に滞在して長い人形です。わたしたちのお手伝いも買って出てくれていて、勝手も分かっている。幸い、当院にはレフ先輩という前例もあります」


 閉鎖病棟を担う看護D班の班長、レフ先輩は、元々は従軍看護人形だったと聞いています。ラヴァさんなら戦場における応急処置の訓練も受けているでしょうから、看護人形としてやり直すこともできるはず。


「先生方からも、問題ないとの結論を頂いています」


 バンシュー先生やレーシュン先生は、ラヴァさんの転職は可能であると結論しました。性格傾向やこれまでの経歴を踏まえたうえでの、一等人形造形技師の結論です。


「……俺の情報因子ミームが患者に伝染する危険性も、無くはない。そこはどう排除するんだい?」

「アンテナを少しいじらせてもらって、人形網絡シルキーネットへのアクセスを制限します。そうすれば人形同士での通信もできなくなるでしょう? 看護網絡ナースネットへのアクセスは可能ですから、業務に支障は出ませんよ」


 感染症防止の三原則の一つ、感染経路対策。病原体の蔓延経路を遮断し、感染の拡大を防ぐこと。

 当院の看護網絡ナースネットがテキストメッセージの送受信に機能を限定されているのは、看護人形が患者さんから情報因子ミームを受け取らないようにするためなんだそうです。


「もちろん、看護人形としての研修は受けてもらいますけれど。戦場での応急処置と、当院における看護は、色々と違いますから」


 ぽん、とわたしは両手を打ち鳴らし、ラヴァさんの注意を惹きました。


「いかがでしょう? 当院で、人生をやり直してみませんか?」


 ラヴァさんは花束で顔を隠し、朝の青空をあおぎました。

 雲一つない、夏の朝の空。

 軍用の輸送ヘリコプターも、狩猟人形なんていう物騒な存在も降ってこない、南太平洋のなんにもない薄水色の空。

 銃声も悲鳴も怒号も轟かない、平穏を取り戻した空。

 およそ代理兵士の出番なんてありえない、当院にあるべき空。

 やがて、ラヴァさんは小さな声で答えました。


「……しばらく、検討させてくれないか」

「もちろんです。時間はあります。ごゆっくり、ご検討なさってください」


 言って、わたしはあえて余計な言葉を付け加えました。


「まずは修復した箇所が安定するまで、安静になさってくださいね。もしまた勝手に抜け出したりしたら、首に縄を付けて連れ戻しますから」


 はは、と優しい巨人は力無く笑い、いつもそうしているようにアッシュブロンドの髪に覆われた頭の後ろへ手をやりました。


「本当に、君たちにはかなわないな」


 眉尻を下げた曖昧な微笑みは、けれどどこかスッキリとした、憑き物が落ちたかのような、自然な微笑みのように見えたのでした。


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