人形たちのサナトリウム

- オーナレス・ドールズ -
片倉青一
片倉青一

第4章「シティ・アデレードの学友人形」

4-1「夜も、夢も、長すぎた」

公開日時: 2020年12月8日(火) 17:00
更新日時: 2021年12月15日(水) 15:28
文字数:5,684

 イリーナさんが悪夢から醒めた、翌朝。

 わたしたちが生産棟からのろのろと出たとき、お日様はいつものように東から北へと昇り、空はすっかり青く塗り変わっていました。

 ですが、患い、衰え、穢れ、狂った、あの悪夢に冒されたわたしたちの心身が、青空を見ただけで晴れようはずもなく。

 さりとて、今もなお苦悩のさなかにある患者さんのお世話をなおざりにするわけにもいかず。


 夜勤と日勤の交代時間である午前九時には、わたしたちは律儀にバンシュー先生の診察室を訪れました。

 バンシュー先生はいつものように陽気な声音と表情で、わたしとメラニーに告げました。


「君たち、看護はお休みだよ。今日と明日、二日与えるから、挨拶と引き継ぎを済ませてね。明日には看護人形を手配するから」


 わたしも、メラニーも、

「はい、バンシュー先生」

 としか応答できませんでした。


 それ以外に何を言ったとしても、わたしたちはイリーナさんの悪夢に関連付けてしまいます。


 分かっています。イリーナさんは、もう終わってしまったのです。

 わたしが望んでいた結末は、要素の欠片さえ叶うことなく。

 わたしを支えていた信念は、根本から覆されて。

 わたしに求められていた機能は、看護人形誓詞とは、一体何だったのか。


「――ハーロウ」


 メラニーのかすれ声で、わたしは我に返りました。

 気づけば、わたしはメラニーと一緒に診察室から廊下へと出ていました。


「動こう」

「……そうですね」


 廊下の窓を見やると、南太平洋の沖合に特有のすっきりした青空が切り取られていました。


「まずは……患者さんにご挨拶、ですね。あとは医療物資の備蓄点検。後任の方々にお渡しする引き継ぎの資料は、夜なべして整理しましょう」

「ん」


 やらなければ何も始まらず、動かなければ何も終わりません。





 最初に訪れた病室では、仕立ての良いスーツを着た患者さんがカードをシャカシャカとシャッフルしていました。

 彼はノインさん。八つの独立した人格が午前と午後でランダムに入れ替わる、正真正銘の多重人格者です。分類は不明。八つの人格がそれぞれ別々の分類を自称しているためです。


「おはようございます、四番フィアさん」

「おはよう、メラニーちゃん、と、ハーロウちゃん? 何かあったのかい?」


 患者さんは、些細な変化を見逃しません。患者さんのバイタルチェック、保清、処置は、日勤の看護人形がそれぞれ手分けして行います。二体が同時に訪れることは、まず無いのです。

 主担当のメラニーが応じました。


「今日は、挨拶に来ました」

「挨拶? 何かあったのかい?」

「メラニーとこいつは、閉鎖病棟に異動です」

「おや、そうなのか。世話になったね。アンナさんはそのままなのかい?」

「アンナさん、は――」


 ノインさんの質問も、メラニーが言葉を詰まらせることも、分かりきっていました。わたしがフォローに入り、あらかじめ準備しておいたストーリーを伝えます。


「急な事情がありまして、アンナ看護長はよそに転勤なさいました。わたしたちは未熟者なので、新しい看護人形スタッフが皆さんの担当になります。ベテランの方々ですから安心してください」

「それはまた、急な話だ。まあ、人形はそんなものだけど。午後の八番アハトが悲しみそうだ。慰めてやってくれるかな」

「その……すみません。他の患者さんへの挨拶や、引き継ぎの準備があるので、午後からはお話ができないんです」

「そんなに忙しいのか。大変だね……主治医はバンシュー先生のまま?」

「はい。今日と明日はB班の方々が皆さんのお世話を担当します。ご不便をおかけしますが、ご承知いただければ」

「オーケー、ありがとう。アハトに手紙でも書いておくかな。君たちも、また顔を見せてくれると嬉しい」

「はい。それでは、また」

「……また、よろしくです」


 ノインさんに見送られ、わたしたちは病室を後にしました。

 次、シェンティさんの病室を訪問するために廊下を歩いていたところ、メラニーがぼそりと呟きました。


「……ありがと」

「構いませんよ。わたしが主担当だった患者さんは、いなくなってしまいましたから」

「ごめん」

「不幸自慢に受け取られたのならそっちの方が心外です」

「……ごめん」


 どうにも、調子が狂います。わたしとメラニーは、お互いに悪態をつきあうくらいがちょうどいい仲なのに。

 かくいうわたし自身、メラニーを気遣うあまり、余計なことを言っている自覚があります。

 どこまでも追いかけてくる日常と、いつまでも立ち止まっていたくなる憔悴。外界と内面がひっきりなしに衝突して、おでこの頭蓋骨を内側からカリカリと引っ掻きます。

 お互いにぎくしゃくしながら、お互いに『もしも』に前頭前野を掴まれて引きずり回されないよう、成すべきことだけを考えるように努めました。





 その後も、わたしたちは看護A班が担当していた患者さんたち一体一体に挨拶をしつつ、アンナ看護長のストーリーを伝えて回りました。



 メラニーが主担当だった患者さんは、ノインさんの他に二体。

 常に古ぼけたスピーカーを持ち歩き、喉に有線接続している歌姫人形ディーヴァのシェンティさん。


〈寂しク、なりまスね〉


 ざらざらとした雑音混じりの合成音声に、失意の色が色濃く表れていました。


〈アンナさんにモ、お別れヲ言いたかったでス。まだ、歌ヲ聞いてもらえテなかったのに……〉



 見当識障害を患い、腰にくくりつけた命綱テザーで自分を引っ張らないことにはまっすぐ歩くことさえままならない、衛星鎮守サキモリのB・Dさん。


「え、マジで。担当、メラニーさんじゃなくなるの」


 B・Dさんは命綱であやとりをして、途切れなく様々な形を作りました。


「アンナさんもかあ……次の看護人形さん、あたしを見つけてくれるかな」



 そして、アンナ看護長が主担当だった三体の患者さん。

 まずは家政人形シルキーのエリザベスさん。彼女は事情をご存じなので、口裏合わせをお願いしました。


「委細、承知いたしました。ハーロウ様とメラニー様におかれましては、重ね重ね災難でございましたね」


 エリザベスさんも、このときばかりは毒舌も皮肉も口にしませんでした。


「アンナ様は、紛れもなく一流の看護人形でございました。お悔やみを申し上げます。わたくしども人形に神はおりませんが、悼むことくらいは許されましょう」



 いわゆる統合失調症を患い、生徒の声と姿を幻聴、幻視するようになった教師人形ガヴァネスのフラクシヌスさん。彼女は『時間』になったら指人形を五指にはめ、『授業』を毎日行っています。


「そうですか。アンナ先生が。皆さん、聞いてましたか?」


 フラクシヌスさんは、アンナさんを同僚と認識しています。バンシュー先生やセイカ先生は特別支援学校に勤めている技師、ということになっています。


「教師人形に転勤は付きものですが、残念です。アンナさんは特に、より良い指導方法を一緒に考えてくれましたから。皆さん、お別れのお手紙を書きましょう」



 天候次第で視聴覚と平衡感覚に変容をきたしてしまう、海技人形セイラーのユーリィさん。


「そうか。アンナさんが。ま、雇い主が変わることは海の者にゃよくあることさ」


 ユーリィさんはその場で歌いながら独特な体操を始めました。彼にとって、この『海技士体操』は心を落ち着けるためのルーチンなのだそうです。


「まるで、かあちゃんがいなくなったみてえだなあ……ここだけの話、俺は雷が怖くてよ。そんなとき、アンナさんは俺の側にずっと付き添ってくれたんだよなあ……」



 誰もが、アンナ看護長の突然の転勤を残念がっていました。

 アンナ看護長は、誰からも畏敬の念を抱かれる看護人形であり、同時に誰よりも信頼を得ていた看護人形でした。

 わたしたちは、失った存在の大きさを改めて思い知ったのでした。





 担当していた患者さんたちへ挨拶を終えたわたしたちは、備蓄のチェックへ取りかかることにしました。

 看護A班担当の患者さんたちが必要とする物資が十分に備蓄されているか、引き継ぎの前に確認しておかなければいけません。

 特にお薬は重要です。人間様と同じく、患者さんごとに様々なお薬が処方されます。毎日飲むお薬の他に、その日の体調や気分によって投与するお薬もあります。万が一にも、間違って配薬するわけにはいきません。


 医療物資保管庫は、診察室の裏側にあります。常に涼しく保たれている部屋に、わたしたちが入ったところ。


「あー、だれかー。だーれーかー。たーすーけーてー」


 艶っぽいのに情けない声が、保管庫の奥からふにゃふにゃと漂ってきました。

 狭い保管庫の棚をすり抜けた先で、棚から落ちてきた大量の医療物資に押しつぶされている妙齢の女性を発見しました。


「何、やってるんですか」


 わたしたちが掘り出したのは、セイカ先生。

 当院に勤める四人の医師の一人で、看護B班を束ねていらっしゃいます。たしか、ご出身はバンシュー先生と同じくノービ。若くして一等人形造形技師と認められた才媛です。


「二大株が壊れたからね。あたしも備蓄のチェックに駆り出されたの」


 責めるような口調ではありませんでしたが、どうしても胸がちくちくと痛んでしまいます。


「あの……セイカ先生。二大株の復旧には、どれくらいかかりますか」

「ん? 株分けには一週間もかからないわよ。備蓄だって三ヶ月分あるし」


 セイカ先生はバインダーをわたしへ手渡しました。


「とりあえず二週間分あれば何が起きても事足りるでしょ。いつものお薬、状態別に服用するお薬、食事の献立、経口輸液。全員分のリストをピックアップしといたから」

「あ、ありがとうございます」


 メラニーと一緒にバインダーの目録へ目を走らせたところ、わたしたちがやろうとしていた備蓄品のチェックは確かに済んでいました。


「でも、どうしてセイカ先生が?」

「看護人形はB班もC班も手一杯だし、狸親父バンシューは看護人形の手配。リットー先生は二大株の手配。残ったあたしが全員分の処方を書かなきゃいけなかったのよ。なら、まとめてチェックも済ませた方が効率的でしょ。クライアントの状態は全員分、把握してるし」


 わたしはバインダーをメラニーに渡しました。背の高いわたしが高所の物品をチェックした方が効率的ですから。


「その……セイカ先生を信じていないわけではありませんが、やっぱりわたしたちでもう一回チェックさせてください。それが、けじめだと思うので」


 セイカ先生は乱れた長い黒髪を手ぐしで梳いて整え、肩を軽く上げました。


「そ。ま、好きになさい。ん……ふぁー……あぁ……あたしはこれから仮眠を取るから。夜に叩き起こされて寝不足なのよね」


 わたしたちに気を遣ってか、セイカ先生はわざとらしく大きなあくびをして医療物資保管庫から立ち去ろうとしました。

 長い黒髪を流した背を、メラニーが呼び止めました。


「おか――セイカ先生」

「昔みたいにママって呼んでくれてもいいのに」

「過去を捏造しないで」


 セイカ先生はメラニーの創造主つくりぬしです。つまりお母さんです。


「それで、どうしたの、あたしの娘?」

「……メラニーは、ミーム抗体精製機構なんですか」


 セイカ先生はこちらを振り向かず、首をぐるりと回してから黒髪をぐしぐしとかき回しました。開きかけていた医療物資保管庫の引き戸をぴしゃりと閉め、内鍵をかけました。


「そう。あの狸親父、それを言ったのね。ったく、物事をむやみに引っかき回す癖、どうにかならないのかしら」


 セイカ先生の物言いは、暗に「そうである」と肯定していました。


「なら、イリーナさん、も」


 セイカ先生は、決してこちらを振り向きませんでした。引き戸から跳ね返ってくる艶っぽい声音は、医療物資保管庫によく響きました。


「言ったでしょ。全員分の状態を把握してるって。つまり、もちろん知ってたわ。じきにあれが壊れることもね」

「反対、しなかったんですか」

「する理由が無いわ。シティ・プロヴィデンスが発狂した原因の究明と、発狂に対するミーム抗体の獲得は、必要だったから。人形数体を支払う羽目になったけど、百万の発狂を防げたんだから安いものよ」

「……お母さんなら、反対すると、思ってた」

「何か、勘違いしてるわね」


 一呼吸おいて、セイカ先生は冷徹に言い切りました。


「心得ておきなさい、あたしの娘、メラニー。バンシューの娘、ハーロウ。あたしも含めて、一等人形造形技師はどいつもこいつも命を勘定するろくでなしよ」


 言い残して、セイカ先生は今度こそ医療物資保管庫から立ち去りました。

 うつむいたメラニーの、ごり、と奥歯を噛む音が、静かな医療物資保管庫に少しだけ反響しました。





 セイカ先生がピックアップした各種医療物資のリストに誤りがないことを確認したのち、わたしたちはナースステーションの一角に陣取って引き継ぎ資料の整理に取り組みました。

 それぞれの患者さんたちについて、当院に蓄積されたカルテを全て洗い、足りない情報があれば詳細に補記を残しました。一言一句漏らさないよう、お互いに何度もクロスチェックしました。


 翌朝までかけて入念に作成した引き継ぎ資料を、バンシュー先生に提出しました。

 時刻は午前七時を過ぎたころ。

 バンシュー先生は診察室にて、一時間ほどで膨大な資料を検分し終えました。


「うん、よくまとまってる。これなら口頭で伝えることはほとんど無いね。お疲れ様」

「ありがとうございます、バンシュー先生」

「君たち、そろそろ稼働時間が三十六時間を超えるだろう。一度、休眠を取っておくといい。手を借りるかもしれないからね」


 わたしとメラニーは、

「はい、バンシュー先生」

 とだけ答え、診察室を後にしようとしました。


 わたしたちの背中に、バンシュー先生の意地悪な声が投げかけられました。


「そんなに、後任の看護人形たちと顔を合わせたくなかったのかい?」

「――っ!」


 本音を見透かされ、無性に腹が立ちました。

 わたしは開きかけの引き戸を思い切り叩きつけ、大股で待機所へと向かいました。





 準備した資料が役に立ったのか、はたまた資料など必要ないほど後任の看護人形が優秀だったのか。

 わたしたちに声がかかることはなく、待機という名目の休暇を頂く形になりました。


 そして。

 あの悪夢から数えて三日後の朝。

 わたしとメラニーは、誰にも見送られることなく閉鎖病棟へと足を踏み入れたのでした。


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